以前、米ソの軍事についてちょっと調べ物をしていたときに、強く感じたのはこの違いです。統計的なものとか網羅的な検証ではなくて、感覚的な面で話すことをお許しください。

米軍の最新鋭の兵器は、小銃にいたるまで次から次へと高度化し、精度がものすごくいい代わりにデリケートで、使いこなすための訓練も手入れも大変なものだと言われていました。

一方で、開発途上国に革命を輸出していたソ連の兵器は、ほとんど訓練したことのない人が持ってもいきなり使えるものが主力でした。そのため兵隊は使い捨てで、それらを首尾よく動かすには恐怖による支配が手っ取り早かった。

米英の軍隊は「ノブレス・オブリージュ」という言葉に表されるように、訓練の行き届いた軍隊を「誇りと名誉にかけて」戦場に送り込む、というスタイルです。ま、そうでなければ、民主主義国家で国民皆兵を維持するのは無理でしょう。

兵士を恐怖で支配する軍隊の武器は、人間の弱さを前提にしています。故に、ソ連の戦車はとにかく敵の目標にならないよう、車高を低く設計してありました。中の居住性などほとんど無視です。兵士の居心地が悪くてパフォーマンスが落ちても、殺されるよりは安心して戦える、というものでした。

一方で、米英の兵器の設計には人間工学なども取り入れ、「健康で強い兵士」が存分にパフォーマンスを発揮できるようにできていました。戦車の車高を高くして中の兵隊が楽に操作できる代わりに、目標になりやすいという欠陥を補うため、敵を早くに発見して遠距離から強い武器で殲滅する、少々の打撃には耐えられるように車体を強化する、といった方向になります。

最高の武器と訓練を与えて送り出すことが、兵士のモチベーションと政府への信頼を確保するために必要なのでしょう。そのために兵士を強く育てて大事に扱うことは、合理性のある戦略です。

さて、日本の自衛隊はどうでしょうか?

海自は旧海軍の伝統を受け継いでいるとか言われますが、紛れもなく自衛隊は米軍と一体で使うことを前提にしています。そうでなくとも「自衛隊は兵士使い捨てで安い武器を持たせます」なんてのは、まずありえないですね。

軍が兵士を恐怖で支配し、政府が国民を恐怖で支配するような、共産圏の発想は日本では通用しません。善意に基づく国民の奉仕をかけがえのないものと評価しているんです。

従って、「自衛隊は暴力装置」というのは、政府の正統性以前の問題としてはそのとおりだし、そうした自覚もなしに軍隊を運用するのはかえって危険だ、という面では正解だと思います。軍隊に対するリアルな理解が重要なのは当然のことです。(池田氏は、日本人の理解がその大前提にすら至ってないことを指摘しているんだと思います)

ただし、英米流の思想で自衛官を育て、兵士をかけがえのない精鋭部隊として戦場へ送り込む、そうした建前で運用しようというのであれば、為政者が自衛隊の目的を「暴力」と括ってしまっては身も蓋もない。それでは兵士の誇りもやる気も打ち砕くだけに終わってしまうでしょう。

まあ、そうでなくとも、民主主義国家において権力の発動として軍隊を指揮する側が、その力を「正義」ではなく「暴力」だ、としてしまっては正統性を疑われます。

もっとも、日本では自衛官に平気で唾を吐きかけるような人が大勢いましたし、今の政権幹部はそのカシラみたいなもんですから、自衛隊員も驚くことはないでしょうけどね。

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