3.和解に関する所見 | |||
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平成13年11月14日 東京地方裁判所民事第18部 |
第1 はじめに 当裁判所は,本年7月16日,本件の審理を終えるに当たり,本件の早期の,多面的かつ抜本的,全面的な解決を提唱して,各当事者に対し和解を勧告した。その後,当裁判所は,各当事者の和解に関する意向や意見を聴取しつつ,本件の解決方法について改めて検討を重ねてきた。その結果,上記のような和解による解決が,各患者及びその家族・遺族が被っている深刻な被害の救済に最も望ましく,また,それが全国民の健康で幸福な生活の要ともいうべき医療の分野における将来のより安全で適正な企業活動と薬事行政の実現に資するものとなれば,本件原告らの希望にも適うものと確信し,本日,和解による解決の緒となり,礎となることを希求して,所見を提示することとした。 第2 クロイツフェルト・ヤコブ病及び被害の実態について1 クロイツフェルト・ヤコブ病(以下「ヤコブ病」という。)は,1920年代初めの症例報告に始まり,不治の致死性疾患として,その存在自体は早くから関係医家に認知されてきた。しかし,様々な研究によりようやくその病原因子が異常型プリオン蛋白であるとされるようになった現在においても,その原因及び発症機序の詳細には,なお未解明の部分が多く,治療法は未だに発見されていない。その潜伏期間は数年から数十年にわたるとされ,発症前の段階に的確な診断を行うことは困難であり,発症すれば,数々の精神症状,歩行障害等を経て,急速に知的機能の異常(痴呆化等),意識障害等を起こし,おおむね数か月の間に無動性無言の状態に陥り,中枢神経系の機能が破壊され,人間らしい生活を営むことが不可能な状態となって,多くは2,3年のうちに確実に死に至る。患者の多くは,病名も原因も特定できないうちに急激に症状が悪化して人格が破壊され,他方,家族は,同様の状況下で患者の急激な人格の崩壊・喪失に直面せざるを得ず,周囲の偏見に耐えつつ,回復の見込みを持てないまま,困難な介護を継続することになる。特に,本件の各患者は,脳外科手術中に自らの意思と無関係にヒト乾燥硬膜の移植を受け,その結果ヤコブ病に罹患し悲惨な生活を強いられるに至ったものであって,患者本人とその家族・遺族に対しかけるべき言葉を見いだし得ない。 2 ヤコブ病の伝播性に関しては,1968年(昭和43年)7月のギブス,ガイジュセックらのグループによるチンパンジーに対する伝播実験の成功報告をはじめ,1970年代の半ばころまでには,同グループや他のグループによるその他の動物も含めた伝播実験・再伝播実験の成功報告の集積により,患者の脳実質に存する病原因子が,ヒトから動物へ伝播することが関係医家に知られるようになった。また,ヤコブ病患者の角膜の移植を受けた者についてのダフィらによる発症報告(1974年(昭和49年)3月),ヤコブ病患者の深部脳波検査のため脳に刺入した銀の電極を使用して同じ検査を行った患者2名についてのベルヌーイらによる発症報告(1977年(昭和52年)2月)や,これらの報告・研究を総括する各種論文等の発表,特に,ガイジュセックのノーベル生理学医学賞受賞の際の講演や上記発症報告等の総括的検討内容を記載した論文(1977年(昭和52年)9月)等によって,このころまでには,ヤコブ病の病原因子が脳実質等の中枢神経に存在すること,それがヒトから動物に伝播するだけでなく,ヒトからヒトへも伝播し得ること,さらには,これを現実化させる形態・方法による外科的な処置が同疾患伝播の原因となり得ること(医原性ヤコブ病)が,関係学会,関係医家に知られるようになり,一般化していったということができる。 そして,有効な治療方法がない以上,このような医原性ヤコブ病による深刻な被害を防止する唯一の手段は,このような医療行為による感染の予防以外にないのであって,関係者においては,そのために最善の注意が払われなければならないということになる。 第3 被告企業の責任について1 人々の生命・健康の安全に直結する医薬品や医療用具等(以下「医薬品等」という。)についてはその安全性の確保がとりわけ重要であり,その安全性確保の責任が,第1次的には,これを製造販売して市場に流通させ利潤を上げる製造業者にあることは多言を要しない。したがって,その製造に携わる者は,当該製品の安全性確保のために,安全性に関連する情報を積極的に調査,収集し,その分析を行うことはもちろん,あらゆる角度から,その安全性に関わり得る諸分野の最先端の医学的,薬学的知見の獲得に努め,もって重大な被害の発生を回避すべき高度の注意義務を負っているものというべきである。 本件で問題とされているヒト乾燥硬膜ライオデュラは,ヒトの死体から採取した脳硬膜を原材料として製造されるものであるところ,性質上,その提供者の有していた様々な病原因子が当該硬膜を介して伝播する危険性を内在させているといわなければならない。したがって,提供者の選択と提供者の病歴に関する情報管理に十分な注意を払い,もって病原因子に汚染された硬膜が使用されるのを可能な限り防止すべきこと,採取した硬膜を各提供者ごとに個別に処理することによって感染被害の拡大を防止する措置を講ずべきこと,及び適切な滅菌処理(病原因子の不活化処理)を行うべきことは,被告ビー・ブラウン・メルズンゲン・エー・ジー(以下「被告ビー・ブラウン」という。)が本件ライオデュラの製造・販売を開始した当時から既に医学的常識であったということができる。 前記のとおり,脳実質等の中枢神経に存するヤコブ病の病原因子がヒトからヒトへ伝播し得るものであり,それを現実化させるような形態・方法による外科的処置がその伝播の原因になり得ることは,1977年(昭和52年)9月ころまでには関係学会,関係医家に知られるようになっていた。そして,材料となる硬膜の多くは病理解剖に際して採取されていたから,採取方法からして材料硬膜に提供者の脳実質が付着する可能性が高いことも容易に想定し得たといえる。また,ヒト乾燥硬膜が脳硬膜の補てんのために移植された場合には,そのヒト乾燥硬膜は脳実質に直接触れる形になるから,そのような使用形態は,ヤコブ病伝播の危険性の高いものということができる。 さらに,この間,動物実験等を通じてヤコブ病の病原因子が紫外線やイオン化放射線,熱,超音波に対して異常な抵抗力を有することが明らかになり,そのことが,1975年(昭和50年)3月のガイジュセックによる国際シンポジウム(我が国の医学研究振興財団主催)における発表,同年8月のツロウブ,ガイジュセック及びギブスによる論文等により紹介され,医療従事者に対し施術上,滅菌処理上の処理に関する警告が発せられるようになった。その後も,ガイジュセック,ギブスらによってホルマリン食塩水に対する抵抗性が,ベルヌーイによりアルコール液及びホルムアルデヒド・ガスによる滅菌の不奏功が報告されたほか,当時のライオデュラの滅菌方法であるガンマ線照射について,ガイジュセックらによって,1975年(昭和50年)3月以降論文等を通じて繰り返し強い抵抗性が報告され,1978年(昭和53年)12月に,ライオデュラに適用されていたガンマ線の約8倍量を照射しても完全な不活化はできない旨の論文が発表されるに至り,ヤコブ病の病原因子を不活化する有効な手段は少なく,ガンマ線も有効でないことが,関係学会,関係医家に知られるようになったということができるのであって,被告ビー・ブラウンにおいても,このころまでには当時同被告が採用していた滅菌方法がヤコブ病の病原因子の不活化に有効でないことを予見することができたというべきである。 したがって,被告ビー・ブラウンは,遅くともこのころまでには,硬膜を原料とするヒト乾燥硬膜を介してヤコブ病が伝播する危険性を予見することができたというべきであるから,ヤコブ病患者を硬膜提供者から除外するとともに,提供者について適切な病歴管理を行い,さらに提供硬膜の個別処理を行うなど,病原因子の可及的な侵入防止,危険拡大防止の措置をとった上,ヤコブ病の病原因子の不活化により有効な滅菌方法を研究して取り入れるべきであったといわなければならない。 しかるに,被告ビー・ブラウンは,これらの知見の獲得を怠り,その製造工程においても,1987年(昭和62年)1月に米国疾病予防センター(CDC)から後記の第1症例に関する通知を受けるまで,適切な提供者の選択,病歴等の情報管理,個別処理,適切な滅菌処理(不活化処理)というあるべき姿にすべて反した方法による製造を漫然と継続したばかりでなく,同年4月の米国食品医薬品局(FDA)による一部製品の廃棄勧告や,同年5月のカナダ保健省による一部製品の使用中止等の勧告を受けて,同年5月までにいち早く自ら提供者の選択基準の厳格化,情報管理の徹底,個別処理の導入,滅菌方法の改善等の措置をとりながら,我が国においてはその後も旧処理法によるライオデュラの販売を継続したものである。したがって,このような行為の結果について被告ビー・ブラウンが製造業者として被害者に対し負うべき救済責任は極めて重大であるといわなければならない。 2 次に,(旧)厚生大臣の承認を得てこれを輸入する輸入販売業者は,我が国との関係ではいわば源泉供給者として同製品の我が国における流通に関する利益を一身に享受する立場にあると同時に,その流通の責任者として,同製品に関する情報の収集,提供,厚生大臣への報告等について専ら責任を負うべき立場にあり,また,その前提として,製造業者から必要な情報の入手を期待し得る立場にあるといえる。そうすると,輸入販売業者は,その製品の我が国における流通に伴って生じた本件の被害について,製造業者と同等の立場で救済責任を負うべきである。したがって,当時の輸入販売業者であった日本ビー・ビー・エム株式会社(変更前商号株式会社山本商会)と同視し得る被告日本ビー・エス・エス株式会社(以下「被告日本ビー・エス・エス」という。)もまた,本件の被害者に対し重大な救済責任を負うべきものといわなければならない。 さらに,被告山本和雄は個人でライオデュラの輸入承認を得てこれを輸入販売した後,日本ビー・ビー・エム株式会社に輸入承認を承継させ,その後は同会社の代表取締役として,被告山本高嗣は日本ビー・ビー・エム株式会社の取締役及び後に同会社から輸入承認を承継した被告日本ビー・エス・エスの代表取締役として,それぞれライオデュラの輸入販売に責任者の立場で主体的に関わってきたものであるから,両被告は,本件和解においては,被告日本ビー・エス・エスと共同して同被告に係る救済責任を果たすべきものと考える。 第4 被告国の責任について薬事法が,国民の生命・健康に密接に関わる医薬品等について,その適正を図り国民の保健衛生の維持・向上に資することを目的として,厚生大臣に各種の規制権限を付与していること,したがって,昭和54年の薬事法改正の前後を問わず,厚生大臣がこれらの権限を適切に行使することによって医薬品等の性能上の安全性を確保し,副作用や不良医薬品等による国民の生命・健康に対する侵害を防止すべき職責を負っていることは,今日異論のないところであろう。そして,サリドマイド事件,スモン事件等の深刻な薬害事件は,医薬品等の副作用や不良医薬品等によって国民にもたらされる被害の重大性と,これを未然に防止しその安全性を確保することが薬務行政における最も重要な課題の 1つであることを改めて切実に認識させるに至った。この課題に正面から取り組むものとして改正された薬事法の下においては,厚生大臣は,可能な限りあらゆる手段を通じて副作用や不良医薬品等による被害から国民の生命,健康を守るべき責務を負っているものというべきである。 医薬品等の安全性確保について第1次的責任を負うのは,被告製造業者・輸入販売業者であり,薬事法自体,厚生大臣の権限行使の前提となる各種の症例報告や学術情報についてもこれらの者に報告義務を課し,関連情報や知見の最大の入手先として予定している。しかし,安全性確保の実務を担当する(旧)厚生省の担当部局において,単にこれらの者から情報が明示的にもたらされるのを待つのみでは,構造上適切な薬務行政の実現が期待できないことは,スモン事件の経過や反省に照らし歴史的に明らかといわざるを得ない。厚生省自身,既に改正前薬事法の下において,関連医療機関に対する副作用情報提供要請制度(モニター制度。昭和42年)や薬局による情報提供制度(昭和53年)の導入,WHOにおける国際医薬品モニター制度への参加(昭和47年)等を行い,また,「常に学会発表報告,内外の文献及び諸外国からの情報の収集,整理にも努めている。」としており(昭和45年11月11日付け薬務公報),このような権限行使の在り方は改正後薬事法の下においてもより強く妥当するところである。加えて,国民や医療従事者の監視能力には大きな制約があるから,医薬品等の安全性確保の最終的な番人の役割は厚生大臣に期待するほかなく,したがって,厚生大臣は,可能な手段を尽くしてその時々の医学的知見を含む関連情報を収集,分析,活用して,その権限行使を行うことが期待されているというべきである。 1978年(昭和53年)末以降も,ヤコブ病に関する論文や実験報告,症例報告が集積されていき,1985年(昭和60年)には,ヒトの死体から採取した多人数の脳下垂体腺を混合して精製したヒト成長ホルモン製剤を介してヤコブ病が伝播したと考えられる症例が報告され,米国で直ちにヒト成長ホルモン製剤の供給停止措置がとられる事件が起きるなど,ヤコブ病の医原性ヒト間伝播の危険性の認識もさらに広まっていった。また,1986年(昭和61 年)1月には,米国神経学会ヘルスケア問題委員会が,ヤコブ病の医原性伝播の問題を取り上げ,ヤコブ病患者は,血液,組織移植提供者,あるいは硬膜,下垂体ホルモン,ヒトインターフェロンのような生体由来製品を製造するためのヒト組織の提供元になってはならない,という見解を明らかにしていた。さらに,滅菌方法についても,ライオデュラの輸入承認条件となっていた滅菌方法すべてを視野に入れてもそれらがいずれも不活化に不十分なものであることは,遅くとも後記第1症例報告までの間には関係医家に一般的に知られるようになっていた。 このような状況の下,1987年(昭和62年)2月に,CDCが感染症疾患等に関する重要情報の速報として発行する週報MMWRにおいて,ヒト乾燥硬膜ライオデュラ移植によるヤコブ病発症が疑われる症例(いわゆる第1症例)について従前の医学的知見を的確に踏まえた詳細な報告を行い,ライオデュラによるヤコブ病伝播の危険性を初めて具体的に指摘した。そして,この症例報告は,同月直ちに米国医師会雑誌に転載された。加えて,同年6月には, MMWRにおいて,その後のFDAとの合同調査結果を踏まえ,さらに被告ビー・ブラウンの行っていた硬膜提供者の選択方法や製造工程についての前記のような問題点を具体的かつ的確に指摘した報告を行った。そこで,このような同年6月までの一連の経過によって,ライオデュラ移植とヤコブ病発症との関連性や危険性は,より具体的かつ合理的な根拠を持った医学的知見として関係医家に認識される状況になったということができる。 これらの報告を掲載したMMWRは,当時,CDCから厚生省への情報提供の1つの形態として,一般にその掲載情報に最も強い関心を有すべき同省保健医療局結核難病感染症課に対し無償送付されていたほか,当時ライオデュラが含まれる医療用具の市販後の安全対策を担当していた同省薬務局安全課は,MMWRの第1症例報告をすぐに転載した上記米国医師会雑誌を定期購読していた。また,厚生行政に直結する総合的医学研究機関として設置され,その所長を通じて厚生大臣の指揮監督下にある旧国立予防衛生研究所においては,MMWRの情報は明確に認識されていた。しかし,上記いずれの部局においても,これらの情報の意味が的確に認識された形跡はない。特に,薬務局安全課は,ライオデュラが我が国に輸入され販売されていること及びその滅菌方法やその他の製造方法のアウトラインを知り得べき立場にあったから,同課が米国医師会雑誌に転載されたMMWRの第1症例報告を看過したことは,遺憾なことであったといわざるを得ない。また,仮に保健医療局結核難病感染症課においてこれらの情報を認識したとしても同情報が薬務局安全課にもたらされることもなかったし,現に情報を認識していた旧国立予防衛生研究所を通じて薬務局安全課に注意喚起が行われることもなかった。厚生大臣の負う医薬品等の安全性確保の責務は,同省内のあらゆる局課,関連機関の能力と情報とを有機的に総合結集して果たされることが期待されていると解され,第1症例報告について組織内の情報伝達がされなかったことは,まことに残念なものといわざるを得ない。 なお,実際に厚生省が旧処理法によるヒト乾燥硬膜ライオデュラの問題点を明確に認識したのは,平成8年(1996年)の緊急全国調査班による全国調査の結果によってであるが,その時点においては,旧処理法ライオデュラの製造及び流通時期からして,既にそれによる危険性排除のために何らかの措置をとることは意味をなさない状況であった。 以上によれば,MMWRに掲載された上記各医学情報は,ヒト乾燥硬膜ライオデュラにヤコブ病を伝播させる具体的な危険性があり,ライオデュラ移植に、よるヤコブ病感染の危険防止のために何らかの措置をとる必要があることについて合理的な根拠を与えるに足りる医学的知見であったと評価することができる上,これらを厚生大臣において現に認識したと同視し得るものであったということができる。そして,当時,ライオデュラに代替し得る製品や方法はあったのであるから,これらの知見や情報に基づき有効な対策を何ら講じなかったことに関し,被告国もまた被告企業とともにその被害者救済の責任を果たすべきであると考える。 第5 むすび以上のように,被告らには原告らの物心両面にわたる被害を救済する責任があり,特に,被告国においては,法的責任の存否の争いを超えて,被害者の救済に加え,原告らを含む国民全体から期待される役割の大きさに対応し,本件のような被害の再発防止に向けて,より積極的な職責の遂行とそれに必要な組織体制の整備等を行うことが妥当と考える。 そこで,当裁判所は,被告らが,前記のような救済責任の内容に応じて,本件を早期に解決されるよう要請するものである。各当事者において,本所見を前提に和解手続を進めることに同意された場合には,その他の諸点について早急に協議を進めることにしたいと考える。 各当事者が,この趣旨を理解され,真摯かつ積極的に和解による解決のための努力を尽くされるよう切望したい。 以上 |