53a9a5748ba7a79072074161b49a4d3b_l自衛隊を暴力装置というのは普通の感覚であって別にフォイエルバッハが言ったからではない。みんな日常的にそういっている。別にレーニンが国家もそうであると言ったからではなく、当然、国家ですら暴力装置であると考えるのが普通であろう。なぜなら暴力革命で国家転覆を企てる根拠として国家自体、あるいは警察、軍隊がそもそも暴力装置であるという前提があるからだ。

それがなんで自衛隊員を貶める言葉なのか全く理解できない。

自衛隊も警察も武器使用が合法化されているから、そこにいる人はそれを知っていて入っている。それが正義の為とか治安維持のためとか人民弾圧の為とか、、考える余地はない。公務員としてそういう職務であるというだけだ。だから暴力装置でなにがいけない、納得ずくなのだ。

基本的に火を消す為に消防隊に入り、電車を動かす為に運転手になり、事務をするために事務員となり、家を建築する為に大工になり、ボールをなげるためにピッチャーになる、、ってなわけで、自衛隊は場合によって武器を使う職業であることを自己認識していると考えるのが普通である。

高所恐怖症で高いとこに登らないと決意しているひとが高圧線の保安員になるとか、武器を毛嫌いするひとが軍隊の砲兵になることは職業選択の自由が保障されている日本では、まずないのである。

細部はいざしらず大枠として自衛隊は軍隊である。迷彩服をきて火器を使用する規律のある集団を普通、軍隊という。同様に社会学的にこれを国家管理下の暴力装置という。

お蕎麦やさんをそばやといい、広義で食い物屋さんという。山口組員をやくざといい広義で暴力団というが、「暴力装置」とは通常いわない。

08042301問題は政権に汲々とする仙谷が自分の考えを捨てて、すぐ謝罪したことだ。そんなに名誉が欲しいのか、そんなに金がほしいのかしらないが、自分の魂を売ることがそんなに楽しいのか、まったく理解に苦しむ。まあもともとそこまでの男だとは思っていたが、現実にそうだとやはり情けない。

こんな男の影に隠れている菅はもっと情けないけれど、、、。