藤沢数希氏の記事を読んで、ちょっと考えさせられました。彼のいう「日銀は一向に金融緩和をしないと非難する一部の経済学者」は、この記事のように「量的緩和の効果はもう限界だ」という常識的な意見にも、「それは緩和が足りないからで、もっと思い切ってやればいい」というでしょう。彼らの頭の中では、デフレ=日銀の犯罪というフレームが固定されているからです。

彼らも、金融政策が「魔法の杖ではない」ということぐらいは認識しているようで、「リフレも構造改革も両方やればいい」というが、これは答になっていない。政策に利用可能な資源は有限なので(*)、問題はあれもこれもやるということではなく、限られた政策資源を異なる政策手段にどう割り当てるかという政策割り当てです。
その基本的な考え方は、マンキューの教科書に書かれているように、限界的な部分で考えることです。限界生産性とは、ある生産要素を1単位増やしたときに増える産出量で、これが各生産要素について等しくなるとき産出量は最大化されます。複数の政策を組み合わせるときも、限界的な効果が大きい政策に政策資源を割り当てればよい。いいかえれば、ボトルネックになっている資源を増やせば、他の資源は同じでも産出量は大きく伸びるのです。

量的緩和をいくらやっても物価上昇率は変化せず、補正予算をばらまいてもGDPが上昇しないときは、こういう政策の限界生産性は飽和していると考えたほうがいい。日本の潜在成長率は、内閣府の推定では0.5%だから、最近の年率3.9%という成長率は、むしろ「上ぶれ」している。つまり短期的なマクロ政策の限界的な効果はゼロに近いと推定できます。20年にも及ぶ長期低迷の原因は、GDPギャップのような短期的要因ではなく、構造的要因と考えるのが普通です。

他方、経済の効率を引き上げる長期的な構造改革は、ほとんど進んでいない。それどころか民主党政権は、労働市場の硬直性を増す政策をとり続けています。経済成長についての実証研究が示すように、生産要素の流動性は成長率に大きな影響を及ぼすので、この部分がボトルネックになっている疑いが強い。したがって、まったく手のつけられていない労働市場改革の限界的な効果は非常に大きいと推定できます。

私も金融政策の必要は否定しませんが、その役割は「自然水準」からの乖離を埋めることに限定されている。今の日本のように、自然水準そのものがゼロ成長に近い状態で、それを目標とするマクロ政策に資源を投入するのは無駄です。政策資源はもっと長期的な政策、特に労働市場の改革に割り当てるべきです。

大卒の就職内定率が6割を下回る若年労働者の悲惨な状況を改善する上でも、民主党よりも「若者たちのために、政・労・使のポスト終身雇用制度確立のための合意形成を行なう」という表現で雇用の流動化を打ち出し始めた中川秀直氏など自民党の改革派のほうが期待がもてます。

(*)いうまでもないことですが、量的緩和のコストはゼロではなく、インフレなどのリスクを含んでいます。有価証券を買う「信用緩和」は、最終的には納税者のコストになります。