このページは日本経済新聞電子版(nikkei.com)を取り上げている。 http://over.6pb.info/nikkei-wiki でこのページに直接アクセスできる(直通)。 電子版に一番期待することは? †
Q:電子版に一番期待することは? A:紙面をスクラップする代わりになること。人類は長年,新聞を保存するため紙を切り抜いてきた。技術の進歩の恩恵を受けたい。端的にはEvernoteに保存したい。 よい点 †
コピペ自由 †
登場当初は,右クリック禁止という時代遅れの仕組みが内外から揶揄されたが,有料会員になると右クリックの制限はない(少なくとも2010年10月時点では。*1)。時代遅れの仕組みを外からよく見える場所に導入したのは,なるほど判断ミスではあるが,そんな些細な判断ミスよりもっと他に,着目すべきものがある。 コピペに(技術的)制約が加えられていない(つまりコピペ自由)。 本文をごく普通のテキストとして取り出せるし,記事中の写真・図版も同様。有料,無料会員問わず。この「英断」にこそ着目し,歓迎すべきだろう。(なお,コピペが技術的に自由だとしても法的に自由かは別問題。)このためEvernoteにも何の不都合なく取り込める*2。 勿論,そんなの「英断」でもなんでもない(世界の趨勢に周回遅れで追いついたにすぎない)と批判することは容易だが,大きな古い組織が「世界の趨勢」に従って動くことは非常に難しい。世界の趨勢だってはっきりと定まっているわけではない。外から見れば英断でも何でもなくても,社内ではそれ相応の意見衝突があったと私は推測する。別の面から言い直すと,世の中にはGoogleのように猪突猛進かつ急成長する組織*3もあるが,圧倒的大多数の組織はそろりそろりと変わっていく。「そうしたとろい組織は淘汰されるべきだ」(もう少し穏やかに言えば,淘汰されるのでほっとけばよい)式の元気のよい意見もあるが,それが正論とも思えない。Googleがどんなに発展しても日経新聞の代わりをしてくれるわけではない。日経が「世界の趨勢」に何とか追従していることに,私は一定の評価を惜しまない。
大きな古い組織の「英断」はちょっとしたバランス(社の内外の)が崩れたために保守的に戻るのも容易だ。無論,日経新聞をEvernoteで取り込めなくなったとしても,日本経済の趨勢には何ら影響はない。しかし,技術が進歩するとむしろ不便になる,という「駄目な日本」にまた好例を提供することになる。「VTRが登場したおかけで誰でもテレビを録画できるようになった」(ソニー)のとは逆の事例*4が多々見受けられるのが昨今の日本の特徴だ。2010年11月 7日 Evernote余話 †
日経の記事をEvernoteに取り込むにあたっては,AutoPagerizeがブラウザーに入っていると便利。日経に限らないが,一つの記事を複数のページに分割しているサイトは多い(それが主流だろう。)。単に閲覧するだけでもページめくりは面倒だが,Evernoteに取り込む際はさらに面倒になる。AutoPagerizeはページを自動的に連結して一つのページとして表示してくれる。詳細はAutoPagerizeを。 朝日新聞は身勝手 †
朝日新聞の記事をEvernoteに保存するのは非常に難しい。 まずasahi.comは対象として不適格。紙面の一部しか載らないので,欲しい記事が載っていないことの方が多い。載っていても,かなり省略されているので肝心の部分が欠けていることが多い。別のメディアである。 次に,「アサヒ・コム パーフェクト Fullコース」という一見,日経電子版と似た利用形態があるが,根本的問題がある。これは契約上,コンテンツの私的コピー(著作権法30条)すら許さないようである。(ちなみに,大学内では「朝日新聞 聞蔵IIビジュアル」というもっと便利なものが使えるが,法的制約は変わらない。)さらに,「アサヒ・コム パーフェクト Fullコース」は日経電子版の「朝刊・夕刊」の内,朝刊しかない。そもそも,「アサヒ・コム パーフェクト」は記事検索のサービスであり,新聞をウェブで見ることを狙いとしたものではない。 朝日と比べると,日経が如何に気前がよいか(世界標準に伍していこうとしているか)しみじみと感じる。朝日は記事を新聞社の私物と考えているように思える。この20年で世の中は随分進歩した。過去数百年,人類は,紙を切り抜かないと新聞を保存することはできなかったが,技術の進歩によりEvernoteが登場した。しかし,朝日新聞の消費者は技術の進歩の恩恵を享受できない。技術が進歩するとむしろ不便になる,という「駄目な日本」の好例である。 自律的に朝日新聞その他が変わることを期待してもしょうがないから,朝日新聞その他に,変わるインセンティブを与えることが必要だ。さて,具体策は? 対等な2つのメディア †
さて,紙面とウェブの両方に掲載されている記事は,どちらも同一内容が原則のようだ。日経の明確な方針は分からないが,例えば朝日新聞ではウェブに載る記事は紙面の同じ記事の短縮であることが多く,逆に紙面より長いことは(「続きはウェブで」の類を除き)私が気がついた範囲では存在しない。言うなれば,朝日は紙面中心である。建前としては,紙面とウェブでそれぞれエディターが違うから,元の記事は同じでも,どういう文章にするかはエディター次第ということなのだろう。(識者コメント(社会面の記事でよく見かけるあれ)が朝日のウェブに基本的に載らないのも,著作権上の理由からであり,省略ではないのかもしれない。*5)しかし,常に短くなるのは不思議である。エディター云々は建前であり,基本方針は紙面の短縮が(無料の)ウェブ版という方針ではないか,そう推知させる挙動になっている。これに対し,日経電子版では特に主従の関係はないようだ。むしろ,紙面(東京最終版)にない記述がウェブ版に加わっていることもよく見かける(内容の実質的追加のみならず,分かりやすくする語句を補うこともよく見られる。)。まさにエディター次第を推知させる挙動である。 では,ウェブに無料で載る記事が紙面の短縮である(朝日流)のはけしからん?私はそうは思わない。問題は,少なからぬ消費者が,新聞は無料でウェブで読める,ウェブに載っている記事は紙面に載っている記事と同じである,紙面に載っている記事の(全てではないにせよ)大半がウェブにも(無料で)載っている,と誤解していることだ。実際は両者の関係は個々の新聞社の方針でまちまちである。しかし,新聞に購読料を払わない人にますます払わない方向のインセンティブを与えている誤解である。情報格差,貧困化の一側面と言うべきだろう。彼らは自分で自分の首を絞めているのだ,と言うことは,国民経済の観点からは適切ではない。労働者の質を平均的に低める。また政治的にも危うい。たとえ日経や朝日がしばしば馬鹿げた(偏った)記事を書くとしても,新聞がない世の中になるよりは遙かにましである。自分にベストの新聞がないから既存の新聞は一切要らない,は幼児的である。我々は,ベターな新聞に対して適切なコストを払わなければならない。さもないと民主政を維持できない。日経はウェブ版を有料化した。只で見ることができる情報は,情報全体の一部である,という明確なメッセージを消費者に送っている。これは経営的には大きな賭だが,民主政という点では好ましい方向と私は考える(成功するかはいまだ流動的だし,他にもやり方があるだろう。)。 なお,エディターが違うことにより,紙面とウェブ版とで内容が異なると,いま見た内容と後日見た内容が同じであることが保証されない懸念もある。紙面は東京最終版という形で固定されるが,ウェブは随時書き換え可能である。しかも記事の日付・時刻を修正するかは新聞社次第。「日時」とURLを維持したまま,随時内容を修正していく新聞社もある。(見出しだけが修正されることもある。)しかも表示されている「日時」は初出日時なのだろうが,本当のところはそれすら不明。この流動性はテレビに近い。他方,世の中には学術雑誌など,内容の先取権が極めて重要なメディアもある。そういうメディアでは,初出の時刻と内容を保持し,変えないことで,メディアの信用性を保持している。例えば,記事を修正する際は,修正記事(errata)を別途新規に掲載する。元記事を直接修正してあたかも最初からそういう文章であったかのように見せることはない。こっそりと記事を撤回することもない。捏造論文など,都合の悪い記事であっても,随意に撤回すれば,タイムスタンプと内容を保全するというシステムそのものへの信頼を損なう。新聞も,政府や圧力団体の干渉により記事が自主修正される疑念を払拭する必要があり,タイムスタンプ保証が欠かせない。さて,新聞はテレビ,学術雑誌,どちらに近いだろうか?いや,どちらかではなく,技術の進歩により,流動性とタイムスタンプの両方を取ることが可能であり,しかも非常に低いコストで可能であるのが,新聞の特徴ではないか。さて,日経電子版はどうだろうか。詳細に追ってないのでどういう方針か,私は現時点では把握していない。
記事がウェブで先に公表され,紙面があとになることはごく普通のようだ。速報系の内容なら当然だが,それらに限らない。例えば,「『イトカワ』微粒子、公表の背中を押したNASA」という記事が2010/11/21 10:11に電子版に出ている。この日は日曜日。科学技術部の記事であり,なぜ日曜日朝に出てくるのかは分からないが,いずれにせよ紙面に載るのは月曜朝刊かそれ以降だろう。内容はイトカワ微粒子公表の裏舞台を報じるものであり,特ダネ(他社に先駆けるもの)ではないだろう。
その他 †
いまいちな点 †
日付がない(朝刊・夕刊) †
「朝刊・夕刊」の個々の記事に日付がない。紙面のレイアウトを踏襲したのだろうが,Evernoteなどでクリップした際,いつの記事なのか後日分からなくなる。そもそもこれは紙面の時代からずっと,多くの人が悩んできたことのはずだ。新聞記事(紙の)を切り抜いた際,その日付・出典をどう書き添えるか(何新聞のどの面か。もしかしたら日経の北海道版かもしれないし,同じ東京版でも毎日,複数の版がある。)。切り抜きをしたことがある人なら必ず悩んだことがあるはずだ。紙版ではこれを新聞社側で改善するのはハードルがやや高いかもしれないが,電子版なら容易だ。それなのに新しいメディアの特性を活かしていない*8。読者目線に欠ける。
では,「個々の記事に日付がないとEvernoteのユーザーに不便です。世界の趨勢に反しています。」。電子版のスタッフが歩を一つ進めて日経社内でこう提案したら,彼の立場はどうなるのだろうか?「コピペが蔓延したらお前は責任を取れるのか」という反論に彼は立ちすくむかもしれない。上述のように,コピペに対する日経の立ち位置は微妙だと私は推測する。社外からは彼の一歩は見えないが,社内的にはこの一歩は大きいのかもしれない。 URLが一定しない難点 †
同僚に「このページを見て」とメールにURLをコピペして教えても,相手はそのページを開けないことがある。相手も契約者であっても。……相手が開こうとすると,「ただいまの操作はお受けできませんでした。電子版トップから再度操作してください。」と拒否される。この通知は意味不明だが,種明かしすれば,URLがone-timeだったので開けなかったのだ(そういう場合にこの通知が出る)*9。例えば,「関連キーワード」(ワードロボ)経由で開いた記事はそうである。関連記事経由で開いた場合もそうなるときがある(ならないときもあるようだ。詳細不明。)。他にもあるかもしれない。 これはワードロボ(や関連記事)という特別な仕組みを介したからそうなっただけ?極端な例?そうであるとよいのだが,日経電子版は,記事をURLで特定することにどこまで重きを置いているか甚だ疑問だ。例えば,新着記事は「トップ > 記事」というカテゴリーでWeb刊に出てくる。URLもこのカテゴリーを反映している。同じ記事を「経済」等のジャンル分けに入ってから開くと,「トップ > ニュース > 記事」になる。URLもこの階層を反映したものになる。どこから開いたかでURLが変わる。また,「トップ > 記事」の記事の下に付いている関連記事を開くと,記事のカテゴリーは「トップ > 記事 > 関連記事」に変わる。URLもこれを反映したものになる。なるほどこのURLは,ワードロボ経由と違い,他人も開ける場合もある。だが,如何にも仮のURL(カテゴリー)という匂いを漂わせている。また,新着記事は「トップ > 主要ニュース一覧 > 記事」というカテゴリーで出てくることもある。URLもこれを反映したものになる。その記事の下に付いている関連記事を開くと,記事のカテゴリーは「トップ > 主要ニュース一覧 > 関連記事」に変わる。その記事は,いまは「主要ニュース一覧」の関連記事から開いたが,もとは「トップ > 記事」にいたのだろう。その記事の本籍がどこかではなく,いまどのような経路で呼ばれたのかによって相対的にURLが決まるのである。 URLが一時的・使い捨てなのは論外だとしても,日経電子版のURLはこのように浮動的である。否,一時的・使い捨てURLは,実は浮動的URLの素直な発展系であり,プログラム的には自然な延長とすら言いたくなる。どちらも,プログラムが(内部の法則で)記事を生成・表示できればよいという発想では同じであり,外部から記事がどう特定されるかは二の次である。日経のシステムは,記事を記事固有のURLで特定するという発想を欠いているのである。冒頭の例,「ワードロボの記事は,他人は開けない」は,特異ではない。記事をURLで特定することに冷淡という日経電子版の発想に沿っている。しかし,記事は固有のURLを持つべきである(OpenURL)。
記事のURLは,新聞社にとっては自社システムの延長であり,自社が自由にできるものと考えるだろう。しかし,その新聞がメディアとして社会の信頼を得れば得るほど,URLも公のものになっていく。一旦記事が発表されると,多くの人が長期にわたり,記事固有のURLで(記事固有のURLがあることを前提にそれで)その記事を引用・参照するようになる。ある人が「My日経 > ワードロボ > 記事」を見てその記事を友人に紹介した場合も,別のある人が「> ライフトップ > 暮らしの知恵 > 充実生活 > 記事」を見てその記事を友人に紹介した場合も,同一の記事なら同一のURLでないと,話が混乱する。ましてや,一時的・使い捨てのURLなどもってのほかである。同一の記事は固有・単一のURLを持つことが社会的に求められるようになる。日経電子版はURLの持つこの重みを未だ理解していない。それは日経電子版のメディアとしての地位が低いこと(期待されていない)の反映と見ることも可能である。電子版のシステムを外販する(それくらいの意欲は欲しい。)場合も不利だ。 なお,分類をしないコンテンツ管理が近年主流になりつつあり,日経電子版でURLが一定しないのもその反映と見る余地もある。しかし私は,分類を固定せよと言っているのでなく,URLを固定せよと言っている。 URLが浮動的だと被引用(例えば,記事がどれほど引用・参照されたか)を辿るのが難しくなる。日経自身はサーバーのアクセスログを元に,分析業者に被引用数を推計させることができる。しかしその数字がどれほど実体に近いのかはなかなか難しい問題である。基本的に被引用数はかなりあやふやな推計に基づいている。そして,URLが浮動的であればあるほど数字の検証が困難になる。広告媒体として価値を高めるには数字の偏差を小さくしなければならない。しかも,被引用数なら推計で足りるが,内容を追うには推計ではすまない。内容を追うには浮動URLは非常に不利である。
同じ記事に他人がどういうコメントを付けてtweetしているかを見るのは中々面白い。書いた記者本人も気になるだろう。被引用の活用例。Topsyなどがその種のサービスを提供している。Topsyなどは「同じ記事」をURLをキーに集約している。URLが違えば別の記事になるので,コメントを共有するのが難しくなる。 紙面とウェブ版との連携は途上 †
「詳細はウェブで」の類は世間並みによく利用されているが,それ以上の連携はまだ途上。「関連キーワード」(ワードロボ)で無理やりつないでいる段階。それ以外の連携は途上。例えば,「宮内庁調査官が明かす『896の聖域』 天皇陵の真実」という記事が電子版(ウェブ版)に載っている(2010/11/27 4:00)。同日朝刊の「古代史解明の鍵 『陵墓公開を』強まる声」(2010/11/27朝刊)に連動したものだろう。しかし,「朝刊・夕刊」には,ウェブ版のこの記事へのリンクはない。勿体ない。
「類似している記事」 †
「類似している記事」という名の自動検索技術で関連記事へのリンクが(自動的に)一覧される。だが,「朝刊・夕刊」とウェブ版(Web刊等)とで挙動が異なる。「朝刊・夕刊」の「類似している記事(自動検索)」欄には「朝刊・夕刊」の記事しか出てこないようだ。他方,ウェブ版の同欄にはウェブ版と「朝刊・夕刊」の両方の記事が混在して一覧される。無論,後者のほうが優れている。現状,「類似している記事」の連携システムは一方通行のようだ。 ウェブ版では「類似している記事」には過去記事のみならず,未来方向の記事(いま見ている記事の後に出てきた記事)も出てくる。他方,「朝刊・夕刊」では過去方向のみのようだ。いわば,新聞発行時点で固定される。これはこれで一つの方針だが,勿体ない。とりわけ被引用(自分を引用した記事。未来方向。)をたどれると事件のその後の展開を追いやすいので便利だし,この,被引用をたどるという行為は,紙メディアではできず,電子メディアならではの特技だ。それを捨てるのは勿体ない。引用と被引用の両方に移動できることが望ましい。そもそも,現状は,類似しているという自動検索により未来方向や過去方向に動けるだけであり,被引用や引用をたぐっているわけではない。 自動検索なので,漏れもある。例えば,2010年11月22日から社会面に「工場へ行こう」という短期連載が載っている。電子版(「朝刊・夕刊」)の第3回の記事からリンクをたどって第1回の記事に行くのは簡単だが(正にリンクがあるから。),同じく第3回から第2回へは簡単ではない。「類似している記事(自動検索)」に第2回は出てこないのだ。なお,第1回,第3回の記事には共通のキーワード「工場見学」があるが,第2回にはない。このためだろう,関連キーワードから辿ることもできない。 「ワードロボ」 †
「ワードロボ」経由で関連記事に到達した場合,そこからさらに他の記事に移動(連携)するのに制約がある。リンクをたどって次から次へと芋づる式に,は想定されていない。(到着地の「関連キーワード」をたぐって再びワードロボに出ることはできる。)「ワードロボ」という独立の領域に入ってしまい,記事が本来持っていたリンクが落ちてしまった,という状態(正確には,「ワードロボ」プログラムの独立性が強く,他のリンク生成プログラムが入り込めないのだろう。)。 ワードロボで開いたページは,URLが一時的・使い捨てであり,その不便・問題は前述した。付け加えれば,ワードロボの外のURLを見つけるため,その記事の本籍(電子版のどの場所に表示されているか)を探ろうにも,よく分からないことが多い。結局,同僚・知人にその記事を指し示すことができなくなる。(内容を全文コピペ,あるいはファイル化して送るのは著作権侵害になるケイスが多いだろう。)
キーワードによるアラート †
「自動記事検索」という機能があり,登録したキーワードが新着記事(紙面やウェブ版)にあるとメール通知が来る。ただ,ウェブ版独自のコンテンツは検索対象となるものとならないものがある。例えば,「NY特急便」は対象だが,同じ「マネー」のカテゴリーに属しているように思える「緊急特集」は対象外。同じカテゴリーにあるように見えても社内的には扱いが違うのだろう。(実際,「NY特急便」は「マネー」ではなくWeb刊のコンテンツのようだ。なお,マネー下の記事は記事の「保存」ボタンがないなど,他の電子版コンテンツと違う。)「ヘルプ」には特に注記がない。検索漏れがあることに要留意。 その他 †
「保存」 †
記事を「保存」しておくことができる。電子メディアでは定番の機能だが,まだまだ工夫の余地はある。例えば,連載記事の1回目を読者が保存したなら,明日の2回目を読み忘れないようにとの意図で保存したのかもしれない。つまり,保存記事を軸にした新着記事アラートもあるとよい。単なる簡易な切り抜きと位置づけるのは勿体ない。単なる定番機能の位置づけに留めなければ,用途は広がる。 なぜ直接,日経に言わないの? †
ここに書いた不満をなぜ直接日経に言わないのだろうか? 要望・質問を送りにくいからである。日経新聞電子版のカスタマーサポートは,フォームの入力項目が多すぎる。一つのフォームであらゆる内容を受け付けようという「汎アメリカン主義」の設計方針からそうなったのだと想像できるが,読者としては面倒でしょうがない。読者(消費者)目線欠如の最たるものだ。顧客志向ではなく,技術者志向(あるいは顧客サポートの手間を,顧客の負担で減らす志向)でインターフェースが作られている。わざわざ要望を出すユーザーをもっと大事にすべきだ。スーパーに,買物が少ない人向けの特設特急レジがあることがあるが,そういうのが欲しい。(2010年11月 7日) 個々の顛末 †
「FireFox 3.6で「朝刊・夕刊」を見ると画面レイアウトの一部がおかしい」と先日カスタマーサポートに連絡した際は,「サポートする利用環境」が書かれたページのURLを書いて,そこをご覧下さい,という非常に簡潔至極な返事が返ってきただけだった(2010年10月 7日付け)。そのページを見ると,FFは3.5までしかサポートしないようだ(2010年11月 7日時点でもそうなっている。)。しかしFFの製造元が3.5はobsoleteであり,3.6に移行しろと宣言して久しい。(2010年8月でサポート終了というのが当初の発表だった。現在,暫定的に延長されているが。)それでも日経は,3.6を使っている人の言い分は一切聞きません,式の対応をする。 その他 †
「2010/../..付」 †
記事の日付が「2010/11/19付」あるいは「2010/11/16付 日本経済新聞 夕刊」等,「付」があれば,出所は(ウェブ版ではなく)紙面である*12。(つまり「朝刊・夕刊」と同じコンテンツである。)他方,「付」がなく,時刻まで記述されていれば出所はウェブ版である。(これが基本パターンのようだ。後述。)さて,「付」が付いている記事は,有料契約者限定の「朝刊・夕刊」の領域ではない,Web刊等を普通に見ていてもしばしば目にする。つまり,「朝刊・夕刊」のコンテンツは「朝刊・夕刊」の領域の外にも普通に出てくる。前述の通り,電子版には2種のメディア(「朝刊・夕刊」とそれ以外)があるが,表示される場所は重なっているのだ。「朝刊・夕刊」とウェブ版の垣根,即ち電子版内の垣根はかなり低い。 この垣根の低さは,コンテンツの表現を柔軟にする上でも役に立っている。例えば,総論+2つの各論,のような構成の記事(特集記事に多い。二人のインタビューからなる記事など。)は,「朝刊・夕刊」ではバラバラの記事に分割する方針のようだ(いわば分割主義。データベースの厳格性が背景にあると思われる。)。分割されているので,「次の記事へ」や関連記事のリンクで読み進める必要がある。読む上でもクリップする上でも不便。だが,その記事が「朝刊・夕刊」の外に出てくると,1枚の記事にまとめられる(こともある)。紙面をウェブに再現するのが狙いの「朝刊・夕刊」より,紙面の利便性(一覧性)に近くなるのは皮肉だ。このように「朝刊・夕刊」は表示形式に硬直性がある。 ところで,日付の書式は上記パターンに当てはまらない(矛盾する)こともある。例えば,ある記事の「関連記事」の一覧に次のような項目があった(一部引用)。
1番目は「電子版」と名乗り,日付が時刻まで載っている。互いに整合している。2番目も同様に名乗りと日付の表記が整合している。しかし,3番目は整合していない。記事を開くと「付」はない(もし時刻「10:29」に「付」が付いたら破格に思える。)。上記例は同一の記事に付いたものであり,幾つかの記事を見渡したところこのような幾つかのパターンを集めることができた,ではない。一つの記事に複数のパターンが混在していた。
「銘柄フォルダー」 †
「銘柄フォルダー」(ポートフォリオ管理ソフト)が「,」(桁区切り)の付いた数字を受け付けないのも,利用者(消費者)目線の欠如。利用者がポートフォリオ管理ソフトに数字を入力する場合は,どこか自分が契約している証券会社の画面からコピペするのが普通だろう。その画面の数字にはほぼ確実に,が付いているはずだ。いちいち,を取って入力していると,さしずめ気分は原始人である。繰り返し同じ作業をする手間を省くためにプログラムというものは存在する。人間に毎回手作業で,を取り除かせるのは,プログラムの本性に反する。「銘柄フォルダー」のプログラマーは,数字に,が付いていようがいまいが数字として認識するようプログラムすることは容易にできる*13。しかし,利用者目線に立たない限り,プログラマーが楽をして利用者が苦労していることに,彼らが気づくことはない。……先日,このように日経電子版のカスタマーサポートに諄々と説いたのだが,その後も変わりないようだ。 事例のメモ †
2つのメディア,2人のエディター †
編集の自由度 †
記事の更新,関連 †
その他 †
関連情報 †
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