2010年11月23日

大卒から感じた高卒のギャップ:林田力

【PJニュース 2010年11月23日】高卒の方とコミュニケーションして共通する性質を感じることがある。これは私の身近な経験から導き出されたものであり、あくまで、そのようなものとして受け止めていただきたい。

私が感じた高卒の方の特徴は事実というものに対して硬直的な考え方を有していることである。自分が事実と考えるものを絶対視し、それに反する言説を嘘八百と頭ごなしに決めつける。「あなたが事実と考えるものが、他の人も事実と考えているとは限らない」という理屈を理解しようとはしない。

この相対主義は私にとっては自然なものである。いつ私が相対主義的な思想を身に付けたかと言えば、大学教育の影響が強い。高校までの勉強は基本的に正解が存在していた。これに対して大学は異なる。一つのテーマに様々な学説が存在する状況は知的好奇心を大いに刺激した。ポストモダニズムや価値多元主義も一時の流行を超え、アカデミズムの土壌に根付いていた。

勿論、アカデミズムには閉鎖的なサロンの側面もある。アカデミズムの設定した幅から外れるものは容赦なく「疑似科学」「ニセ科学」とラベリングして排除する。それでも高校までの画一的な教育しか知らなかった大学生にとって、アカデミズムの学説の幅は知的好奇心を十二分に刺激するものであった。
http://news.livedoor.com/article/detail/5158495/
http://www.pjnews.net/news/794/20101122_7
この点を踏まえるならば、もし私が高卒だったら、やはり事実に対してプリミティブな発想のままでいた可能性が高い。ちょうど『名探偵コナン』の決めゼリフ「真実はいつも一つ」のように。江戸川コナン(工藤新一)は「頭脳は大人」と言いつつも、子どもになる前は高校生探偵であり、大学生にはなっていない。この設定は示唆的である。それ故にこそ『名探偵コナン』は子ども向け作品として成功したと言える。

以下では事実に対する硬直的な考え方を高卒的性質と呼ぶことになる。この高卒的性質は困った性質である。高卒的性質の持ち主とは、まともな議論ができない。こちらは相手の主張も理解しつつ、自説を述べる。自分と異なる考えでも、そのような考えが成り立つことは理解しながら話を進める。

ところが、高卒的性質の持ち主は他者の主張を理解する意思も能力も欠けている。自分が事実と考えるものに固執する。理解と同意が異なるということすら理解していない。結局、高卒的性質の持ち主を相手に議論することは時間の無駄である。

こちらは相手の考えを理解するが、高卒的性質の持ち主は最初から他者の考えを理解する気がない。その中での議論になるため、こちらが相手の考えを理解した分、傍目には高卒的性質の持ち主が優位に見えてしまいかねない。結局、高卒的性質の持ち主との議論は腹が立つだけである。

かつて市民メディア・オーマイニュースの編集部員が「偏差値70未満はコメント欄書込み禁止にできないものか」と嘆いたとされる。その気持ちは理解できるが、読解力以前に自分とは異なる様々な物の見方があるということを理解させることが問題である。
現実空間では高卒と政治や法律、経済、文化などについて真剣に議論することは少ない。

しかし、インターネット上では学歴などの属性は見えない。そのために高卒的性質の持ち主と遭遇してしまうこともある。インターネット上での議論は救い難い低次元の応酬になりがちである。市民メディアでもコメント欄を閉鎖するなどの対応を余儀なくされた(林田力「市民メディアはコメント欄否定の先にある」PJニュース2010年8月10日)。
http://news.livedoor.com/article/detail/4936908/

インターネット上での議論が低次元になる一因は、学説の多様さに触れず、学問的訓練を受けていない高卒的性質の持ち主が自己の属性を隠して堂々と活動できる点にあるかもしれない。【了】
posted by 林田力『東急不動産だまし売り裁判』 at 14:16| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・時事問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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