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2010-11-20(Sat)

5x3と3x5は違います。

概要

  • バツをつけたくらいでガタガタ抜かすな
  • 算数=数学+国語
  • 「正しい答えが出る式」は「正しい式」とは限らない
  • 義務教育の使命は「落ちこぼれを作らない事」
  • 数式で意図は表現できるし、表現すべきだ

参考サイト

おおむねどこの議論も堂々巡りなので

黄金原本更新, 【最短理解】なぜ5×3ではなく3×5なのか - ワタタツの日記!(2010-11-13)

はてなブックマーク - Togetter - 「かけ算の5×3と3×5って違うの?」

ブクマコメあたりを参考に論点をひとつひとつ潰していくよ。

算数=国語+数学です

「数学の世界に国語を持ち込むな」とか言っている人がいるけど、算数とはそもそもそういうものです。「りんごが3つ、おさらが5まい」という日本語から「3x5(もしくは5x3)」という式を立てる、という過程は「国語か数学か」と言われれば国語でしょうが、「国語か算数か」と言われれば算数です。「算数」の守備範囲には、「実際の問題を数式に変換する」部分も含まれています。算数の指導要領には「日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考える能力を育てる」と明記されています。

数学と算数の違いが大前提なので、最初に述べておきます。この文章では「数学」と「算数」の使い分けを意識的に行なっています。

交換則は関係ありません

で、「代数的には 5*3 も3*5も同じ」とか言っている人が多いけど。

算数では「正しい答えに行き着く数式である事」は「正しい式である事」を意味しません。大事な事なのでもう一度言います。算数の世界では正しい答えが出るからと言って、その式が正しい事にはなりません

立式というのは、数学にとっては「解を求めるための過程」に過ぎません。ですから基本的には解さえ合っていればすべてが肯定されます。現実には、ヤマカンで答えた訳じゃなくて計算をしたんだ、という証明のために式を要求されますが、その程度です。

ですが、算数にとっては違います。算数とは

  • 日本語(または絵図)から式を作って
  • それを数学規則に則って計算し解を出す

カリキュラムです。式は単なる解を求める手段ではなく、「式を立てる」事自体が評価対象となります。

3x5と5x3が交換可能というのは式を立てた後の世界の話です。問題は「5枚の皿に林檎が3つずつ」という問題を式に起こす際の過程の話、国語か数学かで言えば国語の世界の話です。

学校教育はバカのためのものです

5枚の皿に林檎が3つずつ、という問題で5x3を式として立てる人は大雑把に分けてこんな感じ。

  • よくわかんないけど、問題文に出てくる数字を適当に組み合わせておけばいいんじゃないかな」という子
  • 5皿x3つずつ、のほうが、3つずつx5皿、よりも自然に感じる子
  • 5x3と3x5が等しい事を理解しているので順序に無頓着な子

義務教育で最優先でカバーしなければならないのは最初の子です。そもそも義務教育とは国民の最低レベルを中卒レベルに引き上げるための制度であり、優れた子に英才教育を施す事よりも、おばかな子をまともな子にしてあげる事が優先されます。

最後の子が数学嫌いになる云々と抜かす方もいるようですが、心配しなくとも本当に賢い子は「式は"ぼくはわかっている"という事を先生に分からせるためのものなんだ」というルールをかなり早い段階で見抜きます。また、「自分にとって自明な事でも過程をすっ飛ばさず、万人に分かるようにギアを落として1から説明する」というのは理不尽でもなんでもなく普通に生きていくために必要なスキルなわけで、早いうちに叩き込んでおく必要があります。

式とは言語です

これは算数の問題を越えている。いかに採点者の気持ちを汲んだ解答を作れるかというコミュニケーション能力を計っている

とあるブコメより、前半はともかく、後半は正解です。コミュニケーション能力を測っています。数式はコミュニケーションの手段です。可換なものを、どのような順序で並べるかという部分で、計算者の意図を表現します。

数式の立て方が文化に依存する事がその証明でしょう。英語圏では「5枚の皿に林檎が3つずつ」は、日本とは逆に5x3です。数式が「ことば」だからこそ文化圏に依存するのです*1

「式で思考過程は表現できない」などと主張する人も多いようですが、「文章で人の気持ちは表現できない」「テストで頭の良さは計れない」と同レベルの話でしょう。

バツはたいした問題ではない

バツをつけると子どものやる気をくじくとか、ちょっと微妙だけどバツにまでする必要はないとか、マルかバツかをさも重要な問題であるかのように語っている人も多いようですが。

巫山戯るなボケ!

私はこういう考え方が学校教育を駄目にする元凶だと考えています。他の人たちは意見が対立しているだけなので許容可能ですが、この主張をする人たちだけは真剣に死んで欲しい。

バツというのは「これは採点者が事前に意図していた回答とは違う」程度の意味しか持たないはずです。不服なら異議申し立てをすればいいし、そこから新たな学びが生まれる事だってあるでしょう。答案返却の際、微妙な裁定でバツになった問題をマルにしようとするやり取りの中で新たな事を学ぶ、なんてのはよくある事でしょうし、一度バツをつけられた方が印象に残って以降間違えなくなる、なんてのもよく聞く話です。

試験の点数がちょっと低くなったから、だからなんだと言うのですか?定期試験のスコアで一喜一憂するなんてのは、ミニスカートの丈を競う女子高生以下でしょう。目的は学びであり、点数は目安に過ぎません。

「バツをつけると子どもが数学嫌いになる」なんて妙な社会的圧力を教育の現場にかけるから、教師がどんどんバツをつけなくなり、バツの深刻性が無駄に増していくのです。

マルかバツかなんて、どうでもいい

*1:3x5と考える思考過程を子どもに押し付けていいのか、というのは確かに微妙だとは思います。思いますが、どれかひとつの考え方を選択しないと教えようが無い以上、必要悪でしょう

logic_masterlogic_master 2010/11/20 20:28 カルト信者め
ふざけてるのは君だよ。悔い改めろw

logic_masterlogic_master 2010/11/20 20:33 なーーーーーーーんにもわかってない!!!!!!!

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