社会に不平不満を言う人は
社会に不平不満を言う人は所詮幸せな人なんだと思っている。
私は元・被虐待児でもあり、今でも発達障害者だ。
でも、自分のことをあまり弱者だとは思わない。
個性だと開き直るつもりも無いけれど、
どこかで辻褄が合うように人生できていると信じている。
私はネガティブな暗い人が好きじゃない。
最近も他所様のブログでのトラブルに油を注いでしまった。
引きこもれる人は幸せな人だと思っている私に、
不幸自慢をされても、申し訳ないが共感できない。
家に食べる物が何も無いという生活でも引きこもれるのだろうか?
その家の家賃も払ってもらえなくなり、
食べ物を買うお金だってすでに無いんだ。
18歳未満だと生活保護も受けられない。
児童養護施設に私を預かってくれ、と自分で頼みに行っても断られた。
親権者が生きていると許可が要るんだそうだ。
16歳の女の子がホームレスにでもなれるというのか?
どこかに売り飛ばされるのが関の山だ。
うちの両親はそのリスクを含めてでも施設は嫌だと言った。
「施設に入れたなんて世間体が悪いから嫌だ」と。
思春期の食べ盛りに
数ヶ月で52kgの体重が40kgくらいまで落ちるほどの栄養不良。
この時の栄養不良が原因で後にホルモン異常に悩まされることになった。
だから、治療のためホルモン剤を何年も飲み続けた副作用で今は太っている。
太っていて、見た目が悪くなっても、ご飯が食べられる今が幸せだ。
今なら、養育放棄で保護してもらえたのかな?
私の診断名は特定不能の広汎性発達障害。
2人の医師が確定診断した。
それでも1人の医師は高次脳機能障害の可能性を示唆する。
虐待を受けた時、何度も頭を殴られているし、床にも打ち付けられている。
大きなたんこぶで頭の形が変わった事だって何度もある。
虐待でくも膜下出血とかになる子どももいるから、
私もその可能性は否定しきれないのは確か。
でも、だから何だって言うのだろうか?
私の人生は私の物であり、親の物じゃない。
障害者としての権利主張も良いけれど、
自身が変わろうという意欲は無いのか?と思う当事者もいる。
自分はまるで悲劇のヒロインかのように言われても、
酔っていたい人は変わらないんじゃないかと思ってしまう。
私は、私は今幸せだと思う。
残念ながら幸せじゃない時期もあった。
でも、乗り越えたと思っている。
怨んで生きているうちは、
その人に幸せは訪れることは無いだろうと思う。
色々な不満を当事者から聴くけれど、
その多くは本来しなくても良かった苦労だったり、
単なる勘違いからの被害妄想だったり。
そこが病理の深いところでもあるんだけど、
とどのつまりは自己肯定感だと思う。
強い信念と心の拠所があれば、人はきっと幸せになれると思う。
Love yourself !!!
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