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今年度補正予算が成立した。あわせて、仙谷由人官房長官、馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決された。これを機に野党が全面的な審議拒否に踏み切れば、多くの重要法案が日の目を見[記事全文]
裁判員裁判で2度目の死刑判決が仙台地裁で言い渡された。被告は犯行当時18歳7カ月の少年だった。元交際相手の少女の家に押し入り、少女の姉と居合わせた友人の2人を殺害し、1[記事全文]
今年度補正予算が成立した。
あわせて、仙谷由人官房長官、馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決された。これを機に野党が全面的な審議拒否に踏み切れば、多くの重要法案が日の目を見ずに終わる。64日間の会期で補正がほぼ唯一の「成果」となる。
成果においても、審議の質の面でも、今国会の惨状は目を覆うばかりである。論ずべき重要課題は多いのに、傾聴に値する議論がほとんどない。
その典型が、北朝鮮による韓国領砲撃をめぐる論戦である。
衆参両院の集中審議で野党は、政府の初動の遅れをこぞって取り上げた。「非難」の表明は発生から約7時間後。迅速さを欠いた面は否めない。しかし、もっと語るべき問題がある。
北朝鮮は、民家にまで砲火を浴びせた。その国が、核も、日本を射程に収めるミサイルも保有している。
これは対岸の火事ではない。
日米韓がどう連携し、中国を引き寄せ、北朝鮮の挑発を押さえ込むか。万一南北が戦火を交える事態に至った場合、在韓邦人をどう救出するか。各国と情報を共有するため、どのような機密保全策をとるのか。朝鮮半島の平和構築の道のりをどう展望するのか。
これほどの事態に直面しても、大局を見据えた議論を深められない国会論戦には失望を禁じ得ない。
尖閣諸島沖の事件も同様だ。台頭する中国とどう向き合い、日本のかじをどう取るかよりも、ビデオの流出や公開に議論が集中したのは寂しい。
外交・安全保障のみならず、暮らしも財政も危機の中にある。足の引っ張り合いにふけっている余裕はない。
政府はたがを締め直し、自ら批判の種を振りまくのをやめて大局を論じる土俵をつき固めなければならない。
野党は政治を停滞させるのでなく、前進させるために批判してほしい。
問責決議も、旧態依然の抵抗戦術と見ざるを得ない。ビデオの問題を、主要閣僚の進退に直結させるのは短絡だろう。官房長官の立場で自衛隊を「暴力装置」と呼ぶのを適切とは言わないが、謝罪すれば済む話ではないか。
問題の軽重にかかわらず問責を連発し、辞任に応じなければ審議を拒み、政府を追いつめる。そんな繰り返しの国会では、国民が損害を被る。
論戦の質を高めるには工夫もいる。砲撃のような安全保障問題では、野党は機微に触れる情報に接することができず、実のある議論が難しい場合がある。秘密会を開き、情報を共有したうえで審議することもあっていい。
小泉純一郎元首相がよく引用した言葉に「大事争うべし、些事(さじ)構うべからず」がある。権力者の逃げ口上にも使われかねず、現にそう使われもした。しかし、昨今の国会論戦を見るにつけ思い出される警句ではある。
裁判員裁判で2度目の死刑判決が仙台地裁で言い渡された。被告は犯行当時18歳7カ月の少年だった。
元交際相手の少女の家に押し入り、少女の姉と居合わせた友人の2人を殺害し、1人に重傷を負わせた。
残虐な行いというほかない。しかし少年法や国際条約は18歳未満に死刑を科すことを禁じている。その境界に近い年齢や裁判例を踏まえれば、無期懲役刑が選択されるのではないか。そうみる専門家も多かった。
だが判決は死刑だった。被告や証人の話を直接聞き、表情などから伝わってくるものも受け止めて到達した量刑である。重みは計り知れない。
とはいえ究極の刑罰だ。くれぐれも慎重な対応が求められる。高裁という別の目にはどう映るか。判断を仰ぐ意義は大きいのではないか。
重要な論点となった年齢問題について、判決は「死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえず、総合考慮する際の一事情にとどまる」と述べた。山口県光市の母子殺害事件で、二審の無期懲役刑を破棄した最高裁判決の表現をそのまま引用したものだ。
閉廷後、記者会見した裁判員の発言を通しても、重圧と葛藤(かっとう)があったことがうかがえる。評議でどんな検討や考察が交わされたのか。それを踏まえた書き方は難しかったのだろうか。
裁判員制度には、事実認定だけでなく量刑にも市民の感覚を反映させる狙いがある。自分たちの思いを自分たちの言葉で残し、社会に送り出す。それが、後に続く者の導きになり、制度を鍛え、人々が犯罪や刑罰について考えを深める契機にもなる。
限られた時間の中、過大な注文かもしれない。だが、判決理由の作成は、評議に臨んだ裁判官にしか担えない仕事だ。一層の工夫を望みたい。
少年事件を市民が審理する。その難しさはかねて指摘されてきた。
成長の途中段階にある少年は、教育や環境によって大きく変わる可能性をもつ。その特性をどう理解するか。自分を表現する能力に欠ける少年の内面に、どこまで迫れるか。迅速な審理といかに両立させるか。少年鑑別所や家庭裁判所にいる専門職の知識や分析をどう役立てるか――。
「健全育成が少年法の理念」といえば裁判官、弁護人、検察官の間で了解し合えたこれまでとは違う。市民の胸にしっかりと届く、法の説明と立証活動が求められる。
裁判員が関与した少年事件はまだ十数件しかなく、判決の傾向を論じたり制度の見直しを始めたりする段階ではない。この先、審理を重ねるなかで、それぞれの立場から問題点や不具合が指摘されていくだろう。
それらを検討し解決策を探ることもまた、法曹の重大な使命である。