(cache) 引き際を決められなかったのか 総合盛り上げたヒクソン・グレイシー - 47NEWS(よんななニュース)
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  • 引き際を決められなかったのか 総合盛り上げたヒクソン・グレイシー


     1997年に高田延彦と戦ったグレイシー

     最近のファンにとっては「レジェンド」であろうヒクソン・グレイシーの名前がこの秋、日本の格闘技界に浮上してきた。選手としてではなく、著書出版とそれにからむサイン会などでだ。

     いくつかのインタビューで正式な引退発言があった(昨年6月の来日でも、それらしき発言はあった)。10年も試合をやっていない50歳超の選手が現役だと思っていた人はいないだろうが、日本の総合熱の高揚はヒクソンの力が大きかったのは間違いない。

     「400戦無敗」は誇大宣伝だとしても、まだヨチヨチ歩きだった時代の総合では頭一つ抜け出ていた実力は持っていた。東京ドームのリングで高田延彦と対戦した時の姿にはオーラが感じられたし、桜庭和志との一騎打ちは多くのファンが望んだこと。2000年頃の格闘技熱が懐かしい。

     どこかの団体が引退の舞台をつくってやってもよかったような気がする。しかし、それをやってもらえなかったのはヒクソンの姿勢にも原因があったのではないか。高額ギャラの要求や勝てる相手の選択、ルールの押し付けなど、この選手との交渉はとにかく団体泣かせ。消滅したPRIDEの担当者が嘆いていたことを思い出す。

     PRIDEはヒクソンなしでも盛り上がったので、最後は「ウチは呼ばない。呼ぶ必要はない」と見限っていた。他団体が「交渉権を獲得したらしい」という情報を耳にしても、「そこからが大変なんですよ」と、本契約まで行くはずと予想。その通りになった。

     ヒクソンは実力の衰えを感じつつも、「無敗」を傷つけたくないことと、まだ商売ができるという思いとが交錯し、引き際を決められなかったのだと思う。それがヒクソンの生き方なら他人が口をはさむべきではないが、自分が「日本ではスターだ」という気持ちがあれば、もっと違う形での引退劇をつくれたと思う。

     スターとは、自分の持ち味が発揮できなくなったら引退の道しか残されていない存在だと思う。「ボロボロになるまで闘う」という生き方のスターがいてもいいが、こんな優柔不断な形で姿を消したのではスターとは呼べない。ブラジルには日本で言う「引き際の美学」というのはないのかもしれないが…。(格闘技ライター・樋口郁夫)

      【共同通信】