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help リーダーに追加 RSS 鉄道は札束も運んだ…

<<   作成日時 : 2008/05/01 17:18   >>

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\ かつて鉄道が日本銀行券(紙幣)を運んでいたとき、その輸送に使われていた日本銀行券輸送専用荷物車(マニ30形)が、小樽交通記念館(北海道小樽市手宮)で保存・展示されている。約半世紀以上も続いた鉄道による日本銀行券輸送は、高速道路網が全国的に整備されたことに伴い物流の輸送主体が鉄道からトラックへ転移したこととともに、従来から積み換えなどの労力が必要だった鉄道は時流に抗しきれず、2003(平成15)年度を以て終わりを告げた。

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\ 日本銀行券は、財務省印刷局(旧大蔵省)で印刷された後に一旦日本銀行の本・支店に保管され、そこから全国の金融機関へ運ばれて社会へ流通していくことになる。その日本銀行券輸送の一端を鉄道(旧国鉄)も、戦前から一般の荷物車を使って行っていた。
 しかし、敗戦(太平洋戦争)で日本の経済はどん底に落ち込み、衣食住のあらゆる物資が不足して世情が混乱を呈していく中で昂進しつつあったインフレ現象阻止を図って、1946(昭和21)年2月17日に公布・施行された金融緊急措置令(新円切換)が実施されたのに伴い政府は、発行量・流通量が著しく増大した新紙幣の全国各地への運搬と旧紙幣回収の必要性に迫られた。同時に、当時の卸売物価指数の水準が1935(昭和10)年のおよそ200倍ともなっていたことから、その先の数年間も大量の紙幣運搬が予測された。そのため、国道でさえ当時はほとんどが未舗装の状態で、迅速かつ安全に大量の紙幣を運搬する方途は鉄道による以外にはないとして、日本銀行券輸送専用車両の製造が当時の国鉄に当然の結果として求められた。
 1947(昭和22)年に設計が始まり、翌年に日本で初の現金輸送専用の荷物車(日本銀行券輸送専用荷物車マニ34形6両・2001〜6)が誕生している。

\ 大量の現金を輸送する目的であっただけに、防犯上の理由から車両の構造も特殊であった。外観はなるべく目立たない一般型の荷物車に準じ、扉(ドア)は全面鉄板製、車内の中央には警備員スペース(3段式寝台、トイレ、物入れ、コンロなど)とその両側に輸送紙幣を保管する荷物室が配置され、人の出入りは車掌室の出入口1ヵ所(後端側)のみで、車掌室と荷物室との間に連絡用の通路はなかった。また、前端側の妻面には貫通路・貫通扉も設けられず、連結車両間の通り抜けはできない構造として、荷物室と警備員スペースは完全に独立した空間状態に置かれていた。
 この現金輸送の専用荷物車は、国鉄の在籍車ながら日本銀行と郵政省(現・総務省)の所有車両(私有車両)であった。設計などについては、国鉄はアドバイス的に意見を出した以外にタッチせず、全て車両メーカー(当時の日本車輌製造および帝国車輌製造)が設計・製造を行ったという。
 誕生と同時にマニ34形は、GHQ(連合軍総司令部)による経済安定9原則の発令(1948年)やドッジラインと呼ばれた単一為替レートの設定(1949年、1j=360円の固定相場制)など日本の経済が激動する中で、これに対応した日本銀行券輸送を一手に背負って全国各地へ大量の紙幣を運んだ。

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\ その後、日本の経済が徐々に安定化への途をたどるにつれて、輸送車両の運用にも落ち着きが見え始めた1954(昭和29)年に、警備員室の環境整備を目的に改造工事(寝台の撤去、リクライニングシートや飲料水設備の設置)が行われた。その後も、継続的に改造は実施され、冷房や暖房の装置搭載なども施行された。そして、約30年にわたって高度経済成長の最中を働き続けた日本銀行券輸送専用荷物車マニ34形も、近代化する輸送(高速化など)にそぐわなくなったことから1980(昭和55)年度までに全車両が廃車された。
 その後継車両として「マニ30形」(アルミ合金製車体による軽量化、冷暖房装置、自動昇降装置付プルマン式2段寝台、冷水器、冷蔵庫、電子レンジなど)が、1978〜79(昭和53〜54)年にかけ6両新製された。マニ30形には特殊装置として、屋根上の両端に無線用アンテナと1位側荷物室上部にラジオ用アンテナを設置、そして荷物室と車掌室の鴨居には監視用テレビカメラ3台を設置して警備員室での監視を可能としていた。

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\ 日本銀行券輸送専用荷物車マニ30形は、国鉄時代には荷物専用列車や急行旅客列車に連結されて日本銀行や各支店間の輸送を行っていたが、警備上の理由からその運転(運用)に関する情報は公表されなかった。ただ、実際には予め連結する列車や連結位置は決められていて、運転日のみが関係個所へ連絡されていた。
 現金輸送の頻度(マニ30形の稼働率)が最も高くなるのは、当然のことながら新札が大量に発行される年で、その中でも現行の千円札・五千円札・一万円札に切り替わった1984年頃(旧国鉄当時)が特に高かったという。
 ちなみに紙幣の積み卸しの時には、マニ30形の周りは、多数の国鉄公安職員によって取り囲まれて厳重に警備され、物々しい雰囲気に包まれていたという。この警備の物々しさは、札番号が連番の新紙幣を積み卸しするときよりも、旧い紙幣のときの方が特に厳しかったといわれている。なお、マニ30形に乗務(現金輸送時)していたのは、日本銀行の職員のほかに警備を担当する国鉄の公安職員(JR化後は鉄道警察隊)で、車掌は試運転・回送以外では乗務しなかった。

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\ JR化(1987年)後、マニ30形の車籍はJR貨物となったことで、通常はコンテナ列車等の高速貨物列車の最後部に連結されて使用され、旅客会社の客車列車に連結されることはなくなった。そして、高速道路網の全国整備がさらに進んだことで物流がトラック主体となったため、マニ30形の出番は急速に減っていった。それに加え、少なくなった稼働機会はメンテナンスコストを高める結果となり、最早鉄道による輸送のメリットも失せて、2003(平成15)年度を以て鉄道による日本銀行券輸送は終了し、鉄道貨物の輸送品目の一つが消えていった。

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 現役時代には、一般の人が近寄れなかった、日本銀行券輸送専用荷物車のマニ30形。廃車となって、はじめて間近で見られる(保存先・小樽交通記念館)存在となったのは、如何にも特殊輸送に携わっていた車両らしいところであると同時に、ベールに包まれ謎めいていた鉄道輸送の一つが明かされたことにもつながる。 (終)

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