ドロシー・ロー・ノルトの「子どもが育つ魔法の言葉」PHP研究所
からの引用文をブログに書きました。
人間は環境により育まれ、社会での生き方を学んでいきます。
「けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる。
 とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる。
 分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ。」
現代社会は、悪意と敵意に満ちていると思っている人も感情を自由に表現する権利はあります。
だからといって、自分に気に入らない、人やモノに当り散らしていいのでしょうか?
インターネットの中で人を叩く、噛み付く、嫌がらせをする人達はそれがどういう影響を現実に人に与えるか?考えて、書いたことがあるのでしょうか?
実際、インターネットによる嫌がらせが原因で、今、私は難聴気味で耳鼻科に通っています。
ストレスで耳に栓がつまったような状態で、時々、空気が抜けたように音が大きく聞こえる感じで耳が炎症をおこし、両耳が痛いので、薬を毎食後に飲んでいます。
このように、パソコンのスクリーンの向こう側にいる人間の身体に「暴力的な言葉」や悪意ある中傷攻撃が悪影響を与えていることが、わかっているのでしょうか?
怒りや憎しみなどのマイナスの感情をあるがままに表す「野生の動物」がサイバージャングルに生息していることも事実です。
何を読んでも、わざと意味を曲解してしまう人も確かにいます。
社会の中で自分が活かされていない、こんなはずじゃなかったという不平・不満ばかりネットでつぶやくよりは、前向きで建設的・発展的な夢や希望の意見交換をすべきではないでしょうか?
人格の否定を最初にしたり、不信感がスタートラインでは、不毛な結果しか望めないと思います。
「子どもが育つ魔法の言葉」を曲解した人は「育ちが悪い」とバカにされたとネットでつぶやいています。
曲解しかできない人と関わっても、私自身の身体に悪影響を及ぼすだけなので、ツイッターもブロックしています。
匿名のネット社会が、無責任な嘘だらけの誹謗中傷の吹き溜まりになり、それが人の身体に悪影響を及ぼし、体調不良の原因になったとしても、責任の立証は困難です。
インターネットにおける「人権の尊重」を教育現場で取り組まなければ、日本ではソーシャルメディアとして、ネットさえも有効活用できない国になってしまいます。
先日、広島でノーベル平和賞授賞者世界サミットが行なわれました。
今度は、広島で『世界人権サミット』を開いてほしいと思うのは私だけでしょうか? 

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