マッスル北村・北村克己さんの事
過日、入り口脇のサイン色紙が落下した時、マッスル北村こと北村克己さんのサインと写真も落下したのですが、幸運にも割れる事無く無事でした。
/あれはもう10年以上も昔の事になってしまいましたが、ある日妻が笑いながら「隣のアパートに面白い人が引っ越して来たのよ」と言った。「え、誰?」と私。妻が「大きな体で冷蔵庫を一人で担いで、階段を登っていたのよ」と。私はピーンと来て「北村さんか?」と。
/それから数日後、私は彼がアパートの階段を降りて来るのに出会った。そして「やあ北村さん、お久しぶり」と声を掛けた。「ああ!かんなり○○。ここに住んでるんですか!お久しぶりです」と北村さん。それからしばらく話し込んだのでした。聞けばいろいろ訳ありで勘当されたのだとか。このアパートには彼女と犬と一緒に引っ越して来たのだとか。
彼は非常に記憶力が良く、数年前に私が話した事を覚えていたのには、驚ろかされたのでした。
/それから隣同士、しょっちゅう顔を会わせます。その内「連盟とトラブルになっていて、行くジムが無い」との話でしたので「じゃあしばらくフジトレに来ますか?」「はい、お願いします」となったのでした。《もう時効ですよね》
北村さんは当時芸能活動もしていたのですが、丁度そのころ彼がお世話になっていた、あるプロダクションの社長さんと専務さんとが、たまたま私の友人だったのでした。ですから、彼のことがよく話題に上っていました。そんな事も有り、全くの他人のようには思えなかったのでした。
/明大中野学園の近くに愛車のフォードのワンボックスカーを停め、巨体を揺らしながらやってくる姿が印象的でした。それから一年ほども、フジトレでトレーニングをしていたでしょうか。高重量を使いながらも、ていねいなトレーニングをしていたのが印象的でした。ダンベルやプレートをそっと床に置く姿を見て、「ああこの人は本当に力があるんだなぁ」と思ったのでした。
/そうこうしているうちに、北村さんから「実は赤ちゃんが出来たので、アパートを出なければならなくなった」との話が有りました。今度は埼玉県に行くとの事でした。
/それから暫くして、彼から「赤ちゃんが無事に生まれました」との連絡が有ったのでした。
その数日後に私は娘と共にお祝いを持って、彼のもとを訪ねたのでした。そこには産まれて間も無い元気な赤ちゃんと優しいお母さん、そして満面の笑みをたたえ、お父さんとなった北村さんがいたのでした。
/それからまたいろいろな事情が有ったのでしょう。北村さんから「彼女と別れた。そして赤ちゃんは、実家で育ててもらう事になった」との連絡が入ったのでした。
それから時が流れ、彼も新しい生活が始まり、徐々に連絡も少なくなっていったのでした。
/連絡も無いままどれくらい経ったのでしょうか。ある日突然、連盟の友人から電話で「北村さんが亡くなった」との連絡が入ったのです。私はしばし茫然としてしまったのでした。
/タンクトップ姿で愛犬を連れ公園を散歩していた姿。石神井公園の照姫塚の事。事故を避けようと車を電柱にぶっつけてしまった事。などなど、私の記憶の中に、ブログには書ききれないほどのエピソードを残し、生き急いで逝ってしまった北村さん。ひたすら夢を追いかけ短い生涯を閉じてしまった北村さん。そんな生き方の北村さんを、懐かしくも羨ましく思う今日この頃です。
/今頃、きっと天国でもトレーニングをしているのでしょうか。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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