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PJ: 田中 大也

自分を撮影しただけで「児童への人権侵害」となり得る理不尽な現実
2010年10月21日 16:52 JST

【PJニュース 2010年10月21日】「児童ポルノ」を撮影したという際に用いられる「製造罪」では、同意の有無は基本的に問題視されていない現状がある。被写体となった「児童」側の同意は「無かったもの」として無効化されてしまうので、同意を得ずに撮影した場合においても、未成年者の側が自発的に誘った結果の売買春行為の状況を同意の上で撮影した場合においても、等しく児童ポルノ製造の被害者と加害者という関係性が生まれることになっている。法的には、「誰が誰と」という部分を問わず、「どんな」画像や映像が製造されたのかという部分が重要なのだ。

だが、「どんな」画像や映像を製造したのかという点だけで犯罪性を問う法律の性質は、思わぬ形で、本来保護対象とされるべき未成年者にとっての脅威になりつつある。「自分自身」の裸を撮影し、公開するなどした青少年が、「児童ポルノ禁止法違反者」として検挙されるケースが、国内外で頻発しているのだ。基本的に児童ポルノ禁止法は、未成年者の側であっても、「製造される」立場で無い限り加害者扱いされうる法律だ。「どんな」画像を撮影したかのみで有罪性を問う現在の基準を当てはめれば、「製造」した当人である未成年者に責任があるという結論も成り立つ。

しかし、法的な論拠を考えれば、こうした事例はあまりにも理不尽であると言える。「児童ポルノ禁止法」は、児童の人権を保護するための法律であり、違反者は児童に対する人権侵害者ということになっている。通常のポルノよりも、児童ポルノの定義がずっと広く、量刑が重いのも、「児童の人権を侵害したから」という理由からなのだが、では、自分の体を撮影した未成年者は、一体誰の人権を侵害したと言えるのだろうか? 他の誰でもない自分自身という、もっとも確かな部分からの同意を取り付けた上で撮影に及んだ彼らのどこに、人権侵害者として、責められなければならない理由があったのだろうか。

こうした、自分自身への撮影で未成年者が逮捕されたという事例に対する報道では、公開したことや販売したことを焦点とする部分が多いようだが、実のところ、製造、つまり撮影した段階で、法的には犯罪が成り立っている。また、「衣服の全部または一部を脱いだ」状態で、「性欲を喚起させる」と取り締まる側に判断された時点で、児童ポルノの条件は満たされるのが現状だ。つまり、18歳未満の時に、自分の所有する携帯のカメラ等で、自分の裸や大胆な水着姿などを撮ったことがあるというだけで、犯罪と扱われるかも知れないということでもある。

未成年者が何らかの理由で、自傷行為に及んだとしても、児童虐待として扱われることはない。そうしたあまりにも当たり前の常識が、今日の児童ポルノ禁止法には通用していない現実がある。実態とはかけ離れた形で生まれている撮影問題をどう解決していくか、児童ポルノ禁止法を考える上で重要なテーマと言えるだろう。【了】

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