
井口 泰(いぐち やすし)さん
プロフィール
1953年生まれ。1976年一橋大学経済学部卒、同年労働省入省。1980〜1982年ドイツ連邦共和国留学、1987年から外国人労働者問題に関わる。1995年労働省退職し、関西学院大学経済学部助教授、1997年教授。1999年同大学から博士号取得。2001年4月から1年間、独マックス・プランク研究所客員研究員。2004年3月仏リール第一大学経済社会学部客員教授。 |
(関西学院大学経済学部教授)
「『東アジア共同体』の前に必要な日本人の自己変革」
2005年9月2日
第2回 多民族共生人権啓発セミナー |
●アジア諸国と日本の政策
2001年以来、愛知、静岡、三重及び群馬県の17(当初は13)の都市によって「外国人集住都市会議」が開催されてきました。2004年は豊田市において、外国人政策についての新しい提言をまとめ、10月29日に「豊田宣言」を公表しました。今年は11月11日に、四日市市で開かれる予定です。
こうした動きが生まれた背景には、活発な製造業で日本経済を支えている中部や北関東において、日系人を中心に多くの外国の方々が住み、働いているという現実があります。また、繊維産業、金属加工、食料品製造業といった分野で外国人の技能実習生が不可欠の存在となっています。
私は、兵庫県の西宮市で大学教員をしていますが、同時に、特にニューカマーを受け入れている自治体をサポートする活動もしています。これに加えて、2005年の5月終わり頃から、内閣府の 「規制改革及び民間開放推進会議」に関与しています。そこでは、残された1年半の規制改革の作業において、外国人政策の大幅な見直しを提案することが予定されております。
こうした中で、2005年6月に、法務省は「在留ICカード構想」を提案してきました。この提案で法務省は、治安対策を前面に出しながら、入国管理と外国人登録の一元化を図ろうとしているのです。治安対策のみを強調するのでなく、外国人を受け入れる制度的インフラをどのようにしていくべきかを考えると、今こそ、新しい外国人政策を作っていくための正念場を迎えているのではないかと、私には思われるのです。
さて、報告のタイトルに「東アジア共同体」という言葉を敢えて使わせていただきました。この言葉は、まだ、ほとんど知られていません。しかし、2012年(又は2010年)までに、日本、中国、韓国、それからASEAN(東南アジア諸国連合)10か国が相互に自由貿易協定(経済連携協定)を結び、この地域の経済統合を実現していくことは、既に政治的に合意されているのです。これについては、2005年12月にマレーシアで初めて開催される「東アジア首脳会議」で、このようなコンセプトが認知されることになるだろうと思います。
ところが現在、日本政府が国連安全保障理事会の常任理事国を目指していることに対して、特に韓国や中国が強く反対しています。その背景には、自民党を中心に憲法第9条を「手直し」して自衛隊を認知し、これを海外派遣しようとする動きがあることはご存知の通りです。日本の主張の中には戦後、平和国家を標榜して民主主義を実践し国連で第2位の分担金を支払ってきたのに、どうして常任理事国になれないのかという論調が見えてきます。しかし、このような理由だけで、周辺諸国に日本の意図を理解してもらうのは簡単ではありません。日本には、周辺諸国に対する思いやりや配慮が足りないのです。自分のためではなく、東アジアのために行動するという気持ちが不足していると思います。
確かに、日本は戦後民主国家になりました。しかし、国民一人一人が権力に屈しない独立自尊の精神を持てたのか、また、本当に東アジア諸国から個人として尊敬されるような人間になれたのかと言われると、やや疑問を感じます。それから、少数者への配慮、弱い立場に置かれている人たちとの連帯といった考え方が、まだ希薄ではないかと思います。
日本では人口の減少が予想されるなかで、将来に対する不安が高まってきていますが、大人は家庭や家計をやりくりするのに腐心する一方、若者の心がしっかり成長していないという問題があるのです。アジア全体に気配りができるような若者が求められている時代ですが、現実には目先のことしか考えない子どもたちが増えているように思います。
このように、日本の国益ばかりを考え、日本の価値観を周囲の国々に理解してほしいと主張するだけでは、東アジア諸国に対し、十分な説得力は持ち得ないということが言えるのではないかと思います。
●東アジア共同体はなぜ必要か
1998年11月、山一證券の株価が1ヶ月の間に暴落し廃業に追い込まれるなど、深刻な金融危機が起こりました。時を同じくして、中国は別としても、韓国、タイ、インドネシア、マレーシアなどの諸国が、通貨危機で大きな打撃を受けました。この経験から、東アジアの国々は、どこかで危機が起こると域内で相互に伝染するのだということが非常によくわかったのです。
従って、東アジアにおいては、各国の間で価値観の不一致、政治的な紛争などの諸問題があるにしても、経済的な面においてはもはや、連携して協力せざるを得ず、積極的に地域の経済統合を進めていかなければならないと思います。そういう意味で、日本がアジアと連携するにあたっては、地域の経済統合なしには日本の将来はないのだという危機感を持つことが大事になっているのです。
●日本の外交施策
東アジアで危機感を持って各国と連携すべきだと申し上げましたが、実際には日本だけが孤立しているように見えるのです。日本政府がとっている行動には、東アジア諸国と積極的に連携していこうという気持ちが、あまり感じられません。経済連携協定の交渉で関係省庁は、各国に要求されたことにどう対処するかということばかりに心を奪われ、全体のバランスを考えた交渉をしていないのです。それは結局、政府にビジョンがないからなのです。
我々は、国際協力といえば友好親善を進めることだと言います。親しくすることは良いことです。しかし、今や、もっと戦略的に相互の協力関係を作っていこうという積極的な意思がなければ、東アジアの経済連携はなかなかうまくいかないと思います。
外国人労働者の受け入れに関してもそうです。看護師や介護福祉士の受け入れについて、日本はフィリピン及びタイとの間で交渉しました。例えばフィリピンで看護師の資格を持っている人に4年間の在留を認め、その間に日本語を勉強しながら実務に従事してもらい、国家試験を3回受ける機会を設け、日本の国家資格を取れれば、看護師として3年の就労を認め、更新もできるというものです。その結果、10年以上居住すれば、永住資格を取得することも可能です。
おかしなことに、厚生労働省は、日本には外国人の看護師など本来受け入れる必要はないのだと言っているのです。必要はないけれど、もし相手の要求に応じないと、自分たちが経済連携協定の妥結の障害になってしまうから、例外的に認めるに過ぎないというのです。要するに、自分が阻止したと言われたくないから、その範囲で応じているだけなのです。現在、日本国内には130万人の看護師がおり、当面は大幅に不足するようなことはないのですが、毎年看護師になる若い人たちの人数はじわじわと減ってきています。さらに看護師の資格を取った人のうち55万人が、夜勤が多く仕事と子育て又は家事の両立ができないために看護師として働いていないのです。
日本のみならず、東アジア諸国は高齢化の問題に直面しており、看護師の需要増加に対して人材養成が追いついていくのかどうか懸念されています。さらに、中国、韓国、シンガポールなどでは将来、人口減少に直面すると予想されています。こうした状況を見ると、将来的には各国が看護師を国内で養成するのみならず、他の国の人材養成を手助けしつつ、地域全体で人材を確保していくことを考える時期にきていると思います。
外国人労働者受入れ問題については、受入国の言葉も全くできない外国人をそのまま受け入れることは、本人たちに大変な苦難を強いる結果となるばかりか、受入れたあとで多くの問題に直面した国は少なくありません。したがって、単に外国から外国人を雇えばいいという問題ではなく、来てもらう以上、その国で生きていく上で必要な言語を勉強する機会を保障することが、受入れ側の果たすべき義務になってくると思います。こうした外国人受入れ政策の体系は、欧米だけでなくアジアでも必要となってきているのですが、この問題にもっとも深刻なかたちで直面している国が日本なのではないでしょうか。
現在、日系ブラジル人労働者の子どもたちが特に増えています。愛知県豊橋市では、新生児の半分近くをブラジル人の子どもたちが占めている状況です。その子どもたちが、将来にわたって「日本で実際に生活していけるのか」ということが深刻な問題になっています。単に、日本語を勉強できるかどうかというようなことでなく、希望を持って生活し、働けるかどうかということが問題なのです。放っておけば、日系人の多くの親たちと同じように、請負業者や派遣業者の下で働く事になってしまい、あちこちの企業を転々とし、結局技能も身につかないという結果になってしまいます。日本で育っている外国人2世たちは、自分の将来を考える際に、両親の母国との関係のみならず、自分が日本で育ってきたということを考慮せざるをえません。そして、両親の母国と日本との間で自分が活躍できる場所を見出す必要性があるわけです。このように、外国人労働者をどう受け入れるかというだけの議論では済まない問題が存在するのです。受け入れた外国人の次の世代のために、どのように対応するかを考えることが大事なのです。
●流動化する世界の人々
1990年代半ば以降、国際的な人の移動は大きく変わってきています。その一つが、世界的な人材獲得競争ということです。1998年ごろ、アメリカがITブームで沸いた際、外国から受け入れたIT労働者の数は19万5000人にも達しました。その8割はアジア人で占められていたのです。具体的には、インド人をはじめ、中国、日本、韓国、ASEAN諸国の技術者がアメリカに渡っていったのです。この動きはその後のITバブル崩壊で大きく変わりましたが、世界規模で人材獲得競争が生じたのは、人類の歴史の上でも初めてのことではないかと言われています。つまり、IT労働者をめぐって、世界的な規模で労働市場ができたというわけです。
この人材獲得競争というのは、決して無視できない問題なのです。例えば、中国から年間6〜8万人が海外留学しますが、そのうち、アメリカから帰ってくる人たちはたった14%で、留学後そのまま留学先の国に居住している中国人は50万人以上と言われています。マレーシアでも2万人ほどの人材が、アメリカに行ったきり帰ってこないという現状があるとされています。
しかし、自国から人材が流出したと言って嘆く必要はありません。アメリカやヨーロッパへ行って成功した人たちが少なからずいるのです。したがって、将来、この人たちが母国に戻ってくるならば、アジアのパワーになると考えなければなりません。シンガポールやタイに進出した日本の企業は、現地の人材を活用することになるのですが、そこにアメリカから帰ってきた有能な人材が1人いるだけで、組織が活気づきます。こういう人材還流の流れを東アジア全体で支援し、アメリカ帰りの技術者の能力も活かしながら、新たな産業のための新たなシーズ(種)を作っていくことが大事なのです。
東アジア域内の諸国間の人の移動をみると、マレーシアでは隣国インドネシアの労働者が100万人以上も働いています。タイの場合、ミャンマーから多数の労働者が来ています。
日本の場合も、東南アジア、特にフィリピンやタイ、インドネシアから、労働者や研修生がたくさん来ています。最近、地方都市に行くと中国人、韓国人の次に多いのがフィリピン人で、そのうち7割が女性で占められています。ただ、こうしたなかで、依然として人身売買事件が後を絶たないのです。国際的な批判にさらされた結果、日本政府と警察もようやく対策に乗り出しました。しかし、行政だけではどうにもならず、NPOやNGOの「シェルター」や「駆け込み寺」が、逃げてきた外国人を追いかけてくる業者達から保護するといったことが、日常的に行われています。こうした施設は大阪にも東京にもあります。人の移動に伴うトラブルを解決し、外国人に対するサポートを行うため、東アジア地域で、日本は率先して制度や仕組みを導入するよう提唱する義務があると思います。
●今後の日本が目指すべき社会
最近、日本の自治体では「多文化共生」ということが言われています。これは、理想としては素晴らしいことですが、現実はその理想から程遠いのです。多文化を維持しながら、外国人がちゃんと生活していけるようにするには、様々なサポートを徹底していかなければなりません。例えば社会保険に入りたくても入れない外国人を放置しているなどというのは、重大な問題だと思います。
冒頭で触れた「在留ICカード」について、自民党の説明では、在日韓国・朝鮮人は現在の登録制度の対象とするが、それ以外の外国人については市町村での外国人登録を廃止して、地方入管で 「在留ICカード」を発行するという仕組みにすることが提案されています。私は、できるだけ外国人登録を日本人の住民登録のような制度に近づけるべきであると考えますが、法務省の提案は全て地方入管に一元化してしまうというものです。これは、市区町村など自治体が外国人住民に対するケアの最前線にあり、NPOと協力しながら仕事をしているという現状を理解していないことの反映だと思っています。出入国管理行政だけで、入った後のことは知らないというのではなく、自治体が中心となって外国人住民のケアをしていくことこそ、第二の外国人政策の柱であるべきだと思います。こうしたことを実践してこそ、東アジアにおいて、日本が外国人受け入れの仕組みに関して積極的な提案ができるようになるでしょう。
結論を申しますと、東アジアの経済統合は、決して経済だけの統合では済みません。特に、東アジアにおける人の移動に関し、地域において外国人を受け入れていくために、しっかりした仕組みを準備することが不可欠です。その際、外国人の子どもたちに、どういう夢や希望が与えられるかという観点が非常に大事だと思います。
東アジアの中で人材を育て、域内の人の移動を円滑にし、これらの人たちが活躍し安心して住める社会を作っていくことが重要なのです。東アジアの経済連携を契機に、日本人も外国人も共に希望を持ち、お互いに協力して生きていける社会を作る。その第一歩を踏み出していきたいものです。
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