序.「俺の出番はこの回だけ!?」
Side:一刀
『長沙桓王の如く知勇兼備』
これは俺の孫に当たる孫皓が臣下や孫呉の土地に住む者たちから言われている言だ。
つまり雪蓮…孫策のように知識も武力も持ち合わせているという意味であり、彼女のような王になってくれるだろうと期待を籠められた彼の評価でもある。
史実では、両親に対して異常なほどの執着があり、国民をないがしろにした挙句、臣下を殺し、呉を滅ぼした暴君と言われていたはずだが、俺の孫となった彼は違う。
孫呉の将として何をすべきかを頭と心で理解し、兵たちの先頭に立って皆を率いる。次期国王として呼び声高まったこの時期にも兵を率いて賊を狩りに行く始末。まぁ、兵と将を一人も減らすことなく無傷で帰ってくるもんだから、兵からもその家族からの信頼も厚い。
政を疎かにしているのかといえば、そうではない。俺が話した天の国の制度や常識に耳を傾け実行する胆力。
まさかいきなり税をかなり軽くして消費税を導入したり、雪蓮と冥琳があれだけ訝しがっていた学校を作ったりとか色々と部下泣かせの事を実行しまくったのだ。まぁ、どれもこれも良い方に行ってくれたから国民と臣下からの羨望の眼差しは上昇気流に乗った。
そんな国民や臣下の様子を見た3代目の王・孫亮(蓮華の次女)は微笑みながら孫皓に南海覇王を託し黄柄(祭さんの娘)と一緒に酒盛りを庭先でするようになった。俺としては孫皓を支えて欲しかったんだけどな。
後は孫皓が孫呉4代目の王として即位する姿を見て、雪蓮や蓮華たちに会いに逝こうかなって思っていたときに奴らはやってきたのだ。
外史の管理者を名乗る胡散臭い導士たちが…。
「…ぐっ…!」
「ふん…。こんな老いぼれとなったこいつでも『北郷一刀』であることには変わりない。お前は徹底的に痛めつけて苦しめて、息を吸うことすら地獄と思えるようにしてくれよう」
「ふふふ。あまり老体に厳しいことはしてはいけませんよ、左慈。すぐに死んでしまいます」
左慈と干吉を名乗る2人組みの導士は部屋に入ってくるなりみぞうちに一撃を入れ、倒れた俺の頭を踏みつけた。頭蓋骨が床と導士の足に挟まれギチギチと嫌な音を発する。助けを呼ぼうにも色彩を持っていた部屋はいつの間にか無機質な灰色の世界となっていて俺と2人の導士以外の気配はない。
「…何故こんなことを……。もう幾ばくもない命であるはずの俺を…」
「関係ないな。北郷、お前は俺の手で壊す。そうすればお前を中心にして広がったこの外史は砕け散る。そうすることで俺たちの目的は達成される」
「…外史…砕け……散る?」
「無かったことにする。それが私たちの目的ですよ」
無かったことに…だと!?ふざけるな!雪蓮が、冥琳が、蓮華が、皆が創り上げて積み重ねてきたものを無かったことにするだと!やらせない。絶対にやらせない!
俺は手足に力を籠めて俺の頭を踏んでいる左慈を睨み付けた。
「それでこそ『北郷一刀』だ。壊しがいがある!干吉、手を出すなよ。こいつは俺が……がっ!?」
左慈のくぐもった声が聞こえたと同時に俺の目の前に眼鏡を掛けた男の首が落ちてきてごろんと転がった。その瞳には何も映されていない。
踏みつけていた力が弱くなり俺は膝つきだが体勢を立て直すことが出来た。
目の前にいる左慈の胸から剣先が突き出ていて彼が着ている銀色の服を鮮血で赤く染め上げていく。
「干吉の結界が効かない人形など!?馬鹿な……ありえるはずが…ない!」
「黙れ、下衆」
部屋の気温が急激に下がったように感じた。例えるならば極寒の地に裸で立ったような、身体の芯から凍えるようなそのような感じだ。この世界にきて様々な人間から放たれる気に押されることは多々あったが、こんな手足が震えて堪らないような思いをしたのは初めてだ。
「我らの祖が築きあげたこの国を壊すなど、絶対にさせるものか!」
そう言い放った者は剣を薙いだ。部屋に左慈の血が飛び散り、鉄の嫌な臭いが充満する。剣で切られた彼はそのまま倒れる。そして、左慈がいた場所に立っていたのは…。
「鷲蓮(シュウレン)…」
「大丈夫ですか、お爺さま」
孫にして、即位式を明日に控えた孫の孫皓が南海覇王を持って立っていた。
「どうして…いや、どうやって此処に」
左慈は言ったはずだ、結界がどうとか。効かないってことは、この世界の人間には結界の中を移動することは出来ないはずっていうことだ。なら、目の前にいて俺を助けてくれた孫皓は?
「まさか、俺の血を色濃く受け継いだから?」
「……はい?」
そう言って首を傾げる孫皓。
江東出身特有の褐色の肌、細身でありながらも鍛え上げられ引き締まった体躯、俺の愛した女性たちと同じ薄紫色の髪、そして青空のように透き通った蒼い瞳。……外見はむしろ、俺なんかよりも雪蓮や蓮華、シャオたちに似ている。もし若いときの彼女達が孫皓と並んだら、それこそ姉弟でいけると思う。
となると、勉学の方?いや、それに関しては孫皓の努力の結果だし、残りは……種馬的能力…か?
そんなのが引き継がれて、結界を自由に動けるってことになったらこいつらマジで泣くぞ。
「――さま、お爺さま!」
「うおぅ、な…何だ?」
「こいつはどうしますか?俺としては一刻も早く首を切り落としたいのですが…」
そう言った孫皓は左慈の首に南海覇王の切っ先を突きつける。すでに切る準備は万全状態だ。
「まぁ、待て。こいつには聞きたいことがある」
俺は踏まれていた頭を手で摩りつつ、孫皓に待ったを掛けた。
「しかしっ!」
孫皓は鼻息を荒くして大きな声を出す。孫皓のそんな姿を見て俺は溜め息をついた。
臣下や国民の目がある時は沈着冷静な態度を取る孫皓だが、身内のみになるとその姿は一変する。一言で言うと激情家。孫皓自身の本来の姿なのだが、この事実を知るのは俺と前王・孫亮、そして死んだ孫皓の母の孫和のみだった。
大きな戦いの後で勝鬨を上げる時なんかにちょっと見られたりするが、普段は隠し切っている。
こうなったときの孫皓は言動が子供っぽくなる上に、後先のことを考えずに行動してしまう。ストッパーが必要なのだ。
「孫皓、こいつらの目的は俺だ。俺が天の身遣いと呼ばれていたのは知っているだろう。たぶん、そこら辺が関係しているのだと思う」
「関係ありません。即刻、処刑すべきです!」
「お前のそれはどうにかならんのか、シュウ!!」
「この国を創り上げた英霊たちのことを無下にされて、どうして冷静でいられるのですか!殺すべきです」
「………くく…くははははは」
「「五月蝿い!」」
俺と孫皓は急に笑い出した左慈に向かって声を上げたのだが、俺たちは彼が持つ銅鏡に目を奪われた。
「もう、遅い。扉は開いたのだ。虚空へ消えろ、異端者(イレギュラー)ども!」
目を開けていられないほどの眩しい光の濁流が俺と孫皓の身体を包んだ。身体を動かすことも、声を上げることも出来ずに俺は光が収まるのを待った。
しばらくすると、俺は驚愕の表情を浮かべた左慈がいて首無し死体と割れた銅鏡のある俺の部屋にそのまま立っていた。
光に飲み込まれる前と違うのは、ただひとつだけ。
隣にいたはずの孫皓がいないという点。
「左慈―!!お前、鷲蓮をどこにやったんだああぁぁぁぁぁ!」
「俺が知るかぁぁぁぁぁぁ!!」
俺たちの空しい叫び声は灰色の無機質な世界に木霊したのだった。
とある荒野にて。
「……占いも捨てたものじゃないわね」
うつ伏せに倒れていた青年に近づき、青年が手に持つ宝剣を見て女性はそう呟いた。
Side:孫皓
俺は父親の顔をよく覚えていない。
覚えているのは気高き母の毅然と立つ凛々しい姿と、叔母たちに小言を言われながらも俺に勉学を教えてくれたお爺さまの優しい笑顔だけ。俺はそれを物心つく前から見て育った。
この国を作った英雄たちと戦乱の世を駆け抜けたお爺さまの話は楽しくて、面白くて、そして辛かった。
この国の文化と平和を形成したのは生きて英雄と呼ばれた者と、死んで国の礎となった者たちー英霊たち―で作られたものだとお爺さまは事あるごとに言っていた。
辛い過去であるはずなのに、悔しい過去であるはずなのに、お爺さまは涙を流していても笑顔で話してくれた。
俺はそんな英雄や英霊たちの血が己にも流れているという事実がどうしようもないくらい嬉しかった。
だから、学んだ。鍛錬を行った。
お爺さまが誇る英雄―英霊―たちに一歩でも近づきたくて。
お爺さまが語る孫呉の王に相応しい者に近づきたくて…。
俺は…。
酷く重い身体を起こして、俺は部屋を見渡し…。
「起きたわね」
「…………」
寝台の横の椅子に座った女性と目が合った。
「気分はどう?怪我はない?」
唐突な質問は混乱していた俺の頭を静めてくれた。俺は深呼吸し心を落ち着かせる。
主導権を握られることだけは避けないといけない。お爺さまも口を鋭くして何度も忠告していた。俺は江東に住む全ての民を護る王に、孫呉の王になるのだ。だから…弱い姿は見せていられない。
「問題はない」
「あら…。眠っていた時とはまるで別人ね……けど、楽にしなさい。ここには貴方と私しかいないわ」
「……貴女は…。いや、人に名を訊く時は自分から名乗らないとな」
「私からでもいいわよ……貴方、私の孫なの?それとも曾孫?」
「…は?―――っ!?まさか、孫策さま!」
「惜しい。私は孫文台、孫策は私の娘よ。ふふふ、占いなんて眉唾ものだって思っていたけど捨てたものじゃないのね」
いたずらが成功したかのようにくすくすと笑う孫文台さまを相手に、せっかく落ち着かせた頭の中が混乱し始めている。
「で、貴方の名前は?」
凛とした声と言葉。文台さまの一言で俺のざわついていた心は静まった。
「あ、俺は…いや、私の姓は孫、名は皓、字は元宋。真名は鷲蓮です」
「こら!真名はそうやすやすと教えるものじゃないでしょ」
『ポコッ』と俺の頭に軽く拳骨を落とした文台さまは、やれやれと眉を八の字にさせて呆れていた。
「す、すみま……申し訳ありません」
「いいわよ。貴方の楽な言い方で、歳は雪蓮と同じくらいだし気にしないわ。むしろ息子が1人欲しかったのよね~。あの人あっちが早くて、娘が3人よ」
「は、はは……(笑えない…お爺さまは絶倫だったらしいから、俺は多分大丈夫…なはず)」
「へぇ、貴方は自信あるんだ?」
「はい!…あれ、この場合はいいえ?」
「ぷっ、あはははは。おっかしい、この子」
これがお爺さまの言う『ツボ』っていうやつなのだろうか。文台さまはお腹を抱えて笑い目尻に涙を溜めている。
「あの…文台さま」
「くくく…。はぁ、何かしら?」
「わ…俺はどうすればいいんでしょうか。恐らく、元の時代へは戻れないと思うんです」
「詳しい話を聞かせて。でないと私は貴方を導くことは出来ないわ」
「はい…あれは―――――」
俺は即位式の前夜に起こったことを俺の視点で啄みながら文台さまに聞かせ、俺自身の考察の理由も話した。
「あ、あの文台さま?」
「鷲蓮!貴方はよくやったわ。そんな奴ら死んで当然よ、私たちや雪蓮たちが命を賭けて創った国の平和を壊すなんて言語道断よ!しかし、貴方が帰れないのは残念ね…でも、今の私たちの状況なら…。雪蓮の婿も…。むしろ私の2人目…」
なんだかよく分からないが不穏な言葉が出始めた文台さまを余所に俺は窓から見える空を見上げた。
寂しいと思う自分がいることに気付くが、それよりもお爺さまが誇っていた英雄たちに会えるのかと思うと心が高鳴る。
「文台さま…まだ未熟者ですが、しばらくお世話になります…って、何で服を脱いでいるんですか!?」
「憂いある表情もイイわ~、じゅるり。一応臣下や侍女たちには近づかないように言ってきてあるから気にせずに喘いでね」
「ちょっ!?俺、まだ…」
「童貞?それもイイ、じゅるり」
「だ、誰か助け…ぎゃーーー!!」
こんなことなら従姉妹の孫休姉さんの誘いに乗っておけばヨカッタヨ……。