きょうの社説 2010年11月24日

◎緊迫する朝鮮半島 無謀な北朝鮮の威嚇外交
 北朝鮮がウラン濃縮施設の存在を明らかにし、核の危機感を高めた揚げ句、韓国の領土 を砲撃するという暴挙に出た。李明博韓国大統領の冷静な指示で、戦闘の拡大が抑えられているのは救いだが、魚雷攻撃による韓国哨戒艦沈没に続く軍事挑発行動に、国連は安保理決議に反するウラン濃縮問題を含めて厳しい措置を取らなければなるまい。

 北朝鮮がウラン濃縮施設を公表したのは、6カ国協議再開に慎重な日米韓に揺さぶりを かけて譲歩を引き出す「瀬戸際外交」との見方が強い。今回の砲撃はそうした威嚇外交をエスカレートさせたものとみることができ、6カ国協議の当事国は新たな局面への対応を迫られることになった。特に日米韓3カ国はあらためて結束を固め、経済制裁の緩和など北朝鮮の譲歩要求に安易にのることなく、新局面に応じた戦略の立て直しと意思統一を図る必要がある。

 韓国哨戒艦沈没に対する措置も含め、日米韓を中心にした経済制裁の強化にかかわらず 、北朝鮮が核開発を進められるのは、中国の経済支援のお陰というほかない。中国は6カ国協議議長国として、本当に北朝鮮の核廃棄に取り組む意思があるか。

 韓国哨戒艦沈没では、韓国の望んだ厳しい安保理制裁決議は中国の反対で実現せず、北 朝鮮の責任を問わない非難声明にとどまった。中国の習近平副主席は今秋、朝鮮戦争参戦60年記念の行事で「平和を守り、侵略に立ち向かった正義の戦争」と参戦を正当化する演説を行い、韓国側の反発を招いたとも伝えられる。

 習副主席の発言は、中朝の親密ぶりをあらためて示しているが、一般住民をも犠牲にす る北朝鮮の軍事行動に対して、これまでのような甘い対応を取ることは許されまい。朝鮮半島の安定と非核化に向けて、国際社会から求められる中国の役割を果たすことが「責任大国」の務めではないのか。

 対中、対ロ外交に難渋する菅政権は、対北朝鮮政策について具体的に何も語っていない 。「拉致、核、ミサイルの包括的解決」という、通り一遍の主張を繰り返すだけでは済まされない。

◎七尾城跡が4倍に 国内最大級を生かしたい
 七尾城跡(七尾市)が国史跡指定の追加答申を受け、史跡面積が従来の4倍となる約2 6万6千平方メートルに拡大されることになった。七尾城は日本5大山城の一つに数えられ、戦国時代最大級とも言われているが、その類いまれな規模は史跡エリアの拡大で一層鮮明となる。

 これまで本丸跡が中心だった史跡は、新たに番所や長屋敷跡など七尾城を構成した建物 跡、郭群などが含まれ、周辺には数多くの石垣も残る。それらの一体的な保全、活用が可能になるからには、まだ全容が解明されていない城の調査を急ぐ必要がある。

 本格整備となれば、息の長い取り組みとなり、相応の予算も要するだろうが、七尾城跡 は能登半島の顔となるスケールの大きな歴史遺産であり、「戦国期最大級」の特徴を生かす視点が大事である。往時をしのぶ建造物の復元も検討課題となろう。史跡拡大を弾みに、市民や能登の人たちが夢を抱けるような将来像を描くときである。

 七尾城は室町時代に能登の守護となった畠山氏の居城で、1577年に上杉謙信の侵攻 で落城するまで約170年間、領国支配の拠点となった。1934年に本丸や二の丸の一部など約6万4千平方メートルが国史跡となり、今回は76年ぶりに周囲の約20万2千平方メートルが追加指定される。

 石動山系北端に位置し、本丸から三の丸にかけては、険しい尾根や斜面を巧みに生かし た難攻不落の構造だったとされる。多彩な石垣群も見どころであり、七尾城跡は整備するほど魅力が引き出せる大きな可能性を秘めている。

 七尾城は2006年、石川県内では金沢城とともに日本城郭協会の「日本100名城」 に選ばれている。戦前の国史跡指定といい、専門家の間では早くから価値の高さが認識されていたが、それにふさわしい活用がなされてきたとは言い難い。

 中世から近世にかけての石垣づくりの変遷を知るうえで、七尾城と金沢城を関連づける 視点も重要である。能登の共有財産として、地域の心の拠りどころとなるよう着実に整備を進めていきたい。