50センチの魔力とゆでたまご先生

 

いい加減「恋愛もベテラン」な、ある女友達が

 

最近おかしくなってて、

 

「止められないの」

 

なんて、手首を切ってる。

 

それを写メして送ってくる。

 





 

それを彼氏にも送ってるとか言う。

 

「こういうの男は引くからNGだぞ」

 

なんて言っても聞いてない。

 

 

よくある「恋愛泥沼中継」なんだけど

 

彼女は元々「小悪魔女」で「自由な女」を自称。

 

元気な人だったのに、恋愛は怖いね。

 

せっかく好きになれる人に会えたのに

 

なんだか「台無し」にしてしまうらしい。

 

 

 

 

僕は恋愛には「相手を判断できなくなる距離」があると思う。

 

おそらく半径50センチ以内。

 

恋人とベタベタの時期になると

 

相手のことを「離れて冷静に見る機会」が無くなる。

 

相手を離れて見るのは、せいぜい待ち合わせの時くらいで、

 

あとはずっと半径50センチの中にいる。

 

これが案外危険。

 

どうやらこの距離は相手が見えない距離らしいのだ。

 




 

最近はメールという、より「わからない」距離も恋愛に介在してる。

 

追い詰められて手首なんか切る前に

 

少し遠くから相手を見れば変な魔法も解けるかもしれないのにね。

 

それができないのが恋愛。

 

 

でもそれも人生。

 

でもいきなり嫌いになって

 

「臭いも嫌」なんてなるのも人生。

 

 

 

そういえば今絶薬で「ゆでたまご先生」を描いてます。

 

ずいぶん前に対談したんだけど、諸事情のためにここまで

 

遅れての掲載です。

 

ゆでたまご先生の人生は小学生の友人が一生助け合う人生。

 

なんか純粋に漫画を描いていた時代に戻れた感じで癒されます。

 




 

友人とでたらめ言い合って、笑いながら漫画描いてた

 

12歳の俺の魂、まだまだよろしく頼むぜー。

あれ、何か話が変わったな。


まあとにかく、手首とか切らないですむような

恋をしてね。

無理?

ですよね。人類だもの。

そんなふうにおかしくなれるほどの恋ができた事に

感謝して寝なさい。





寒いけどねっ

 

 

 

 


ロックって何ですか


オーストラリア人のM君というミュージシャンがいます。


 

 これは僕  寒いね



 

僕の友人の仲間の1人で、

彼はミュージシャンを志してなぜか日本に来ていて

 

ライブ活動しながら英会話の先生をして暮らしている。

 

年齢は30代半ば。

 

しかも住んでいるのは僕の住む南越谷より

さらに北の埼玉ローカルタウンだ。

 

ピアノ弾き語りスタイルの彼はいつものように

キーボードの前に現れると

 

いきなりビートルズの

「ALL NEED IS LOVE」を歌いだした。

 

この選曲。凄い。


 

さらに彼は「今日はオーストラリアからお兄さんが来てくれました」

 

と言って、お兄さんがギターを抱えて登場。

 

ビリージョエルやベンフォールズみたいなスタイルの曲で

弾むオージーブラザーズ。

 

なんか心温まる。

 

 




彼らの曲を聴きながら僕は考えていた

 

僕が漫画家になる前

「デビューは20歳前後でなくては不利」だと言われていた。

 

今も漫画業界はそんな感じだ。

 

音楽業界もその辺かなりシビアで、

30歳過ぎたらもう終わりだと言われる。

 



いったい何でだ?



 

商業的な成功率?  生活の保障?  感受性? 時代感覚?

 

どっちにしろ「金になるか?」が基準の話みたいだ。

 

 

では、逆に金にならない音楽や漫画は不要なのか?

 

サクセスしないと価値はないのか?

 

 


M君は楽しそうに演奏していた。

 

小さなライブハウスには40人くらいのお客。

 

その半分は知り合いや友人。

 

みんな笑顔で体を揺らしてる。

 

 

M君は最後に「今日は最高です、お兄さんありがとう、

 

日本に来てみんなと会えて音楽が出来て

 

僕は幸せです、ありがとうございます」

 

 

なんて言っていた。

 

 

くるよね。

 

 

アメリカ、イギリスを完全に無視して

 

アジア、オセラニアで完結してるのもいいね。

 

 

彼の仲間は音楽中心で回っていて、生活向上の欲望やなんかは

 

どこかに置き去りにしている。

 

メジャーデビューできなきゃ音楽やめる? 何で?

 

みたいな感じだ。

 

 

 

ねえ、何がロックかって、


これこそがロックだろう。

 

 

 

アフリカのバスに敗北

 

駅とか電車で「大騒ぎ」してる若者とかおばさん集団に会うと

 

「おいおい」という気分になるけど

 

 

そういう時いつも頭をよぎるのが

 

世界放浪している友人が言っていた

 

「アフリカのバス」の話だ。

 

 

これはチベット




彼がたまたま乗り合わせたアフリカ某国のバス。


 

後ろの席で大声で話をしている2人組がいたらしい。

 

「うるせえなあ」と思っていたら

 

自分の隣にいた男が振り返り

 

注意するかと思ったら、2人の話に参加したという。

 

そのうち話が盛り上がってきて、さらに離れた席の人も話に参加。

 

最後はバスの乗客全員で「合唱」したらしい。

 

この話。思い出すたびに大きな「敗北感」を感じる。

 

 

みんなが1人の世界に入って「我関せず」の日本は気楽だけど、

 

アフリカのバスにいる人達のほうがおそらく人生を楽しんでる。

 

なんか人類としての格が上の気もする。

 

 

今更ながらジャパンは世代間のリスペクトに欠ける。

 

だから「おばさんはおばさん」と「ギャルはギャル」としか

話ができない

 

なんなら「体育会系」「オタク」「ゴス」

「ブルー」「ホワイト」「同じ中学」

 

みたいに「同種」としか繋がれないようになってるジャパン。

 

 

うるさい集団に出会う度に「偉大なるアフリカ」を思う。

 



なんかもう 全部肯定な感じ



バブル世代の習性と無料リゾート

 

僕はバブル期に大学生だったので「バブル世代」と言われてます。


ああ・・かっこわる・・



このサンタ人形 小学館のM君そっくり




 

まあ確かにバブル期らしいことも沢山体験してきたけど

 

心はパンクで「金持ちダセえ」とかも思っていたのにー。

 

同世代がユーロビートとかユーミンとか久保田利伸とかの頃

 

僕は1人でパンク村に移住していたのにー。


 

銀座では吐きそうになるし、ブランド嫌いだし

 

もう気分は「反バブルの革命家」だったのにのにー。

 

何しろこの頃

 

「バブルの中で浮きながらも社会変革を叫んですべる男」の漫画

 

を描いていたのにのにのにー。

 

タイトルは「イデオロキッズ」

 

バカだねえ。

 

でも、それを載せる当時の「宝島」も熱いねえ。

 

 

まあそんなこんなで、バブルと言っても貧乏な漫画家だった僕は

 

バブルユダの気持ちで生きてきたのだけど、

 

とにかくしょっちゅうアシに

 

「バブルっぽいっすねー」と言われる。

 

 

「何がじゃい」

 

と思いつつ、バブル世代男子の特徴を考えてみた。

 




まず、全体的に世の中をなめてる。

 

ノリが1番だと思っている。

 

ブランドに弱い。

 

海外が身近。

 

同世代の相棒はそのへん最強で、今もなんかいつの間にか

 

「エアーズロック」に遊びに行ってる。

 

打ち合わせの帰りに

「ごめん、俺この後ゴールドコースト行ってくる」

 

と言って消えたのだ。

 

こういうやつは若い世代にはあまりいない。

 

 

 

あと、女の子を相手にする時には

「王子様」をしないと駄目だと思わされてる。

 

好景気で自分を姫だと思い込んでる「バブル期の女」を

 

金余りのジジイと取り合っていた、過酷な青春を経験してるため

 

「女の子に車道側を歩かせるなよ」なんて

 

後輩とかに言ってる。

恋愛サプライズも好き。

 

よく言えば、恋愛のスキルが高い世代かも。

 

当時はクリスマスに恋人がいないだけで「この世の終わり」

 

みたいな感じだったから鍛えられたわけかも。

 

恋愛スキルは「バカ」だけど、

 

その下の世代はさらにバカで貧しい青春を送った世代なので

 

彼らよりは恋愛戦闘力が高い気もする。




 

 

僕がよくバブルだと言われる要素は

 

リゾート好き。

 

オープンカフェ好き。

 

サンセットとか水辺の照明とか、洒落た建築とか大好き。

 

並べると確かに「バブルな感じ」だけど、これはしょうがない。

  

 

僕は1人で水辺で空を眺めるのが大好きなのだ。





 

確かにバブルのころだけど、


フィリップジャンティの舞台で

 

「デッキチェアは人類最大の発明だ、

これ1つでどこでもリゾートになる」

 

というセリフがあって、



僕はこれに強烈にやられた。

 

 

それからは自分のボロ車にデッキチェアをいつも積んで

 

河原とか田園とか海辺とかに行っては

 

自分リゾートしていた。


 

これは景気は関係ないし、

 

アラブとかアジアの国では道端に椅子を出して

 

みんながプチリゾートをしている。

 

フランス人のオープンカフェに賭ける気持ちも凄い。

 

 

 

本当にバブルの時期は人間のみっともなさを

さんざん見せられたけど

 

自然や文化や恋愛やARTを誰もが味わえた時代だったのは

確かだった気もする。

 

そのほとんどが見栄と欲望だけのろくでなしだったけどね。

 

 

デッキチェアだけのリゾート

 

お勧めです。

 

 
ああ・・ネーム終わらせて海に行きたい・・



 

君が僕を見つけた日


「君が僕を見つけた日」という映画を見ました。



 

突っ込み所満載なのに泣けて困りまひた。

 

原題は「タイムトラベラーズ ワイフ」

 

「時間の旅人の妻」だ。

 

悪くない。

 

 

で、何が悪くないかと言うと、この映画。

 

人生の節目で呆然としている自分の所に、

未来の自分がやってきて、

 

「君は大丈夫、ちゃんとやっていける」

 

なんて言うのだ。

 

 

なんならこれからの人生で出会うことになる人まで現れる。

 

別の時代を生きている人たちはみんな

 

「大丈夫だよ」と言うのだ。

 

これは僕にはやばい話。

 

 

思えば美大を受験する時、

 

デビュー前。いや、人生のほとんどの時間。

 

僕はずっと「そんな知らせ」を待っていた。

 

あの頃の自分を思い出す度に、僕はその日に飛んで行って

 

「大丈夫だ、そのまま進め」と

 

言ってあげたくなる。

 

 

そんなわけでこの映画のアイデア自体が「やばい」わけです。

 

「ドラえもん」なんかもそうだけど

 

どの国の人でもこんな願望を持つのだろうね。

 

 

時々「あ、こうなることを知ってた気がする」とか

 

「この人には会うことになると思っていた」とか

 

感じることがある。

 

やっぱり人生は神の脚本があって

 

すべては決まっているんでしょうか?

 

 

 

そして未来では、死ぬ直前の自分がその脚本を読み返して

 

「ひでえなあ」とか「悪くない」とか

 

言っているのでしょうか。

 

 

例えば、いつまでも後悔するような判断をしてしまったとして

 

その直前の自分に会えたとしたら

 

何を言うのだろう?

 

 

 

後悔を呼ぶことになる事態を「避けろ」と言うのだろうか?

 

 

いい質問だね、これ。

 

 

もしも、その「後悔を呼ぶ体験」で自分が成長したなら、

 

多分何も言わない。

 

きっと「ただ、見守っている」だろう。

 

 

 

そう考えると、未来の僕は何度も来ている気がする。

 

それで、未来の僕は、何も言わないでただ見ているのだ。

 

 

そうに違いない。

 

ならば未来の自分にこう言おう。

 

「僕は大丈夫、知ってるだろ?」

 

 

 

 

そういえば取材で蝶々さんに初めて会った時、彼女は

 

「会うと思っていた」

 

と言った。

 

 

さすが元祖子悪魔女。抜群の掴み。

 

こういう「映画のような瞬間」は忘れられないよね。

 

 


ね?


 

「悪くない」と言うまでの道


僕は「いいなこれ」と、素直に言わずに

 

つい「悪くないね」と言ってしまう。

 

「そういうものの見方はひねくれている」のかもしれないけど、

 

「全部いい」なんて嘘くさい。

 

 


「それは物事を悪いこと前提で判断してるのだから駄目」

 

というのもわかる。

 

でも世の中が良い事ばかりに満ちているなんて嘘くさい。

 

 

作品なんかにしても「良いものばかり」なんかのわけがない。

 



悪くない



 

特に映画とか音楽とか漫画とか絵画とか

 

好きなジャンルに関しては「もっとこうすれば」の心が働いて

 

素直に「いいね」が言えない。


 

でも言葉は凶器だからなるべく発信する時は

「批判はしない」ことにしてる。

 

第一その時思った「これ駄目じゃん」なんて気分は信用できない。

 

 

あとで「あれはああいう意味で作っていたのか」

なんて気がついてももう遅い。

 

「駄目なら言ってあげるが相手の為だろ」なんて言う人もいるけど、

 

僕は「言ってほしくない」

 

そんなのみんな自分ではわかってる。

 

これ以上自分攻撃軍を増強するのは体に悪い。

 




まあどちらにしても「悪くないね」なんて言い出すまでには

 

沢山の失望を味わってきた道のりがあるわけです。

 





 

そういえば村上春樹さんの小説には

この「悪くない」というセリフが多い。

 

彼は学生運動の挫折を見てきた世代。

 

なんかわかる。

 


悪くない?


 

 

猿岩石リサイクル法


ヨーガの話なんだけどね、


 

「90分26のポーズ」があまりに辛く長いという日も

あるわけです。

 

でも今ジョギングもしてないし、仕事は運動しない漫画家。



ここでヨーガから逃げて、体壊して変な成人病で入院して

 

「点滴の針がもう刺せる場所がないです」

 

なんて日を迎えることを考えると、人生は戦い。









 

「山田玲司よ、ヨーガ行くかね?入院するかね?」

なんて心のゴッドが言う。

 

自分に鞭、鞭、鞭だ。この豚野郎だ。

 

 

自分が豚野郎なのは仕方ないけど入院は嫌だ。


 

そんなある日、インスト様が言うのだ。

 

「今日も90分の旅を楽しんでくださいね」

 

さすがインスト様。いい事言う。

 

 
ぶー




よーしそれなら26のポーズに合わせて頭の中で旅に出よう。

 

せっかくならスタートは香港?  ゴールはロンドン?

 

おお、これは猿岩石のヒッチハイクコースでいけるかも。

 

猿リサイクルだ。



 

あの2人最初に渡された10万円の資金のほとんどを

中国で使い果たしてたなあ。

 

なんて、香港編を思い出しつつ序盤のポーズ。

 

いいかも・・・香港、中国は行ってるから想像しやすい。

 

香港の朝市のお粥は絶品だったなあ・・漢方が効くんだ、物凄く。

 

なんて、タイも良いぞ、

 

でもバンコクのストリートチルドレン見るの辛かったなあ・・

 

 

とか、行ってないバングラ、インドはナイスな人が多いイメージ。

 

パキスタンもいい人が多いって聞いたなあ・・

 

なんて、ここでポーズも中盤。いける。

砂漠の国を抜けたら、東ユーロだ。






 

猿さんたちが1番辛そうだったルーマニア。ギリシャ、

イタリア、おフランス・・

 

このへんフランスネームのせいでもうなんか「俺の地元」感。

 

おい、もうドーバーか!

 

おお・・土屋Pの姿が・・フミヤの歌声が・・

 


 

本当は余計なこと考えるのはヨーガの邪道。

 

シバ神に心で謝罪。

 

でも完走。やっぱイマジン大事。

 

この作戦て、つまんない授業とか仕事とか、

 

飲み会で先輩のしょうもない説教聞かされてる時とかも

 

使えると思います。フリーですのでダウンロードして下さい。




 どーぞー


元彼リサイクル法

 

男というものは

 

美人には本当のことを言いません。






 

理由は簡単です。良く思われたいからです。

 

あわよくば「何かもっと」を期待しているのです。

 

サザンの初期の曲で「彼氏になりたきゃどう言うの?」という

 

素晴らしい歌詞があるけど、

 

美女を前にするとまさにそんな状態になるのがオスです。

 

 

つまり、美人とか高嶺の花みたいな人ほど

男の本当の心を知らない傾向があるのだ。


男は美人にこそ「嘘」をつく生き物。


 

でも、「美人は男にもてるから男に詳しい」みたいな幻想もある。



 

これは美人ゆえに若い頃から誘いが多くて、

派手に恋愛していて
経験値が高い場合はあるけど、

どうしても男は美人には

「不自然な自分」を見せてしまうので、

「恋愛中に本当の男の姿を見ているか?」というと怪しい。

 

 美人は色んな檻の中




どっちにしても男は女に本心を隠します。

 

 

 

ではそんな男心はどうすれば見抜けるか?


 

そんなことを最近聞かれたんで考えたんだけど、

 

彼の言動を話して本心を判断してくれる第三者が必要だ。

男の本音を密告してくれる「男性軍の裏切り者」だね。


 

これは「あわよくばこの機会にいいことしたいな的下心」

がある男
にはできないだろう。

 

 

 

「あー、その手俺も使うけど嘘だよ」とか

 

効果抜群の男心判定は誰に頼めばいいのか?

 

 

まちがっても女友達に聞いてはいけません。

 

女の人は「同じ幻想」にしがみつきやすい。

 

「浮気に興味ない男の人もいるよねー」とか言いがちです。

 

そう信じたいので。

 

特に経験値の低い女達は「幻想」で話しをします。

 

幻想のネタ元はそういうタイプの女性作家の書いた

漫画とかドラマだったりします。

 

 

 

もし、連絡が取れてすでに恋人がいて、

 

「あわよくば心」がない元彼がいるなら、

彼こそが最高の男性ユダになるでしょう。

 

 

1度付き合ってるので自分の性格とかの傾向も

少しは知ってるから余計にいい。

 

 

これを「元彼リサイクル法」と言います。(今決めた)

 

まあ、間違いが起きないとは言えませんがね。

 

もし元彼が自分と付き合った当初の感じで

 

「男だってさ、体だけが目的じゃないやつもいると思うよ」

 

みたいにかっこつけたことをほざいてたら、


「あわよくば心」が発動してるので

 

警戒警報です。



やべっ  帰んないと

 

 


「どうせ禁止法案」提出

 

ここのところあまりに本業の漫画が難儀してるので、

 

なんか弱気になっていた所に冬が来て

 

ついでに風邪をひいたりしてたもので

 

ますます「僕なんか世界にいらないんじゃないか」なんて

 

「世界の終わり」にいた山田玲司です。





心象風景

 

 

でも、「過去の自分」てやつは「なかなかの猛獣」らしく、

沢山の人が僕の本を作ったり、

 

WEB計画を進めてくれたり、打ち合わせがあって、

 


当たり前のように僕を待っててくれる。


「生きていてもいいですか?」状態の僕に仕事を下さる。

 

 

来月かなり大きなイベントに呼ばれていて、

 

来年は僕が仕掛けるかなり大きい仕事も動いていて

 



「やっぱり僕なんか・・」なんて気分のまま打ち合わせに行くと、

 

「何言ってるんですか、ぜひお願いしますよ」なんて

 

みんなが言ってくれる。



 

うう・・

 

「わしのようなものに、なぜこのような・・」

 

みたいな気になりますが・・

 

そもそもそんな事態になっているのは自分が昔

 

「僕はやりますよー、見てて下さい」とか

 

猛獣みたいに吠えてたからだ。

 

その時の僕は「どうせ僕なんか」なんて

 

絶対言わない山田玲司だったのだ。

 

「天才ですから」モードの山田玲司だったのだ。

 

バカみたいだけど、

こういう過去のパワフルな自分が

 

「今の自分」を引っ張る。




だって打ち合わせ場所ここだし なんか大きいし 



 

 

山崎監督が「どうせ、を言うな」と言っていたけど、

 

まったくだ。

 



「どうせ僕は・・」とか「どうせ私は・・」なんて言ってる人に

 

誰が期待するんだ。

 



そんなモードは「挑戦しない自分を正当化」するだけだ。


がおー。




 

 

でもね、ネームがうまくいかなかったり、

 

寒くなったり、風邪ひいたり

 

木村さおりが眩しすぎたりすると

 

「どうせモード」出ちゃう。

 

もう「どうせ禁止法案」自分に制定。

 

危ない冬だにゃー

 

 


がおおー



 

 

 


寒くなりましたね。

 

うー

寒いの嫌だなあ




本当は「寒さを楽しんで寒さに感謝すれば」いいんだろうなあ

でもできないなあ



南の島に行きたいなあ




さすがに先週は風邪でコタツに入ったままマフラー巻いて

 

髭も剃らずにテロリスト状態。






 

もう買い物も面倒なのでパスタばかりを茹でる日々。

 

幸いバレーとF1が素晴らしい試合を見せてくれたねえ。

 

ありがとう竹下・・濱口偉いね。いいことあるよ濱口。

他局冷たいね。ベッテルよかったね。

右京さん今年の解説熱いね。なんて。

 

 


でもね漫画家は漫画を描かないと生きてはいけないので

 

描きました。

 

これは大貫さんの絶薬のテープ起こし。



 

で、ネーム描いて、下書き。


これは山崎貴さんの回のネーム



印象を優先して似顔絵。ちょっと「キャラ化」して

 

その人の「伝えたい事」を掴んで

 

描くべし



 

描くべし

 

描くべし

 

いかん、もうだるい。

 

さおりが眩しい。


美しい野生動物みたいだ。