Part 2

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界軍隊が暴力装置であり、国家の本質は暴力の独占だというのは、マキャベリ以来の政治学の常識である。それを「更迭に値する自衛隊否定」と騒ぐ産経新聞は、日本の右翼のお粗末な知的水準を露呈してしまった。

本書はサンデルの批判するリバタリアニズムの古典だが、国家の必要十分な定義は暴力の独占だと論じている。個人が集まって生活するとき、生命や財産を守るための自発的な組織としての保護組合(protective association)が必要になるが、複数の保護組合が衝突すると、暴力的な紛争が日常化する。それを防ぐために、一定の地域内で公権力が暴力を独占し、他の保護組合を武装解除するのが最小国家である。

ノージックは、国家に必要不可欠な機能は暴力装置としての軍事・警察・外交だけだとして、所得の再分配などを行なうロールズの福祉国家を否定した。これは国家論としてはオーソドックスなものだが、実際の国家がノージックのいうような手順で発生したわけではない。これについては「ロールズと同じく空想的な国家論だ」という批判があり、以後ノージックは一度も国家論を書いていない。

しかし個人の集まりから国家が生成する本書の論理は、アメリカ合衆国が生まれる過程をモデルにしたものと読むこともできる。個人が武器をもって争うことは非効率なので、自警団としての「邦」(State)ができるが、イギリスと戦争するためには邦が結束する必要があるため、主権国家としての連邦政府ができた。しかしその役割は戦争や外交と州際業務の調整に限定される最小国家であるべきだ、というのが合衆国憲法の精神である。オバマ政権を批判する「ティーパーティ」には、こうした建国の精神が残っている。

左翼に存在意義があるとすれば、こうした暴力装置としての国家の凶暴性を認識し、それを抑制する必要を理解していたことだ。しかしすべての暴力装置を否定すればアナーキズムになり、それに対して新たな暴力によって国家を転覆するレーニンの方法論は、歯止めのない暴力の独占をもたらした。

マルクス主義の限界は、暴力装置を誰がコントロールするのかという国家論が欠けていることだ。このため日弁連に典型的にみられるように、刑事事件で国家と闘うときは「権力=悪」という図式で議論するのに、過払い訴訟で消費者金融を壊滅させるときは、国家は財産を悪者から弱者に再分配する慈愛に満ちた福祉国家になる。

このようなダブル・スタンダードは、官僚機構を批判しながら政府の「景気対策」を求めるメディアから、「派遣村」で政府を批判しながら厚労省に生活保護を求めるボランティアまで広く分布している。それは「平和憲法」が暴力装置としての国家の本質を曖昧にしてきたからだ。しかし尖閣諸島や普天間基地の問題は、このような脳天気なご都合主義が、そういつまでも続けられないことを示している。

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トラックバック一覧

  1. 1.

    主義のない隠れ左派に占拠された日本

     Twitterとの連携がうまくいっていないので、手動で入力しよう。  民主党政治が仙谷官房長官や菅首相などの理想とする社会主義的な傾向をみせていることは、多くの国民が気付き始めていることだ。  許可されている報道への、さらに厳しい規制を検討しているの...

コメント一覧

  1. 1.
    • Dr. OK
    • 2010年11月19日 10:39

     アメリカは住民が努力して建国した人造国家だが、日本は細かい異論はあるものの1500年前から存在し続ける、自然発生国家だ。海に囲まれているため、我々の国民の領土範囲の意識は自然と決まり、外国との境界線をせめぎ合う領土の取り合いは歴史上殆どない。一時的に他国に攻めてもあるいは攻められてももすぐに元の領域に戻ってきた。
     だから我々は自分が日本人だ、日本国とはこうだ、と真剣に他国と比較して考える必要が少なかった。比較しても結論は極論ばかりであった。
     アメリカの様な国家の定義に対する意識は今後も育たない。法律とは何か、軍隊とは何か、外交とは何か、それらの概念は摩擦があるからこそ洗練される。日本には暴発があっても、摩擦は偶にしかない。暴発の後は極論しか残らず、持続的な摩擦が人を大人にする。それは個人も国家も一緒ではないか。

  2. 2.
    • cuique4
    • 2010年11月19日 11:08


    主権国家の並立的存在を所与の条件として政治・経済を語る者は,神の存在を所与の条件として世界を語る宗教教義学と何ら変わらないのだが,そのことを一体どれだけの人々が理解しているのであろうか。

    人身の自由と移動の自由が封建的な村落共同体を解体した資本主義明瞭期と同様,情報通信と移動手段の飛躍的発展が,国民国家を溶解させつつあるのが現代のグローバル化だ。
    この変化を的確に見抜けた者だけが,次世紀への生き残りの切符を手にするのであろう。



  3. 3.
    • hiratayukai
    • 2010年11月19日 11:37

    だがしかし、日本人は「脳天気なご都合主義」を続けていく定めなのです(笑)
    日本人とは?「最後に負けることが予定された民族」なのですね。
    これほど「自分で自分の首を締める」ことが好きなMな民族は世界的に稀有です。
    まさに究極のドM。
    イギリスは一足早く増税に踏み切りました。消費税を20%にし、株式譲渡税も18から28%に。極めつけは授業料引き上げ。現行の年間約41万円から約112万円!!!へ。
    対して日本は?まだまだばら撒き足りないようですね(笑)
    いや、この「危機」に対する認識の違いがすばらしい。
    日本人て船底にあいた穴を塞がずに、一生懸命全員で永遠に
    バケツで水はきして喜んでる世界的に「稀有な」民族ですよ。

    ところで先日の孫氏の新聞広告はどのように感じられましたか?

  4. 4.
    • kmukai0822
    • 2010年11月20日 00:57

    国際政治は机上の訓論ではない
    いくら学問の為の学問をしても、驕りを持てば、無能は無能、策者は策に溺れる。空き缶と言われる首相も出てくる。
    仙谷官房長官などは、学生運動の気持ちが抜け切れず、つい自衛隊を「暴力装置」と言ってしまったのでしょう。彼らは当時、アメリカを帝国主義と批判し、自衛隊、国旗、国歌は日本帝国主義の象徴とし非難し、ヘルメットと角棒を持ち、革命、革命と叫んでいた。日本赤軍など最も憎むべき犯罪者です。その時から思考が止まっているのでしょう。では彼らが羨望していた中国、ロシア、北朝鮮はどうか。それらの国には大きな軍隊があり、核兵器も持ち、世界に覇権を唱えている正に左派の社会主義独裁の帝国主義国家ではないですか。過去に革命の名の下に、子供たちでさえ巻き込み、虐殺と粛清が繰り返され、どれだけの血が流された事か計り知れない。辻元議員や小泉首相も何かをぶっ潰すと叫んでいたが、ただ潰してその責任を持てるだけの技量が有るのでしょうか。私には到底そのような実力や技量は無いと思います。言うは安です。
    自民党政権時代、「日教組は日本の癌だ」と本当の事実を言っただけで、閣僚を辞任させられた方もいました。それに引き換え、民主党は政権にしがみ付き、全く閣僚は責任を取ろうとしません。野党の時訴えていたのと真逆の状態です。民主党の中にも今の民主党の状態には納得できない方々も居られると思います。
    官僚や他の公務員にも、自分たちが責任を取らない民主党政権に早く退いて貰いたいと考えている人達は、多いことでしょう。
    全て、権力への執着と驕りから、内政、外交を誤るのです。今までの日本と世界の歴史を振り返って見てください。ナチスドイツ、スターリン、ポルポト、北朝鮮、大日本帝国、織田信長、平家等まだまだ数えれば限がありません。これは、民主党への非難と取れる一方、逆に考えればアドバイスです。

  5. 5.

    「軍隊が暴力装置であり、国家の本質は暴力の独占だというのは、マキャベリ以来の政治学の常識である。」池田信夫

    池田先生のおっしゃる通りです。しかし彼が生きていたら、仙石さんにこう諭すかもしれません。
    車寅次郎「それを言っちゃあおしめえよ」

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