暗い過去
私にも暗い過去はある。
だからこそ、暗い人生は嫌だ。
私は16歳やそこらで親の離婚で突然人生を変えられた。
両親の両方から引取りを拒否されて、裁判所で揉められたり、
どちらの家にも入れてもらえなくなって、児童相談所に自ら相談に行ったし、
結局高校だって3回も中退や除籍をされそうになった。
(実際は3回目は回避できたので、2回だけど。)
17歳で一発で全科目大検を独学で合格した時、私は帰る家が無かった。
その後大学に行ったし、上書きで隠せるようになったけれど、
しなくても良いはずの苦労はたくさんしてきたつもりだ。
5歳の時に妹が生まれた。
5学年年下の妹が生まれた時、私はまだ子どもだったはず。
その時私は両親からはっきり言われた。
「お前の育て方は間違えたのでこの子はちゃんと育てる」と。
その後も育て方は全く変えられ、私は虐待を受け続けることになる。
小学校に入ってからも、家で殴る蹴るされるのは私だけ。
どうして妹は殴られないのに?と訊いたら
「この子はまだ小さいから」と言われた。
私がそう言われた年を過ぎても、妹が殴られたりすることは無かった。
勉強は出来てもドン臭い私は友達も数えるほどしかおらず、
お世辞にも社交的とは言えなかった。
中学校に入っても、相変わらず私は殴る蹴るされ続けた。
何度病院のお世話になっただろう。
今でも後遺症で一部の機能がオカシイ。
物心のついた妹は両親と一緒に私をなじる。
小中学生の頃の私の心の拠所は法律書だった。
憲法に始まり、六法を丹念に読み続けていた。
そして、父に殴られ、蹴られ、ぐったりするまで、
私はいくつかの条文を叫び続けていた。
父は「民事不介入」と高笑いしていたが。
こんな家に引きこもれるというのか?
毎日、民法の規定を読み、一秒でも早く戸籍を分離しようと思った。
私は高校生になった。
行きたい学科は別に有ったのに、
大学は好きな学問をさせてやるから、と
親と担任が学区一の進学校に押し込んだのだ。
その頃には家庭は大崩壊に向かっていく。
高校2年生の時、とうとう両親は離婚した。
その後も私を引き取りたくないと両親は揉め続けた。
私の親権は母→父→父→母と移動した。
親権を外すために誰かと結婚してしまおうかとも思ったほどだった。
皮肉なことにも最初の高校が進学校だったおかげで助かった。
私が除籍された時には既にセンター試験の範囲の学習は終わっていた。
次行った学校には1ヶ月も通えなかったけど、関係ない。
そのまま試験前の軽い勉強だけで大検に全科目合格できたのは
一重に最初の高校のおかげである。
その後、別の高校に戻り、一応卒業させてもらった。
ここも退学するって騒ぎになったけれど、ね。
これだけのことがあったから、こそ、
何が何でも大学を卒業したいという原動力にもなった。
知らない人はラベリングされた私を評価し、
中身まで見てくれないと知ったから。
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