November 26, 2010

サンクスギビング

今日は「サンクスギビング・デー」だったが、
一日働いた。

職場のブレークルームにターキーをはじめとした十種類以上の食事が並べられ
みんなでそれを食べた。

(ちなみにフミ斉藤氏はターキーが大好きで、東京でそれが食べられるところを
必死に見つけ出し、毎年ターキーを食べているという)

正月は関係ないが、クリスマスやサンクスギビングに働くと
ホリデーボーナスが加算される。

サンクスギビングは日本で言うなら正月規模のビッグホリデー。

車で3時間半のところに住み大学生活を始めた娘は昨日から家に帰り、
昨年就職して独り立ちした息子も今日、車を5時間運転して家に帰った。
私も明日朝一番の飛行機で帰る。

久々に一家4人が集合する。まさにハッピーホリデー。

サンクスギビングと言えば、その翌日、つまり明日、
色々な店で朝5時とかからスーパーバーゲンが行われる。

ウォルマートなど32インチのTVが199ドルで売られる。
32インチの液晶TVが日本円にして16000円ちょっと!!!

サンクスギビングと言えば、かつてNWAの年間最大のビッグショーが行われ
特にジム・クロケットが天下を取っていた頃は、
何度か時の世界最高峰であったNWA世界ヘビー級王座の交代劇があった。

NWA世界ヘビー級王座の交代を撮影することは我々にとって最高の名誉でもあったが、
私は83年頃から90年頃まで米国でのNWA王座の移動を外さずに撮影できたことは
私のプロレスカメラマンとしての最高の想い出でもある。

当時のプロレスはある意味「閉ざされた世界」
だったから、いつ交代しそうなのか、カメラマンレベルでそれを察知した人間は
ビル・アプターやジョージ・ナポリターノ、そして日本人では
ウォーリー山口と私ぐらいのものだった。
選手でさえもほんの一部の選手しか察知していなかった。

ネットも携帯もない時代。情報が漏れることのない業界だった。

サンクスギビングのビッグショー、NWAが事実上なくなって、
その伝統を短期間だが受け継いだのはジム・コルネット率いる
「スモーキー・マウンテン・レスリング」だった。
その大会名は「サンクスギビング・サンダー」。

想い出話として「ユナボム」としてデビューしたての大男に
「ユーは将来必ず大物になる。頑張って」と言った。
その男はその後WWEに行きケインとして大成功を収めたわけだが
ある日ラスベガスのバックステージで会話した際、
ケインから「ユーは俺に将来大物になると言ってくれたのを覚えているか?」
と言われた。もちろん覚えていた。
「あの時、俺は気分的にスランプだったが、ユーにそう言われてどれほど心強かったか。
感謝してるよ」と大物になったケインは言ってくれた。

WWEの放送がHDTVに替わってから、我々の撮影場所はリングサイドからハードカメラの
ポジションに替わり、バックステージでの会話もかなり少なくなったのは寂しいが
プロレス写真記者としての想い出は数多く残っている。

なにはともあれサンクスギビング。

今日は12月9日からのショートバケーションの予定を考えていた。
二泊分残っているスターウッドホテルズの週末無料滞在が12月19日までで期限切れとなるので
最高のホテルに泊まろうと思い、ウイーンのホテル・インペリアルとパリのウエスティンを
考えていたが、やはり寒い時期のヨーロッパ一人旅は寂しいのではないかと
暖かいバンコクに行こうと思っている。

ヨーロッパのホテルは今日キャンセルし、バンコクのシェラトングランデ・スクンヴィットと
ロイヤル・オーキッド・シェラトンを一泊ずつ予約した。

さて、明日は朝早い。

小椋佳⇒風⇒かぐや姫⇒南こうせつ⇒イルカと続くフォークソングのメドレーを聴いて寝ることにする。





jimmysuzukiusa at 12:42│Comments(1)この記事をクリップ!

この記事へのコメント

1. Posted by 鈴木   November 26, 2010 16:40
一人旅じゃなくみんなと行けばいいじゃん?
だれか誘ったの?

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