芸術・文化

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コンサートを読む:庄司とカシオーリのベートーベンのバイオリンソナタ=梅津時比古

 ◇精神の自由という美

 美の誕生に、熱狂はいらない。むしろ精神に対する静かな探求が、新しい美を伴うのだろう。

 一瞬一瞬、表面張力のように張りつめた静けさが、バイオリニストの庄司紗矢香とピアニストのジャンルカ・カシオーリのデュオリサイタルにみなぎっていた(8日、東京・サントリーホール。

 プログラムはベートーベンのバイオリンソナタが3曲。第2番イ長調、第5番へ長調「春」、第9番イ長調「クロイツェル」。

 初めの第2番の冒頭、不意にどこからか、明るい日差しの中に花弁でも飛んできたように現れた軽やかなピアノの音に驚いた。バイオリンも花弁をそっと包みながら、つかず離れず一緒に飛んでゆく。その場に生じた風をいっぱいに受けて音の表情は一刻一刻、変化する。

 ベートーベンのバイオリンソナタはピアノが主になるところが多いが、庄司が全身でカシオーリの音を聴こうとしているのが伝わってくる。やわらかく変容してゆくピアノの音色は、その感覚に共鳴したバイオリンに引き継がれ、また反対にピアノがバイオリンの起こす風を組み入れる。ひとつのフレーズに、表や裏や斜めからさまざまな光が当てられ、輝いたり影が生まれたりする。

 「春」も、そのように互いに深く聴き合っているため、テンポは通常より、ずいぶんとゆっくりになる。「クロイツェル」ではとりわけ、自分たちがしゃべり過ぎないように控え、静かに音に耳を傾けて、音の行方を音自身に語らせ、ベートーベンの方向を見定めている。

 彼らはこれまで、ベートーベンの音楽として一般的にこびりついてきたものを、一から洗い流している。その結果、経過の音、伴奏形の中からもいくつもの思わぬ歌が発見され、聴いていて、ベートーベンはこのようなことを書いていたのだと驚きに包まれた。従来のパターン化した音の運び方は一切聞こえてこない。

 現在の演奏界に大きな影響を与えているピリオド・スタイル(当時の楽器による奏法)も、こびりついた音の運び方を洗い流そうとするものである。たとえばそれは、作曲された当時の楽器の響き方ではとてもこのようなロマンチックな歌い方はできないはずだ、というように形から探ってゆく方法である。

 それは大きな成果をあげているが、考えてみれば、形から入ってゆくのは、私たちにはすでに当時の精神が見えなくなっているからであろう。

 モダンの楽器と奏法を取る庄司とカシオーリも、もちろんピリオド・スタイルの流れの歴史の中にいるが、そこに全面的に依拠することはしない。

 ロマン的でもピリオド的でもない、彼らのフレージングや音の構成の弾き分けは、奇をてらっているのではなく、個性を強調しようとしているのでもないだろう。

 彼らのアンサンブルは、形から入って精神にたどりつこうとするのではなく、形を問わずに、自分たちをでき得る限り無にしてベートーベンの音を聴き、その自分たちにとっての意味を問おうとしているように感じられる。

 そこに立ち上がってくるのは、様式に向き合う現代の感性から生まれる、このデュオだけの歌である。それは精神の自由という美であろう。(専門編集委員)=来月は休載します

毎日新聞 2010年11月24日 東京夕刊

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