2010年11月24日

こどものいじめは大人社会の反映


五木寛之著「大河の一滴」より

<引用開始>
孤独癖のある子は、協調性がないと言われてしまう。協調性がないということは反面、個性的であるということなのに、そういう変わった子どもはいじめの対象にされてしまう。
いじめの問題を、子どもは本来、残酷だからとか、いじめによって淘汰されていくんだという人がいるけれど、そうではない。あれは大人の社会の反映です。
<引用終了>

日本の大たちは身分関係で相手の呼び名を使い分けます。上司は時の部下を、長兄は自分の弟妹を、あたかも当然のように呼び捨てにします。彼らは儒教により教化された日本の民衆を、このようにして先ず名前から支配することにより、相手の心までもを支配しようとするのです。

自殺した上村明子さんは「ウエゴリ」というあだ名を付けられていたそうです。お母さんがフィリピン人であるだけに東南アジアの人々の日本人への嫌悪感が高まらないことを祈りたいと思います。

2011年は、小泉政権の誕生、アメリカ同時多発テロと同時に、映画「千と千尋の神隠し」の上映10周年です。
この世のパラレルワールドで「千尋」という名前を支配された「千」が、友愛と献身を学ぶ冒険ファンタジー。子供たちが力強く生き抜くために、映画「千と千尋の神隠し」を全小中学生に観て欲しい、そう願って止みません。
posted by M.NAKAMURA at 14:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする