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2010.02.02
ひだまりみたいな人でした。
※本日記はmixiからの転載です。手抜きでスイマセン。
タイトルはおろか、日記にも書くべきか迷いました。
知ってる方だけならとにかく、見知らぬマイミクの一人の事をこうして綴っていいのかと。
でも、今ここでこの気持ちをどこかに書きとめておかなきゃ、いつまでもずっと
引きずってしまいそうなので、うまくまとまるかどうか分かりませんが記しておこうと思います。
見たくない方は見なくてもいいです。たぶん、暗めの日記なので。
凹みたくない方はお戻り下さい。
楽しい日々が、ずっと続くのだと思ってた矢先でしたから。
マイミクであり、友人でもあるミクニキューさんが、29日未明にお亡くなりになりました。
死因は乳ガンだそうです。
その連絡を知ったのは、都内に遊びに行ってる帰りで、そのマイミクの仲間内の方でした。
登録してない電話番号で、なおかつ急にこんな時間になんだろう?と思ったら
あまりにも、あまりにも急すぎて、昨晩まで受け止め切れませんでした。
ようやく受け止められたのは、仲間内の一人である方の日記を読んでる時でした。
病気という話は日記でも記していたので知ってはいましたが、病名までは
知らされていませんでした。
1〜2ヶ月ほど入院して、退院なされた時は「あー容態は良くなったんだろうなー」と
本人に聞く事も無く、日記やメッセージで記された内容を鵜呑みにしていただけでした。
もう病気という事が発覚していた時点で、末期ガンだったというのに。
時はさかのぼって2005年。もう4〜5年前なんですね。改めて時の経過を改めました。
世間はクリスマス真っ只中というのに、大の大人が5人集まって、山の手線に乗って
延々とDSをして遊ぶという企画がありました。
そこで知り合ったのが最初の出会いでした。
そして、それが同時にmixiで初めての参加イベントでした。
前々から雑誌投稿者として名は知っていたので、どんな方なんだろうーってのはありました。
実際会ってみたら、物静かそうな方で、ほのぼのとした雰囲気がありました。
その割には、ゲームキャラが「キューたろ」みたいな、ちょっと変わった感じの名前でしたが。
その後、偶然にも合作イラストのメンバーだった事もあり、その進捗について話し合ったり
集まって意見交換したり、仲間内の方のおうちに集まってドンチャン騒ぎしたりしました。
毎回集まる度に何かしら差し入れを持って来て下さってました。
そのうち、すっごいマイナーな果物とか持ってきたりとかして、風変わりな面も伺えました。
合作イラストが一段落した後も、5人の集いを率先して呼びかけて下さったりしました。
おかげで全員そろう事はなかなか厳しかったりしましたが、集まる機会は定期的になりました。
その度に、購入したゲームを持参して来ていました。
大玉のシュールさは良かったです。
5人の集まり以外でも、同じ県内に住んでいるという点があったおかげなのか、
何かと誘いに応じてくれていたからなのか、任天堂好きという共通点が高じて
MOTHERの面子とカラオケオフとか、ファミ通主催のコンサートとか、
あとマイミク繋がりのモンハン集会とか、いろんな面で遊んで下さいました。
川越にいた時、こっちまで来て下さって、今後の集まりについてとか
まるひろのベンチで応援団を協力プレイして遊んだのもありました。
2年前の池袋で猫喫茶行ったりカラオケ行ったのも、もうなんかデート気分でした。
あと、自分の趣味にも付き合ってくださいました。
マザオフがきっかけで再度始めた同人活動で、寄稿をしてくださいました。
初めてちゃんとした形で作ったMOTHER本と、翌年作ったスマブラ本に、ゲストとして
それはもう、俺の本なんかには勿体無いくらいの素敵な原稿を提供して下さりました。
昔同人活動をしていたというだけあって、カケアミとかすごく整った線でした。
あと、あと…。
定期的にお便りを下さりました。ただはがき一枚だけでなく、必ず封筒に包んで
メッセージ付きで送って下さってました。とても手が込んでて、雑誌に投稿した絵や
季節に合わせた絵などを送って下さりました。
あと…あと…。
自分が日記等で近況を報告した時、かなりの頻度でメッセージを下さりました。
大抵が、と言うか全てにおいて励ましやお祝いの言葉でした。
自分はそのメッセージをろくに返せていませんでした。
数日遅れて返したりした時、お詫びの言葉を付けていましたが、実際は読んではいても
後回しにしてしまったのが本音です。
つーか、基本的にとても気遣ってくれていました。
彼女が出来た時とか「おめでとうございます〜」とか、創作活動で凹んだ時とか自虐的に
なった時は「お互い頑張りましょう〜」とか、タイムリーにメッセージを送って下さってました。
逆に、自分の事はないがしろにしてるんじゃないかってくらい、気遣ってくれてました。
本当に、優しい方だったんです。周りを良く気遣って下さって。
でも、自分本人の事はあまり公表せず、基本的には趣味のゲームや写真や絵の事に
ついてしかあまり知る事は出来ませんでした。
そういう意味ではミステリアスな印象もありました。
一時、本人にも幸せになって欲しいと思った事がありました。
自分にばっかお祝いの言葉をくれるんじゃなくて、こちらからお祝いの言葉をあげられるような。
メッセージって結構残っているもんですね。
「自分も周りの人たちが幸せになってくださる事を切に願ってます」とか書いてましたよ。
>そして私には勿体無いお言葉どもありがとうございます〜
>とりあえず、みんなが幸せになってから自分もなれれば…(笑)
…止まらないです。汁が。
本人に似せて描いたつもりですが、本人はもっと目がくりくりして、誠実な方です。
ほぼ勢いです。

タイトルはおろか、日記にも書くべきか迷いました。
知ってる方だけならとにかく、見知らぬマイミクの一人の事をこうして綴っていいのかと。
でも、今ここでこの気持ちをどこかに書きとめておかなきゃ、いつまでもずっと
引きずってしまいそうなので、うまくまとまるかどうか分かりませんが記しておこうと思います。
見たくない方は見なくてもいいです。たぶん、暗めの日記なので。
凹みたくない方はお戻り下さい。
楽しい日々が、ずっと続くのだと思ってた矢先でしたから。
マイミクであり、友人でもあるミクニキューさんが、29日未明にお亡くなりになりました。
死因は乳ガンだそうです。
その連絡を知ったのは、都内に遊びに行ってる帰りで、そのマイミクの仲間内の方でした。
登録してない電話番号で、なおかつ急にこんな時間になんだろう?と思ったら
あまりにも、あまりにも急すぎて、昨晩まで受け止め切れませんでした。
ようやく受け止められたのは、仲間内の一人である方の日記を読んでる時でした。
病気という話は日記でも記していたので知ってはいましたが、病名までは
知らされていませんでした。
1〜2ヶ月ほど入院して、退院なされた時は「あー容態は良くなったんだろうなー」と
本人に聞く事も無く、日記やメッセージで記された内容を鵜呑みにしていただけでした。
もう病気という事が発覚していた時点で、末期ガンだったというのに。
時はさかのぼって2005年。もう4〜5年前なんですね。改めて時の経過を改めました。
世間はクリスマス真っ只中というのに、大の大人が5人集まって、山の手線に乗って
延々とDSをして遊ぶという企画がありました。
そこで知り合ったのが最初の出会いでした。
そして、それが同時にmixiで初めての参加イベントでした。
前々から雑誌投稿者として名は知っていたので、どんな方なんだろうーってのはありました。
実際会ってみたら、物静かそうな方で、ほのぼのとした雰囲気がありました。
その割には、ゲームキャラが「キューたろ」みたいな、ちょっと変わった感じの名前でしたが。
その後、偶然にも合作イラストのメンバーだった事もあり、その進捗について話し合ったり
集まって意見交換したり、仲間内の方のおうちに集まってドンチャン騒ぎしたりしました。
毎回集まる度に何かしら差し入れを持って来て下さってました。
そのうち、すっごいマイナーな果物とか持ってきたりとかして、風変わりな面も伺えました。
合作イラストが一段落した後も、5人の集いを率先して呼びかけて下さったりしました。
おかげで全員そろう事はなかなか厳しかったりしましたが、集まる機会は定期的になりました。
その度に、購入したゲームを持参して来ていました。
大玉のシュールさは良かったです。
5人の集まり以外でも、同じ県内に住んでいるという点があったおかげなのか、
何かと誘いに応じてくれていたからなのか、任天堂好きという共通点が高じて
MOTHERの面子とカラオケオフとか、ファミ通主催のコンサートとか、
あとマイミク繋がりのモンハン集会とか、いろんな面で遊んで下さいました。
川越にいた時、こっちまで来て下さって、今後の集まりについてとか
まるひろのベンチで応援団を協力プレイして遊んだのもありました。
2年前の池袋で猫喫茶行ったりカラオケ行ったのも、もうなんかデート気分でした。
あと、自分の趣味にも付き合ってくださいました。
マザオフがきっかけで再度始めた同人活動で、寄稿をしてくださいました。
初めてちゃんとした形で作ったMOTHER本と、翌年作ったスマブラ本に、ゲストとして
それはもう、俺の本なんかには勿体無いくらいの素敵な原稿を提供して下さりました。
昔同人活動をしていたというだけあって、カケアミとかすごく整った線でした。
あと、あと…。
定期的にお便りを下さりました。ただはがき一枚だけでなく、必ず封筒に包んで
メッセージ付きで送って下さってました。とても手が込んでて、雑誌に投稿した絵や
季節に合わせた絵などを送って下さりました。
あと…あと…。
自分が日記等で近況を報告した時、かなりの頻度でメッセージを下さりました。
大抵が、と言うか全てにおいて励ましやお祝いの言葉でした。
自分はそのメッセージをろくに返せていませんでした。
数日遅れて返したりした時、お詫びの言葉を付けていましたが、実際は読んではいても
後回しにしてしまったのが本音です。
つーか、基本的にとても気遣ってくれていました。
彼女が出来た時とか「おめでとうございます〜」とか、創作活動で凹んだ時とか自虐的に
なった時は「お互い頑張りましょう〜」とか、タイムリーにメッセージを送って下さってました。
逆に、自分の事はないがしろにしてるんじゃないかってくらい、気遣ってくれてました。
本当に、優しい方だったんです。周りを良く気遣って下さって。
でも、自分本人の事はあまり公表せず、基本的には趣味のゲームや写真や絵の事に
ついてしかあまり知る事は出来ませんでした。
そういう意味ではミステリアスな印象もありました。
一時、本人にも幸せになって欲しいと思った事がありました。
自分にばっかお祝いの言葉をくれるんじゃなくて、こちらからお祝いの言葉をあげられるような。
メッセージって結構残っているもんですね。
「自分も周りの人たちが幸せになってくださる事を切に願ってます」とか書いてましたよ。
>そして私には勿体無いお言葉どもありがとうございます〜
>とりあえず、みんなが幸せになってから自分もなれれば…(笑)
…止まらないです。汁が。
本人に似せて描いたつもりですが、本人はもっと目がくりくりして、誠実な方です。
ほぼ勢いです。
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