2010-11-20
■もうちょっとまともな反論があるのかと思ったら
⇒とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
なるほど、この定義によれば、国家権力は暴力装置である。では「暴力を発動するため」の「暴力」とは何だろうか?警察や軍隊だとすれば、「警察や軍隊を発動する」となり、意味が通らなくなる。
意味通るけど。警察とは警察暴力であり、軍は軍暴力。なにか疑問でも?
むしろ、その後半の部分と比較してみればわかるが、軍隊や警察は、「諸機関」と並列されているのである。つまり、国家は暴力を発動するために、警察や軍隊を配置しているのであって、「暴力」そのものではなく「機関」なのである*1。
警察や軍は機関(organ)だよ、それが、暴力装置としてapparatus化(装置化すること)されているということ。そしてapparatus(装置)とすることで、その機能によって意味づけられている。(国家が暴力のorganだ、とは言えるけど。)
タコ焼き器に統合された鋭利なキリは、機関としての刺すという機能をもっているが、タコ焼き器という装置によって、タコ焼き返しという権能としてapparatus(装置)とされているということ。
ところで、警察や軍隊だって、それぞれの暴力を「適切に」発動するために諸機関を置いている。つまりそのように組織を形成している。その意味ではもちろん「暴力装置」なのであり、その「暴力装置」が国家の意思から離れて、自律して行動してしまう危険性はつねにあるのである。
警察や軍がそれ自体の諸機関をもつのはそう。だから、警察とは警察装置であり、軍は軍装置。だけど、国家に独占される暴力としての装置性はない。というのは、そもそも暴力装置が国家だからだ。国家が暴力を独占するから暴力装置はひとつになる。
われわれは、どんなに治安がよかろうとも警察国家に住みたいとは思わないだろうし、どんなに強力な軍事力を持とうとも軍事国家に住みたいとは思わない。
いや、市民は夜警国家に住みたいと思うし、軍事が正当に行使される軍事国家に住みたいと願う。でないと侵略されるからね。
ところで、軍隊も警察も、組織としては国家という組織の一部である。その意味では、国家そのものも「暴力装置」であることにかわりはない。しかし、だからといって警察(組織)や軍隊(組織)は「暴力装置」ではない、ということはできない。
警察や軍が国家の組織であることはそう。それはお役人がいる官僚組織として。で、それらの機能である暴力は国家に収納されるから、国家がイコール「暴力装置」となる。
だが、そもそも、自衛隊や警察が行使する力は暴力であるということを認めず、正統な暴力は正統なのであると繰り返すだけでは、それは自己欺瞞といわざるをえないだろう。
認めているのだが。
また、正当な暴力こそ市民を守るものでもあるが、どこが自己欺瞞なのだろう。
自己欺瞞があるとすれば、こうした暴力装置をどのように解体する契機を持つかというマルクス=吉本隆明的なテーゼにおいてだけ。
というわけで。
国家というのは、諸暴力をapparatus(装置)とするがゆえに、唯一の暴力装置なのだという基本がまるでご理解されていないご様子。
暴力装置とは国家という意味なのだよ。
それと⇒はてなブックマーク - とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
まあ、その議論の賛同者が多そう。
- (11/20) as62
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- (11/18) Taqm
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