久しぶりの日記です。
さて、アメリカに在住し数年間たつと、現地で色々な日本人に出会います。日本人です、アメリカ生まれの日系人ではありません。
よく観察いたしますと、アメリカ在住の日本人には二つの種類があるように思います。
@日本人としてのIdentityを持ち続けている人。
AYellow Bananaになってしまう人。
@は日本人として日本の文化、日本人としての誇りを持ち続けている人です。
Aは日本人としての文化、誇りを捨ててしまう人であり、「アメリカ人に成りきろう」とする人。即ち、皮膚は黄色で、心は白人というわけです。この種の人を白人は、イエローバナナと呼んでいました。
これはIdentityをどこに置くか?という問題になるのですが、この言葉を辞書で引きますとこのように出ておりました。
1 [U]同一であること,同一性,一致.
2 [U][C]本人であること;同一人[物]であること;身元,正体;個性,独自性,主体性,自己,自分らしさ.
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/1/1na/036031000/
しかし辞書を引いても、チョッと実際の意味合いとは違うのです。そうです、これは日本語に無い概念なんです。全国民が日本人である我が国ではこのIdentityという言葉は必要なかったんでしょうね。
さて、アメリカ創価学会ではどうだったんでしょう? 私が渡米した当時の、1970年代のNSA(Nichiren Shoshu of America)は日本人に対し、AのYellow Bananaになることを勧めており、主要ポジションを占めていた日本人は全員解任され、小沢一郎元幹事長ではありませんが、「一兵卒」と降格され、ひたすらアメリカ人らしくしよう、ということで、思考はアメリカ人風、しぐさもアメリカ人風、をひたすら追求していた時期がありました。
私も当初、これに影響され、出来るだけアメリカ人に成りきろうと色々努力したのですが、結局は「日本人がアメリカ人に成りきる」ということは出来ないし、またネイティブではない日本人がそのようにしている人を見ると非常に滑稽に思えたのです。要するに日本人から見ても、アメリカ人から見ましても、「変な日本人・・」と見えるだけでした。この種の日本人を指してアメリカ人は「He is a yellow banana」と揶揄していたのです。
アメリカに限らず外国で生活する日本人にとって、このIdentityということは非常に重要なことです。私流にこの言葉を翻訳するとすれば、「本来の自分は誰なのか?」と訳すのが一番適当ではなかろうか、と考えております。
以後、私は、無理にアメリカ人に成りきろうとすることを止め、「アメリカに住み、アメリカのことをよく知る、生粋の日本人である」ことをモットーに生活することを決意したのであります。そしてそのほうが楽でした。アメリカ人も私を「変なガイジン・・」と見るのではなく、日本人とみてくれ、そこには人種偏見もなく、日本人vsアメリカ人として対等に見てくれたのでした。
今振り返れば、NSAは組織を挙げて「変な日本人、出来そこないのアメリカ人」を大量生産しようとしていたのですね。
昔の莫迦な笑い話の一つを紹介させて頂きました。
追伸:池田センセが初めてアメリカに来られた時、「アメリカは日本の庭だ。アメリカに在住する日本人は全員アメリカの市民権を取得せよ! アメリカ人に成りきれ!」この指導により、アメリカ創価学会のYellow Banana化が量産されたのです。その結果入信したアメリカ人、この程度なんです。笑!
http://www.youtube.com/watch?v=PRr3zTzoVhk
海外の布教も同じであり、いくら随方毘尼(ずいほうびに)と言えども、その根本は日本であり、大石寺であり、アメリカ文化ではないのです。
そのことを忘れてはいけないのではないでしょうか?

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