15日の運航を最後に休止した「明石淡路フェリー」(たこフェリー、明石市)。「淡路ジェノバライン」(淡路市)が航路存続の覚書を交わし、来春の再開を表明したもののクリアしなければならない課題は山積みしている。航路の「休止」と「再開」に揺れ動いた関係者や利用者らは、複雑な思いで最終便を見送った。【南良靖雄、登口修】
■明石
明石港ではこの日、最終便を見送る人でにぎわった。この日の株主総会で退任が決まった大麻一秀社長(57)は「仕方ないな」と最終便を見送った。「第三セクターに参加した甲子園フェリー時代を含めて約10年。本四架橋時代の中でフェリー運航の貴重な体験をさせていただいた」と淡々と語った。
最終便の操船を担った中野達也船長(44)は「タコの絵が描かれた船と乗組員が一体となっての『たこフェリー』。なくなれば廃止と同じ。残念だ」と話した。
同港乗り場のレストラン「漁師めし新浜」を運営する漁師の中谷正男さん(46)は「再開できるなら休止にしなくてもという思いがある。フェリーと共存共栄でやってきた。このまま営業を続けていきたいので、運航再開を待ちたい」と話した。
一方、明石市役所で航路継承の記者会見をしたジェノバ社の吉村静穂社長は「公共交通機関で淡路島にとって(フェリーは)必要。とにかく経営可能だったらやろうと、決めた」と意欲を見せ、同席した北口寛人・明石市長も「小型船確保に協力し、乗り場の賃借料も規模を3分の1にして公的支援ができる。みんなで力をあわせて航路再開に取り組む」と決意を述べた。
■岩屋
淡路市岩屋の岩屋港ではこの日、最後のフェリーで明石海峡を渡ろうというマイカーやオートバイ、自転車の乗船客が目立った。岸壁では記念写真を撮るグループもおり、名残を惜しんだ。
地元の市立石屋小付属幼稚園児38人は午後1時50分発のフェリーに向かって「明石焼音頭」を披露し、「ありがとう」と叫んで、帽子を振ってお別れした。
原付きバイクで釣りに来た神戸市兵庫区の会社員、近藤啓一さん(48)は「長年、フェリーを利用して毎週、釣りに来ていた。これが最後だと思うと残念」と話した。
また、自転車でツーリングに訪れた神戸市垂水区の公務員、板倉健さん(48)も「子どものころからフェリーを利用して海水浴に来ていたので愛着がある。ツーリングにもよく来るが、なくなると不便になり、淡路島が遠くなってしまう」と残念がった。
〔神戸版〕
毎日新聞 2010年11月16日 地方版