ツイッターより(2010年11月24日)

 産経報道後、ご心配をいただいている方に。市民チャリティマラソン、消防特別点検など週末の地元行事を淡々とこなしていますので、ご心配なく。「それが怪しからん」と言う人がいるのも予想の範囲内です。ネット社会の恐さと同時に、支持者の皆さんの有難さをかみしめています。

(2010年11月21日付)

 日本武道館で開かれた「自衛隊音楽まつり」に行きました。間がよくなかったのは確かですが、前から招待されていた予定を私から欠席するのでは気合いが足りないと思って出席しました。防衛省の幹部や同僚議員たちからも励まされ、また演し物の素晴らしさもあって、ここ数日の憂さも晴れました。

(2010年11月20日付)

ツイッターより(2010年11月15日)

 消防点検という行事があります。消防団の皆さんが服装や装備・操法等について点検者である市長・町長の観閲を受けるのですが、国・県・地域の議員にも案内があって参加します。消防団員は今でいう「新しい公共」の範疇で意義深い活動ですが、就業形態や生活様式の変化への対応の難しさも感じます。

 14日は、吉見町・嵐山町・ときがわ町、先週は坂戸市・鶴ヶ島市と滑川町、そして21日に東松山市と続きます。規模も人員も違いますが、皆、真剣さが伝わってきます。

(2010年11月14日付)

 広報委員長代理として、今、大塚耕平委員長が進めている「広報改革」の仕事を進めています。野党時代の党広報と、政権党になっての党広報では意味も狙いも重要度も違うという考えの下、種々の媒体の刷新作業が必要だからです。ここ数日、国会・内閣・党の役職を一覧する資料作りに腐心しています。

(2010年11月12日付)

ツイッターより(2010年11月11日)

 3日のツイート内容について「議員の立場として思わせぶりな発言は如何なものか」とご批判がありました。日々刻々と進捗する事象について、当事者ですから書けないこともあります。それを支持率低下の原因と決めつけられても…。全員から賛同されることは望みませんが、ちょっと悲しい思いです。

 と、前フリした上で新たな「思わせぶり」発言をすれば、今日、ある議連の運営に納得がいかないことがありました。この一事に限らず、政権交代以前から掲げ続けてきた旗を次々におろし始めているように感じられてなりません。私たちも戸惑い、思い迷いながら日々の活動をしているのです。

(2010年11月10日付)

 8日の19時から埼玉県連主催のパーティーが浦和のロイヤルパインズホテルで開催されます。それに先立ち、常任幹事会、幹事会、18時から榊原英資氏の記念講演がありますので、半日、浦和にいることになります。去年は月曜夕刻に副幹事長・委員長代理会議があり、大幅に遅れてしまいました。

(2010年11月8日付)

ツイッターより(2010年11月8日)

 昨日(5日)は忙しくて大変だったと言うと、皆さん、「ああ、流出ビデオで」と思われるようですが、さにあらず。文部科学関係の会議が4つ重なったためです。その他に「お茶」と「お米」があり、広報委員会の仕事を2つこなし、地元に戻ったのは零時を回ってしまいました。

 「お米」とは、猛暑で埼玉銘柄の「彩のかがやき」に甚大な被害が出たことへの対策について、県連所属議員とJA埼玉中央会が協議しました。私の埼玉10区はコシヒカリが大半ですが、彩のかがやきが多い県北と東部は深刻です。農水省が共済適用を指示するなど、県連の初動の対応は評価されています。

 文部科学部会でノーベル化学賞の根岸英一先生と意見交換の場を設定しました。根岸教授は大学で応用化学を専攻して帝人社員でしたが、川端前文科大臣は化学工学を専攻して東レ社員。「末は博士か大臣か」と言うと前時代的でしょうが、根岸先生も「夢」を持つ大切さを力説されました。

 根岸教授は色紙に、Pursue your lofty dream with eternal optimism! と書かれるようです。大きな夢を持ち、努力を続けること。民主党政権の現状に対する言葉のようにも感じるのは私だけでないでしょう。もちろん、「僕には夢がある」を意識して。

(2010年11月6日付)

ツイッターより(2010年11月5日)

 今日も殺人的スケジュール。部会に打合せに政調拡大役員会(2回)。国会見学を追いかけ代議士会、本会議に出席し、陳情と来客が計5組。合間に電話が入って、文書を作って、書類の決裁をしたら、もう日が暮れました。

(2010年11月4日付)

 地元の商工祭に出席した後、入間基地の航空祭。書かなくてはならない「事件」もありましたが、まだ進行中なので控えます。上京して今は議員会館の自室で、事務室の使い勝手を少しでも良くするために、レイアウト変更のプランを練っているところ。夜は広報委員会の仕事で数時間コースの見込み。

(2010年11月3日付)

ツイッターより(2010年11月2日)

 党の広報委員長代理に再任されたことは既報しましたが、その関係で今日の19時から約30分、党のインターネットテレビ「スタジオ民主なう」に出演することになりました。党本部の専用スタジオからの生中継です。

http://www.ustream.tv/channel/dpj-channel/

(2010年11月2日付)

ツイッターより(2010年11月1日)

 バス旅行の見送り、敬老文化祭2か所、更に書道展と美術展に行きましたが、書道家を前に筆で芳名録に記名するのは勇気がいる行為です。作品を拝見して心が洗われる気分になるのはいつものことですが、草書体が読めない場合もあります。文化芸術も所管する立場としては少し恥ずかしい思い。

9月に財務副大臣に就任した五十嵐文彦代議士の地元パーティー。埼玉9区内4市2町の全首長が出席で、わが10区とは大違い。私の挨拶は「4半世紀前、小沢鋭仁前環境大臣を含め政策勉強会をしていた仲。兄貴分の五十嵐さんは一番先に大臣になって不思議ないのに、私と同じく選挙は強くないので…」

(2010年10月31日付)

衆議院文部科学委員会の田中真紀子委員長は、多数を擁する民主党を代表して委員長に選任されているのですが、自民党の理事も認めるほど政府と与党に対して厳しい委員会運営をしています。3日前は大臣の答弁に、昨日は副大臣の中座について苦言が。与党委員は皆、緊張して委員会に出席しています。

(2010年10月30日付)

ツイッターより(2010年10月27日)

広報委員長代理に再任することが、26日の常任幹事会で決まりました。大塚耕平委員長は野党時代に広報を担当したことがあり、内閣府副大臣から党へ戻って、新しい与党広報の姿を追求していくことになります。同時に足立信也代理と18人の委員長補佐も決まり、早速、初回の打合せをしました。

9月に党役員人事が一新されて広報委員長代理から離れましたので、再任は意外でした。大塚委員長に「先の代表選で札つきの小沢支持だったけど構わないんですか」と聞き返したくらいです。「広報改革」の大塚構想は壮大な実験になりますが、意を得たものばかりです。焦らず着実に成果を挙げられれば、と思います。

(2010年10月27日付)

週末は地元。体育祭シーズンが終わって今週は文化祭や展覧会系が多く、11月は消防点検に商工祭など。埼玉10区には3市7町ありますから、この掛算は大変です。そういえば昨日、陶芸展で先週の『鑑定団』に出た方と会いました。結果は、その瞬間は居眠りして見なかった、ことにしておきます。

(2010年10月24日付)

ツイッターより(2010年10月22日)

9月29日に文部科学部会の座長に就任したとき、前任者から引き継いだ案件の中に難題が一つありました。それから3週間、慎重に、周到に事を進めて漸く決着しました。けさ、政調会長が文科大臣に会うことで、取りあえず私の仕事は終わり。

(2010年10月22日付)

8時文科部会、40分文科内閣合同、10時大臣所信、11時記者ブリーフ、11時半政調会長代理に報告、1時文科コアで意見聴取、2時半大塚広報委員長、3時文科理事で法案レク受、30分与党理事懇、4時国交部会、5時農水省TPPレク受。文科部会の座長なので本務中心の一日でしたが、ふうー。

(2010年10月20日付)

ツイッターより(2010年10月20日)

 今日の衆議院本会議で凄い人事が決まりました。検察官適格審査会委員に川内博史議員と辻惠議員が選任されたのです。慣例で、各会派が出してきた候補者を議長が指名するのですが、「よくぞ」と思いましたね。隣席の自民党議員もブツブツは言っていましたが、「反対しなかったよね」と釘を刺しました。

 川内博史議員は民主党の「取調べの全面可視化を実現する議員連盟」の会長、辻惠議員は同連盟の事務局長です。冤罪事件を防止するために、相次ぐ検察不祥事や村木局長問題が表面化する以前から、精力的に取り組んできました。その両巨頭ですから、まさに適任。

(2010年10月19日付)

ツイッターより(2010年10月18日)

 チリの落盤事故。33人の生存が判った時、地元東松山市の高坂商工会が救出を待つ彼らへの応援メッセージを込めたTシャツを製作、売り上げをチリ大使館に寄付しました。その思いは確実に伝わり、大使館員の皆さんがそのTシャツを着て歴史的瞬間を迎えるTV映像が流れました。草の根交流の成果。

(2010年10月17日付)

 また訂正です。「30.9歳」が「33.91歳」になったかと思えば、今度は「34.55歳」に。バラバラだった年齢計算日を議決日に統一した結果と言い訳していますが、もはやこの検察審査会の事務能力は信頼に値しません。その事務局が関わった議決も同様、です。

(2010年10月15日付)

ツイッターより(2010年10月14日)

 私が座長を務める政策調査会の文部科学部会に、ノーベル化学賞の受賞が決まった鈴木章先生(北大名誉教授)をお招きして教育と科学技術研究についての意見交換。効率重視の小泉路線で置き去りにされた分野を再興したいというのが民主党の方針ですが、逆方向の誤解を受けているのが残念。

 昨年の事業仕分けで、「一番でなくてはダメ」なのかのみが論点になってしまいましたが、予算を減らしてきたのは小泉さんの構造改革路線です。子どもたちの理数能力の低下も、志望の減少も、教育政策の失敗が原因なのです。その改善を、どの分野から集中投資していくかが問われているのです。

 鈴木先生の受賞を、街の声は「日本人の能力の高さを示した」と喜びましたが、そうも言えません。先生は60年前に教育を受け、30年前の業績を今、評価されました。現在の学生の大半は、世界に冠たる教育を受けてきていないのです。この状況を変えなければ「教育立国」は再現できません。

(2010年10月14日付)

 朝刊を見てビックリ。例の検察審査会の審査員11人の平均年齢が「30.9歳」から「33.91歳」に訂正されたというのです。37歳の審査員を足し忘れたためと説明されていますが、仮に単純ミスとしても余りに杜撰すぎます。まあ、一事が万事なのでしょうが。

(2010年10月13日付)

ツイッターより(2010年10月12日)

10月11日の朝は体育祭、午後は月曜クラブ。月曜クラブとは、毎月、私を応援して下さっている方々と約2時間、じっくり意見交換するフォーラムです。9月は代表選挙の最中5日に実施し、私がなぜ「小沢さんを支持するのか」を聞いて頂きました。70人の参加者のうち、5〜6人以外は小沢支持で一致しましたが…

(2010年10月11日付)

月曜クラブ80人の参加者の大半は、もう代表選挙のことより先の課題をという意見。賛成ですが、権力闘争なら結果が出て終わりで済んでも、政策で競った以上は違いが出てしまうのも理。しかし私は党人ですから、与えられた枠内で全力を尽くすのは当然。現任の文部科学部会座長の職責を果たします。

(2010年10月12日付)

ツイッターより(2010年10月10日)

週末は地元行事が沢山ありますが、雨天だと中止や順延になるものもあって、再調整が一苦労です。それでも声がかかるだけ幸いで、落選と当選、比例と小選挙区、野党と与党など種々の要因でその差が大きく出ます。したがって忙しいのは有難いことで、毎日、感謝の連続です。

(2010年10月9日付)

超党派の映画議連主催『桜田門外ノ変』の試写会を観ました。会場の憲政記念館は井伊直弼邸の跡地です。幕末はテロと弾圧、維新後は変革と反革命の相克があって近代化が達成されていくのですが、いつもながら歴史の中の個人という命題に深く思いを至しました。小沢さんの会見直後でしたし…

(2010年10月8日付)

ツイッターより(2010年10月7日)

これから代表質問の本会議です。船長釈放問題だけでも大変なのに、4日の起訴議決がありましたから猛烈なヤジに見舞われること必至です。前にHPには書きましたが、本会議場の私の議席は自民党議員との境界に近く、声の大きいヤジ将軍が何人もいるのです。

(2010年10月6日付)

菅総理の答弁演説。民主党議員席から拍手がほとんど起こりません。どうして? 私はたまりかねて、菅さんが「ムダを根絶する姿勢は民主党議員全員が共有している大方針だ」と言ったとき、「その通り」と叫びました。ところが民主党席はやっぱりシーン。どうして?

私は不安になって周りの同僚議員たちに「間違えた?」と聞きましたが、「大丈夫」との答え。自民党席は谷垣総裁と稲田朋美議員が質問に立つと、盛んに拍手。菅さんの答弁にはヤジの嵐。民主党席の半分は菅支持なのだから、もっと堂々と戦い、張り合って激励すればいいのに。

(2010年10月7日付)

ツイッターより(2010年10月6日)

 検察審査会の議決は、半ば予想し半ば驚きでした。検察とマスコミによって作られた世論が跋扈している以上、「起訴に至らず」を望むのは百年河清を俟つたとえの通りでしょう。それにしても9月14日に議決とは何という日程設定でしょうか。「政治情勢に無関係」を装っているに過ぎない欺瞞!

(2010年10月5日付)

ツイッターより(2010年10月4日)

秋晴れの下、朝から体育祭が3つ。準備体操も3回続けると結構な運動量。テントを回ると、話題は代表選挙、テレビ出演、そして尖閣諸島。例の検事の証拠改ざんも含めて、代表選後に「小沢政権」への期待も高まってきた感じです。昼すぎ、高校生フェスティバルに参加して、元気を貰いました。

(2010年10月3日付)

大阪地検特捜部の前部長と前副部長が逮捕。現場の検事が「村木元局長は無実」と確信したのに、その主張を封殺したのだから大犯罪です。証拠を改ざんしてまで人を罪に陥れて省みない傲慢な体質が内部告発で明るみに出たことが、せめてもの救い。根が深い事件という本質を決して忘れぬよう。

(2010年10月2日付)

八ッ場に関して、フジテレビは2日の0時40分頃の「ニュースジャパン」で、また湖面2号橋の丁字型の橋脚の映像を使っていました。今、それをオンエアするのは事実と相違しているのに、どうして無頓着なのでしょうか。

(2010年10月2日付)

船長釈放問題(2010年9月27日)

 船長釈放問題につき、松原仁代議士を始めとする民主党有志議員の「緊急声明」に賛同しました。全体像の「詳細不明」は変わりませんが、那覇地検と官房長官が明言したごとく地検の独断的政治判断ならば(もちろん事実は違うとの疑いはあります)、議会制民主主義の根幹に関わる大問題だからです。声明は何本かありますが、現時点で私が賛同した部分を下記に掲げておきます。(9月27日声明の前文3行以外)

 

 尖閣諸島がわが国固有の領土であることは疑いがなく、かつわが国は永年にわたって実効支配を行っており、そもそも領土問題は存在しない。こうしたことを踏まえると、今回の事件の処分にあたり、他国からの発言や行動を考慮に入れる必要は法理上一切ない。

 今回、中国人船長が「処分保留」で釈放されたことによってこの件の捜査は実質的に中断され、近い将来「不起訴」となることが予想される。しかし、容疑者の身柄を拘束し、その上で勾留を延長したということは、容疑者にそれ相応の違法行為があったと検察が判断し、刑事訴訟法第208条の「やむを得ない事由があると認め」たことによるはずである。にも関わらず、「国民への影響や今後の日中関係も考慮すると、これ以上容疑者の身柄拘束を継続して操作を続けることは相当ではないと判断し(鈴木那覇地検次席検事)」、急遽釈放するという那覇地検の判断は、刑事訴訟法第248条の「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」とある要件に該当せず、法理的には適当ではない。

 すなわち、外交問題を一つの理由とする今回の判断は、刑事訴訟法の範疇を超える政治的判断であり、検察の権限を大きく逸脱した極めて遺憾な判断といわざるを得ない。このような決断が検察庁の独断によって行なわれることは、国民が選んだ政治家が国益を踏まえた政治的・外交的決断を行なうという、わが国の議会制民主主義の原則を大きく揺るがすものである。

 われわれ民主党国会議員有志は「処分を保留し釈放」の判断を下したことに強く抗議すると同時に、今後、尖閣諸島近辺でのわが国の漁船などの船舶の安全、諸資源の確保に万全を期すための諸制度・法律の構築をめざす。もとより中華人民共和国からの謝罪と賠償の要求は言語道断であり、「一切応じない」という政府の判断を強く支持する。その上で、立法府に与えられたあらゆる権限を駆使して、真相の究明ならびにわが国の国益にそったあらゆる対応を今後行う決意である。

(以上)

八ッ場ダムの湖面2号橋(2010年9月27日)

八ッ場ダムの現地に行ってきました。マスコミは頻りに「湖面2号橋」の丁字型の橋脚を映して、中止の理不尽さを訴えていましたが、この橋は既に完成しているのをご存知ですか。姑息な世論操作でしょう? だから写真を撮りに行ったのです。情緒論を排し、不要なダム本体をどうするかの議論に特化するのが最善でしょう。

陽当たりのいい住宅地も出来上がり、移転済みの人もいます。造成工事で活気に満ちている部分と、さびれた川原湯の温泉街という落差に心が痛むのは当然です。生活再建というより、地域再建に早く注力できればと思います。

湖面2号橋は、ダム湖の対岸になってしまう川原湯地区と林地区を結ぶ県道付替工事の中核で、去年9月以来、「ここまで進んでいるのに」という中止反対の感情を象徴する存在でした。しかし、本体以外は進める方針は変わらず、実際、工事を続けて完成させたのです。現状を正しく認識するために現在の写真をご覧ください。

八ッ場ダムの湖面2号橋の写真

「プレス民主」の編集後記も最後です(2010年9月22日)

 副大臣・政務官、三役以外の党人事も続々と決まっています。私は当選2回組ですから今までは対象外。国会の理事や党の委員長代理あたりが適当なところですが、小沢支持が目障りだったでしょうから今回は無役かも。従来の広報委員長代理は9月24日号の「編集後記」を書いて、既に職務は終了しています。後記の中身は下記のとおりです。

 本欄担当も最後です

 猛暑と集中豪雨に見舞われた今年の夏。天候の異変は、古来、為政者の失政への警鐘とされてきました。科学の知見が行き渡った今日、信じる人もないでしょうが、政治にたずさわる者すべての自省と自戒の契機とすべきかも知れません。

 あの「政権交代。」の原点に戻り、挙党一致で「改革続行」を。

 政権党になって初めて迎える大幅な人事異動。広報委員長代理も交代ですが、本号は後任決定までの職務執行で担当しました。

(『プレス民主』2010年9月24日発行 240号)

民主党代表選結果(2010年9月14日)

 民主党代表選挙の結果はご承知の通りです。議員票が小沢候補200 vs. 菅候補206で、負けとはいえイーブンだったことが、せめてもの救いです。半分はいわゆる世論との乖離を自覚しながら、それでも、政策本意で選ぶ気骨があったということですから。

 全体の結果は、ポイント数では491 vs. 721でしたが、この差の理由は300ポイントの小選挙区集計が51 vs. 249と大差をつけられたからです。生の得票数は90,194 vs. 137,998で、小沢票の得票率は39.5%、地方議員の40 vs. 60と殆ど同じでした。

 残念だったのは、埼玉10区が365 vs. 369で4票差で1ポイント取れなかったこと。埼玉の15小選挙区のうち、中野譲代議士の14区だけポイントゲットですから仕方ないことは仕方ないとはいえ、10区総支部としては、面目ない結果でした。

代表選の投票に臨んで(2010年9月14日)

 運命の日。日本の、そして民主党の明日が、午後2時からの党大会で決まります。私自身は、小沢一郎選対の活動に全力を尽くしきったと自負していますので、いかなる結果であろうと、また元の静かな日々に戻ります。

 昨年の国政復帰後、私は国会・党と地元以外の活動はなるべく控えていましたが、今回の選挙ではラジオ・テレビ番組計10本に出演しました。ラ・テは昔取った杵柄(きねづか)です。それが陣営にとってプラスになると選対が判断し、要請されれば順うのが当然です。でも、戦いが終わって平時に戻れば、私の活動も日常に戻します。

 10時半から開かれた拡大議員班会議を終えて、余すところ2時間たらずです。

代表選挙は新会館の初仕事(2010年9月10日)

 代表選挙も目前に迫り、党所属の国会議員たちが両陣営さらには中立に分かれて、諸々の活動が繰り広げられています。

 その舞台は8月に移転が完了した新議員会館です。旧会館の狭い議員室は日常の打合わせにも不便でしたが、今回は各グループの会合や総決起集会すら、館内で開けました。

 豪華すぎるとか広すぎるというご批判もありますが(自民党政権時代に決まったこと)、完成した以上は有効に利用すべきです。

(『プレス民主』2010年9月10日発行 239号)

最終日の国会で…(2010年8月6日)

 今日は臨時国会の最終日。いつもながら会期末には独特の雰囲気があって、緊張感が走っています。議員も秘書も国会の事務局職員も、みんな時計を気にしながら、新しい議員会館の中を迷いながら走り回っています。この建物、動線を無視して設計されているとしか思えません。

 それにしても忙しい。朝から昼までに、自分で出席した会議だけで8つもありました。7時半の経済産業省税制改正ヒヤリング、8時半から防衛部会(正しくは部門会議)、9時から文科部会。10時半から文科理事会、40分から文科委員会。11時から「マニフェストの原点に帰る」集い。11時半に議院運営委員会の図書館小委員会。

 同じ11時半からのスポーツ議連で、7月に初当選した谷亮子さんの会長就任が決まりました。引退した田名部匡省前参議院議員(元・全日本アイスホッケーの監督)の後任ですが、決定までに多少の意見が出たので、明日のスポーツ紙やワイドショーはこの話で賑やかになるでしょう。

暑い夏の熱い戦い(2010年7月27日)

 臨時国会の召集が30日(金)に正式決定、29日午後には民主党の両院議員総会も開かれます。参院選後、その結果の大きさゆえに膠着していた政治が、ようやく動き出します。といっても本格的には、9月の代表選挙後を待つというのが今の永田町の雰囲気。嵐の前の凪の静けさが漂っています。

 反対に、地元は暑い夏の熱い戦い――東松山市長選挙が始まっています。28日(水)午後6時半から、環境大臣の小沢鋭仁衆議院議員が応援に駆けつけます。東松山市の「松山市民活動センター」(旧中央公民館)で、もちろん私も演説をする予定です。

週末は夏祭り(2010年7月25日)

 この週末は各地で夏祭りと盆踊りのラッシュです。その中で小川町の七夕は埼玉県下でも有名な、大きな催しで、2日間で6〜70万人の人出が見込まれています。ここで屋台(山車)の出発式に参加して鏡割をしたあと、坂戸、鶴ヶ島、東松山と回りました。

 東松山も大きなお祭りです。去年は事務所前に置いておいた「政権交代。」のシールが、瞬く間に3〜4千枚はけました。ところが今年は8時頃から豪雨になって、目抜き通りの私の事務所は雨宿りの若者たち3〜40人がスシ詰め状態に。騒ぎが終わってみれば、これまた思い出に残る夏の夜となりました。

県議補選は江野さん当選(2010年7月23日)

 私の地元では参院選に続いて2つ選挙があります。23日(金)告示の県議補選(東松山市)と、25日(日)告示の東松山市長選挙です。県議補選は10年来の盟友江野幸一さんを友情支援、市長選挙は現市議の松坂喜浩(よしひろ)さんを推薦しています。

 県議補選の江野さんを推薦でなく友情支援にとどめたのは、そうすれば無投票になる(或いは有力対抗馬が出ない)可能性が高かったからです。案の定、届出の事前審査段階では江野さん一人でした。市長選の松坂喜浩さんには、民主党だけでなく連合埼玉やボッシュ労組も推薦しています。

 江野さんは、23日、無投票当選が決まりました。出陣式には自民党の前代議士や県議もいて呉越同舟でしたが、午後5時に無投票が確定し、候補者が1日だけの街宣活動から帰着した後の当選報告会にはその姿は無し。どうして? ちょっと不思議。

お中元で市議が失職(2010年7月22日)

 埼玉県の所沢市議の1人(民主党ではありません)が、2,500円のお中元を配って公職選挙法違反に問われ、最高裁で有罪が確定して失職しました。以前、自民党県議が5,000円相当のサラダ油セットで失職しましたが、要するに金額ではないということです。

 私自身がこのような違反を犯すことはあり得ませんが、それでも最初の頃は、社会慣習とのギャップに悩みました。知人、恩ある方々を訪問する際のちょっとした手みやげやお祭りの寄付も違反だからです。お通夜にも葬儀にも行けない時、お香典を妻に託す事もできません。

 本人持参に限るからです。しかも、本人が後日弔問しても、お香典を差し出せば違反になります。趣旨は、それを認めれば際限なく現金授受が広がるからです。金のかからない選挙の為に正しいとはいえ、規制を知らない方々からは「礼儀知らず」と思われてしまいます。

本当に民主党政権?(2010年7月17日)

国家戦略局を断念? 概算要求基準(シーリング)を復活? え、これって本当に「民主党政権」なの? まるで「財務省政権」じゃないか。いったいどうなっているのか、不可解な事ばかり起きます。

前回の参院選の後、当時の小沢代表は福田首相と大連立構想を進めて大騒ぎになりました。選挙に勝っての政権交代を描いていた幹部たちは「民主党には政権担当能力がない」との危惧に反発したものでした。しかし今、民主党は国民から受けている負託の意味を、真摯に冷徹に見つめ直さねばなりません。

正確には、小沢代表は「政権担当能力がないと思われている状況」と言ったのですが、今となっては言葉の綾を論う必要もありません。鳩山・菅の2代にわたって、大きな期待を受けては早期に支持を失ってしまった事実の重みを、民主党の一員として厳粛に受けとめています。

硫黄島の遺骨収集(2010年7月16日)

 菅総理が硫黄島の遺骨収集を強化する決定をして、厚労省・防衛省など関係省庁に指示をしました。南溟の孤島に戦後65年も放置してきたままだった問題ですから、シベリア抑留補償と同様、こういう課題が民主党になって進むことを、世論も正しく評価して欲しいものです。「何も変わらない」でなく。

 硫黄島は私も2回、視察で訪島しました。高温高湿の壕内などの作業は大変な労苦を伴うでしょうが、しかし為さねばならない責任があります。私は、硫黄島を立入禁止の島とするのでなく、高校生などの研修施設を作るべきだと考えます。或いは、収集をすべての公務員や議員が分担するのも一案。

新議員会館への引越し(2010年7月15日)

選挙が終わって地元から上京したら、議員会館の廊下には段ボールがたくさん積み上げられていました。新しい建物が竣工して、今週末に移転するからです。豪華すぎると批判もされていますが、私にとっては書類と本の山から抜け出せるのが何より助かります。

新しい議員会館は、連休明けの20日(火)から本格稼働します。私の部屋は第2(国会裏、真ん中の棟)の11階、1112号室です。電話は衆議院代表が従来どおりの03-3581-5111番。内線71112 です。直通、FAXは今までと変わりません。

八高線と琉球・沖縄(2010年7月14日)

 群馬県境の神川町で開かれた八高線電車化期成同盟会の総会に出席。高崎から八王子を経て横浜の開港場を直線で結んだ街道は、絹の道といわれて近代化に貢献した歴史がありますが、単線・ディーゼル車輌のままでは宝の持ち腐れ。環境と移動権を重視する交通基本法をテコに、幹線化を目ざすべきです。

 夜は「琉球と沖縄という名称の由来」と題する講演を拝聴。それぞれに歴史的な意味と、対外関係の背景があって、深く考えさせられました。明治以降だけでも琉球藩、沖縄県、琉球政府、沖縄県と変遷しているのです。

参院選に敗北、改選第1党を譲る(2010年7月12日)

 参議院選挙の結果が出ました。昨年夏、「政権交代。」に期待して多くの票を民主党にお寄せ頂いた方々に、少なからず失望の念を感じさせてしまった結果が、この「44議席」だと思うと誠に申し訳なく、私からもお詫びを申し上げます。

 私の地元の埼玉県選挙区(定数3)も2議席獲得を目ざし、新人の大野元裕さんが当選したものの現職の島田智哉子さんが惜敗してしまいました。得票は2人とも55万票前後(3位の大野557,398票、次点の島田544,381票)で、票割りは芸術的でしたし、意図を理解して下さった支持者の方々に敬意を表しますが、敗れた陣営(私の埼玉10区は島田支援重点区)は当然ながら意気消沈します。責任は重点区割りを主導した県連でなく、10〜30万票の目減り*を招いた側にあります。

 2トップの辞任で得られた虎の子の支持率を、いとも簡単に放り出してしまった菅さん。なぜ? 判断ミスを止められなかった党と政府の中枢幹部は、全国の同志の声に、まず率直に答える必要があるでしょう。

 予想された結果が予想の通りに出て、きょうから政治が大きく動き始めます。

*04年の民主票は119万票、07年は141万票ありましたが、今回は計110万票。

政治を動かすダイナミズム(2010年7月1日)

 山岡広報委員長のもと、代理を続けます。

 鳩山前首相の退陣表明が6月2日。それから一ヵ月とは思えないほど劇的に、世も、世論も動いています。

 首相の交代に伴って支持率がV字回復するのは、世論調査の専門家には自明の理。もちろん、その効果が発現するには多少の条件が必要ですが、菅直人首相の誕生は完璧に近い出来ばえでした。

 偶然? それとも誰かの意図? 飛び交う諸説も、いずれ歴史が解明してくれます。

(『プレス民主』2010年7月2日発行 236号)

与党議員は待つのが仕事(2010年6月11日)

 国会が最終盤を迎えて緊張の度が増しています。野党から委員長の解任決議案が乱発され、議事日程が予定どおりに動きません。

 5月18日の本会議は13時の開会予定が20時40分に延び、25日は17時40分、27日は17時35分でした。私は議院運営委員もしていますので、正午の開会が小刻みに延びるのを、ひたすら待つのです。

「政治とは待つことなり」と喝破して議員は成長します。郵政法案に連立離脱。今日も長い一日が始まります。

(『プレス民主』2010年6月4日発行 234号)

「普天間」を猛省します(2010年5月29日)

5月28日、鳩山首相は沖縄・宜野湾市の普天間飛行場の移設先を「名護市辺野古周辺」とする政府方針を閣議決定しました。これに先立ち、署名を拒んだ消費者担当相の福島みずほ社民党党首を罷免。鳩山内閣は発足以来、最大の危機を迎えました。

昨年8月の「政権交代選挙」を前に、沖縄を訪れた鳩山代表は「できれば国外、最低でも県外」と明言しました。すでに完成していた民主党のマニフェストには記載されていませんでしたが、「代表の言ったことは党の公約と同じ」(小沢幹事長)ですから、言い訳は出来ません。

政権担当以来8ヵ月、鳩山首相が「辺野古以外」を模索してきたのは事実です。しかし、政府の責任ある立場の政治家たちが、力を合わせて鳩山首相の思いを実現しようと職責を全うしていたかについては、率直にいって疑問があります。私自身は、この分野の担当でも専門でもありませんでしたが、数多く開かれた沖縄基地問題の検討会に参加し、鳩山首相の側近として「密使」を務めた同僚議員に話も聞き、進捗状況に一喜一憂、というより次第に憂慮を深めていました。

したがって、鳩山首相の「腹案」が徳之島だとは早くから知っていましたが、首相自身が3月31日に「腹案がある」と答弁した後は、私の知らない別の腹案があって欲しいと祈るような気持ちでした。それも空しく、5月4日の沖縄訪問以降は、過去のそれぞれの時点で別の選択をしていれば、と思わざるを得ませんでした。

失敗を乗り越えて…、改革続行

普天間問題は政権交代以来、最大の失敗です。しかし、これで政権交代そのものの意義が薄れるものではありません。自民党およびその前身による政権が60年以上も続いて、政・官・業の癒着の構造にからめとられてしまった日本の政治。その淀みと澱(おり)を除去する大仕事は、まだ始まったばかりです。少子化は子育てや教育への投資を怠ってきた旧政権の失政の結果です。日本はもはや教育先進国ではありません。92年まで1位だった競争力も27位まで落ちています。商店街の不振もそうです。年金制度への信頼も損なわれました。受けられる医療にも所得と地域で違いがあります。農業は衰退し、食料自給率は先進国最低の40%です。格差が開き、世代で固定化し、天下り官僚だけに安心・安全な老後が保障されているのです。

自民党に政権が戻って、「事業仕分け」が継続すると思われますか。小党分立の多党化時代に逆戻りして、改革が続行できるとお考えですか。鳩山内閣は未熟ゆえに普天間で失敗しました。その他の幾つかの政策課題も、迷走しているものがあります。しかし、この失敗と迷走で「民主党政権」が見限られることを、一番喜んでいるのは旧体質の政治を復活させたい人たちなのです。

私たちは失敗を猛省します。だからこそ心を引き締めて、安定感のある強力な政権基盤を再構築して、改革を続行いたします。

全員の意見が一致するとき(2010年5月28日)

 往年の名著『日本人とユダヤ人』で「全員一致の結論は無効」とするユダヤの慣習法を知り、「和を以て貴しと為す」日本の青年だった私は衝撃を受けました。成熟した民主主義の下では全員の意見が一致する方が不自然との考えが新鮮でした。

 軍国主義全盛の時代に斎藤隆夫を除名してしまった帝国議会ですら7人の反対議員がいました。対日開戦を議決した米国議会でも、ジャネット・ランキンはたった一人で反対票を投じたのです…

(『プレス民主』2010年5月21日発行 233号)

世は連休。それでも議員は…(2010年5月7日)

 連休の前も後も、民主党議員は多忙です。目白押しの法案審議に加えて、1回生は事業仕分けの調査、2回以上はマニフェストの検討など朝から晩まで息つぐ間もありません。

 各省の政策会議は8時に始まるので、7時35分に宿舎を出るバスは超満員。9時から国会の委員会審議、1時の本会議を挟んで、また委員会。夕方には党の会議が3つも4つも重なる。その後に質問の準備…。連休が息抜きになる人は、ほとんどないでしょう。

(『プレス民主』2010年5月7日発行 232号)

礼に始まり礼で終わる美風は?(2010年4月9日)

 本会議場で議長を迎える時は、同僚議員は必ず起立します。退場の際も議席で立ったまま議長を見送ります。が、自民党はサッサと席を離れて出口に急ぐ議員が多いのです。

 最初は違いました。習い性で立ったようですが、今は誰が注意したのか立ちません。与党が与党慣れせず、野党も野党慣れしていない、と言われます。しかし、政権が変わったのですから、与野党ともに、礼に始まり礼で終わる美風を立てても悪くはないのに。

(『プレス民主』2010年4月2日発行 230号)

政権交代が断つ「惰性」の政治(2010年3月26日)

 日米安保条約や沖縄返還をめぐって、日米両政府が交わしていた密約が明らかに。というより、外務省が認めたことが政権交代の効果といえるでしょう。

 ライシャワー元大使らの証言や米側の公文書公開で明白なのに、最近まで安倍元首相も麻生前首相も否定していた空々しさが、映像とともに甦ります。

 余りに永く続いた自民党政権ゆえ、改めるべきを改めなかった惰性の政治。官僚の不作為。もはや他人事(ひとごと)とは言えません。

(『プレス民主』2010年3月19日発行 229号)

自民系も認める人材の豊富さ(2010年3月12日)

地元の体協の50周年式典で、茨城2区の石津政雄代議士が記念講演。知る人ぞ知る生涯スポーツの権威ですから企画は当を得ていますが、従来なら異例の人選。なにしろ聴衆の役員や議員はほとんどが保守系・自民系の人たちなのです。

その彼らが、魅力的な話に引き込まれた末の感想は、「民主党には人材が一杯いるね」と。「気がつくのが遅いよ」と言いたいけれど、それもこれも「政権交代。」の根底要因というべきか。

(『プレス民主』2010年3月5日発行 228号)

民主党議員は理系も多い(2010年2月26日)

国会では文部科学委員会の理事をしているので、今日も再生医学の次世代戦略の説明を聞きました。昨秋の事業仕分けの報道ぶりから、新政権の科学技術政策に懸念をいだく方もありますが、杞憂のようです。

民主党の中堅若手には医師や理学系・工学系の議員が数多く、政策会議も概ね専門的知見に基づいて進行します。第一線の科学者からも、旧世代の学界・学閥意識を超えた、より有効な変革への期待の声が聞かれます。

(『プレス民主』2010年2月19日発行 227号)

ヤジ将軍との戦いの現場(2010年2月12日)

 テレビや新聞でヤジへの批判が高まっています。議論の中身をよく理解しユーモアに溢れたヤジは、痛烈、辛辣でも議場に笑いをもたらしますが、品性を欠くだけものは、とても「国会の花」とは言えません。

 実は、本会議場の私の席は自民党席との境界にあり、総理や大臣の演説中、野党のヤジ攻撃の最前線になります。自民党には体格もよく声も大きいヤジ将軍が何人もいるので、まるで戦場のような雰囲気です。

(『プレス民主』2010年2月5日発行 226号)

党本部版『プレス民主』の編集後記を書いています(2010年2月1日)

毎月2回、党本部の『プレス民主』が発行されていますが、私は広報委員長代理として、その編集責任者となりました。そして年初から、最後の8ページ左下隅に、「編・集・後・記」を書いています。

 

政権党の機関紙として(2010年1月8日発行 224号)

小川敏夫広報委員長のもと、代理として『プレス民主』を担当することになりました。今まで「見て」「読んで」「配る」立場で感じていたものを、少しでも今後の紙面に反映できればと思います。

政権党の機関紙は、情報量もその価値も従来とはおのずと変わってくるはずです。規格や体裁は伝統を踏襲しながら、中身で味わいの違いが出せたらと思います。

本号が新年第一号です。「明けましておめでとうございます」

 

最近の永田町は何かが違ってるぞ(2010年1月22日発行 225号)

民主党の党大会が終わり、通常国会も召集され、永田町は各党の議員たちで賑わいを取り戻しました。それでも「政権交代。」前とは、何か様子が違います。

まず黒塗りの車が少なくなりました。お抱えの運転手さんを呼び出すスピーカーの音も静かです。地下鉄の駅で大臣・副大臣たちと出くわすこともあります。

私一人の感想ではありません。永年、この街を見てきた記者さんたちも言います。これが「静かな革命」なのだ、と。

平成22年の年頭にあたって(2010年1月1日)

衆議院議員 松崎哲久

かすかに響く鐘の音を聞きながら、2010年、平成22年が明けました。清々しい朝を迎えて、「ゆく年 くる年」を思います。

昨年は8月30日の総選挙で民主党が圧勝。私も4年ぶりに議席に復帰しました。9月16日には鳩山由紀夫内閣が発足し、「政権交代。」が現実のものとなりました。それから3ヵ月半、一部に迷走した課題もありましたが、「国民の生活が第一。」の目標に近づくための様々な取り組みを続け、予算編成が完了した時点では、おおむね国民の皆様のご期待にかなう線に落ち着けたのではないかと思います。もちろん、新政権になって100日の成果という意味です。多くの政策目標は、今後、4年近くをかけて実現していかねばなりませんが、そのための改革は緒についたとの評価がいただけるのではないでしょうか。

新しい年は、この改革を着実に進めていく年です。鳩山内閣の大臣・副大臣・政務官たちは、前政権と比べて、はるかに存在感があります。官僚まかせで顔が見えず、言葉も発しなかった自民党の政務三役とは違って、政治主導で省庁を動かしている気概にあふれています。自信に裏打ちされた、淀みない発言を見るだけで、「政治は変わった」という実感につながるでしょう。「事業仕分け」で次々に露呈した自民党時代の政治行政のムダづかい。仕分け人たちの物の言い方、さらには考え方に多少のご批判も出ましたが、議論そのものが公開され、誰の目(といっても、主権者)にも明らかになったこと自体を非難する方は皆無でしょう。私たち民主党は、長く続いた自民党の政策決定のスタイルをゼロから見直す壮大な作業に着手したのです。

この道のりは平坦なものではありません。自民党が確立してきた政策決定システムは、選挙や、財界はじめ各種団体との関係、さらには官僚主導や天下りの横行にも密接に結びついた政治の仕組みそのものに由来しているからです。つまり、「コンクリートから人へ」と言うのは簡単ですが、それを達成するためには、旧い自民党型政治システム総体を破壊して、それに替わって新しい時代に対応できる民主党型政治システムを築き上げなければならないのです。

2010年は、その「静かな革命」が進みます。また、進めねばならないのです。「静かな」とは、流血を伴わないという意味です。現実に人体から血は流れませんが、比喩として言う「血を流す」必要はあるでしょう。そこまで根本的に政治のあり方を変えなければ、「国民の生活が第一。」にはなりません。この1年、まずは7月の参議院議員選挙までを第1期として、民主党と私の努力を続けてまいります。

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