832 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/05/14(金) 17:34:20 ID:lgebvnKg
フジテレビで現地入りして口蹄疫の取材してるアナ
「現地の人の不安の声がなぜ我々に届かなかったのか」
( Д) ゚ ゚
837 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/05/14(金) 17:35:54 ID:yy7sRgUm
>>832
_, ._
( ゚ Д゚)
( つ旦O
と_)_)
_, ._
( ゚ Д゚) ガシャ
( つ O. __
と_)_) (__()、;.o:。
゚*・:.。
今更何の言い訳だw
841 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/05/14(金) 17:38:49 ID:Ar1Xkh/H
>>832
ウジはエボラに掛かって氏ね(´∀` )
・株式会社岩手めんこいテレビ(いわてめんこいテレビ)
岩手県を放送対象地域とする放送局。
旧本社は水沢市、現在の本社は盛岡市にある。FNN(FNS)系列で、UHFテレビ局。
県内民放では3番目に開局した。資本的にはフジテレビ系列だが、讀賣新聞、朝日新聞、日本経済新聞も大株主として名を連ねている。
バブル期に郵政省(現在の総務省)が推進した民放TV全国四波化方針の波に乗った形で1991年4月開局。
フジテレビ系列の開局は1975年10月1日のテレビ新広島以来15年半ぶり。
本社が水沢市(当時)に置かれたのは、当地を地盤とする小沢一郎との間に”小沢が(系列新聞の)産経新聞の拡販に協力し、見返りにフジサンケイグループが水沢市に系列テレビ局を開設するバーターがあったためらしい(中川一徳著・「メディアの支配者」に詳しい)。
しかしフジサンケイ側にとり、このバーター取引は思ったほど機能せず、ほどなくして登記上も盛岡本社となり、フジテレビが所有していた旧本社社屋は1999年に水沢市に”無償譲渡”され、「めんこい美術館」として使用されることとなった。
(ウィキペディア)
記憶しておいて欲しい!
岩手めんこいテレビの開局は1991年4月開局。
ここに岩手の権力亡者「小沢一郎」とフジテレビ「日枝久」(当時 社長)の癒着の発端があった。
そしてこの物語は翌年1992年7月 産経グループのオーナー一族「鹿内宏明」解任クーデターへと直結している。
さらにはしばらくの時間を置いての一連のライブドア事件やPRIDE中継の中止騒動にまで及ぶことになるのである。
無論この背後で暗躍したのは小沢一郎である。
(今回は詳しくは触れないが、後のライブドア事件は、闇社会のフロント企業(後藤組だと思われる)であったライブドア堀江と、フジテレビ日枝の背後にあった小沢および小沢のケツモチであるヤクザ(弘道会)という、裏社会同士(もっといえば山口組内部)の暗闘という側面があった。
あるいは沖縄のホテルで殺された馬鹿の死体には、日枝〜小沢〜弘道会ラインからの堀江サイドへの警告と言う意味合いもあっただろう。
当然、詳細を調べれば、ライブドア事件収束の後、フジテレビが計上した巨額損失金の中に、小沢と闇社会双方への謝礼が相当に含まれていたであろうことも間違いない。
仮にそれが暴露されれば日枝久の背任とフジテレビと小沢一郎のただならぬ構造的癒着も明らかになることとなっていたにちがいない。
なおかつフジテレビはヤクザと関係を持ち、今現在も民主党を援護せざるを得ない立場であることも隠せなくなる。
なお一応補足しておくが、同じフジサンケイグループにおいても、雇用形態が全く異なるフジテレビと、心情的に鹿内一族に近い産経新聞社は同じ立場にはない!
民主党に近いのはあくまで日枝久をトップに据えるフジテレビのみである。)
・参考情報
日本テレビが、フジテレビにおけるPRIDEやK-1成功を睨んで計画した格闘技興行「イノキボンバイエ」において、山口組六代目代理「弘道会」が仕切るPRIDEから、スター選手のエメーリャンコ・ヒョードルを引き抜こうとして悶着を起こしたのが山口組系「後藤組」良知組関係者の「ケイ・コンフィデンス」=「川又誠矢」であった。
(ちなみにK-1の権利はややこしい経緯の末、今現在、稲川会預かりである。)
結果的にPRIDE側(弘道会)から命を狙われた川又誠矢が自らの保身のために週刊現代において自爆的な内幕暴露をしたことで、闇社会や小沢との癒着を明らかにされたくなかったフジテレビは弘道会との話し合いの末泣く泣くPRIDEから手を引く破目になった。
(なお後藤組はライブドアとこの問題のあおりで弘道会から睨まれ最終的に解散に追い込まれる。)
・株式会社ドリームステージエンターテインメント (Dream Stage Entertainment, DSE)
かつて存在していた日本の興行会社。
フジテレビと共同で格闘技イベント「PRIDE」「PRIDE武士道」シリーズやプロレスイベント「ハッスル」シリーズを主催していた。
1999年、これまでPRIDEを主催してきたKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)が解散することとなったため、PRIDEの運営を引き継ぐために、森下直人らが設立。
森下が代表取締役社長、榊原信行が常務取締役に就任。
森下がエイデン、榊原が東海テレビ放送の子会社、広報の笹原圭一がイベント制作会社H2Oというように、主要な社員が名古屋に拠点を置く企業の出身者で占められた。
(資金出資者は名古屋に本部を持つ山口組弘道会)
2003年1月8日に森下が資金流用のいざこざで自殺に見せかけ始末されると、榊原が常務から社長に昇格。
資本的にもテレビ制作会社のイーストとスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)からの出資を受け、DSEは新体制で出直すこととなった。
榊原体制の下、年に1度のグランプリを軸にした路線は格闘技ファンの高い支持を得て、PRIDEは東京ドームやさいたまスーパーアリーナなどの大会場での興行を連発。
これを軒並み満員にして、「もっともチケットの売れる格闘技イベント」と呼ばれていた。
フジテレビ系列でのゴールデンタイム放映でも好視聴率を獲得。
PRIDEはK-1と人気を二分する格闘技イベントに成長。
だが、人気選手ミルコ・クロコップの移籍などをめぐり、かつては友好関係にあったFEG(K-1の主催団体)とは2003年から関係が悪化。
以降、DSEとFEGは日本の格闘技シーンを2つに分断、冷戦状態にあった。
2006年6月5日、フジテレビより、「不適切な事象」を原因に放送契約の解除が発表された。これにより、DSEはPRIDEシリーズのフジテレビによる番組制作と地上波中継が出来なくなった。フジテレビはDSEによる契約違反があったとし、契約の守秘義務により「不適切な事象」の具体的内容について言及を避けた。
原因は、「週刊現代」がDSEに暴力団との関係があると記事を掲載したためとされ、社長である榊原もフジテレビから契約解除の理由は説明されておらず、真相は分からないとしながらも、この「週刊現代」の記事の影響があったと説明、記事内容については、「捏造」と否定した。
(ウィキペディア 編集)
2006.03.28 Tuesday
因果は巡る風車か
フジサンケイグループのリーダーのフジテレビジョンの日枝久会長が窮地に陥っている。
ライブドア(堀江貴文社長)から買った440億円の株が値下がりして300億円以上の含み損が出て、この3月期の決算で赤字になる心配が出ている。
このために民放連の会長も広瀬道貞テレビ朝日会長に3月末で譲る。
05年6月にフリーライターの中川一徳氏が「メディアの支配者」(講談社)という本を出版した。月刊文芸春秋の記者として活躍した後、10年掛けて取材した本だけに「新潮ドキュメント賞」「講談社のノンフィクション賞」を受けた力作である。
この本は鹿内信孝氏が日経連(現日本経団連)の専務理事からいかにしてフジテレビ、ニッポン放送、産経新聞を手に入れたかをデータと証言を基に書いている。
さらに信孝氏の長男の春雄、娘婿の宏明氏が、どのようにして鹿内氏が奪ったフジサンケイグループを守り,奪われたかを書いている。
特に、財界四天王と言われた水野成夫氏から産経の経営権を取る課程は冷酷な鹿内氏の行動を財界人らの話を基に書いている。財界人の間ではこうした水野氏から権力を奪う姿を見て「臬雄」(きょうゆう)と言われていた。私が朝日新聞記者として財界を担当しているときも水野氏の同情論が強かった。
圧巻は第二章のクーデターである。春雄氏が急死した後、興銀から急遽養子として戻された宏明氏が92年7月に産経新聞の取締役会で解任される。
日枝氏と産経新聞の羽佐間重彰社長が協力して情報が漏れないようにして新宿の京王プラザホテルに作戦室を作って成功した。
この後、宏明氏はニッポン放送の株を放さないために、日枝氏は05年1月にニッポン放送の株にTOB(株の公開買付)を掛けたところ、堀江社長が2月に場外でニッポン放送の株を取得して、フジテレビに提携を申し入れた。
最終的には05年4月に和解してフジテレビは出資を含めて1400億円もの金を使い晴れてニッポン放送からの呪縛から逃れた。
鹿内信孝氏と同じ力を持った日枝氏は早稲田大学を卒業してフジテレビの一期生として入社して、組合の書記長をしたが、春雄氏に可愛がられて制作局長になり出世街道を歩んだ。
日枝氏はライブドアが粉飾決算をしていたとは夢にも思わなかっただろう。実力者の日枝氏がどのような手を打ってくるか見ものだが、「因果は巡る風車」ともいえようか?
http://abe.jp-j.com/?eid=186169
さて話がえらくあっちこっちするのでわかりにくくなってしまったかもしれない。
なので話を最初に戻し、具体的にフジテレビ「日枝久」と民主党幹事長「小沢一郎」が結託するに至った原点である「岩手めんこいテレビ」開局にまつわる疑惑の周辺を探って行ってみよう。
フジテレビで現地入りして口蹄疫の取材してるアナ
「現地の人の不安の声がなぜ我々に届かなかったのか」
( Д) ゚ ゚
837 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/05/14(金) 17:35:54 ID:yy7sRgUm
>>832
_, ._
( ゚ Д゚)
( つ旦O
と_)_)
_, ._
( ゚ Д゚) ガシャ
( つ O. __
と_)_) (__()、;.o:。
゚*・:.。
今更何の言い訳だw
841 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/05/14(金) 17:38:49 ID:Ar1Xkh/H
>>832
ウジはエボラに掛かって氏ね(´∀` )
・株式会社岩手めんこいテレビ(いわてめんこいテレビ)
岩手県を放送対象地域とする放送局。
旧本社は水沢市、現在の本社は盛岡市にある。FNN(FNS)系列で、UHFテレビ局。
県内民放では3番目に開局した。資本的にはフジテレビ系列だが、讀賣新聞、朝日新聞、日本経済新聞も大株主として名を連ねている。
バブル期に郵政省(現在の総務省)が推進した民放TV全国四波化方針の波に乗った形で1991年4月開局。
フジテレビ系列の開局は1975年10月1日のテレビ新広島以来15年半ぶり。
本社が水沢市(当時)に置かれたのは、当地を地盤とする小沢一郎との間に”小沢が(系列新聞の)産経新聞の拡販に協力し、見返りにフジサンケイグループが水沢市に系列テレビ局を開設するバーターがあったためらしい(中川一徳著・「メディアの支配者」に詳しい)。
しかしフジサンケイ側にとり、このバーター取引は思ったほど機能せず、ほどなくして登記上も盛岡本社となり、フジテレビが所有していた旧本社社屋は1999年に水沢市に”無償譲渡”され、「めんこい美術館」として使用されることとなった。
(ウィキペディア)
記憶しておいて欲しい!
岩手めんこいテレビの開局は1991年4月開局。
ここに岩手の権力亡者「小沢一郎」とフジテレビ「日枝久」(当時 社長)の癒着の発端があった。
そしてこの物語は翌年1992年7月 産経グループのオーナー一族「鹿内宏明」解任クーデターへと直結している。
さらにはしばらくの時間を置いての一連のライブドア事件やPRIDE中継の中止騒動にまで及ぶことになるのである。
無論この背後で暗躍したのは小沢一郎である。
(今回は詳しくは触れないが、後のライブドア事件は、闇社会のフロント企業(後藤組だと思われる)であったライブドア堀江と、フジテレビ日枝の背後にあった小沢および小沢のケツモチであるヤクザ(弘道会)という、裏社会同士(もっといえば山口組内部)の暗闘という側面があった。
あるいは沖縄のホテルで殺された馬鹿の死体には、日枝〜小沢〜弘道会ラインからの堀江サイドへの警告と言う意味合いもあっただろう。
当然、詳細を調べれば、ライブドア事件収束の後、フジテレビが計上した巨額損失金の中に、小沢と闇社会双方への謝礼が相当に含まれていたであろうことも間違いない。
仮にそれが暴露されれば日枝久の背任とフジテレビと小沢一郎のただならぬ構造的癒着も明らかになることとなっていたにちがいない。
なおかつフジテレビはヤクザと関係を持ち、今現在も民主党を援護せざるを得ない立場であることも隠せなくなる。
なお一応補足しておくが、同じフジサンケイグループにおいても、雇用形態が全く異なるフジテレビと、心情的に鹿内一族に近い産経新聞社は同じ立場にはない!
民主党に近いのはあくまで日枝久をトップに据えるフジテレビのみである。)
・参考情報
日本テレビが、フジテレビにおけるPRIDEやK-1成功を睨んで計画した格闘技興行「イノキボンバイエ」において、山口組六代目代理「弘道会」が仕切るPRIDEから、スター選手のエメーリャンコ・ヒョードルを引き抜こうとして悶着を起こしたのが山口組系「後藤組」良知組関係者の「ケイ・コンフィデンス」=「川又誠矢」であった。
(ちなみにK-1の権利はややこしい経緯の末、今現在、稲川会預かりである。)
結果的にPRIDE側(弘道会)から命を狙われた川又誠矢が自らの保身のために週刊現代において自爆的な内幕暴露をしたことで、闇社会や小沢との癒着を明らかにされたくなかったフジテレビは弘道会との話し合いの末泣く泣くPRIDEから手を引く破目になった。
(なお後藤組はライブドアとこの問題のあおりで弘道会から睨まれ最終的に解散に追い込まれる。)
・株式会社ドリームステージエンターテインメント (Dream Stage Entertainment, DSE)
かつて存在していた日本の興行会社。
フジテレビと共同で格闘技イベント「PRIDE」「PRIDE武士道」シリーズやプロレスイベント「ハッスル」シリーズを主催していた。
1999年、これまでPRIDEを主催してきたKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)が解散することとなったため、PRIDEの運営を引き継ぐために、森下直人らが設立。
森下が代表取締役社長、榊原信行が常務取締役に就任。
森下がエイデン、榊原が東海テレビ放送の子会社、広報の笹原圭一がイベント制作会社H2Oというように、主要な社員が名古屋に拠点を置く企業の出身者で占められた。
(資金出資者は名古屋に本部を持つ山口組弘道会)
2003年1月8日に森下が資金流用のいざこざで自殺に見せかけ始末されると、榊原が常務から社長に昇格。
資本的にもテレビ制作会社のイーストとスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)からの出資を受け、DSEは新体制で出直すこととなった。
榊原体制の下、年に1度のグランプリを軸にした路線は格闘技ファンの高い支持を得て、PRIDEは東京ドームやさいたまスーパーアリーナなどの大会場での興行を連発。
これを軒並み満員にして、「もっともチケットの売れる格闘技イベント」と呼ばれていた。
フジテレビ系列でのゴールデンタイム放映でも好視聴率を獲得。
PRIDEはK-1と人気を二分する格闘技イベントに成長。
だが、人気選手ミルコ・クロコップの移籍などをめぐり、かつては友好関係にあったFEG(K-1の主催団体)とは2003年から関係が悪化。
以降、DSEとFEGは日本の格闘技シーンを2つに分断、冷戦状態にあった。
2006年6月5日、フジテレビより、「不適切な事象」を原因に放送契約の解除が発表された。これにより、DSEはPRIDEシリーズのフジテレビによる番組制作と地上波中継が出来なくなった。フジテレビはDSEによる契約違反があったとし、契約の守秘義務により「不適切な事象」の具体的内容について言及を避けた。
原因は、「週刊現代」がDSEに暴力団との関係があると記事を掲載したためとされ、社長である榊原もフジテレビから契約解除の理由は説明されておらず、真相は分からないとしながらも、この「週刊現代」の記事の影響があったと説明、記事内容については、「捏造」と否定した。
(ウィキペディア 編集)
2006.03.28 Tuesday
因果は巡る風車か
フジサンケイグループのリーダーのフジテレビジョンの日枝久会長が窮地に陥っている。
ライブドア(堀江貴文社長)から買った440億円の株が値下がりして300億円以上の含み損が出て、この3月期の決算で赤字になる心配が出ている。
このために民放連の会長も広瀬道貞テレビ朝日会長に3月末で譲る。
05年6月にフリーライターの中川一徳氏が「メディアの支配者」(講談社)という本を出版した。月刊文芸春秋の記者として活躍した後、10年掛けて取材した本だけに「新潮ドキュメント賞」「講談社のノンフィクション賞」を受けた力作である。
この本は鹿内信孝氏が日経連(現日本経団連)の専務理事からいかにしてフジテレビ、ニッポン放送、産経新聞を手に入れたかをデータと証言を基に書いている。
さらに信孝氏の長男の春雄、娘婿の宏明氏が、どのようにして鹿内氏が奪ったフジサンケイグループを守り,奪われたかを書いている。
特に、財界四天王と言われた水野成夫氏から産経の経営権を取る課程は冷酷な鹿内氏の行動を財界人らの話を基に書いている。財界人の間ではこうした水野氏から権力を奪う姿を見て「臬雄」(きょうゆう)と言われていた。私が朝日新聞記者として財界を担当しているときも水野氏の同情論が強かった。
圧巻は第二章のクーデターである。春雄氏が急死した後、興銀から急遽養子として戻された宏明氏が92年7月に産経新聞の取締役会で解任される。
日枝氏と産経新聞の羽佐間重彰社長が協力して情報が漏れないようにして新宿の京王プラザホテルに作戦室を作って成功した。
この後、宏明氏はニッポン放送の株を放さないために、日枝氏は05年1月にニッポン放送の株にTOB(株の公開買付)を掛けたところ、堀江社長が2月に場外でニッポン放送の株を取得して、フジテレビに提携を申し入れた。
最終的には05年4月に和解してフジテレビは出資を含めて1400億円もの金を使い晴れてニッポン放送からの呪縛から逃れた。
鹿内信孝氏と同じ力を持った日枝氏は早稲田大学を卒業してフジテレビの一期生として入社して、組合の書記長をしたが、春雄氏に可愛がられて制作局長になり出世街道を歩んだ。
日枝氏はライブドアが粉飾決算をしていたとは夢にも思わなかっただろう。実力者の日枝氏がどのような手を打ってくるか見ものだが、「因果は巡る風車」ともいえようか?
http://abe.jp-j.com/?eid=186169
さて話がえらくあっちこっちするのでわかりにくくなってしまったかもしれない。
なので話を最初に戻し、具体的にフジテレビ「日枝久」と民主党幹事長「小沢一郎」が結託するに至った原点である「岩手めんこいテレビ」開局にまつわる疑惑の周辺を探って行ってみよう。