【コラム】G20首脳会議という名の成人式
今月11-12日にソウルで行われた主要20カ国・地域(G20)首脳会議を前に、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙は、こんな書き出しの記事を掲載した。G20首脳会議を取材した後輩の記者も、これと似たようなジョークを飛ばした。「為替介入やら、経常収支のガイドラインやら、この上なく難しいテーマを話し合う、お堅い会議に強い関心を持っている人がいるとすれば、その人の正体を疑ってみるべきではないだろうか」と。
オリンピックやサッカー・ワールドカップとは違い、G20首脳会議はCOEX(ソウル市江南区三成洞)という限られた空間で行われる、閉鎖的な行事だ。ところで、AFP通信は今回のG20首脳会議を「韓国の成人式」と表現した。主要20カ国・地域という意味のG20の「20」が、成人年齢と同じため、このような表現をしたと思われるが、韓国が世界経済の枠組みに組み込まれるまでの歴史を振り返れば、韓国にとってはかなり意味深長な表現だといえる。
韓国は1960年代から、輸出主導型の経済成長を図ってきた。だが、60-70年代には、保護主義の下で世界市場に商品を売り込むことだけに没頭した。段階的な輸入自由化を経て、市場の開放を進め、国民が世界を意識するようになったのは、88年のソウル五輪開催とほぼ同じ時期のことだ。
その後、韓国経済は10年ごとに大きな変化を遂げた。1996年の経済協力開発機構(OECD)加盟をきっかけに、資本市場の開放に乗り出したが、97年のアジア通貨危機では、まるで潮が引くようにドルが流出し、国家が破産の危機に陥り、国際通貨基金(IMF)に助けを求めることとなった。個人も企業も、グローバル経済体制の下での生存競争に目を開いた。まさに波乱万丈の思春期のような10年だった。
それから10年。2008年には米国発の金融危機により、危機の世界への波及という事態に直面し、これをきっかけにG20首脳会議の一員となった。工業化の歩みは半世紀に及ぶが、国際化の歩みはまだ20歳の青年と同じレベルだ。
今回のG20首脳会議という成人式は当初、乗用車の5部制(1カ月のうち特定の日だけ運転を控える制度)に協力する成熟した市民意識、お祭りムード、外国企業の関係者と会う韓国の企業関係者たちの洗練されたマナーなどによって優劣を決める行事ではなかった。政策担当者たちが乗り越えなくてはならない、国際化のための厳しい試練だった。
大統領も、企画財政部長官も、担当の官僚たちも、グローバル経済について学ぼうと汗を流した。複雑なグローバル経済体制の下での争点を熟知した上で、世界経済の新たな枠組みをつくり、各国を仲裁し、韓国の論理で説得しなければならなかったためだ。
G20首脳会議という成人式を終えたからといって、韓国が即刻グローバル経済の主体になるわけではない。世界を見据えた開放的な態度、グローバルな争点に対する責任意識といった資格を満たし、世界各国との対話の相手となり、韓国の主張や論理を貫けるようになって初めて、「大人」として接してもらえるようになる。
政策担当者たちも今後、世界の舞台でG20首脳会議と似たような試練を経なければならず、そのためには常に実力とビジョンを兼ね備えなければならない。ただ権力を握ってさえいればよいという政治家や、世界の流れから取り残された高官たちには、それは不可能なことだ。
姜京希(カン・ギョンヒ)記者(経済部次長待遇)