4世紀の記憶が無い。たぶん寝て過ごしたのだろう
読むだけですっきりわかる日本史 (宝島社文庫) 価格:¥ 500(税込) 発売日:2008-06-03 |
卑弥呼から倭の五王までの空白期間というのは、日本にも中国にも文献がなくて「失われた四世紀」と呼ばれているんだが、その四世紀に新しいスポットを当てる新説が2ちゃんねるで書きこまれています。というのも、倭の五王に出てくる430年頃の倭王の部下で「司馬曹達」という人物がいるんだが、この人が、周とか漢とかの純粋漢民族の皇帝の子孫ではないか? というわけだ。まぁ、今までの日本史でも「帰化人の子孫」だとは言われていたんだが、帰化人というより、隋という鮮卑族系の「異民族」によって滅ぼされた、本来の純粋漢民族の末裔だ、というわけだな。で、その後も倭の五王の「武」が、安東大将軍という位を、漢民族の末裔国家である南宋の順帝から貰っているんだが、そうした事から想像すると、少なくとも五世紀の中国漢民族においては、「日本」というのは「失われた漢民族の末裔であり、日本こそが正統の漢文化継承者」だと認められていた、という事になる。さて、それを認めるとしても、どの時点で中国皇帝の縁戚が日本にやって来たのか、その子孫がどういう形で、「倭の五王」と呼ばれるようになったのか、はたして倭の五王は今の皇室の先祖なのか、ますます謎の四世紀の謎は深まるばかりです。
ところで、話は変わるんだが、最近、金持ちになった中国人が神保町に出没して漢籍の古典を漁っているらしい。中国では政権が変わるたびに焚書で古典が失われてきたので、古い本が残ってないわけです。日本は中国にとっての「タイムカプセル」なので、そんな古本を大事にして、持ち続けるだけじゃない、延々と研究を続けてきたわけですね。今回、新説を唱えている人も、「膨大な、7世紀あたりまでの膨大な漢籍をソースとしなければ、倭王の封国の説明にならない」と言ってるんだが、今の中国には、その文献も研究者も、ずいぶん少ないです。それが残っているのは、タイムカプセルである日本です。
そうした事を考えると、鮮卑族によって滅ぼされた古代漢民族の痕跡が日本に残っていたとしても、不思議でも何でもないわけで、あるいは「日本の天皇家は、古代漢民族皇帝の子孫」だという事になれば、次代の中国指導者と呼ばれる周キンピラとかが、あれだけゴリ押ししてまで陛下に拝謁賜ったというのも、支配者としての正当性をアピールするという意図があったのかもね。
【謎の4世紀】 4世紀の日本ってどうなってたんだろうな
1 : 白くま(dion軍):2010/11/25(木) 13:12:03.81 ID:d6dKoY630
4世紀最大級の施設群跡見つかる 奈良・秋津遺跡2 : 冷え性(岐阜県):2010/11/25(木) 13:12:23.34 ID:v4rBdV9h0
奈良県御所市の秋津遺跡(古墳時代前期)で、4世紀前半の遺構としては最大級の施設群跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が24日、発表した。珍しい構造の塀に9件囲まれた区画が前回調査を含めて多数見つかり、内部には整然と並ぶ大型建物跡も確認された。
4世紀は中国の文献から日本関連の記事が消えるため「謎の世紀」と呼ばれる。
同研究所は「歴史の空白期を考える上で重要な発見。初期大和王権が造営に直接関与した祭祀空間を9件備える施設か、後に周辺地域を本拠とした葛城氏につながる大豪族の居館だった可能性がある」としている。
日本自治区3 : 加湿器(宮崎県):2010/11/25(木) 13:13:10.69 ID:nnTPFDEX0
みんなでマンモス追いかけてたよ5 : ざざ虫踏み(福岡県):2010/11/25(木) 13:14:35.02 ID:wl3lhZHv0
あのころはスレ立て自由だったなぁ…12 : 雪うさぎ(チベット自治区):2010/11/25(木) 13:26:27.98 ID:Ii9CEoDx0
箸墓=倭迹迹日百襲媛命=卑弥呼?と仮定すると13 : ほうれん草(チベット自治区):2010/11/25(木) 13:27:55.44 ID:3pWLF6XN0
最初期の前方後円墳の箸墓から崇神天皇と四道将軍の頃に前方後円墳が全国に広まったと考えると辻褄が合う
日本は首都が関東に来てはじめて平和になった14 : インスタントラーメン(チベット自治区):2010/11/25(木) 13:31:23.74
首都が九州や近畿だと中韓の影響が強くて安定しなかったんだろうな16 : キャベツ(大阪府):2010/11/25(木) 13:36:19.41 ID:fEnvMSNk0
日本書紀の300年以上前だぜ26 : バスクリン(関西・北陸):2010/11/25(木) 14:00:33.39 ID:nw+1co5HO
秦氏渡来した辺りとかか?28 : 加湿器(関西地方):2010/11/25(木) 14:01:17.87 ID:N1hukp250
ここ数年で邪馬台国北九州説がどんどん劣勢に29 : キャベツ(大阪府):2010/11/25(木) 14:01:21.88 ID:fEnvMSNk0
九州あたりは紀元前から半島~中国と普通に交流してたって話だし31 : 露天風呂(神奈川県):2010/11/25(木) 14:04:59.08 ID:jxcIL3UA0
なぜ歴史から消えるのか謎だよねぇ
一番肝心なところがわからないのが37 : 寒椿(神奈川県):2010/11/25(木) 14:19:08.74 ID:7KAysBfL0
なんともアレだな
近畿勢力と九州勢力の統合でいろいろあって大陸に使者出すどころじゃなかったんだろう38 : 熱燗(チベット自治区):2010/11/25(木) 14:21:42.27 ID:P1kuD8Mq0
中国様も五胡十六国時代で日本なんかにかまってる余裕なかっただろう48 : 蓑(神奈川県):2010/11/25(木) 14:48:43.98 ID:5Ai/KXkE0
4世紀で書くものが無いってパネェな54 : ダッフルコート(catv?):2010/11/25(木) 16:33:19.32 ID:6PvsJ2FQ0
金印と一緒に紙とエンピツ渡しとけよシナチク
倭人が東国を侵略してた頃か56 : しぶき氷(東海・関東):2010/11/25(木) 17:01:41.49 ID:y64jWNtGO
アイヌといい韓半島への侵略といい、倭人は昔から侵略者気質だったな
6世紀からやっと文字を使いはじめたんだっけ59 : 冬休み(東京都):2010/11/25(木) 17:11:40.79 ID:FQn/V3nn0
天皇もチョンも同じだろハッキリ言って61 : イチゴ狩り(東海):2010/11/25(木) 17:13:25.41 ID:cn0xkPrZO
白人縄文顔の俺からしたら全く見分けつかんぞ
白人縄文顔て64 : やぐら干し(和歌山県):2010/11/25(木) 17:23:04.08 ID:2h9C9o7c0
天皇の実在は4世紀初めまではわかっている66 : ニット帽(東京都):2010/11/25(木) 17:27:21.66 ID:IRH4xkMq0
問題はその50年前に死んだ卑弥呼との関係だ
卑弥呼政権と大和王権の関係がわからない
よくわかっていないとお茶を濁してるが67 : 寒ブリ(長野県):2010/11/25(木) 17:27:59.16 ID:qpOCMVwm0
この時期に大陸や半島からどっと人が押し寄せてそいつらが大和政権の基板をつくったということ
認めたくないというのが本音なんだよ
↑お前が教科書作れ↑68 : オリオン座(神奈川県):2010/11/25(木) 17:28:46.35 ID:egA2mZI/0
謎の4世紀の話を知らなかった学生時代も、この辺りってやっぱ分かりにくかった記憶ある。卑弥呼やら金印の話からいきなり大和朝廷の話に飛ぶんだよな。物部氏やら蘇我氏やら出てきて、あれ?ってなった。69 : 加湿器(関西地方):2010/11/25(木) 17:29:06.93 ID:ZAdnYew+0
中国の史書で間接的にわかるだけだからどうしょうもない71 : 肉まん(関東・甲信越):2010/11/25(木) 17:30:25.97 ID:ROD6v02NO
国内がどうなってたなんて全国で遺跡掘り返してもわからないだろうな
この空白が天皇の神格化に一役買ってるよね76 : オリオン座(大阪府):2010/11/25(木) 17:34:17.03 ID:L0nTl+g50
>>7178 : 歌合戦(東京都):2010/11/25(木) 17:39:56.14 ID:oN+/T9il0
なるほど日王は神格化のためにこの時代の全てをあぼーんしたのか
おまえら、5世紀判ってるつもりでいるの?79 : みのむし(大阪府):2010/11/25(木) 17:42:30.84 ID:SYJuI4cp0
倭の五王の文(478年)で一番大事なのは、430年ころの倭王の部下の名前が「司馬曹達」 ってとこだよ。
思いっきり中国名な、しかも当時の晋の皇帝は司馬氏な、その前が、曹氏な。
普通に使える名前じゃないが、倭王の部下。 どーーいうこと?? って話。
>>7880 : 七草がゆ(catv?):2010/11/25(木) 17:45:47.15 ID:kqx7Iv9M0
子会社に取締役として出向ってのは今でも普通にあるだろ
むしろ当時は中国のほうが日本よりはるかに文明的に進んでいたはずなのに81 : キャベツ(dion軍):2010/11/25(木) 17:47:19.60 ID:7Oy+PKWT0
なんで中国のどの国・民族も日本に攻め込んでこなかったのかね?
>>8083 : まぐろ(関東):2010/11/25(木) 17:51:16.76 ID:+McSAgvgO
中国人は歴史的に海が苦手
>>8084 : 牛すき焼き(catv?):2010/11/25(木) 17:53:04.96 ID:Zd5s31o50
そもそも中華王朝の領土が黄海の西側まで広がる事は滅多になく
朝鮮の南まで攻め込む国力があったのもモンゴルのみで、まず日本まで来る力が無かった
まあ普通に考えて神武天皇か崇神天皇に比定し得る人物が87 : 風呂吹き大根(岩手県):2010/11/25(木) 18:29:49.33 ID:wwZ8ICSU0
国内統一を進めてた時代じゃね?
四道将軍派遣したり。
4世紀の記憶が無い88 : 歌合戦(東京都):2010/11/25(木) 19:07:44.03 ID:oN+/T9il0
たぶん寝て過ごしたのだろう
おまえら、馬鹿だなー89 : 冬休み(東京都):2010/11/25(木) 19:29:37.13 ID:FQn/V3nn0
天皇イデオロギーの日本では、歴史の前提が、日本は独立していた。なんだよ。
でも、実際は、倭の五王の文を見れば明確に大陸と連動した勢力だった事がわかる。
倭王武から南宋の順帝への手紙(478年)
「封国辺遠に我が祖先は、外藩を作り、東西120カ国と海を渡り55国の蛮族を従えて来ました・・・、今、高句麗がうざいので、力を貸してください。 ちなみに、欲しい地位は、百済を含む新羅など東方の7国の大将軍の地位です」
順帝からの応え 「百済をのぞく東7カ国の安東大将軍を倭王とする。」
ちなみに、東晋(4世紀)の初代皇帝が皇帝になる前の位が、安東大将軍な。
倭王がどんだけ、漢族王権の中枢の勢力だたか判るな
>>8892 : 天皇誕生日(catv?):2010/11/25(木) 19:34:51.06 ID:sx7TwRtEP
やっぱ天皇はチョンだったか
まあ、直感的に見ても明らかだけどな
ヤマト王権の頃ってよくわからない事が多いから93 : 黒タイツ(千葉県):2010/11/25(木) 19:43:41.43 ID:9WkPqtfR0
学校教育でも現代と並んでスルーする傾向が強いんだよな
チョンがここぞとばかりにファンタジーを語りだすから酷いスレになる。97 : 歌合戦(東京都):2010/11/25(木) 20:00:13.08 ID:oN+/T9il0
ちなみに、安東大将軍倭王が、順帝に由緒を記してる文章の先頭、「封国」 なんだが、そもそも、封国って言葉は正式には、皇帝の親族(日本でいう源氏など)か、初代皇帝と共に戦った将軍等、皇帝にとって遠ざけたい大物の勢力を、中央政権管理下の県としての地方ではなく、藩として、遠方に政府直轄管理外の領土を与えて封じる時の言葉。な。98 : ホットココア(埼玉県):2010/11/25(木) 20:01:56.24 ID:o2HB+cR50
つまり、この時、安東大将軍倭王は、俺は由緒正しき大物の子孫として、倭に封じられた子孫なんだが・・と書いてるに等しい。
封国 という言葉が蛮族出身の族長に使われるケースは、倭王以外、歴史上一度もない。
卑弥呼だって周王族と縁があるって権威付けしてたくらいだしなw112 : クリームシチュー(茨城県):2010/11/25(木) 20:42:25.00 ID:bHsdCS+70
でも日本海挟んだ国家だから交流はきわめて限定的
隣町の中学の番長と知り合いなんだぜくらいのノリだったんだろう
大和王朝に存在自体を消された文明とか多かったんだよな114 : 鍋焼きうどん(関西・北陸):2010/11/25(木) 20:45:27.04 ID:UjAMbeWnO
銅鐸文明とか1世紀~4世紀くらいまで各地で栄えてたはずなんだけどある日を境にぱったり消えてて
6世紀頃から銅鐸だけ出土してるけど資料がないから誰が何の意図で作ったかわからないとか
>>112122 : 福袋(大阪府):2010/11/25(木) 21:05:58.06 ID:BFyADZtM0
大和朝廷が消したとは言えないんじゃね?
鏡割りが銅鐸割りを起源にしてるという説もあるくらいだし
>>112143 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 21:58:26.81 ID:7VcUnx2h0
銅鐸は中国にもあるから必ずしも日本独特の文明とも言えないだろうな
>>112128 : 水炊き(埼玉県):2010/11/25(木) 21:10:56.27 ID:UNagl4SC0
それ出雲王権だろ。
出雲大社の近くから、銅矛や銅鐸が大量出土してて
どうも地方豪族が出雲王権から大和王権に乗り換えた時に、服従の印を大量返品したらしい。
シナ人が古代の理想国家としていた周王朝134 : 歌合戦(東京都):2010/11/25(木) 21:36:46.41 ID:oN+/T9il0
で、その姫氏の末裔が建国したと信じているのが日本
中華思想丸出しで異民族は全部蛮族扱いのシナ人が唯一中国王家の血筋と思っているのが日本
つまりそういうことだ
【安東大将軍倭王、その帝の「南朝」とは】146 : 雪月花(埼玉県):2010/11/25(木) 22:03:15.48 ID:tLHZA40L0
周-秦-漢-晋-南朝 という漢民族の歴史は、 南朝-滅亡という形で、7世紀に終了する。最後の漢民族の戸籍はわずか500万人。
どこに滅ぼされたか?秦の始皇帝以来、万里の長城を築いてまで、外部民族として扱った鮮卑など北方民族によって、滅ぼされた。
で、史上初の万里の長城以北を領域までの大皇帝、隋帝が生まれた。
しかしながら、隋は、今でこそ中国の歴史の一部であるが、7世紀の時点では明確に、漢文化外の勢力。 この隋帝に対して、対抗できる国はあったのか?
実は、この史上最強の皇帝、隋に対して、倭王が出した手紙があれだ、「 西の天子さん元気?俺は東の天子だよ」 完全に対等宣言。
同じ中国と思えば、大将軍位の倭王がなぜ、隋帝に天子宣言?と思うがこれは不思議でもなんでもない、 封国されてた漢豪族の子孫、安東大将軍の倭王にとっては、本国の南朝が滅ぼされたのなら、「我こそ本流の天子だ。」 と思ったわけである。
というわけで、日本こそが、周-秦-漢-晋-南朝ー日本 というのが、漢民族の正当な流れなのである。
倭王武の子孫は、その後、坂之上の田村麻呂の活躍などで全国に源氏武士勢力を広げ数千万の子孫を作り日本人の現在となる。
ここら辺だけ明らかに抜けてて怪しすぎる149 : 歌合戦(東京都):2010/11/25(木) 22:05:49.31 ID:oN+/T9il0
そう、倭王家に伝わる妄想伝説かもしれない。154 : 福袋(大阪府):2010/11/25(木) 22:15:04.54 ID:BFyADZtM0
しかしね、この倭王武の表とは、南朝3代に使えた歴史家 約沈が書した正史。
安東大将軍が自らの由緒を記した内容として記載してる部位なのだから、当時、この倭王武の表の内容は、南朝では正しいと認知されていたという事。
認められていなかったら、大将軍の由緒として記載されない。
倭王側も漢側も、認識を同じにしていたなら、それを覆す方が証拠を必要とする。
>>149147 : フライドチキン(山梨県):2010/11/25(木) 22:04:48.04 ID:jcO8zTU00
倭の五王時代は朝貢してた歴史だからあまり自慢できるものではないと思うんだよ。
安東大将軍だって官位で言えば三品だし。
おもしろい考えだとは思うが。。。
日本は中国の系譜の国とな?150 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 22:08:25.31 ID:7VcUnx2h0
たしか九州の意味とは九つの国があるからというわけじゃないって解説してるページがあったな
面白い説がのってたからちょっとさがしてくるか
>>147157 : 福袋(大阪府):2010/11/25(木) 22:17:35.06 ID:BFyADZtM0
九州は本来は日本全土のことじゃなかったっけ?
九州、四国、中国、近畿、中部、関東、北陸、東北、蝦夷、かな?
>>150155 : フライドチキン(山梨県):2010/11/25(木) 22:15:51.62 ID:jcO8zTU00
筑州・豊州・肥州の各2州,日州・隅州(ぐしゅう)・薩州
>>150163 : フライドチキン(山梨県):2010/11/25(木) 22:32:49.57 ID:jcO8zTU00
まだ解説ページ探してる途中だが憶えてるだけ書いてみるか
九州を全土って意味で使ってたのはその通りだけど元々は中華で使われてた言葉なんだよ
だから中華からの亡命政権が日本の九州で勢力を築き全土、全国という意味で使っていたのでは?と書いてあった
それに昔の九州には九つも国がなかったとも書いてなったな
ちょっとだけみつけた九州の解説158 : 歌合戦(東京都):2010/11/25(木) 22:20:46.43 ID:oN+/T9il0
九州とは中国全土を指す。伝説で禹貢が全土を開いて冀、、靑、徐、予、荊、揚、雍、梁の九つの州に分けたことに基づく
白村江の戦い だって、何故、倭王が百済を助けに600艘も船を出すんだ?って話、233 : おでん(熊本県):2010/11/26(金) 00:10:55.40 ID:39nGmmCC0
百済王も倭王も漢(南朝)文化の同じ大将軍国。
隋唐は鮮卑族の北方民族、実はこの時点で漢化も行われていない蛮族勢力。
隋唐からすれば、陳を滅ぼし残る漢文化勢力は、百済と倭しかこのアジアに残っていないんだな。
そして、百済が滅んで百済王も倭王のところに逃げ、そして、 倭は、「日本」と改名する。
周-秦-漢-晋-南朝ー日本 なんだよ
歌合戦(東京都)164 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 22:33:10.10 ID:7VcUnx2h0
↑
博識な人だな。文章に魅了された!
そもそも九州王朝から大和王朝への移行は、古代に完璧に近い形で隠蔽されてるから九州というのが今の九州のことか、今の日本全域のことかもよく判らないんだよね。172 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 22:40:44.49 ID:7VcUnx2h0
大和王朝は、九州王朝と同じ地名を別の場所につけまくってるし。
え?九州王朝自体は実在したんじゃないの?日本書紀を追っかけるといつの間にか大和に分家ができて、大和に舞台が変わる不連続点があったはず。182 : 福袋(大阪府):2010/11/25(木) 22:48:57.89 ID:BFyADZtM0
>>172186 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 22:52:28.98 ID:7VcUnx2h0
一次資料ないし、空白の部分だってそんなに不思議でもないことを絶対的な矛盾にしたりしてるし。
なにより難波宮とか大工事のあとが現代まで近畿に残ってるわけだから、それは動かしようがないよ
>>182189 : 福袋(大阪府):2010/11/25(木) 22:55:15.08 ID:BFyADZtM0
というか、スレタイになってる「謎の4世紀」ってのがそもそも九州王朝隠蔽で生じた空白のことだと思ってたw 違うの?
邪馬台国九州説も、その歴史隠蔽を前提とした有力な仮説だったんでしょ。
吉野ヶ里遺跡を即、邪馬台国とするのはどうかと思うけど。
>>186203 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 23:19:00.38 ID:7VcUnx2h0
だから九州王朝説を主張するならヤマト王権のはっきりしないところをつくんじゃなくて
九州王朝存在のはっきりした一次史料持ってこないとダメなわけで。
はっきりしないからそれは隠蔽だ、歴史抹殺だとか決め付ける方が変と思わない?
冷静にいくね。209 : 福袋(大阪府):2010/11/25(木) 23:22:16.54 ID:BFyADZtM0
>>189
> はっきりしないからそれは隠蔽だ、歴史抹殺だとか決め付ける方が変と思わない?
・ 日本書紀の編纂前に、ネタ元となる文献が存在していたのは事実 (「一書に曰く」という表現)
・ 日本書紀の完成後、それらネタ元文献は歴史的に闇に葬られ消滅したのも事実
あとは日本書紀の矛盾をあげてくべきなんだろうけど、その分野詳しくなくて即座にかけない。ゴメンちゃい
>>203210 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 23:27:23.13 ID:7VcUnx2h0
九州王朝説は幽霊が存在するかしないかってな話の部類だと思ってるわけで。
存在するというのはいえないわけ。完全否定もしないがね。
言えるのは積極的に証明する一次資料もってきてからってこと。
「歴史から抹殺された証拠ならある」なんてのは話自体はじまらない。
完全な歴史ではないにしろ近畿にあったという証拠はありあまるほどあるから。
こういう状態で九州王朝まずありきみたいな話にはすこしひく。
>>209176 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 22:45:53.26 ID:7VcUnx2h0
うーん、2chだからついつい「九州王朝」という信頼姓の低い単語を使ってしまったのはこちらの落ち度だけど。
じゃ、宮崎の宇佐八幡が天皇代替わりに重要な役目を果たしているのはどう説明するの?
神話上の天孫降臨が宮崎の地というのは、明らかに皇室の最初の国内拠点が宮崎付近にあったという事実を示していると思うんだけど。
というか、宮崎県宇佐市の宇佐神宮が皇室と極めて特別な関係にあって天皇の国内最初の登場地点が九州なのは確定してるよな。なんか他の国の人と話しているような違和感がしてきた。178 : 水道の凍結(埼玉県):2010/11/25(木) 22:46:57.19 ID:WfaXJ3wA0
周王朝の子孫だから、中華思想の中でも最上位に位置してるのが天皇200 : 風邪ぐすり(東京都):2010/11/25(木) 23:15:05.17 ID:Nca8lQ7R0
はやく箸墓を発掘させろ202 : 注連飾り(東京都):2010/11/25(木) 23:18:47.54 ID:eZPrk3bUP
邪馬台国って、中国側が漢字をあてて作った当て字だよね。252 : 雪月花(北海道):2010/11/26(金) 00:46:41.46 ID:nVurhGfw0
それを現在の日本語読みで「ヤマタイコク」って言ってるけど、本当は当時、魏に行った日本人は自分の国のことを「ヤマト」って言ったのでは。
それを中国人が聞いて、邪馬台っていう当て字をあてたのでは。
だとすると邪馬台(ヤマト)国は大和に連続している。
>>202204 : オリオン座(大阪府):2010/11/25(木) 23:19:04.36 ID:L0nTl+g50
いや、そうだろ・・・邪馬台国は今の北京語の発音だと「イマータイ」だけどヤマトに近いしな
全国にある天皇陵全部掘り返したら真相わかるんでしょ212 : 冬休み(東京都):2010/11/25(木) 23:34:55.50 ID:FQn/V3nn0
堺のあれとか富田林のあれとか
そういえば倭王が漢豪族ならなんで中国名じゃないの?215 : しぶき氷(愛知県):2010/11/25(木) 23:38:24.46 ID:qcW8nQvB0
トンデモ大好きな俺がその頃の事を卒論にしたいと教授に相談したら220 : 鍋焼きうどん(長屋):2010/11/25(木) 23:44:16.83 ID:doukiSS/0
「お前どうやって調べるんだよwwww見たことあんのかよwww」
とプゲラされたのはいい思い出
>>215217 : わかめ(北海道):2010/11/25(木) 23:40:12.96 ID:JYzwWqz80
まあ普通の神経持ってたら資料のない時代には触らないわなあ。
担当教官が極めてマトモ。
古代史は興味あるけど、分からないことばかりだよな219 : 鍋焼きうどん(関西・北陸):2010/11/25(木) 23:43:31.45 ID:UjAMbeWnO
天皇の起源とかも
>>217227 : ビタミンC(千葉県):2010/11/25(木) 23:49:55.53 ID:azt0uRdN0
日本に文字がなかったしな。中国の資料しかからしかうかがえない。
そこまで残ってる事自体驚異的。
早くタイムマシン作れや誰か228 : 冬休み(東京都):2010/11/25(木) 23:51:13.24 ID:FQn/V3nn0
知りたいんだこっちはもうよう
おいこら229 : お歳暮(三重県):2010/11/25(木) 23:51:56.71 ID:MRDDYyiP0
漢の豪族で最初に日本に来た天皇は誰なんだよ
徐福232 : ビタミンA(東京都):2010/11/25(木) 23:53:19.13 ID:7VcUnx2h0
> 『日本書紀』では 神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコ)は45歳(数え)の時、224 : 白菜(長崎県):2010/11/25(木) 23:46:21.52 ID:+EEPv4xz0
> 天祖ニニギが天降ってから179万2470余年になるが、遠くの地では争い事が多く、
> 塩土老翁(シオツツノオジ)によれば東に美しい国があるそうだから、
> そこへ行って都を作ろうと思うと言って、東征に出た。
179万2740年前って明らかにアフリカ時代じゃねぇか。
出アフリカ記が文献に残ってるのって、ある意味怖すぎるわw
何で邪馬台国が日本国のように語られてるんだろ235 : 風呂吹き大根(東京都):2010/11/26(金) 00:18:50.69 ID:t7RnjXyj0
あの時代、他にもたくさんの小国があって
邪馬台国だって他の国と交戦してたってのに
邪馬台国と大和朝廷が同一とは言えないし
邪馬台の女王卑弥呼と、大和の天皇が同じ系譜とも言えないのに
>>224242 : 小春日和(catv?):2010/11/26(金) 00:27:41.06 ID:xbOzwqHM0
だから共同して立てたのが邪馬台国の卑弥呼だろ・・・
最低限の知識はもとうぜ
資料が残ってなければ明治天皇も西洋人だということになってただろうな244 : レギンス(福島県):2010/11/26(金) 00:35:49.39 ID:kShw2aui0
なんせあの時西洋の文明を多く取り入れたのだから
>>242259 : シャンパン(石川県):2010/11/26(金) 01:10:01.92 ID:UJ4LnR8l0
1000年後は言われてるかもわからんよ
歴史研究家がいる限り
フリーメイソンの一員に長州人が武力ですげ替えたとかいけるべ
天皇てシステムはどうやって誕生したの?263 : プレゼント(埼玉県):2010/11/26(金) 01:14:11.07 ID:0Rk0++de0
天皇になりたい人たちの争いはなかったの?
権威と権力を分けたほうがうまくいくと気づいたんだろうけど
その権威が権威として存在する過程が大変そうなんだが
>>259267 : 小春日和(catv?):2010/11/26(金) 01:20:08.91 ID:xbOzwqHM0
そもそも、天皇家が実質的な政治的元首であった期間が日本の歴史の中では短いからねえ
ローマ法王みたいな宗教的祭主が日本における天皇
日本人なら遺伝子レベルでそのことがなんとなくわかってるからいまだに尊崇の念を集めていると思う
中国大陸や朝鮮半島の人たちにはいまいちそれが理解できないらしいよ
天皇家にルーツを持つことが権力者の正当性の根拠だったから283 : シャンパン(石川県):2010/11/26(金) 01:32:31.64 ID:UJ4LnR8l0
ないがしろにすることはあっても滅ぼすわけにはいかなかったのかも知れん
最初は一地方の神道の神主さんみたいな感じだったのかな299 : 千枚漬け(東京都):2010/11/26(金) 01:49:30.49 ID:dOStJcC50
それがどんどん大きくなっていったのかな
キリストとかイスラムとか最初の人がはっきりと伝記として残してあってそれがゆえに権威を担保してるけど
天皇の権威を担保してるものってないよね
一応古事記がそれなのか?
なんで積極的に調べようとしないんだろうねw302 : 鍋焼きうどん(愛媛県):2010/11/26(金) 01:51:23.13 ID:tDfpPOhV0
いろいろマズイことまで解っちゃうから?
日本の事情なんて関係なく中国側が内戦で混乱してたから記録が残ってないだけなんだけどね305 : 雪かき(大阪府):2010/11/26(金) 01:57:08.89 ID:vbo6IXfr0
タイムマシンがありゃ一発で確かめにいけるのになあ311 : 小春日和(catv?):2010/11/26(金) 02:08:45.70 ID:xbOzwqHM0
誰かさっさと作れよ
別に天皇の祖先が大陸出身でもあんまり歴史観変わらんけどな313 : 冬将軍(dion軍):2010/11/26(金) 03:47:49.78 ID:IGelKLRi0
未だに皇族の名前とかシナの古典由来にしてつけてるし
どうせ朝鮮半島含む大陸圏だったんだろ。普通に。315 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 03:59:38.91 ID:3H1mS7cz0
聖徳太子でやっと独立路線ってとこだろ。
天皇は大陸系。
あとはそのころまで関東に継続したもう一つの王朝が存在したって話もある。
じつはそっちこそが本物の日本の王朝だったかもなw
広開土王碑には391年に倭が新羅と百済を臣民にしたと記されているけどねw249 : クリームシチュー(関西):2010/11/26(金) 00:43:00.39 ID:3IFCbS3rO
4世紀末に対外遠征して朝鮮半島の三分の二を占領できる軍事組織が存在していたということは4世紀半ばには中央集権体制になっていたと考える方が自然
広開土王碑の話があるけど、あれって主力は百済軍で大和の軍勢は百済より遥かに少なかったというのが最近の通説。317 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 04:14:40.73 ID:3H1mS7cz0
むろん、百済と大和が連合して新羅を襲ってるんだからな。それも高句麗の援軍に蹴散らされるが。
碑文の内容を鵜呑みにする輩はもはやいない。
日本と朝鮮半島2000年が放映されると案の定、2ちゃんねらーはキレてたけどw
>>249319 : 冬将軍(東京都):2010/11/26(金) 07:15:06.50 ID:PkWhMxCO0
そう思っているのは韓国人だけらしい
自分達が倭に占領されたはずがないといろいろ碑文を解釈しようとするが日本と中国の学者にことごとく論破されている
シナ人が天皇w320 : 樹氷(東京都):2010/11/26(金) 07:20:01.78 ID:UMjHsvzU0
我々の象徴はシナ人であります!敬礼!頭を下げなさい!シナ人に頭を下げなさい!
日本人の心の拠り所。シナ人天皇
>>319321 : 伊勢エビ(神奈川県):2010/11/26(金) 07:21:34.61 ID:hQ5UF5Uz0
マジかよ…
ID:oN+/T9il0の書き込み見たけど、完全に天皇シナ人じゃねえか
チュンに不敬罪とかで殺されてた日本人哀れw
>>319323 : 伊勢エビ(神奈川県):2010/11/26(金) 07:23:44.95 ID:hQ5UF5Uz0
いや、古代中国の正統血統説を唱えている人がこのスレにいるだけで今の中国人とはまた違う流れ。
>>320326 : 樹氷(東京都):2010/11/26(金) 07:30:45.74 ID:UMjHsvzU0
逆々、ID:oN+/T9il0説だと中国が日本に傅く立場。
>>323327 : 伊勢エビ(神奈川県):2010/11/26(金) 07:33:36.31 ID:hQ5UF5Uz0
どこからそう読めるんだろう…
池沼なのかなお前
シナ人が日本に封国されて、数代にわたり日本の55蛮族を従え、7国の倭王となり天皇となった。それがID:oN+/T9il0の言ってること
シナ人を崇めてるのが日本人(シナ人)
>>326329 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 07:45:18.28 ID:3H1mS7cz0
本来の王朝が潰れたからという話だろ。
で、今の漢民族は清時代に税金集める為におびき寄せた漢戸籍で目茶苦茶になってるからな。
>>320331 : フライドチキン(東京都):2010/11/26(金) 07:47:42.78 ID:o2YzES6x0
中国人が天皇だったら意思疏通のため日本語が絶滅しているはずだが?
圧倒的な強制力をもって日本を中央集権化したんだろ?
万葉集みても分かるけどやまとことばばっかりで漢語の割合が時代が下った平安時代や鎌倉時代よりも圧倒的に少ないのはなぜ?
朝鮮なんかはその時代からほとんどの語彙が漢語由来で名前まで中国人っぽい名前やモンゴル人っぽい名前と悲惨なアイデンティティの揺れがよくみられるのにwww
ああ、そういえば日本が初等教育を徹底してあげたときにはじめてハングルが使えるようになったんだっけ?
それまで「偉大なる文字(笑)」をみんな知らなかったから伊藤博文が教えてあげたんだよね~www
またレス乞食か。332 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 07:57:32.44 ID:3H1mS7cz0
中国には漢族王朝を中国の正統派とする思想があり、現在でも漢族中心主義でそれ以外の民族を減少させ絶滅させる政策(エスニッククレンジング)が行われている。
だけど中国の漢族は約15世紀前に500万人にまで減少して衰退して、その後何度も異民族が中国を征服して異民族王朝が建っているから現在中国の「漢族」は昔の漢族直系というよりも「漢族中心思想」に賛同した異民族の集まりだというのが定説になっている。
それに対してこのスレでは、漢族王朝の正統が日本にあるという仮説を出している
中国の漢族はニセモノで、日本が正統派なら随分と面白い話になる。
>>331333 : ホットミルク(埼玉県):2010/11/26(金) 08:01:20.96 ID:yU8wRRgi0
ごめん、あなたの思想的立場がよく分からないんだけど
つまり中華文明の正当な継承者は日本国家統合の象徴たる天皇であって
今の中国は偽物であるから第二の中国出兵をしても大丈夫!
ってなイデオロギーを作ろうとしてるの?
歴史は事実のみ語ればいい372 : 二鷹(関西・北陸):2010/11/26(金) 09:55:14.87 ID:SrmrgxCAO
イデオロギーで歴史を歪曲するとはなにごとだ
なんにもわからん。あるのはおまえらの妄想だけだ。378 : オーロラ(東京都):2010/11/26(金) 10:16:05.56 ID:sLji833w0
つまり倭王武(雄略天皇)は先祖代々シナ人でシナで戦争してシナ王朝を建てるのに携わった384 : 歌合戦(東京都):2010/11/26(金) 10:53:03.20 ID:2Bl0dkK00
シナのしきたりで謀反を避けるため、新シナ王の親族は僻地に飛ばされ封じられ蛮族退治をさせられる(封国)
倭王武から南宋の順帝への手紙(478年)
「封国された我の祖先は、東西120カ国と海を渡り55国の蛮族を従えて来ました・・・、←親は日本含む封国地で蛮族退治
今、高句麗がうざいので、力を貸してください。 ちなみに、欲しい地位は、 ←今は日本から高句麗戦に協力
百済を含む新羅など東方の7国の大将軍の地位です」 ←海のむこうは嫌。中央集権に近い百済の王に戻させて!
順帝からの応え 「百済をのぞく東7カ国の安東大将軍を倭王とする。」 ←無理。お前は海の向こうにいてろ
日本書紀かなんかによるとこの時期にも普通に天皇がいることになってるが、ある天皇は在位期間100年とかとんでもないことになってるんだよなw386 : 小春日和(catv?):2010/11/26(金) 10:54:03.47 ID:xbOzwqHM0
日本に遠征した晋王の臣籍はどうして文字を忘れてしまったのだろう382 : 甘酒:2010/11/26(金) 10:50:44.30 ID:PODgkwhy0
やっぱりなー393 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 11:34:42.93 ID:a1KYh5sL0
おかしいと思ったんだよ
急に縄文人差別されだすし
朝鮮人の大量流入があったはずだってね。
それが4世紀。シナチョンが日本人を明らかな武力で制圧しはじめたのが4世紀
だって晋王の親戚による部隊ですもの
>>382395 : ミュージックベル(大阪府):2010/11/26(金) 11:40:33.39 ID:DleCBlyr0
少し考えればわかることだけど、ほんとの「朝鮮人」がきたのなら、言語が朝鮮語になるだろ、なぜそうでないと思う?
日本語と朝鮮語の分岐はかなり古い。
倭人は半島を通ってきたってのは良いけど、元々倭人は大陸にいたんだよ。それが朝鮮半島を下って日本にきたわけ
だから朝鮮の南には倭人国があり、新羅の王に倭人がなったことがあるわけだ
朝鮮って稲作だったの?396 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 11:42:07.70 ID:a1KYh5sL0
粟じゃないの?
田での稲作は日本が早いんだよな398 : ミュージックベル(大阪府):2010/11/26(金) 11:47:36.50 ID:DleCBlyr0
>>396402 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 12:06:15.98 ID:Rmvfu1E40
だよな
だからどう考えても中国南部からの渡来としか思えないんだよ
長江流域は紀元前から稲作だろ
私の書込みの議論が続いているようですし、昨日は国数の数字が適当でしたのでフォローします。407 : 蓑(東京都):2010/11/26(金) 12:10:11.29 ID:9IygxtfT0
<倭王武の上表文原文>
「封國偏遠 作藩于外 自昔祖禰 躬[*環]甲冑 跋渉山川
不遑寧處 東征毛人 五十五國 西服衆夷 六十六國 渡平海北 九十五國 王道融泰・・・」
原文は、封国なのです。 天皇独立イデオロギーの日本ではこの封国を冊封と解釈するしか無かったのです。
残念ですが、封国という言葉が、蛮族出身の族長に使われた事は一度もありません。
原文を見れば判りますが、倭国側からの手紙にも関わらず、漢側の認識に立ち、倭を毛人衆夷と表してもいます。
次に地理描写ですが、倭に封国された先祖は、東西を120カ国征した後、北に海を渡り95国を征した とあり、その後の原文では高句麗がうざい。という内容に続きます。 倭に封国された漢豪族は代々、倭地を征し朝鮮半島を南から征した。とあるのです。
>>402414 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 12:29:47.90 ID:Rmvfu1E40
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
ID:oN+/T9il0 歌合戦 です。415 : 寒気団(九州):2010/11/26(金) 12:41:53.63 ID:2Fq/71a6O
周ー秦ー漢ー晋ー南朝(BC8世紀~AC7世紀)の間、南が漢民族、北が非漢民族という、民族分類があり、秦の始皇帝は南を統一した時点で初の統一王朝の皇帝の地位にあるのです。
その境が実に明確で、万里の長城です。
周ー秦ー漢ー晋ー南朝(BC8世紀~AC7世紀)の間の長城以南の漢民族出身者は、AC7世紀に南朝の陳で戸籍500万人を統計の最後に、万里の長城以北の鮮卑族を族長とする北魏ー隋(のちの唐)に滅ぼされてしまいました。
彼らはこの時点で、漢化されてない、非漢文化圏なのです。
現在の中国人とは、この隋唐から続く子孫です。
日本人とは、この万里の長城以北の非漢民族王朝「隋」から制覇されず、封国の地「倭」から、隋帝への最初の挨拶国書として「西の天子元気か、東の天子より」と対等宣言して、子孫を継続させた、万里の長城以南の王朝の継続子孫という事となります。
>>414421 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 12:53:36.09 ID:Rmvfu1E40
王に封じられて国を認められたのは匈奴悪適尸逐王も大月氏王が居るでしょ
月氏や匈奴はどういう扱いになるの?
>>415417 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 12:44:13.20 ID:Rmvfu1E40
それは、文によって封じるという柵封です。
蛮族の族長を、朝貢国として王と認めたケースです。
封国という言葉は、漢の有力者にしか使われた事はありません。
ID:oN+/T9il0 歌合戦 です430 : かまくら(関西):2010/11/26(金) 13:05:03.56 ID:vyQHmryUO
中国の人口推移を理解する上でのポイント。
中国は、日本のように村村が続く連続集落型ではなく、城塞都市型で、城砦の中に国民が暮らす体制です。
村そのものが城砦で囲まれているため、城が落ちるというのは、国民が滅ぶに等しく、7世紀で漢民族が滅んだ・・というのは政権の事ではなく民族的な意味を深く持ちます。
夜盗もあるように城外の集落もあったでしょうからもちろん、完全に民族浄化されるわけもないでしょうが、その彼らには漢民族としての継続があったとはいえないでしょう
ところで卑弥呼って本当に良い女優だったよね432 : 牡蠣(東京都):2010/11/26(金) 13:05:39.43 ID:n0tqBH6E0
>>430448 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 13:50:18.32 ID:Rmvfu1E40
もとミス日本だものな
謎の4世紀を理解するうえで、重要な点をもうひとつ。450 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 13:52:26.50 ID:a1KYh5sL0
宋書倭国伝の425年の記述。
「太祖元嘉二年、讚又遣司馬曹達奉表獻方物。」
倭王讃が、司馬曹達を使わせた という文
宋の前の晋、魏、それぞれの王家が司馬と曹。
そして沈約が宋書倭国伝を記す80年程度前の出来事として、使いの名前をあえて、正史に記する必然はない。
司馬○達 というのは司馬八達 といって名家中の名家の名前。
また、司馬というのは漢式の軍位では軍長の事。
役名ならば、讃は漢位式の軍隊を425年で持っていた事となり、名前ならば、ありえないほどの名家を部下に持っていた事となる。
>>448449 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 13:50:29.05 ID:a1KYh5sL0
和の五王は一文字姓なんだよな
文献を全部事実と言うのは問題だけど451 : 白ワイン(dion軍):2010/11/26(金) 14:04:16.99 ID:RbJgIP1u0
全否定も問題だな
ただやはり文献だけで議論してもしょうがないんだよな
やはり考古学的な物証やら科学的なDNA鑑定などで実証しないと
日本版シュリーマンは出てこないのか
なんかニュー速では珍しい正統議論スレになっているな。453 : おでん(千葉県):2010/11/26(金) 14:12:09.34 ID:ntnpvlcN0
日本史には人類学的にも文化的にも大激変が起きている時期(4世紀前後)が存在しているのをご存じだろうか?455 : 牡蠣(東京都):2010/11/26(金) 14:17:16.07 ID:n0tqBH6E0
顕著なのが「墓」で、それまで丘に過ぎなかった墳墓から前方後円墳など複雑な形へと変化し、弥生時代の祭祀用具の代表であった「銅鐸」が、突然、製造中止。
青銅が中心だった金属器も、「鉄器」が使われるようになる。
更に、彫りが深くがっしりした縄文人に近かった体型が、彫りが浅い大陸系の体型に変化し、なぜか、それまで行なわれていた「入れ墨」の習慣が消滅。
そして4世紀後半になると、この文化的大革命の様相は更に顕著になり、墳墓は100mを超える「前方後円墳」が中心となり、玄室に「壁画」が描かれるようになる。副葬品も剣や鏡、玉などが中心だったのに対し、「馬具」や「王冠」など、朝鮮半島や大陸の文化に非常に近くなる。
>>453457 : ホットココア(愛知県):2010/11/26(金) 14:17:43.97 ID:TLDHmr/20
中央集権化が進んだのは間違いないんじゃないかな
ゲルマン移動も4世紀だよな458 : ポトフ(チベット自治区):2010/11/26(金) 14:18:30.32 ID:LisZv2nH0
あのころ地球規模の気候変動でもあったんじゃないか
>>457459 : 牡蠣(東京都):2010/11/26(金) 14:18:58.08 ID:n0tqBH6E0
フン族大活躍とかもかな。変動期だったんだろうね
まぁ寒冷化したんだろ461 : ポトフ(チベット自治区):2010/11/26(金) 14:21:41.98 ID:LisZv2nH0
何だ、歴史学者がいるのか?462 : 牡蠣(東京都):2010/11/26(金) 14:21:59.64 ID:n0tqBH6E0
天皇が司馬氏ってのは、それはそれでロマンアルねぇ463 : 小春日和(catv?):2010/11/26(金) 14:22:46.01 ID:xbOzwqHM0
>>462472 : ゲレンデ(九州):2010/11/26(金) 14:39:08.35 ID:2cAjA4sQO
どうせなら曹操か劉邦の末裔の方がいい
何でこんなに白熱してるんだ?477 : トレンカ(富山県):2010/11/26(金) 14:50:04.88 ID:ZtTQd2eP0
天皇が渡来人と関係してたって普通に日本史で習った気がするんだけど…
それ聞いてだから俺は三国志好きなのかと納得してた気がする
第一期484 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 15:07:48.54 ID:Rmvfu1E40
・無人の日本列島に韓半島民が上陸
第二期
・鳥の種族である韓半島民と同じ中国南部人や南方人やポリネシア人
などの鳥の種族を受け入れる
第三期
・世界中から色んな種族がやって来て、白人が日本を支配しかけたけど結局失敗、日本は混血を進め、鎖国で情報統制へ
第四期
・近現代、白人の日本支配が殆どの勢力によって肯定され、それに沿って政策が進められる
日本人の成立495 : オーロラ(関西・北陸):2010/11/26(金) 15:45:50.81 ID:2/zuHFHnO
大和王朝は、坂之上の田村麻呂を筆頭に征夷大将軍として8世紀以降も日本列島全域を支配していったのは教科書でも習っている事だが、武家成立で全国津々浦々に、同じ日本人のベースが広がる。
徳川も源氏だが、武家とは実は皇孫である事が基本。
全国の武家領主地主が皇孫で配置された子孫が我々日本人である。
日本人とは
万里の長城以南の王権により封国された倭王の子孫が、縄文人を征服して融合していった民族であり、
中国人とは
万里の長城以北の民族が長城以南の王権を滅ぼして征服して融合していった子孫である。
(倭王=大和王朝 以外にも2王朝説もあるのでその議論は別に。)
普通に九州にあった倭と近畿のヤマトが両立してて、昔は中国と交易のあった倭が強かったけど、時代とともにヤマトに飲み込まれたんだろ。489 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 15:29:54.99 ID:3H1mS7cz0
朝鮮南部を支配するほどの国が、後に遣隋使を送る程度で苦労するとは思えん。
大化の改新も怪しすぎる。
>>149503 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 15:53:45.32 ID:Rmvfu1E40
> >>142
> そう、倭王家に伝わる妄想伝説かもしれない。
> しかしね、この倭王武の表とは、南朝3代に使えた歴史家 約沈が書した正史。
> 安東大将軍が自らの由緒を記した内容として記載してる部位なのだから、
> 当時、この倭王武の表の内容は、南朝では正しいと認知されていたという事。
> 認められていなかったら、大将軍の由緒として記載されない。
> 倭王側も漢側も、認識を同じにしていたなら、
> それを覆す方が証拠を必要とする。
>
あなたの書き込みをみていると確かにあなたの推論じゃないとあり得ないことがあるけど
それは宋が安定した政権だった前提じゃない?
貴族勢力が強くて妥協が数多く行われていたそうだし、各将軍職位も歓心を買うために大バーゲンを行っていた可能性がありそう
今の中華人民共和国人民解放軍も大将の上に上将というものを作って江沢民が軍を掌握したらしいし
>>489540 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 16:57:31.69 ID:Rmvfu1E40
推論は書いていないよ。「歴史記述を素直に読むとこういう解釈となる」というだけ。
ただし、それが歴史事実とは言えない。
歴史事実は、貴方の推論のように様々な誤差のファクターが積み重なっているはず。
中国正史における日本の記述は後代においても随分、いい加減である。
それを含めて、各種推論が成立する。
例えば、倭王武のころの考古学的な鉄剣の漢字が、出土しているが、「武」という漢字ではなく獲加多支鹵大王 つまり わかたける という読みに対して別の漢字があてられている。
すると、宋書の倭王武という表現が果して、漢人なのか?という疑念も生まれる
このように、謎は多い。
訂正させて、レス引用時もできたら訂正しておいてくれるかな551 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 17:08:52.97 ID:3H1mS7cz0
約沈ではなく、沈約ね。
宋書を見る限り明らかに、漢豪族扱い。
倭王の由緒として、
倭王讃の部下が 司馬曹達 しかり、
代々、安東将軍家であること しかり、
* 安東将軍とは、司馬睿(東晋初代皇帝)の皇帝位前の地位。
東晋というのは、南宋と同じ、建長(上海あたり)を首都とする南朝政権の初代であって、南宋をささえる多くの名家豪族にとって、真の初代にあたる。
400年代初頭から安東将軍の地位というのは名家以外にはありえない。
数代を経て、安東大将軍 とたった。と。
シンプルに、宋書では倭王は、漢民族の豪族で名家扱いである。
その倭王武の手紙が「封国辺遠」 からはじまるにあたり、封国という言葉もそうだが続く 辺遠 という言葉、は倭人自らが母国を称するのに適さず、 倭地という遠方に封国されたという漢人側の視点であり、さらに、倭地の被征服民を毛人という点も同族意識はない。事は明らか。
少し調べてみました555 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 17:11:17.48 ID:Rmvfu1E40
大将軍→驃騎将軍→車騎将軍→衛将軍→征東将軍→征南将軍→征西将軍→征北将軍→鎮東将軍→鎮南将軍→鎮西将軍→鎮北将軍→安東将軍→以下略将軍で13位に過ぎませんでした
後漢の将軍号ですが安東将軍の上に鎮東、征東とまだ上がいたのですね♪
南朝初代、司馬睿(東晋初代皇帝)についてもう少し。592 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 18:03:38.49 ID:3H1mS7cz0
晋の高祖、司馬懿仲達の曾孫。
まだ、中原に都があった晋の時代、江南(南朝)の地に、琅邪王として封国される。
後に、安東将軍となり、後に、江南を都として、 南朝として東晋の皇帝となる。
倭国の地に 倭王としてに封国され、後に、安東将軍となった。
後の代で、安東大将軍となる
と南朝最高権威の歴史家、沈約に記載された倭王が名家扱いでなくてなんだ>
ゴルァ、出てこい!!!593 : ミルクティー(dion軍):2010/11/26(金) 18:06:37.76 ID:8mhyPpVW0
封国と冊封が別だっていったやつ!!!
中国語が得意でなかったからあらゆる辞書(Chinese - english dictionary含む)を調べたが
封国に関する明確な定義ねーぞ!
はったりに騙された!中国語のオンライン辞典をgoogle 翻訳にかけても同じ!!!
web辞書程度しか当たれないのに切れちゃうおとこのひとって…595 : チョコレート(catv?):2010/11/26(金) 18:19:19.09 ID:3H1mS7cz0
>>593596 : 湯たんぽ(東京都):2010/11/26(金) 18:23:27.35 ID:GdpMtXWf0
手元にある日本語の電子辞書中日大事典にも入ってないし30万語入っているoxford Chinese - english dictionary にも記述はねー
漢字源にも封国はない
唯一国語辞典のみ諸侯を封じるの記述しかない!
明日学部図書館にいってソースを固めてくるから覚悟していろ!!!!
>>595598 : 湯たんぽ(東京都):2010/11/26(金) 18:37:03.33 ID:GdpMtXWf0
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
こういう奴を待ってたんだよw
あーID:oN+/T9il0の理論を腐れ朝鮮顔のシナ人天皇のジジイ教授にぶつけて顔真っ赤にさせてー599 : はねつき(岐阜県):2010/11/26(金) 18:40:08.66 ID:e0KSeGd20
封国は冊封の意味で~とか言い訳してくるから論破してー
ゆとり学生じゃ論破は無理やろ601 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 19:03:18.55 ID:Rmvfu1E40
興奮の演出をしてる人がいるね。604 : 火鉢(東京都):2010/11/26(金) 19:14:55.72 ID:Rmvfu1E40
事実はひとつ
日本人が天皇イデオロギーの元、「封国を冊封と同じ」という解釈で学会が成立してるのは、最初に指摘したとおり。
中国側にしても、日本の天皇が漢側の皇族という解釈に是というはずもない。
倭王が封国という言葉となっているので、辞書としてはこの時点で封国と冊封が同じと記述せざるを得ない。
語源を辞書に求めるような書生とは、議論のレベルがスレの内容が違う。
ところが実際は、封国という言葉は、明確に漢の貴族が領地を与えられて地方に飛ばされる時に使われる言葉であって、蛮地の王を朝貢国として文で封じる という冊封とは全く用例が違う。
残念ながら、漢民族の貴族が藩を当てられた時以外に封国という漢字が当てられた事例はない。
あるとすれば、その人物のルーツを辿ると良い。必ず帝側である。
また、近代や明代など後世での用例の話ではない。606 : マスク(関東・甲信越):2010/11/26(金) 19:17:02.56 ID:MnMbtBWoO
膨大な、7世紀あたりまでの膨大な漢籍をソースとしなければ、倭王の封国の説明にならない。
少なくとも、 南朝は漢代からの禅譲で政権を継続させている
その時点での用例である
竹島あげるから大陸に領土頂戴!
天皇制是か非か論より、どうやって廃止するかのほうが面白いかも。日本では国籍は戸籍で管理してるわけだが、一般の戸籍ではなく、皇統譜に記載の方全員に、中華とか朝鮮とかの国籍を付与したら面白いんじゃね?
投稿 rm | 2010/11/26 20:38
二玄社もカーグラの負債を中国人でチャラに出来ればおいしいもんですwwwwwwww
投稿 海DQN | 2010/11/26 20:42
5世紀以前の歴史は消されたそうです。
535年の隕石落下によって。
凄い説ですね。
http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html
投稿 nogeira | 2010/11/26 20:43
まあ、実際そうでしょうとも。
越人も入れ墨してたらしいから、昔から大陸にも倭人と同じ人種がいたんでしょうね。
シナとかチョンとかうるさいけど、今の朝鮮人や今の中国人とは違うというのをどうして分ろうとしないのか……
遺伝子的には同じ新モンゴロイドだけど。
投稿 蠅皇子 | 2010/11/26 21:01
歌合戦さんはなかなか博識ですね。こちらに遊びに来てくんないかな。。
天皇とシナ皇帝のありかたについて異同を考えるとき、真っ先に思い浮かぶのが郊祀(こうし)祭礼です。
天皇陵などの今後の解明の際には、これらをふくめた行政発掘も当然斟酌されるべきですが、現在の宮内庁や書陵部にはなにも期待できません。国民の税金を食らっているくせに、真実の解明に力を尽くそうとはしていないのです。天皇家の権威を守ることは大事なことですが、真実にフタをしたままで権威を守ることなど不可能です。いまのマチガイだらけの治定を、考古学協会の指導を受けてきちんとすること、そこに出発点があります。なぞの4世紀の解明も、そこから始まると愚考します。。
投稿 odinn | 2010/11/26 21:04
天皇家が正統漢民族王朝の末裔というのは面白いですねぇ。
世界最古のシュメール文明の指導者(王)も、最初は倉庫の管理人だったそうですが、これも新嘗祭とかに通じるものがあるかもしれません。
(ちなみに、天皇即位式で使用する剣には、トキの羽が用いられているそうですが、これは古代エジプトのトート神の由来かも?)
日本には世界中の古俗が残っている、実に由緒正しい国です。
ホントに面白い国ですよ。
投稿 野次馬LOVE | 2010/11/26 21:16
純粋な周とか漢の末裔の漢民族…
言葉自体が矛盾していて凄いなw
今のところトンデモの類だね
周辺の蛮族に位を贈るぐらいは普通にやってたことだろ
封国にこだわるだけじゃあ弱い
投稿 … | 2010/11/26 21:18
だいたい、周も秦も西方の異民族系統だろうに
商とかどういう位置づけにするんだか
「純粋な漢民族」
アホが考えた単語だ
アホには近づかないに限る
第二次大戦で日本の起源を大陸(中央アジア)あたりに求めて
大陸侵略の正当性にしようとしたとかその手の邪悪な流れの名残を感じる
長江の稲作あたりの伝播を考えれば、長江の源の中央アジアと長江に沿った中国南部の倭人領域からの影響はあるのかもしれないが、それははるかに倭の五王の時代をさかのぼるしなあ
投稿 … | 2010/11/26 21:30
天皇や帝という文字がかかれた木管は、天武天皇の時代にならないと発見されていない。それ以前は大王(おおきみ)と呼称されていた。したがって、「天皇」はこの時代に発明されたコトバ。
日本書紀は、骨肉の闘いの勝者である天武天皇の後継者、持統天皇に捧げられたもの。古事記の成立は、その後。
という仮説をとると、南北朝時代のような皇統の正統性をそれぞれ訴える伝統(源平時代においては、東夷まで登場人物全員皇統)にかんがみて、政治基盤が脆弱な字統天皇派が、小中華思想である皇帝を和風にアレンジして、歴史を捏造(元祖皇国史観)、以後1300年にわたってプロパガンダが成功している、と思ってます。
投稿 さやはる | 2010/11/26 22:06
ん?
この手の話題は、昔2chの日本史版でえらい議論したことあったんだよなあ。
↓
【珍説開陳】継体天皇に関する真実【定説打破】
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/history/1220494008/
【磐井の乱】継体天皇の憂鬱【辛亥の変】
http://unkar.org/r/history/1243695024
歌合戦(=火鉢)というコテハンは↑の倭王貴人くさいんだよなあw
投稿 ビリー・ザ・マッド | 2010/11/26 22:22
関羽の末裔が由緒書でケツを拭いたとかいう話をどっかで読みましたが、そんな調子で貴重な資料が失われていくのは真に忍びない話です。
投稿 かんぴょう | 2010/11/26 23:36