沖縄返還をめぐる日米両政府の交渉などを記録した外交文書が、26日に一般公開され、当時の佐藤総理大臣が、外務省の慎重論を抑えて、政治主導でアメリカ側に早期返還を求めた経緯が明らかになりました。
沖縄返還に向けて、当時の佐藤総理大臣は、1967年11月のジョンソン大統領との日米首脳会談を控え、交渉の進め方を検討するため、有識者も参加した「懇談会」をその年の8月に発足させました。今回公開された「極秘」と記された懇談会の議事録では、委員の元駐米大使が「沖縄のアメリカ軍基地の機能を阻害することは、日本の利害からもやるべきではない」と述べ、アメリカの意向に配慮し、沖縄の早期返還を首脳会談で打ち出すことに否定的な考えを示していたことが明らかになりました。また、日米首脳会談の直前に、外務省は「継続的に検討することで合意する」よう提言していたことも明らかになり、当時、外務省は、安全保障などの観点から沖縄の早期返還に慎重な姿勢だったことがわかりました。これに対し、「懇談会」の座長で早稲田大学元総長の大濱信泉氏は、「一応の復帰のめどだけでも訪米の際には得てきてほしい。強い線を打ち出さなければ、返還を求める過熱した世論は押さえられない」と主張しています。最終的に佐藤総理大臣は大濱氏の主張を取り入れ、日米首脳会談で沖縄の早期返還を求め、会談後の共同声明には「両3年以内に返還の時期につき、合意する」という日本の主張が盛り込まれました。今回公開された文書からは、佐藤総理大臣が1972年の沖縄返還に至る過程で、外務省の慎重論を抑えて、政治主導でアメリカ側に早期返還を求めた経緯が明らかになりました。これについて、大阪大学の坂元一哉教授は「戦後の日本外交は、日米安全保障条約の改定といった主要局面では政治主導で成果をあげてきた。今回の資料からも、佐藤総理大臣が政治主導で沖縄返還を成し遂げたことがよくわかる。外交課題の多い今こそ、学ぶべきことが多いと思う」と述べました。