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きょうのコラム「時鐘」 2010年11月23日
官僚に責任転嫁しての続投発言から一転の辞任である。柳田法相自らが責任を感じての「切腹」ではなく、官邸筋の「首切り」に近かったのは明らかだ
三島由紀夫氏切腹事件から25日でちょうど40年たつ。首切り、切腹などと表現が時代がかるが、この言葉は野蛮な刑罰用語というだけでなく、決意や覚悟を示し、日本の精神文化を表わす言葉だと思う 著名作家の切断された首が報道された衝撃的な事件だったが、それは「打ち首」でなく侍の「ハラキリ」だった。昔の武士も自分の力だけで腹を切って死ねるものではなく、ためらい傷がつく。その不名誉を防ぐため介錯が要ったという 柳田法相の故郷、鹿児島の薩摩藩には「郷中(ごじゅう)教育」と呼ばれ、卑劣さや言い逃れを最も嫌う教育があった。同僚が他藩の武士に殺されたのを横目に逃げた若侍は同僚の葬儀の折、黙って先輩に首を切られたという 柳田氏も、二つの言葉の他にもう一つ覚えたろう。卑劣な言い訳は身を滅ぼすと。だが、ハラキリを命じた側にその資格があるのかとも言いたかろう。いつの世もハラキリや打ち首は後味の悪いものである。 |