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’10えひめW選:松山市長選 候補者の横顔/下 /愛媛

 (届け出順)

 ◇小学生で「政治家」決意--帽子敏信候補(57)=無新

 大洲市の農家生まれ。農山村の暮らしは厳しいのに、テレビが映す都会の生活は華やかだった。「うちの親や周りも一生懸命働いているのに。おかしいやろ」。小学生の子供心に、「絶対に政治家になる」と決めた。思いをかなえ、県議5期を経験。議長も務めた。「最高の幸せ」とかみしめる。

 経営者の顔も持つ。妻の実家を継いだ道後の和風旅館を、04年に温泉街では珍しい英国調ホテルに建て替えた。「貸し渋りの絶頂期で金融機関の融資に時間がかかった」と振り返るが、需要を掘り起こし軌道に乗せた。

 家庭では、妻が幼い子供2人を残し他界。毎日慣れない朝食を作るなど家事・育児をこなし、育て上げた。「十分なことはしてやれなかったが、頑張る親の後ろ姿だけは見せてやれた」と言う。

 趣味はガーデニング。朝はまず、花や野菜の世話に汗を流す。「水をやらないともたないし、やりすぎると元気な子にならない。子育てと同じですね」

 ◇大学進学の夢は今も--菊池伸英候補(46)=無新

 8人きょうだいの長男。子供時代の家計は苦しく、中学時代はユニホーム代などの負担が重く2年生で野球部を退部。ブロック塀の積み上げ作業や新聞配達のアルバイトに励んだ。高校も定時制で働きながら学んだ。

 こうした体験と交通事故の障害に苦しむ父の姿が、政治へ進む原点。「弱者を助けたい。弱者の声を市政に反映させたい」と話す。

 94年に29歳で市議に初当選すると、4期目で議長、5期目はトップ当選と突っ走った。

 市議時代は自民に籍を置いたが、市長選では自民県連幹部の協議による一本化調整が納得できず、離党した。党組織を頼れず、「雲をつかむような戦い」と戸惑いもあったが、「選挙に関心がなかった女性や若者に、草の根で支持を広げたい」と意気込んでいる。

 今回の出馬でお預けになったが、来年度から通信制大学受講を考えていた。「大学に行きたい。すごく」。経済事情で果たせなかった進学の夢を今も持ち続けている。

毎日新聞 2010年11月24日 地方版

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