2010年11月27日 18時00分

シドニー路面電車博物館(4)動態保存

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今回は敢えて英語で「SYDNEY TRAMWAY MUSEUM」名物と
書かせていただきますが、車を待たせての『道路の横断』です。

東京都電を始め、専用軌道を走る路面電車が道路を横切る際に
踏切で車を止めるのは当たり前のことですが、
如何せんこの路線は『博物館』の“保存”トラムが走る区間。

日本の法制度がどうなっていてオーストラリアの法制度と
どう違うかが分かっていないので、確たる話しは書けませんが
私は日本でこういう風景を見たことがありません。

確かに、「OO鉄道」でなくとも、
工場等の専用線が公道を横切っている例はありますが
(今も現存するかまでは調べていませんが…)
所謂『博物館』等の非営利鉄道が公道を横切るという存在を
私は知りません。
例えていうなら「梅小路蒸気機関車館」の動態保存SLが
(一般鉄道の営業路線ではない)路線を延長して
公道を横切って走るようなものです。
※大井川鐵道の保存SLが本線を走るのとは全く異なります。

この道路、片側2車線という結構な幹線道路で
通行量はご覧の通り。
はっきり言って“大名行列”の気分で
“気持ち良かった”の一言に尽きます。
日本でも保存鉄道の路線に踏切設置が認められ
その可能性が広がっていく日が来ることを切望します。
●ここまで書いて思いついたのですが
 既に廃線となった名鉄揖斐線の「黒野駅」が
 路面電車博物館となり、駅近くの2~3キロの区間で
 保存車両を走らせていたならと考えるとワクワクしませんか?
●ただ、公道を横切るとなると日本ではどんな許認可制度に
 縛られるのでしょう…。

2010年11月27日 9時07分

シドニー路面電車博物館(3)動態保存

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私が取り急ぎ乗車した「249号」の車内です。
木製椅子が時代を感じさせる一方で、
このトラムの現役時代にタイムスリップしたような
感さえありました。

この「249号」は、博物館公式ガイドによれば
元はオーストラリア・メルボルン市電W2形で、1924年製。
全長14.63メートルですので、名古屋市営地下鉄の
東山線、名城・名港線車両より少し短い程度。
路面電車としては、日本では考えられない大型車ですね。
●とはいうものの『名古屋市電1300形』は14メートルを
 ちょい越えており、改めて1300形の大きさに感嘆符!

まあ外形写真がないところでする話しではありませんが
『名古屋市電1300形』は1929年製であり
私見で恐縮ですが『249号』とは同世代の電車だけに
何となく全体の雰囲気が似ているなあと勝手に思っていました。
※外形であれば名古屋市電1200形(1927年製)とも
 言えますが…。

話しを戻して、流石にクロスシートだけあって座席定員は
52名と多い印象です。
座り心地は、当然「良い」とは言えませんが
昭和の初期ならこれがスタンダードだったでしょうし、
そもそもクッションのない列車に乗るという経験をすることは
極めてレアなので、それだけでもこの博物館に来た甲斐が
あったというものです。

なお車掌さんは、発車したらご覧の通り
入館者(?)の方と和やかに雑談でした。

2010年11月26日 18時11分

北陸鉄道から若桜鉄道へ。

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会社の帰りがけに朝日新聞のネット版で見つけた記事の話しです。
※日本海新聞のネット版記事も参考にしております。

その記事とは、元北陸鉄道の『ED301』が、
縁あって鳥取県の若桜鉄道隼駅に保存されることになり、
昨日(11月25日)搬入作業が行われたというものです。

写真は、昭和50年8月22日、北陸鉄道石川総線・金名線に
乗りに行った際、新西金沢駅にて撮影したものです。
●右側の機関車が今回、譲渡されたED301。
 左側の機関車はED201。

このニュースを読んで、ついつい最近までED301が
現役だったのにはとても驚きました。
製造されたのが私の生まれた年、昭和29年とあり、
個人的には親近感もありますが、
その活躍ぶりを見たことは一度もありません。
この写真を撮影した時も、動いてる姿を見た訳ではありません。

今回の保存は、若桜鉄道「隼」駅周辺の地域活性化の活動をする
「若桜鉄道・隼駅を守る会」の呼びかけにより、
北陸鉄道から無償譲渡が受けられたので実現したとのことですが
若桜鉄道が定期的に行っている「SL体験運転」時に
「隼」駅に立ち寄るのも一興かと思いました。
※「隼」駅の駅舎とプラットホームは
 国の登録有形文化財(建造物)ですので、
 そちらもご堪能下さい。

また、そもそもこの保存話しの起点は、
「若桜鉄道が北陸鉄道から除雪車を購入したことによる」とも
書いてあり、まあ『ED301』が新天地で余生を送るにも
「仲間がいて良かったなあ」とも思いました。

これをきっかけに若桜鉄道を訪れる人が少しでも増えることを
願っています。

2010年11月26日 8時09分

シドニー路面電車博物館(2)動態保存

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博物館に入ったところで、即、博物館の方に手招きされ
何も写真を撮る間もなくこの電車に乗せられました。

乗って直ぐに電車は出発。
折り返し地点には7分ほどで到着し、
ここでやっと写真を撮影しました。
到着すると直ぐに車掌さんが手前のトロリーポールを下ろし
反対側のトロリーポールを上げて出発の準備です。

さて落ち着いたところでやっと観察。

このトラムとは不釣合いなホームがありますが
この線はかっての鉄道線を使っているとのことで
ホームはその時代の名残だそうです。
このポイントの正式名は
「ROYAL NATIONAL PARK TRAM TERMINUS」と
この博物館の公式ガイドには書いてありました。

博物館からここまでは2.5キロ。
年代モノのトラムですので、考えようによっては
結構頑張ったスピードで走っており
その揺れと振動は、私にとっては堪らないもの。
●のっけから私のアドレナリンは全開。
 今風に言えば『ヤバイよ!ヤバイよ!』。

ところでこのトラムですが、
水曜日だったからいうことではなくどうやら不定期運行の様で、
入館者に応じて適宜走らせているみたいでした。

何せ私の英語力は、家族から
「どうして海外一人“鉄”が出来るのか理解不能」と
疑問符が付けられているほどで、
よって、これ以上の情報GETには限界があることを
ご容赦下さい。

2010年11月25日 18時08分

シドニー路面電車博物館(1)

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シドニーで最初に向かったのは「シドニー路面電車博物館」です。
(「SYDNEY TRAMWAY MUSEUM」を上記の様に訳しています)

平成22年9月15日(水)、
シドニー・セントラル駅(以後「セントラル」駅と書きます)発
12:02の『Eastern Suburbs&Illawarra』線
「Waterfall」行きに乗り、「Loftus」駅に12:43着。
●「Loftus」は車内アナウンスでは“ロフタス”と
 聞こえました。
●「ロフタス」を通る列車は、昼間30分間隔です。
●この電車の運賃は往復でA$(オーストラリアドル)6。

この駅で下車すると進行方向左側、目の前に
この博物館がありますが、入り口は駅前ではなく
5分弱歩きました。

今回の写真は、博物館の全景っぽいものですが
何となくの“雰囲気”ということでご勘弁を。

入場料は大人1名A$15でしたので、
A$1=80円で計算して1200円ほどでした。
※トラム乗り放題付き。(←案内文の直訳です)

ところで何故この日に行ったかというと
この博物館の開館日が、日曜日と祝祭日及び水曜日となっており
私の日程ではこの日しか行くチャンスが無かったからです。
但し、水曜日の閉館時間が15:00と
日祝祭日に比べ2時間短いので、見きれるかが心配でしたが
ゆっくり堪能しても見学時間は2時間で大丈夫でした。
●土曜日にオープンしないというのは珍しい存在(?)。

2010年11月25日 9時00分

シドニーで海外鉄!

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祝!!名古屋&シドニー姉妹都市提携30周年!
と言うことで行ってきましたオーストラリアはシドニーへ。

等と言うとまるで仕事か、仕事でなくとも
何か高邁な目的があって行ったみたいですが
決してそんなことはなく、
単に私の夏休みと家族の夏休みの時期が合わず
どこに行こうかなと思った時に
以前から『“シドニー”で体験したい「鉄」があった』
というのがシドニー行きを選択した本当の理由です。
●滞在したのは9月15日(水)~18(土)の4泊。

写真はシドニーの街の中心にあり360度の展望が
楽しめる「シドニータワー」から撮影したシドニー市街地です。
シドニーと言えば「オペラハウス」が有名ですが
このタワーからその姿はほんの一部しか見えず、
同じ“一部しか見えず”ならばということで
「シドニー(セントラル)」駅方面を写したものです。
高層ビル群の向こうに、実は少し見えているのですが
この写真で確認するのははっきり言って無理ですね。
(申し訳ありません)

今後の参考に言えば、望遠レンズがあれば
シドニータワーからシドニー駅周辺を走る電車は撮影可能です。
また、街の中を走る「メトロモノレール」もいい感じで
撮影できます。
なお、ガラス越しではありますが
少しの工夫でガラスの反射はかなり防げます。

さて、今日からしばらく『シドニー「鉄」』話しに
お付き合いください。

2010年11月24日 17時58分

“呑み鉄”なら『ハイボール』!

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ここの所、地味な話題ですいません。
今日は、『ハイボールは“鉄”系飲み物だった』のでは?という
お話しです。
※写真は某居酒屋チェーン店での「角ハイボール」です。
 鉄仲間との懇親の席にて撮影。
 左側の2つのジョッキが「角ハイボール」で、
 右側は普通の「生中」です。

ハイボールと言えば、ここのところCMで見かけるようになり
ついに居酒屋さんメニューにも進出し、
もう何十年も「ウィスキーのソーダ割り」を
事あるごとに飲んできた私にとって
時代の様変わりに驚かされます。

昨年まで、「ハイボール」にありつくには
居酒屋さんなどのメニューには無いため
所謂『バー』などの洋酒の置いてある店に行くしかなく
大体1次会終了後の2次会でありついていました。

ここからは、ご存知の方は読まないで頂きたい位ですが
「ハイボール」の語源は幾つかあり、
1)ゴルフの「ハイ・ボール」説。
2)アメリカの鉄道の「ボール信号」説。
の2つがつとに有名です。
というか、私はそもそも2)の鉄道説しか知りませんでした。
※とあるバーのマスターに教えていただいた。

まあ「ハイ・ボール」説は忘れて、
私は「ボール信号」説でいつも「ハイボール」を
楽しんでいます。
銀座のバー「パノラマ」に行くと
様々な鉄道カクテルがあっていつも選択に困るほどですが
どこでも飲める「ハイボール」も“鉄”にとっては
楽しいのではないでしょうか?

ところで私のウィスキーの種類の選択ですが、
「バーボン」のソーダ割が好きです。

2010年11月24日 8時00分

桜通線の「電車接近表示器」。

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写真は、今月頭に撮影した桜通線鶴里駅の
「電車接近表示器」です。
※今回、「接近表示器」と私は書いていますが
 その正式名称は何なのでしょう?

それはそれとして、これまでのものが、
手前の「接近表示器」で
いずれ後ろの「接近表示器」に切り替わります。

“切り替わります”と言ってもいつから使用されるなどの
インフォメーションがされていませんので
その内に変わるのだろうとは思っていますし、
遅くとも来年3月27日の「徳重」延長時には
切り替えとなるのでしょう。

新しい「接近表示機」は他線区同様、
出発時間が表示されるタイプであることが間違いなく
利用者にとっての利便性は高くなると思われます。

で、この新しい「接近表示機」ですがホームだけではなく、
鶴里駅では、改札口の外側にも付けられており
階段を下りてきて、自動券売機・改札方面を見やれば
否応無く「接近表示機」が目に入ります。

もしも出発直前なんかに乗車券を買っていると
一寸“気が急いて”精神衛生上あまり良くないかも
しれません。

同様の工事は、桜通線全駅で行われている模様で
『鉄』に方の興味はそそらないとは思いますが
日常の利用者には、結構大きなインパクトがあります。

2010年11月23日 18時50分

「リサイクルベンチ」に気付いていますか?

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あまりにUPな写真で恐縮です。
これは名古屋市営地下鉄「八事日赤」駅のベンチに
貼られているシールです。
「このベンチは使用済みユリカをリサイクルして
作られています」と書いてあります。

今朝からのエコ繋がりなのですが
名古屋市営地下鉄では「紙製磁気式乗車券」は
トイレットペーパー等に100%リサイクルしていると
聞いていますし、「プラスティック製ユリカ」は
駅のベンチ等にリサイクルしています。

ところでこのベンチのシールですが、同様のものを
他の鉄道事業者で見かけたことはあったのですが、
例によって名古屋市の場合は
これまで気付いていなかったのかも知れませんが
それでも「八事日赤」のベンチのシールは
間違いなくこの1~2か月のことで
開業当初は無かったのでは?

2つの話しが混在しており分かりにくくて申し訳ありませんが
一つは、鉄道会社の「環境」への取り組みであり
もう一つは、人間の記憶の話しです。

名古屋市交通局が平成20年に出版した
「名古屋の地下鉄 メモリアル50」の70ページには
このシールが貼られたベンチが写っているので
当時から確かにシール付きあったのでしょう。

まあ見慣れた風景も、時にはリセットした気持ちで
眺めてみると新しい発見がありそうですね。

2010年11月23日 9時04分

名古屋市認定エコ事業所って?

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私が時折、名鉄「桜」駅を利用していることは
以前このブログでも書いていますが、
使っているからこそ気が付かないこともあります。
この「名古屋市認定エコ事業所」のプレートもそれ。

ということで早速「名古屋市」と「名古屋鉄道」のHPを
見てみました。

『エコ事業所』の定義は、名古屋市のHPによれば
「環境に配慮した取り組みを自主的かつ、
積極的に実施している事業所」とあり、
名鉄のHPでは、この『エコ事業所』の認定を
平成19年6月に受けたと記載されていました。

名鉄「桜」駅の認定番号は、写真では分かりにくいですが
「00845」とあり、名古屋市で845番目の
「認定事業所」ということであると思われました。

因みに名鉄の認定事業所は名鉄のHPに、
●名古屋市内の全駅(37駅)
●名古屋市内のサービスセンター(3箇所)
●本社
●名鉄病院
とあり、とりあえず名古屋市内の名鉄駅に行けば
どこかにこのプレートが掲示されているはずです。

それにしてもこの「桜」駅の『エコ事業所』プレートは、
改札から入った真正面にあり、
よくぞ3年以上も気付かなかったものだと
自分に呆れ返っています。

2010年11月22日 18時07分

N700系キットカットを買いました。

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先週の土曜日(11月20日)、
名古屋レール・アーカイブス(NRA)の
定例作業日に向かう際、名古屋駅のキヨスクで
発売されたばかりの『N700系キットカット』を買いました。
※NRAの事務所で撮影したので雑然としております。
 ご容赦下さい。
※作業をするNRA会員のおやつ用です。

ところでキットカットは以前から
「キットカット」≒「きっと勝つ」ということで
縁起が良いのだそうですが、
今回はそれにプラス「のぞみ」が“きっと”叶うということで
“縁起の良さ”がパワーアップとのことです。

それはそれとして、私・個人としましては
BOXの形状がとても気に入っています。
このフォルムは、絶対に「N700系」であり
「700系」ではありません。
こういうディテールの細やかさは大切な要素ですが
このBOXのメーカーさんはよく工夫されたと思っています。

次に中身ですが、まずキットカットの個包装は
一つの大袋に入っています。
この袋も新幹線の駅名が印刷されGOODですが
個包装にもちょっとした工夫がありますし、
『おまけ』のシールも歴代新幹線車両の写真があったりで
とことん新幹線を楽しめるようになっています。

今回の写真は外箱だけですが、
ここであまり“ネタばらし”しても何なのでこの程度にしました。

なお味は…、いつもの味です。

2010年11月22日 8時01分

覚えていますか?この缶コーヒーを。

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平成10年頃、明治乳業から「鉄道浪漫COFFEE」という飲料が
発売されていたのを覚えていらっしゃいますか?

昨日、缶飲料のことを書いていて、
「自分も何か残していたなあ・・・」と思い出し、
「鉄」系購入品を未整理のまま保管している
“取りあえず入れておくBOX”(自称です)の中を
探してみたら一つだけ出てきました。

1缶に1個、缶コーヒーの下部に置いてある
鉄道コインがついていました。
●一体何種類のコインがあったかはわかりませんが
 写真のコインの表側には『185系』が刻印され、
 裏側にはその『185系』の説明文があった。

さらに缶にはこのコイン20枚をはめこめる
「鉄道浪漫オリジナルコレクタークロック」の応募券が
ついており、抽選で毎月50名の方に
プレゼントされていました。

てなところでこの「鉄道浪漫COFFEE」を検索したところ
コインはどうやら64種類あったようです。

ここまで書いていてさて困ったことが…。
どこで購入したかさっぱり覚えていないのです。
ただどこでも売っていたかというとそんな記憶もなく
一体、どういうことなのでしょうか?

何れにしろ私が持っているのはこの1本(この1枚)。
何せ、甘い缶コーヒーが大の苦手で
とてもコレクターになれる気がしなかったのです。
※そもそも私が日常的に口にする飲み物は緑茶か紅茶で
 家には“コーヒー”は存在しません。

(付け足し)
このコーヒーの賞味期限は、平成16年7月8日で
やはり到底飲めるものではないと思われます。
誤飲防止も含め、この缶自体を残すにしても
中身は処分しようと思っています。

記念缶ではありませんし、通常の商品ですが
ついつい“鉄”モノは見かけたら買ってしまう私でした。

2010年11月21日 19時15分

これが“鉄系”記念缶だ!

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今回寄贈いただいた“記念缶”(だけではありませんが)を
整理作業中に並べてグループ写真を撮影しました。
※後ろに写っている方たちは、
 私と違って整理作業を続けています。

それでは“記念缶”の紹介です。
手前左側から、
1)北海道の鉄道130周年
  ※これは会の方が最近、買ってきてくれたものです。
   以下が今回の発掘品。
2)愛知の鉄道100年
3)谷川岳の源水 大清水
  ※分かりにくいですが、上越新幹線の図柄あり。
4)名鉄:パノラマDX

後列左側から
1)大清水 コーヒー
2)谷川岳の源水 大清水
3)鉄道井原線開業
4)祝 JR開業
5)会津鬼怒川線開通記念

最後列は
●智頭急行開業

以上となっています。
それぞれ何時頃生産・販売されたかは
皆さん方で推理してみて下さい。

と言う訳で、こういうお宝が出てくるのも
名古屋レール・アーカイブスの楽しみの一つです。
※会としての作業はもの凄く地味ですが…。

2010年11月21日 8時29分

国鉄がJRになったぞ!

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私が所属しているNPO法人「名古屋レール・アーカイブス
(略称;NRA)」は、毎月第1・3土曜日に活動しています。
*会のことは、9月2日にUPした
 『「行楽と鉄道の風景」展』をご参照ください。

会では、会の趣旨にご賛同いただいた方達から
様々な書籍・資料・写真等の提供を受け、それを保管しており、
活動日にそれを直ぐに取り出せるよう整理をしています。
※図書館で、本を分類し、台帳に登録し、
 書棚に納める作業とお考えください。

取得手段は、宅配便で送って頂いたり
こちらから取りに伺ったり、まあ様々ですが
大抵は段ボール箱に入っています。

で、その箱を開ける瞬間は、まるで「玉手箱」を開ける気分。
※煙も出ませんし年齢を一気に重ねることもありませんが…。

さて、昨日メンバーが一番盛り上がったのは
ある方からの寄贈品。
勿論、箱の中身は全くわかっていません。
そして出てきたのが写真のコカコーラの缶。

「祝 開業 JR」の文字が読み取れますが
何と昭和62年(1987年)!!!の
国鉄からJRになった時の“記念缶”!!!!!
寄贈品は、やっぱり「玉手箱」。いや、思わぬ「宝箱」でした。

すかさず缶のそこにある消費期限を見てしまいましたが、
やはりその当時のモノでした。

23年前の「缶入りコカコーラ」を、
『今、飲んだら人体への影響はあるのだろうか?』とかを
“真剣”に議論したり(※勿論、冗談です)、
番組「芸能界鉄道研究会 鉄研」が復活したら
『中川家のお兄さん(※“鉄”なのは弟さんです)に
是非飲んでほしい』とか、
(※そんなことは間違っても許されません)
平均年齢??歳のいい大人たちが、勝手なことを次々口にして
妙に盛り上がりました。

驚いたのは私を含め「鉄歴」が30年越えの
メンバー全員がこの“記念缶”を知らなかったことです。

2010年11月20日 18時08分

昭和47年の名古屋市電「花電車」。

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市電の晴れ姿と言えばやはり「花電車」!!!

昭和47年10月15日の名古屋市電の「花電車」です。
撮影したのは『市立大学病院』(旧・桜山町)。
※南側の歩道橋上から桜山交差点方向を撮影。
 縦方向に走る市電を撮影するには
 歩道橋が結構便利だった。

いきなり余談ですが、私はこの停留所名が
「桜山町」から「市立大学病院」に変更になった時、
本当にガッカリしました。
確かに、ランドマークの名前(名古屋市立大学病院)を
停留所に付ける事自体は、
利用者に便宜を図る意味合いはあるのでしょうが、
あまりにも味気ないと感じていたからです。
その後、地下鉄桜通線が開業し「桜山」の名前が復活した時は
やっぱり“これでなくっちゃ”とさえ思ったほどです。

さて、この写真を撮影した昭和47年の「花電車」は
名古屋の表舞台(名古屋駅前)から消え、
それでも最後の踏ん張りを見せていたといった所でしょうか?
特に3両の電車が雁行する姿は、花電車以外では、
既になかなか見られなくなってきた時代でした。
※この時の「花電車」のスポンサーは
 撮影した写真から「日立」「三菱電機」「大須ういろ」の
 3社までは確認できました。
 電車の両サイドが同じスポンサーだったか
 それとも異なっていたかまでは判別できませんでした。

この3両の「花電車」は、当時の運行表がないため
定かではありませんが、多分、このまま南下し、
「昭和町」で折り返して「熱田神宮前」方面に向かい…、
といった風に走っていたと記憶しています。
※「花電車」の主要停留所の通過時刻は
 “新聞”に掲載されていた。
 その“新聞”を『スクラップしておけば良かった』と
 今、つくづくと感じている。
※市電の「熱田神宮前」停留所と同じ場所にあった
 市バスの停留所名は当時も「神宮東門」だったはず。何故?

●写真左側の電車は、「51」号系統(市立大学病院⇒船方)。

2010年11月20日 8時45分

昭和47年2月29日の名古屋市電。

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昨夕と同じく、昭和47年2月29日の名古屋市電、
「鶴舞公園」電停です。

改めて写真を見てガッカリしたことが一つ。
この当時、この電停では安全地帯に辿り着くのに
歩道橋しか選択肢が無かったんですね。
高齢者や乳幼児を連れた方、障害のある方には
さぞかし優しくない状況だったでしょう。
当時(今もそうですが)が、如何に車優先の社会であったかが
見て取れます。
●一方で当時、私はこのように道路を横断せず
 立体交差で、歩道橋から直接安全地帯に下りるスタイルは
 もの凄く新しく、先進的でかつ安全であるとさえ
 思っていました。 
 確かにこの写真には“大都会”の香りが漂っています。
 (私だけ?そう思っているのは…)

昨今の市電(=路面電車)は
低床化などバリアフリー化が進み、
弱者に利用しやすい移動手段として、特に欧米で評価され、
日本でもその方向で進歩しつつありますが、
この時代はそのような事に思い至ることはまだまだあり得ず、
何しろ、市電に乗る際の段差に難渋する
お年寄りの姿を見ることは日常茶飯事でした。
(これは低床化されていない市電では今も見られますが…)

それはさておき、右側の1台目は1601号の
『34』号系統(東新町⇒堀田駅前)。
2台目は殆ど姿形は見えませんが
1433号の『35』号系統(東新町⇒港東通)。
左側の車両は1437号で「臨時」。
※最終日とあっての「臨時」だったと思われます。

2010年11月19日 18時16分

名古屋駅前から市電が消えた日。

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昭和47年(1972年)2月29日火曜日、
この日を最後に、ついに名古屋駅前から市電が消えました。
●写真は、正にその日の名古屋駅前で撮影。

函館市電の話しを書いている時に、
「そう言えば函館の市電も随分短くなったもんだなあ」
「全線乗るのに半日がかりだったのが、1時間半あれば十分」
などなど感傷に浸りつつ
全廃された名古屋市電のことをつらつらと考えていました。

昭和47年2月29日に廃止になったのは
1)浄心~名古屋駅前~鶴舞公園
2)稲葉地~笹島
3)東新町~堀田駅前

写真は、名鉄百貨店の屋上から、
電車とその電車の左側にある「青年の像」との2ショットを
狙ったものです。
※名古屋(名古屋駅)のシンボルだった「青年の像」は
 桜通線の工事を行うため、名城公園に移設されました。
 興味のある方は一度お出かけ下さい。
 また、右手に持っている「モノ」で、
 東西南北の方角が分かるようになっていたのも思い出です。
 きっと名古屋駅にはもう戻ってこないんだろうなぁ・・・。

ところで写っている電車ですが、
「おでこ」の方向幕の両サイドの通気口、ドアガラスの真ん中に
桟(さん)が入っていることから1550形。
かつ、「サヨナラ電車」装飾であることから
1555ではなかったかと推察されます。
※トンボブックス「名古屋の市電と街並み」199頁の
 記述を参照しています。

今となっては遠い昔の話しですね。

ところで、この日は火曜日の平日ですが
私は学校をサボって撮影していたわけではなく
当時、高校卒業を控えて授業が無かったかと記憶しています。

2010年11月19日 9時00分

「九州新幹線全線開業」記念試乗会。

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写真は平成16年6月5日の「新八代」駅です。
新幹線「つばめ」と在来線「リレーつばめ」の
同一ホーム乗換を見られるのも殆どカウントダウン状態ですね。

ところで昨日、朝日新聞のネット版を見ていたら
JR九州が「九州新幹線全線開業」記念試乗会を
行うとの記事を見つけました。

早速、JR九州のHPをポチッ。
ありました。2011年3月12日開業に因み
『11,312名様』募集で、ネット受付となっていたので
早速申し込みをしました。
●ミーハーですいません。しかも“一人”の申し込みです。

日程は2月26日(土)もしくは27日(日)のどちらかで、
なおかつ『博多』⇒『熊本』もしくは『熊本』⇒『博多』の
片道となっていました。

ただ、8月30日にUPした
「遅まきながら、祝!!名鉄知多新線開通30周年!」でも
書いた通りですが、「乗り鉄」の私としては、
開業前の乗車は「乗った」というカウントに入れないので
今回、当選したとしてももう一度乗ることになりますし
そもそも、カウントしたとしても『熊本』⇒『新八代』は
未乗のまま残ってしまいます。
何れにしろ再度の九州詣は必須なのです。

ではなぜ「応募するのか?」ということですが、
“開業前に乗ってみたい”の一言につきます。
何の理屈もありません。
私の家族はともかく、
皆さんには分かってもらえると信じています。

2010年11月18日 17時58分

近鉄の下敷きプレゼント。

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今、中京テレビの携帯コンテンツ、「鉄研」内で
「祝!近鉄創業百周年記念 近鉄特製下敷きプレゼント」を
実施しています。
※無料サイトです。ご安心下さい。

プレゼントの概要は、5問のクイズに答え、
全問正解の方の中から抽選で100名様で
写真の下敷きをプレゼントするものです。
なお、反対側には近鉄の路線図が印刷されています。
非売品ですので、それなり楽しんでいただけるのでは
思っています。(近鉄さんの全面協力を頂いています)

(問題)
1)1910年に創業した会社の略称「大軌」の正式名称は?
2)大軌の最初の路線は「上本町」とどこを結んでいた?
3)名古屋線は長く1067ミリゲージでしたが、
  それを1435ミリゲージに改軌したのはいつ?
4)現在の名古屋線の「桑名」~「名古屋」間を
  開通させた会社の名前は?
5)昭和33年に登場した初代ビスタカーの形式名は?

このクイズは、「鉄研」の有料サイトで展開している
「祝!近鉄創業百周年記念 100問クイズ」からの抜粋で
濃いクイズにチャレンジしたい方はそちらも覗いて下さい。
※100問クイズの問題作成にあたり、
 近鉄さんの様々な部署の方たちにご協力いただきました。
 この場を借りまして御礼申し上げます。

ところで私は、携帯を使い倒すなどとは両極のアナログ人間です。
まして携帯ゲームは一生やることは無いと思っていました。
ところが、鉄道会社が本気で取り組むコンテンツを始めると
やはりそれは『別』モノになります。

そこで、今ちょっとチャレンジしようかと思っているのは
「コロニーな生活☆PLUS」(通称:コロプラ)。
その中に、全国の公共交通機関とタイアップした
『日本縦断!花いっぱい位置ゲーの旅』があります。

この9月16日からは名鉄が参加しており、
また今日11月18日からは関西の鉄道会社では初めて、
近鉄が参加します。
※JR北海道・九州・四国、会津鉄道、津軽鉄道なども参加。
※各社ともゲーム連動の「乗り放題切符」あり。

但し、そもそもQRコードを携帯のカメラで読み込むだけでも
一仕事の私、いやはやどうなりますか…。

2010年11月18日 9時06分

北海道編の最後に「C11 171」の火床。

画像
真っ赤に燃えているのは
「私の『鉄』にかける思い」です。ということはなく、
『SLニセコ号』を牽引していた「C11 171」の
火床です。

『SLニセコ号』の「C11 171」は
札幌駅や小樽駅の停車中に、乗客を運転台に上げており
中の写真撮影がOKとなっていました。

その際、助手席に座って記念写真という方もいましたが
私のように「運転台の写真を撮らせてください」と
機関士さんにお願いした「鉄」っぽい人の場合は
こちらからお願いするまでもなく“火床”を開けてくれ
私は「ありがとうございます」と言いながら
そそくさとそれを撮影しました。
何せ、決して長くはない停車時間であり、
私の後ろには延々と行列が出来ていましたので、
写真2枚を撮るのが精一杯。
それ以上の撮影をしないのが暗黙のルールに感じました。

私はSL牽引のこうした観光記念列車に乗った経験が
殆どないため他の鉄道会社の状況は分かりませんが、
こうしたファンサービスの積み重ねは
とても大切だと思っています。
勿論、出来ることと出来ないことがあり
ひょっとしたら「SLニセコ」の場合は、
DLの後押しがあるから“火床の撮影OK”と
なっているのかもしれません。

今回、私は「火床」を象徴的に書いていますが
「SLニセコ号」も「箱館ハイカラ號」も
「鉄」以外の一般の観光客の満足度UPへの
取り組みは抜群であり、
鉄道の活性化、生き残りにはそうしたポイントの
積み重ねが必要と改めて感じました。

“苦境”にたつ北海道の鉄道の努力に
敬意の念をこめて今回のシリーズを終わります。

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和29年生まれの56歳。昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務め現在は編成局。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。
鉄道歴は小学校5年からスタートし45年になる。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!