【コラム】李明博政権は凶悪犯と立ち向かう覚悟を決めよ(下)

 2000年初めといえば、南北特使が首脳会談を事前調整していたころだ。朴智元(パク・チウォン)文化部長官(当時)と北側の故・宋浩景(ソン・ホギョン)アジア太平洋平和委員会副委員長(当時)は、3月17日に上海、22日に北京、4月8日に北京と、3回にわたって中国で接触し、4月10日に南北同時に、6月の首脳会談開催を発表した。北は、対話のために人を送り平和攻勢を繰り広げながら、裏では科学者たちに新しい凶器を準備させていたのだ。

 北朝鮮が、その後ウラン濃縮に成功した時期は2007年末ごろであったと、韓国側の専門家は推測している。07年9月の6カ国協議で、北朝鮮の核不能化合意が行われ、北はその合意の精神に従い、08年6月、全世界に生中継する中、寧辺の原子炉の冷却塔を爆破するショーを行った。「寧辺原子炉を廃棄処分することに決めたのは、それに代わるウラン弾開発にある程度自信が持てるようになったからだろう」というのが統一研究院の研究委員の分析だ。

 07年10月3日と4日、平壌では、第2次南北首脳会談が開かれた。首脳会談の合意文には「韓半島の核問題の解決に向けた6カ国協議の合意が順調に履行されるよう、共同努力を行う」と書かれている。このような合意文を書いていた時、北朝鮮の科学者たちは、ウラン濃縮の成功を祝うシャンパンを開けていたかもしれない。

 振り返ってみると、北朝鮮のウラン弾開発は、金大中(キム・デジュン)・金正日(キム・ジョンイル)の第1次首脳会談のころから始まっており、盧武鉉(ノ・ムヒョン)・金正日の第2次首脳会談のころ完成段階だったということになる。

 もし、進歩左派が15年間政権を掌握し続けていたならば、北朝鮮は隠ぺいと起動が容易なウラン弾の開発の事実を隠したまま、韓国から甘い汁を吸い続けていただろう。懐にウラン弾という凶器を隠したまま、米国の人工衛星にキャッチされたプルトニウム弾製造施設を凍結し、偽の平和攻勢を続けてきただろう。李明博—オバマ政権の対北政策は、北朝鮮の政権の真実を早くに明らかにした。

 現在、韓国は素顔の北朝鮮と向き合っている。平和の仮面を脱ぎ捨てた北が、今後どのようなことをするのか、誰も予測することはできない。李明博政府は、自らの政治体制が暴いた凶悪犯に立ち向かう覚悟を決めなくてはならない。

金昌均(キム・チャンギュン)政治部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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