ニックネーム:おつる 鶴姫 (洗礼名ジャンヌダルク)
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2010年11月26日(金)
なかそちづ子通信*徳島県教組 富田真由美先生の韓国との共同 実践発表
これはひどい 
あしなが募金名目で集めたカンパを
連合から差し戻しさせ、朝鮮学校=朝鮮総連に資金援助した

日本日教組の代表的 朝鮮、韓国交流教師  

徳島県教組 富田真由美先生の韓国との共同 実践発表



韓国教員団体総連合会と日本教職員組合が共同で開催する「韓・日平和教材実践 交流会」は両国の間に横たわっていた不幸な過去の歴史を ...... 冨田 真由美 · 徳島県 徳島市立徳島中学校. 日本帝国植民統治と韓国の独立運動に関する中学授業の事例 ...


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kfta.or.kr/files/data/data_2/a/한일교류회%20자료집.doc

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教組参加者名簿

姓 名 所 属
山本 潤一 YAMAMOTO Junichi 日教組副委員長、* 団長
東 市子 HIGASHI Ichiko 日教組中央執行委員、事務局長
三宅 正人 MIYAKE Masato 日教組教育文化部 事務局員
冨井 恭二 TOMII Kyoji 大阪教組、大阪府立東淀川高校、
レポーター
徳成 晃隆 TOKUNARI Kouryu 福岡県教組、福岡市立堅粕小学校、
レポーター
冨田 真由美 TOMITA Mayumi 徳島県教組、徳島市立加茂名中学校、
レポーター
足立 寛之 ADACHI Hiroyuki 奈良教組 執行委員
行本 明典 YUKIMOTO Akinori 徳島県教組 執行委員
永井 俊策 NAGAI Shunsaku 福岡市立 高宮中学校
嶺井 正也 MINEI Masaya 専修大学、共同研究者
黒沢 惟昭 KUROSAWA Nobuaki 山梨学院大、共同研究者
日本の歴史教育概要報告


韓国教総 参加者名簿

姓 名 所 属
閔 允 ミン・ユン 富川(ブチョン) 上一(サンイル)小学校教師,
レポート
趙 恩 敬 チョ・ウンギョン 全州(チョンジュ) 槿映(クンヨン)中学校教師, レポート
朴 星 奇 パク・ソンギ 京畿(キョンギ)河南(ハナム)高校教師,
レポート
李 東 原 イ・ドンウォン 京畿 加平(カピョン)小学校教師
趙 尚 濟 チョ・サンジェ ソウル道谷(トゴク)中学校校長
玄 明 ヒョン・ミョンチョル ソウル景福(キョンボク)高校教師
韓 哲 昊 ハン・チョルホ 東国(トングク)大学教授
韓国の歴史教育概要 報告
鄭 永 順 チョン・ヨンスン 韓國精神文化研究院 教授

全 元 範 チョン・ウォンボム 韓国教総副会長、* 団長
光州(クァンジュ)教育大学 教育大学院 院長
白 承 宜 ペク・スンウィ 韓国教総理事、京畿道 儀旺(ウィワン)
白雲(ペクウン)小学校教師
柳 浩 斗 ユ・ホドゥ 韓国教総 教育政策研究所長



日教組副委員長
山本 潤一


 まず、冒頭に、私たち日教組の要望に応え、交流会を開催いただいた、李君賢(イ・クンヒョン)会長をはじめ韓国教員団体総連合会の皆さんにお礼を申し上げたいと思います。また、交流会の成功に向けてご尽力いただいたユ教育政策研究所長、キム企画国際局長に感謝いたします。ありがとうございます。

日本教職員組合(日教組)は、第2次世界大戦後、1947年に結成されました。それ以来、私たちは一貫して過去の戦争で犯した過ちを反省し、平和と民主主義を大切にする教育をめざして活動してきました。1951年には「教え子を再び戦場に送るな!」というスローガンを採択し、平和教育に力を注いできました。

 しかし、この数年、こうした我々の努力に対して、積極的に攻撃する勢力が台頭してきました。こうした勢力は、「朝鮮侵略は正しかった」とか「強制連行はなかった」などと主張し、我々の史実に基づいた教育内容を「自虐史観」だと決めつけています。また、憲法を改定し、自衛隊を名実ともに軍隊として位置付けるべきだと主張しています。

 「新しい歴史教科書をつくる会」はこうした主張を盛り込んだ教科書を編纂しました。文部科学省は多くの修正をさせましたが、基本的な主張をそのままにした教科書を検定で合格させました。幸いにして日本のほとんどの学校ではこの教科書を使っていませんが、右翼勢力を中心にこれらの教科書を採択させるよう圧力を加えています。

 日教組は、こうした日本国内の右翼勢力の動きに危機感を抱いています。子どもたちに歴史の真実を伝えてきた教育実践が不当な圧力を受けているからです。我々はこうした圧力をはねのけ、平和教育をより確かなものにするために、今回、韓国教員団体総連合会の皆さんとの教材や実践の交流を希望しました。

 日教組の組合員は、朝鮮侵略と引き続く太平洋戦争で、当時の日本政府や日本軍が近隣諸国に侵略した事実を丹念に掘り起こし、反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないという誓いを子どもたちとともに立てるとりくみをしています。日本の各地で様々な教材と実践があります。今回の交流会では、それらの実践の中から、小学校、中学校、高等学校の実践それぞれ1本づつ持ってきました。

 交流会では、韓国での実践も聞かせていただき、有意義な交流をお願いしたいと思います。相互に学びあい、批判検討を加え、より確かな歴史認識の共有と平和教育の確立に向けて成果が出ますよう大いに期待しています。



戦後、祖国引き揚げと在日コリアン

徳成 晃隆 (福岡市立堅粕小学校)


初等学校ににおける日帝強占期の教育

閔 允 (富川 サンイル初等学校)


日本 中学校 レポート
侵略の歴史との出会いから始まる人権教育の実践

冨田 真由美 (徳島県徳島市立徳島中学校)


はじめに

 わたしは、1951年に生まれた。日本はサンフランシスコ平和条約を結ぶと同時に、日米安全保障条約を結び、冷戦下の国際社会において西側陣営に与していくという選択を行った年である。朝鮮半島では、1945年、36年間にも及ぶ植民地支配に終止符を打ったのもつかの間、戦後の米ソ対立によって引き起こされた朝鮮戦争のさなかであった。安保条約下の日本から、B29が朝鮮半島へ飛び立っていった。現在も休戦協定によっているものの戦闘状態は、半世紀を過ぎようとしているにもかかわらず継続している。
 21世紀を目前にした1989年、ベルリンの壁崩壊が象徴する如く、国際社会は東西冷戦の終結を迎え、戦後分断されていたベトナムやドイツの統一が進む中で、朝鮮半島の統一が残された課題となっている。日本に生きる者として、日本の植民地支配が結果的にもたらした南北分断の現状について、在日コリアンをめぐる状況について、どこまで積極的な課題としてとらえているのか、社会科教師としての自分を振り返ってみても情けない限りである。
 日本政府は、戦後補償は解決済みとして、過去のアジアへの侵略の歴史に対しても、従軍慰安婦問題や南京大虐殺などに対する政府関係者の発言に見られる如く、多くの事実を覆い隠そうとしている。こうした政府の姿勢は教育にも少なからず反映し、自由主義史観の歴史教科書の出現や単一民族国家論の横行、2000年度の歴史教科書からの従軍慰安婦問題の記述削除として表われている。
 戦後50年以上になり、教育現場においても地域社会においても戦争の歴史や悲惨さを語る人たちが姿を消し、今を生きる子どもたちにとって日本の侵略戦争の事実は風化されつつある。日本に生きる者として過去の過ちと向き合うことなく、アジアの人たちとの出会いや交流が準備されることになってしまう。アジアの人たちと出会い、共に連帯して生きていく人間を育てていくことが、地球規模ですすむグローバル化に水平な視線で人と人との関係を結んでいく存在となるためにも大切なことだと考える。
 この実践は、明治維新に始まる日本の歴史が、アジアに対する差別意識に基づいた侵略のためのものであったことを主題にし、中国や朝鮮を中心にしたアジアから見た日本近現代史を学習するために、自主編成の教材として作成した。中学2年の生徒はこの冊子によって日本近代史を社会科の時間に学習した。この学習を修学旅行の平和学習の資料として事前に各担任教師と協力しつつ。学年全体で取り組むことができた。私たちは、広島・長崎の被爆した人たちが、日本人だけではないことを知らせることによって、日本のアジア侵略という加害の側面をしっかりと検証していかなければならないことを教師集団として確認することができた。実践したのは、1992年度であるが、その後の歴史教育実践においても本資料を活用し、自分のなかで近現代史を教えていく歴史認識のもとになっている。なお、『21世紀・在日コリアンをめぐる状況』に示した在日コリアン問題は、日本の近現代における朝鮮侵略において生み出され、現在もなお解決しなければならない多くの課題として日本に生きる者として向き合っていくべきものと考えている。『人権学習ノート』の続編として、今回作成した。
※『人権学習ノート』における「在日朝鮮人」との表記は、朝鮮半島の朝鮮民族全体を概 念としているのであり、北朝鮮籍の人をだけを表すものではない。


1.『人権学習ノート』(1992年度)の実践について

@ 日本のお札について(1頁〜2頁)
 日本に生きる者が通貨として使用しているお札の顔となっている人物については、近代日本の歴史上の人物が現れる場合が多い。資料1頁の3枚のお札の人物は、日本の歴史学習を受ける子どもたちには、自由民権運動家としての板垣退助、大日本帝国憲法を作成した伊藤博文、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」との民主主義思想家としての福沢諭吉という進歩的な姿に出会う。征韓論を唱えた板垣退助の本質や韓国併合への道を準備した伊藤博文の本質や「脱亜入欧論」を唱えた福沢諭吉の本質については、近代日本の歴史の流れからは、枝葉末節の扱いになり、当然、子どもたちには認識されることは、少ないと言っていい。まして、朝鮮民族への苦難の歴史を強いた人物のお札を、報酬として手に入れ、生活するために日々使わざるを得ない在日コリアンの現実に、思い至ることもない。このことを自分に引き寄せて考えさせ、向き合わせようと考えた。

A 朝鮮の開国(3頁)
 1853年ペリー来航によって日本は開国、1858年ハリスによって不平等な日米修好通商条約を結び、幕末の混乱の中、近代日本は明治政府による諸改革が始まった。近代日本は、20年後、カンファド江華島事件によって朝鮮を開国させ、日本と同じ方法で同じ苦痛を強いていく。日朝修好条規は、治外法権を認め、関税自主権を認めないという不平等条約であった。甲午農民戦争(東学党の乱)は、日本における開国派と攘夷派の対立と重なるものではないかと考える。すでに治まったはずの甲午農民戦争を鎮圧することは、日本の朝鮮侵略の絶好の口実となり、日清戦争を引き起こす結果となった。朝鮮の開国の意図が朝鮮侵略の道であったことが、明らかに見えてくることに気づかせたい。

B 韓国併合への道(4頁)
1894年の日清戦争、1904年の日露戦争は、戦争相手国の違いにかかわらず、朝鮮半島の支配権をめぐり朝鮮半島を戦場として争われている。日清戦争から韓国併合に至る日本の動きが、韓国の民衆の生活を圧迫し、それに対して民衆が抵抗をしていく過程を整理することで、近代日本がめざすアジア侵略への道を確認していく。日本の歴史教科書には、こうした関連がほとんど記述されていない。日露戦争後のポーツマス条約で、賠償金を獲得できなかったという事に対する日本民衆の不満を解消するための対策として韓国併合がなされた事実、戦争ムードが社会全体を覆うなかで、反戦を唱えた石川啄木や与謝野晶子の主張や生き方を学習することによって、真の生き方の指針を学ばせたい。

C 苛酷な植民地支配と抵抗(5頁)
 韓国併合後の日本の植民地政策を具体的に学習する。日本の教科書には、植民地政策の具体的な仕組みにまでは記述がされていない。少なくとも、過去に植民地支配を免れた日本の子どもたちにとっては、「植民地」というのはイメージできにくい概念である。土地調査事業と朝鮮教育令によって、日本は、韓国民衆の土地を奪い、言葉を奪っていったことの中身を知る。また、当時の国際情勢は、欧米列強による帝国主義のぶつかりによる第一次世界大戦と、植民地民衆をはじめとした各国民衆の抵抗運動が活発になった状況がある。韓国における三・一独立運動もその一環としてとらえることができる。この運動が戦争でもなく革命でもない非暴力不服従運動であったことに注目させたい。被差別民衆は、黙って現状を甘受していたのではなく、常に抵抗を続けていたことを知らせたい。

D 1920年代の朝鮮の状況(6頁〜7頁)
 ここでは、1923年におこった関東大震災と朝鮮人虐殺を中心に学習をする。なぜ、震災直後に朝鮮人に対するデマが広まり、一般人による朝鮮人虐殺という事態を引き起こしたのかということについて考えていく。この事件は、日本政府の意図的な策動によるものと考える。1918年に日本全国で起こった米騒動としての民衆の蜂起を、日本政府は軍隊出動によって取り締まっていく。民衆にとって軍隊は、自分たちを守ってくれる存在ではなくなった。そうした民衆の不信感を拭うために、震災における朝鮮人暴動のデマは政府によって利用されたと見る。震災直後のパニック状態に、民衆が頼るのは、軍隊しかないという状況を作り出したのである。こうして再び民衆と軍隊とは一つになって、反政府を取り締まる治安維持法を成立させる背景となり、侵略戦争への道へと進んでいった。

E 15年戦争と強制連行(8頁〜13頁)
1931年満州事変に始まる中国侵略戦争において、日本は国家総動員法を制定し、民衆を戦時体制に動員していく。それは、日本国民だけでなく植民地であった朝鮮半島の人々にも有無を言わさずより強引な強制連行という方法で戦争強力を強いていった。朝鮮人としての名前さえ奪う創氏改名によって日本人に仕立て上げ、日本人よりも苛酷な労働を強制していくことになる。戦時体制における日本民衆の「ぜいたくは敵だ」「ほしがりません勝つまでは」との標語に象徴されるような極貧の生活は、語り継がれる機会があるが、強制連行の具体的な状況については、ほとんど知らされることはない。1980年代に実施された強制連行実態調査によって掘り起こされた一つ一つの事実に、出会わせなければならないことを痛感する。10頁〜11頁の松茂飛行場建設に強制連行による朝鮮人労働者の苛酷な実態を、私たちは知っておかなければならない。中国侵略戦争と同時進行の第二次世界大戦、太平洋戦争戦争によって、とかく日本人だけの被害者意識ばかりが語られるのだが、日本が、朝鮮をはじめアジアの人々に何をしたのかという加害の側面を見据えていくことによって、戦争というものの本当の実態が明らかになる。このことは、1945年の広島・長崎への原爆投下による被爆の現実を、被爆したのは日本人だけではないという事実に向き合わせることによって、可能となる。それは、私たちが、反戦・反核・反差別の問題を日本だけでなく国際問題として訴える説得力となるものと考える。  

F 日本の戦後と在日朝鮮人問題を考える(14頁〜17頁)
戦前の日本の植民地政策によって在日させられ、敗戦を境にして、戦後の在日する朝鮮人たちの法的地位がどう変化していったのかを整理し、今も課題として残されている在日朝鮮人問題が生じた経過を知らせていく。1952年の外国人登録法と出入国管理令の意味するものは、在日朝鮮人にとって日本からの排除による諸権利の剥奪であり、在日朝鮮人が帰化することによって日本国籍を取得しなければ、生きにくい日本社会となることを確認する。こうした日本社会の矛盾に満ちた現状を認識することから始めなければ、自らの社会的立場は確立しないばかりでなく、今後、在日朝鮮人をはじめとするアジアの人たちと出会っていくなかで、心の奥底の叫びを聞きとる感性は育たない。

Gアジアの歴史教科書から(18頁〜19頁)
日本の子どもたちが手にしている歴史教科書の太平洋戦争についての記述とアジア各国の戦争記述を比較してみる。日本の歴史教科書の記述には、具体性がなく、アジアや日本民衆の立場からの記述がされていないことは、子どもたちでも簡単にわかるはずである。


2.『21世紀・在日コリアンをめぐる状況』(2003年作成資料)について

 『人権学習ノート』の実践から10年が過ぎ、在日コリアンをめぐる状況にも、少なからず変化した。この『21世紀・在日コリアンをめぐる状況』は、10年の歩みを埋めるべく作成した学習資料である。
 この学習資料での実践は、これからであるが、おさえておく課題は、次のとおりである。
@1950年に制定した国籍法が、1985年に日本が国連女子差別撤廃条約に加入する ことによって、同年に国籍法が改正されたされたが、なお課題を残していること(2頁)
A1992年と2000年に改正された外国人登録法によって、指紋押捺制度は廃止され たが、外国人登録証の常時携帯義務はなお残っていること(3頁)
B1971年日立就職差別裁判の経過と判決、20年後の朴さんの厳しい民族差別の状況 に重なる就職差別の現状(4頁〜5頁)
C公務員採用に「国籍条項」で門戸を閉ざす日本政府による在日コリアンをはじめとする 外国人に対する排除と同化の政策の存在、その撤廃に向けての動きと参政権を求める動 きの現状(6頁〜7頁)
D1994年に制定された被爆者援護法の本質と在外被爆者による裁判闘争と判決から学 ぶこと(8頁〜11頁)


3. 実践を振り返って

 「わいら、何でこの本で勉強せないかんの?」と、被差別部落に生きている男の子が社会科の時間につぶやいた言葉が、胸に突き刺さった。日本の歴史教科書の内容は、部落史研究の成果が反映された記述がされていないばかりか、近現代史の記述では、日本がアジアをどう侵略したかが明確にされていないものが多い。私が彼に貸した教科書は、描写力の豊かな彼の手で、歴史上の人物も愉快な姿に変身して返ってくる。歴史上の人物の本当の姿は、どうなんだという彼の問いかけのように感じた。歴史認識の問い直す取り組みが学年全体に始まった。
 お札の人物の実態を学習後、子どもたちは次のような意見を述べた。
・汗を流して働いてもらったお金で、民族を差別した人の顔を見なければならないのは、 つらいことです。日本は朝鮮に対して償おうという気持ちが一つもない。在日朝鮮人を 同じ日本に生きる人間として見るべきです。
・日本のお札にもなった人だから、私はとても偉いことをし、良いことをしていたと思っ ていたのに、実は朝鮮を侵略しようとしていたなんて、信じられません。なぜ、そんな 人が、日本のお札になったのでしょう。
・朝鮮人を差別するような人のお札は、廃止すべきだ。
そして、韓国併合によって土地を奪い、言葉を奪い、名前を奪い、生命までも奪っていった状況を学習したとき、教室の空気が、何度となく重たくなった。想像を超えた卑劣なやり方に、子どもたちは言葉を失った。「日本人であることが、こんなにも恥ずかしいと感じたことはなかった。」と、ある子がつぶやいた。
 長崎への修学旅行で、当時、長崎県朝鮮人被爆者協議会長の朴玟奎さんの聞き取りをした。「アンニョン ハシムニカ」で始まった朴さんの話は、強制連行によって日本に渡ってからの被差別体験、自ら被爆しながらも同胞を捜し続けた状況を、せつせつと私たちに訴えるものであった。聞き取りを終えて、ロビーにいる朴さんに彼が駆け寄ってきた。「先生、ぼく、朴さんに言いたいことがある」と私にことわり、自らを表現することをあまり得意としない彼が「朴さん、がんばってください!」とあふれる思いの一言とともに手を差しだし、朴さんと握手した。
 修学旅行から帰り、一人ひとりの朴さんへの手紙を文集に編集した。表紙デザインと題字「二度とさせない戦争」は、彼が考えデザインしたものである。そして、彼が朴さんに宛てた手紙には「ぼくは、朴さんの話を聞いて、よく勉強になりました。本当はアメリカ人も悪いけど、日本人も悪いのではないかと思う。でも朴さんは、そんな日本人を恨んでいないと言ってくれた。なんて優しい人だと思った。よそ者だと言って差別するなんて、とても自分が日本人として悪いことをしてしまったなあと思った」と書かれてあった。同じ日本人として、彼は自分自身から朴さんに詫びた。また「長崎で亡くなった人々は日本人だけではなかったことを知り、ほくは今まで日本人だけしか見ていなかったことに、その時気づいた。」と語る子もいた。
 学習を終えて「ぼくは今、ただ単に学校にいる。勉強は好きではないので、ボーッとしてみたり、あくびをしてみたり。でもそんなこと朴さんの話を聞いて、もうできそうにないと思った。」と語る子もいた。学ぶことの大切さに気づき始めた。
 そんな子どもたちのアジアの人たちとの出会いは、すでに始まっている。日本に生きることを余儀なくさせられた人たち、夢を抱いて日本に来ているアジアの人たちにとって、落胆する日本であってはならないはずだ。社会科教師であり、同じアジア人である自分にとっても、過去の差別と抑圧の歴史を学ぶことによって、どう生きていくのかを共に求めて生きたい。 

4. 新たな実践と21世紀への展望

 不十分ながら自分自身に問いかけつつおこなった実践である。この機会に多くの方から検討していただければありがたいと思っている。『21世紀・在日コリアンをめぐる状況』の学習資料については、これからの実践のための資料として活用していきたい。
 在日コリアン問題について、排除の障壁は徐々に崩れつつあるけれど、まだまだ課題も多く残されている。それは、通名で生きている在日コリアンたちが多くいることが、日本社会の差別性を訴えていることの証である。従軍慰安婦問題、在日コリアン障害者に対する障害者年金未支給の問題、参政権の問題、結婚差別問題など、学習資料として取り上げられなかった問題も多い。今後の自らの課題として捉えて生きたい。
 21世紀において真の意味で鎖国日本からの開国をめざしていくのは、日本に生きて権利保障を当然のこととして享受している私たち一人ひとりが、社会のなかに潜む差別意識につながる排除と同化の意識を変革していく営みを続けていくことにつきる。目の前の子どもたちには、目を閉ざされ耳を塞がれがちの状況がある。情報の氾濫する社会において何が本当で、何が嘘かを見極める判断力は、過去の歴史が教えてくれている。社会科教師として、共に生きる人間として、自らにも問いかけながら教育実践を進めていきたいと考えている。






 


2010-11-26 04:54 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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