北朝鮮砲撃:火の海と化した延坪島(下)

 西部里で民宿を経営しているナ・ヨンオクさん(44)は、「村全体が煙で覆われ前が見えず、まさに火の海となった」と話した。仁川に来ていたソン・ボクスンさん(56)は、「延坪島の夫と電話で話したが、村の道路が焦土化し、近づくことも難しいと言っていた」と語った。

 10時間よりも長く感じられた1時間。砲声は午後3時40分ごろ止んだ。避難所に慌てて非難し、ちょっと村の様子を見ようと出てきた住民らは、その上に山火事が広がっていることを知りじだんだを踏むしかなかった。西部里に住むファン・オッキさんは、この日午後6時ごろ、本紙との電話で「村を囲む山がすべて赤い火の海のようだ。民家の火は消すこともできるが、山火事はどうしようもない」と話した。

 この日夜、仁川から船で消防車が次々と到着したが、強風によって広がる火の手を消し止めるのは難しい、と住民らは語った。住民のイ・ジョンシクさんは、「一歩間違えば、山火事が民家に燃え広がって延坪島内の600戸がすべて燃えてしまいそうだ。目の前で燃えているのに、水もなく、どうすればいいのか分からない」と悔しがった。

 この日、北朝鮮の砲撃で420戸の電気供給が止まり、携帯電話基地局機能がまひする中、一部の住民らは家族の生死が確認できず、気をもむ場面も見られた。住民のイさんは「小学生の娘が避難所に行っているようなのだが、連絡が取れない」と言葉を濁した。農協で行っている研修を受けに仁川に出てきたというチョン・エスクさん(48)は、「夫としゅうとめが延坪島にいるが、夫と午後3時ごろ電話で話したのが最後だ。住民たちは皆不安で震えていると言っていた」と話した。

 砲声がやんだ延坪島は、すぐに日が落ちて暗闇に包まれた。暗闇とともに寒さと恐怖も訪れた。延坪島を離れられない住民900人余りは避難所10カ所などで、インスタントラーメンやパンで空腹をしのぎ、眠れぬ夜を過ごした。900人中140人ほどが家に戻った。避難所の住民は十分な食べ物も、温かいお湯も、服もほとんど持ち出せなかったが、「それでも避難所の方がましだろう」と自らに言い聞かせていた。チェ・ユルさんは「避難所に住民30人ほどが着の身着のままで避難してきたが、今も不安な思いで状況を見守っている。(携帯電話の)バッテリーがあまり残っておらず、長く通話することができない」と急いで電話を切った。

 北朝鮮が撃った砲弾は、素朴なこの島民たちの生活の基盤をめちゃくちゃにし、心に消すことのできない傷を残した。

李碩浩(イ・ソクホ)記者

ハン・スヨン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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