刈谷城(亀城)址を利用した亀城公園には、ソメイヨシノ(約650本)が植えられており、4月には桜まつりが開催され、多くの市民で、にぎわっています。
現在、刈谷城の姿はありませんが、お堀あとの城池、小亀池が城址の面影を残しています。園内には
十朋亭があり、日本庭園と調和し、各種会合、休憩所など幅広く利用されています。
また、運動施設として、
刈谷市体育館、
刈谷球場、武道場、そして河川敷を利用した
亀城公園運動広場があり、各種スポーツに利用され、スポーツの振興に役立っています。
・由 来
亀城公園は、旧刈谷城の本丸と二の丸の一部にあたります。刈谷城は天文2年(1533)水野氏の築城で、亀城とも呼ばれています。
城主は、水野家のあと、水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦と続き、土井家が2万3千石で廃藩まで在城しました。
明治維新後、一時、国の所有となった刈谷城は旧士族に払い下げられ、昭和11年(1936)には刈谷町がこれを譲り受けました。昭和16年(1941)太平洋戦争が勃発、戦争末期には城跡の高台が高射砲陣地となり、うっそうとしていた大木も切り払われ、荒れ果てた姿となってしまいました。
しかし、戦後しだいに植栽等が進められ、昭和44年に高台一帯を日本庭園に造成し、その後も度重なる整備により、今日の公園となりました。現在は桜の名所として知られ、四季おりおりの花も美しく、小鳥のさえずりも聞こえる由緒ある公園です。
(亀城公園由来碑より)
・亀城公園の桜
本 数:約650本(ソメイヨシノ)
開花時期:3月下旬頃
見 頃:3月下旬〜4月上旬
◎所在地:城町1−1−1
◎交通:
公共施設連絡バス小垣江線「体育館」バス停下車