朝鮮半島を中国とみなす記述
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朝鮮半島を中国とみなす記述では、歴史的に朝鮮半島全体やその一部が中国領土やその植民地、あるいは支配下にあった、または、あると見なす出版物や報道等について記述する。
目次 |
[編集] 報道関係
- 2006年に駐日アメリカ合衆国大使館から接続されたIPユーザーがウィキペディアの朝鮮の歴史の朝鮮近代史の項目を削除し、「朝鮮に歴史なし 昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」との書き込みを行った[6][7]。(WikiScanner#話題となった主な編集の項目を参照)
- スペインの有力紙『エル・ムンド』(El mundo) は、朝鮮は建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年間にわたって中国の植民地だったと報道した。『エル・ムンド』は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年の韓国併合までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報じた[1]。
- CNNは韓国が元々中国植民地だったと報道し、ヒストリーチャンネルは平壌を中国植民地だと報道した[1]。
- ヒストリーチャンネルはウェブサイトで韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったと紹介し、「韓国は韓国の全ての歴史をひっくるめて中国と日本から強力な影響を受けた国家(Chinese and Japanese influences have been strong throughout Korean history)」だと叙述し、また「韓国を最初に建国したのは中国の学者箕子で、韓国は中国の植民地から最初の国家が始まった中国の植民地国家だった」と叙述した。さらには新羅の三国統一が中国の支持を通じてのみ可能だったと強調し、三国統一の過程における新羅の役割を縮小および削除して、中国の支援を強調した。壬辰倭乱は、韓国人の抗争は紹介せずに中国の助けだけで韓国が壬辰倭乱を逃れたと記述しており、また、丙子胡乱以後は中国の植民地になり、外国との接触を絶って「隠遁の王国」に転落したと紹介した。VANKは、これは韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったという歴史観で、東北工程を間接的に支持する資料として誤用され得ると批判している[4]。
- 2006年にCIAが国家情報報告において、「韓国は1000年間独立国家だったが、日露戦争により日本が占領した」と紹介した。これに対してVANKは、「これは西暦1000年以前は独立国家ではなかったという意味で、高句麗と古朝鮮の歴史を古代史から除いている」と批判し、CIAに抗議書簡を送っている。CIAはこの書簡に対して返事を送らなかったが、「去る数千年間の長年の独立歴史である韓国」と訂正した[6]。
- 世界銀行、イギリス公共放送局チャンネル4を含めた外国教育機関、教科書出版社、ポータルサイト、百科事典など34の機関の世界地図で韓国を中国領として表記している。例えば世界的なファーストフード会社のバーガーキングは自社のホームページで朝鮮半島を中国領として表記している他、アメリカの有名旅行情報サイトのゲート1トラベルは北朝鮮を中国領として表記している。また、ニュージーランドの茶販売会社ベル・ティー・カンパニーは、自社サイトで韓国を中国領としている[7]。
- 外国教育機関、百科事典、博物館、図書館などで中国の漢、元、清などの歴史を紹介する世界地図が朝鮮半島全体を中国領と表記している。例えば、中国の国営放送CCTVのサイトは元の時期の世界地図に朝鮮半島全体を中国の土地として紹介し、米国のミネアポリス美術館のサイトも元の時代の朝鮮半島を中国の領土と表記している。また百科事典「グロリア」と歴史サイト「ハウ・ツー・フットワーク」、図書館サイト「アイビブリオ」は清の時代に朝鮮半島を中国の土地と同じ色で塗り、百科事典「ニュー・ワールド・エンサイクロペディア」をはじめとして学術機関「カルチャー・チャイナ」「ピッツバーグ大学」「ミネソタ州立大学」等のサイトは漢江北側を、中国紹介サイト「スーパートレース」と「NEN」などは全羅北道北側地域まで中国領としている[8]。
- コロンビア大学のオンライン百科事典やアメリカ議会図書館などの海外サイトに紹介された韓国古代史のくだりには、「古朝鮮も中国の植民地」=「古朝鮮は紀元前12世紀に、中国人、箕子が韓半島北部に建てた国だ。その当時、韓半島南部は日本の大和政権の支配下にあった」と書かれている。これらサイトは、韓国を「強大国に挟まれて門戸を閉ざしていた『隠遁の国』に描き「日清戦争以降、日本の支配を受けながら近代化に成功した」と説明している[3]。
- ヤフーチャイナは、古代の韓国領の一部を中国領にしている。ヤフーチャイナの世界地図オンラインサービスで、西漢時代には漢江より北を、唐代には韓半島北部と湖南地方を、元代には漢江より北をそれぞれ中国領と表記している[9]。
- 世界地図オンラインサービス内の時代別地図には、過去に韓国領だった間道地方が全く表記されていない。有名軍事ポータルサイト鉄血軍事で紹介された世界地図も同様の地図を掲載している[9]。これに対して、VANKのパク・ギテ団長は「これは中国政府が『東北工程全世界戦略』の一環として、多国籍ポータルサイトであるヤフーのグローバルネットワークを活用し、古代韓国が中国の領土だったというわい曲された認識を世界中に植え付けるべく、水面下で作業している証拠だ」と主張している[9]。
- ヤフーなど世界のポータルサイトが「平壌は約2000年間、中国の植民地だった」という内容を掲載している[10]。また、ヒストリーチャンネルやブリタニカ百科事典など世界的なインターネットサイトも同様の内容を掲載している[10]。ヒストリーチャンネルは「平壌は紀元前1122年に中国商王朝の子孫によって誕生した都市で、平壌付近には都市の伝説的設立者である中国学者の箕子の墓がある」とし、「紀元前108年に平壌は中国の植民地となり、文化の中心地になった」と説明している[10]。
- 「韓国は19世紀まで中国の一部だった」という韓国情報が海外サイトに掲載されている。イギリスの世界歴史情報サイトである「spartacus.schoolnet.co.uk」は「韓国は1637年に中国の一部に併合されて、1895年まで独立できなかった」と、韓国を中国の属国と表現し、国際児童救護機構サイトである「sos-childrensvillage.org」は古朝鮮についての紹介なしに「中国の箕子が韓半島に国家を初めて建てた」と説明し、韓国の歴史が中国から始まったかのように記述した[14]。
- 世界最大オンライン百科事典であるエンサイクロペディア、世界最大教育ポータルサイトであるファクトモンスター、インフォプリーズ、レファランス・オールリファー、コロンビア大学オンライン百科事典バートレビなどの教育ポータルサイトは、中国の世界史教科書に載せられた韓国史をそのまま反映し、韓国の高句麗を最初の国家として紹介して高句麗前史が抜け落ち、高句麗及び三国時代の設立時間なども過って載せ、韓国史の初めの部分に「韓国は全歴史を通じて中国と日本から強い影響を受けた」「韓国は中国の植民地国家」と紹介した[15]。
- ヘレン・ミアーズは、アメリカの鏡・日本で、「日本は韓国の独立という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。(中略)日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた」と述べている。
- 米国のジョンズ・ホプキンス大学で開催された中国の文化公演で、韓国民謡のアリランや伝統衣装韓服が、中国の少数民族の文化として紹介された。公演を見学した韓国人留学生らは「韓国は中国の属国ではない」と反発している。公演では中国王朝時代の伝統衣装をはじめ、さまざまな少数民族の文化が紹介されたが、その中で韓国の伝統服韓服を身につけた女性も登場し、韓国の伝統楽器であるカヤグムを弾き、バックミュージックには韓国民謡のアリランが流れた。公演の冊子には、中国の少数民族とともに韓服やハングル文字の写真も印刷され、「朝鮮民族の文化は、中国少数民族の文化として中国政府の保護を受けている。中国政府により中国内の少数民族は発展している」と記されていた[16]。
[編集] 教科書関係
- 「韓国は数百年間中国の属国だった」「日本は韓国の地で大きな発展を成し遂げた。鉄道と道路、港を建設し、産業を発展させて、教育機会を拡大させようと努力した」「日本が韓国の教育機会を拡大させようという努力をした」(カナダの教科書)[17][18]
- 「朝鮮は、その歴史の大部分で中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立することによって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」(フィリピンの教科書)
- 「韓国は中国の属国だった」「1600年代初め、中国が韓国を再び支配した。300年間、韓国は中国の統治下にあった」「日本が韓国の南の端に貿易基地や軍事的植民地を維持した」(アメリカの教科書)[20][18][19]
- 「朝鮮は永らく中国の属国だった」(インドの教科書)
- 「紀元1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」(ポーランドの教科書)
- 「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀のことだった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」 (ドイツの教科書)
- 「清は18世紀なかごろに(略)朝鮮・ベトナム・タイ・ミャンマーを属国とする大勢力となった」(日本・山川出版社 『詳説世界史』)
- 「いっぽう清国も、朝鮮を属国あつかいにした」」(日本・東京書籍 『日本史A』)
- 「朝鮮は清の半属国だった」(『高等世界史』 韓国・教友社 1962年)
- 「サミュエル・P・ハンティントンは彼の著書『文明の衝突』で、わが国を中国の文明に抱含させている。外国人の目には、わが国の文化が中国とあまり差異なく見えるようだ」(『高等学校世界史』 韓国・教学社 2003年)
- 世界の1億人を対象にした教科書を出版しているピアソン・エデュケーションは、韓国を中国の属国に定義付ける世界史の試験問題を出題している[24]。
- 1478年から現在まで、アメリカをはじめ、日本、カナダ、中国など世界約50か国で教科書を出版しているオックスフォード大学の出版社が制作している中学校課程教科書は、古代中国の領土を表記した「古代の世界」の1ページで、朝鮮半島全体を中国領土に含ませている[24]。
- アメリカの大部分の教科書は韓国が「中国と日本の属国」と記述されている[28]。
- アメリカの教科書は、古代の中国地図に朝鮮半島を中国の領土と表記している[22]。
- アメリカのマクドゥーガル・リトル出版社が発行している教科書に収録された1850~1910年に分割占領された中国領土地図[8]には、朝鮮半島が中国領土であるかのように領域圏を明示したうえで、朝鮮半島と台湾を日本が植民地化したものと図示している[29]。
- 2005年メキシコのエスフィング(Esfinge)が発行した高校生用教科書には日本のアジア侵略は戦争ではなく地域の平和と秩序のためという善意の表現だったし、日本の韓半島侵略は経済的利益を得るためではなくロシアから韓国を保護しようとするためだったという内容が掲載されている[29]。
- アメリカ14州で教科書に採択しているホルト・ラインハルト&ウィンストン出版社の「世界史、人間と国家」は、高句麗や渤海、高麗、朝鮮等も中国の一部であるかのように記述し、「中国の韓国統治は韓国文化にどのような影響を及ぼしたか」という答を誘導している[30]。
- アメリカの教科書は韓国関連の内容を少なく扱い、韓国を中国・日本の周辺国と描写しており、韓国が中国と日本の支配を順に受けたかのように記述しており、「1600年代から中国が朝鮮を300年間支配した」と記述している[32]。
- 外国の世界史の教科書の50%以上は韓国史をちょろっと半ページ紹介しているだけで、10ページ余り近い日本、中国史の20分の1の水準である。ワールド・ヒストリー・ピープル&ネーションズは、BC87年、漢の領土が漢江の南まで下っている。万里の長城は豆満江までつながり、13世紀の高麗はモンゴルの属国、朝鮮は清の植民地として描写されている。また、ワールド・ヒストリー&ユーは、日本、中国と違い、韓国史は朝鮮戦争から叙述されている。また、ロンリー・プラネットは、「韓国人男性は本能的に外国人男性に排他的だ。これは女性を奪いに来ていると誤解しているため」と記述され、これをモンゴルの侵略以後に膨らんだ心理状態と描写している[33]。
- 小中高の教科書と旅行関連書籍、マルチメディア教育用CDロムタイトルを米国、豪州、ニュージーランド、インド、ドイツ、南アフリカ、カナダに供給する世界最大規模の多国籍教科書および旅行関連書籍を発行するイギリスに本部を置く出版社DK社が発行する教科書に韓国の公用語は中国語とハングルとされている[34]。
- スペインの一部の教科書は、韓国の文字を中国文字、韓国の人種を中国-モンゴル人種として表現し、スペイン、オーストリア、オランダ、カナダの教科書には、韓国に対するイメージが近・現代史に限定されていて、中国と日本、米国と旧ソ連の至大な影響の下、被侵の歴史で染み付いた弱小国という印象が非常に濃厚に敷かれている[37]。
- 全世界の大部分の教科書で韓国の歴史が中国とロシア、日本の植民地として紹介され、大部分の外国の子供たちは韓国の歴史は中国の植民地の歴史だと認識している。また、外国の教科書には、「韓国は中国と日本という鯨の間に挟まれた海老」だと載っている[40]。
- アメリカをはじめとする多くの国家で日本中心の歴史観をそのまま借用し、「中国と日本の属国として綴られている歴史を持っている」という記述内容が主流となっている[17]。
- アメリカの中等学校の社会科の教科書『世界地理‐世界的観点』には、「彼ら(韓国)は中国の文字表記法を借用し、多くの中国の語彙を改造して使用した」と叙述している[41]。これに対して、韓国教育課程評価院のパク・ソンミ研究委員は「アメリカの教科書執筆者らが、韓国文化が中国文化圏に属しているという考えを持っているためであるようだ」と指摘している[41]。
- アメリカの世界史の教科書には中国と韓国の間の朝貢秩序を、韓国を中国の従属国と見なす内容もある[41]。国教育開発院の李讃熙博士は「韓国の歴史を主体的に扱っておらず、中国、日本などの歴史叙述のために付随的に挿入されているケースが多い」と指摘している[41]。
- アメリカのある教科書は韓国関連の内容を「中国の周辺」という節でモンゴルの次に紹介し、主に中国と日本に焦点が合わされ、日本の歴史内容は学年に関係なく多い反面、韓国についての情報は得にくい状態となっている[20]。
- アメリカの教科書には東洋の代表的文化といえば中国と日本だけしか書かれず、また、朝鮮は中国と日本の子分と書かれ、万里の長城が平壌まで引かれ、朝鮮が清朝の領土になっているという[42]。具体的にアメリカの教科書に、「朝鮮は独自の豊かな文化をもつ東アジアの国である。その長い歴史の大半を、朝鮮は周辺の大国に支配されてきた。なかでも中国や日本は頻繁に朝鮮を政治的に支配してその文化に影響をおよぼした。(中略)朝鮮半島の北方地域は、中国皇帝の領土となった。西暦1年ごろから900年まで朝鮮は三つの王国にわかれていた。中国の文化は朝鮮半島の北方にある王国に強い影響をおよぼした。この時期に仏教、儒教、そして漢字が朝鮮半島に入ってきた。日本の文化は、南方にある二つの王国にたいして中国以上の影響をおよぼした。(中略)高麗の王たちは独自に朝鮮を治めていたが、モンゴル帝国に朝貢しなければならなかった。(中略)朝鮮人は、科挙制度をはじめさまざまな中国の文物を取り入れ、中国文化にのめりこんでいった。(中略)満州族の影響。朝鮮人は日本との戦いで疲弊した。その結果、1630年代、満州からきた新しい侵略者は全土をあっというまに征服した。李王朝の統治者は権力を維持したものの、満州族の政府に服属した。中国の満州族政府は日本の影響力が強まることを望まなかった。満州族は李王朝に対する統制をよりいっそう強固なものにしようとした。(中略)日清戦争終結後の1895年末、中国は朝鮮の独立を認めた。日本はこうして満州族の朝鮮支配を終焉させた。(中略)朝鮮は第二次世界大戦で日本帝国が敗れる1945年まで独立できなかった。現在も朝鮮は、中国、日本、アメリカのような大国の影響下から抜け出せずにいる」と書かれている[42]。
[編集] 中国人の視点
- 李鴻章が編纂した『通商章程成案彙編』(1886年)に描かれた大極旗には「大清国属高麗国旗」と書かれている。
- 清史稿に「属国一 朝鮮」とある。
- 毛沢東は『毛沢東選集』のなかで、朝鮮半島は中国固有の領土であったが帝国主義勢力によって奪われた、と書いている。
- 『明史』には朝鮮出兵について、「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)」と記述している。
- マテオ・リッチが製作した『坤輿万国全図』には、「朝鮮乃箕子封國漢唐皆中國郡邑 今爲朝貢屬國之首古有 三韓穢貊渤海悉直駕洛扶餘新羅百濟耽羅等國今皆併入(朝鮮は箕子の封国であり漢代も唐代も皆中国の郡邑であった。今は朝貢属国の筆頭である。古くは三韓・穢貊・渤海・悉直・駕洛・扶余・新羅・百済・耽羅等の国があった。今は皆朝鮮に含まれる)」とか書かれている。
- 中国の有力紙「鳳凰資迅」は「韓国は1636年、朝鮮が清の属国になって以来、1895年日本の保護国、1910年日本の統治下に置かれたし、1948年からはアメリカによって過去の清朝からの位置をそのまま持って行っている」とし、「韓国はまだ徹底的な独立を成すことができなかった国」とし、「真正な独立ができない国家と国民の自己恥辱感が歴史的に伝わって受け継がれており、とても根が深い」という評論を掲載した[44]。
- 2010年5月27日中国社会科学院と韓国の慶熙大学が「韓国人から見た中国人のイメージ」に関して共同で調査を行った結果、韓国人は中国に強いマイナスイメージを持っており、中国に対する好感度も日本や米国よりかなり低いことが分かった。この調査結果に対して中国社会科学院アジア太平洋研究所の董向栄副研究員は、「中国が急激に台頭したことで、『昔のように属国にされるのでは』と脅威に感じている。中国に追い抜かれたことを認めたくないし、快く思っていないのだろう」「回答者は口に出して『羨ましい』とは言わなかったが、言葉の端々から中国に対する劣等感が伝わってきた」と分析した[45]。
- 韓国の国立民俗博物館(館長:金紅男)の中国語ガイドは「韓国は昔から中国の属国」と紹介している[46]。
- 黄文雄によれば、朝鮮をつくったのは中国の箕子であると主張する中国人がおり、張謇の『朝鮮善後六策』のような考え方は、中国人の一般的な伝統的朝鮮属国観であるとする。中国は中華民国になった近現代においても、この朝鮮を版図とする史観はたいして変わっておらず、たとえば蒋介石は太平洋戦争後の対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に出席した当時、船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している(もちろんルーズベルト大統領はこの要求を拒んでいる)。また朝鮮人も「朝鮮省」の設置(中国への編入)を「小中華」から「大中華」への昇格だと喜んでいたとする[48]。
- アジア国家の名門大学の在学生を対象に実施した韓国に対する認識およびイメージ調査の結果、1900年以前に韓国と中国・日本間の関係で、相当数の学生たちが韓国が中国や日本の植民地だとか朝貢を捧げる垂直関係だったと認識していた。韓中関係について日本の学生たちは「韓国が中国に朝貢を捧げる関係」(42.8%)が最も多く、「中国の植民地」という回答も13.5%に達し、「対等な関係」は12.8%であった。中国の学生たちの40.5%は韓国が朝貢を捧げる関係だったと答えたが、対等な関係だったという回答も34.8%にもなった。 19世紀以前の韓日関係に関して、中国の大学生たちは「知らない」(33.6%)という回答が最も多く、対等だ(30.1%)、日本の植民地(22.9%)がそれに続いた。日本の大学生たちも同様に日本の植民地(41.3%)が最も多く、「韓国が日本に朝貢を捧げる関係だった」という回答も10.1%にもなった[49]。
[編集] 韓国人の視点
- 1882年7月にアメリカ海軍省航海局が発行した『海上国家の旗』に収録された朝鮮最古となる太極旗には、「大清国属」と書かれている[50]。なお、2004年に、この太極旗が発見された際、『朝鮮日報』韓国語版は、「大清国属」の部分をわざわざカットした写真を使用している[51]。
- 『朝鮮王朝実録』245ページには、「第16代仁祖が城を出て、降伏する決心を固めると、(中略)朝鮮側の降伏条件を提示し、清軍陣営からは(中略)会談に応じた。(中略)条約を締結すると、(中略)仁祖は(中略)漢江を渡って漢城に帰ってきた。これでもって朝鮮は明との関係を完全に断ち切り、清に服属するようになるが、この関係は1895年、日清戦争で清が日本に負けるまで続く」と書かれている。
- 韓国で最も権威がある『韓国史大事典』(柳洪列監修、1996年・高麗出版社刊、1819ページ)には、朝鮮王朝(李朝)と中国(明)の関係については「朝鮮」という国号を明に選んでもらったことを指摘した後、さらに「従属の象徴として明の年号を使った」と説明している。また後の清についても「宗主国」とし、日清戦争で清が敗れた結果として「朝鮮が完全な独立国であることを確認するにいたり、政治的な従属関係はなくなった」と解説している。また日清戦争後、国号を朝鮮から「大韓帝国」に変えた経緯についても「清の属国から脱して独立し帝国として発展するという意味」があったと説明している。李朝の前の高麗時代に中国を支配した元との関係では「属国」との表現はないが、高麗王が六代にわたって必ずモンゴルの王妃を迎えるという従属的な「ふま国」となり「自主性を失った」としている。
- 林悌(林白湖、李朝中期の文人・儒者・両班 1549-1587)は「四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない[52]」と嘆きつつ亡くなった[53]。黄はこれを(歴史的に)長城外の夷狄だけでなく、西南のチベット系民族吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、都を占領し脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらなく、朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみである、との慷慨であると紹介する[53]。
- 北京オリンピックにおける反韓感情について中国専門家らは、中国国民の反韓感情を、「中国国民の歴史的観点」に求め、平沢大学校の中国学科長である池世樺教授は、「中国国民の反韓感情の根底にあるものを考えて見れば、中国人が韓国を見る根本的観点の問題だ」としたうえで、「中国人の考えの中には、韓国は過去『属国』だったという概念が定着しているのに、北京五輪などで韓国が上手くやっているので、こうした部分に対するコンプレックス的な思考の発露が起きたものだ」「これは中国国民の日本人に対する態度を見ればよく分かる。日本人が上手くやっても容易に受け入れられるが、私たち(韓国人)が上手くやることは容易には受け入れられない。このような中国人の(韓国に対する)根本的な情緒が底辺にあり、最近の一連の事件が現実に(反韓感情表出に)火を点けたわけだ」と分析した[55]。
- 金完燮は、「朝鮮が明朝と清朝の属国だったことも事実であるから、朝鮮半島を明朝、清朝の領土というのも自然のことだ。朝鮮が独立国だったかのように教える韓国の教科書が異常なのだが、(中略)私たちが日本の助けで1897年に初めて独立国になったという事実を知らない」と述べている[42]。
- 金美徳は、「ロシアや中国や、日本に囲まれ、米国ともうまくやりながら国を維持しなければならない、という難しさ、危機感がある」としている[57]。
- 盧武鉉元大統領は、2006年5月3日の民主平和統一諮問委員会にて「日本は中国(唐)のマネをして皇帝(天皇)をつくったため、その下に王が必要になって琉球や韓国を王にし、自分は兄貴風を吹かしてきたが、中国を兄貴と思ってきたわれわれにはこれはとんでもないことだ」と発言した[59]。
- 車ハルピンハンギョレ新聞記者は、『これでも中国に行くか』で、「例えば中国人はサッカーをとても好む。中国サッカーが韓国サッカーに負け続けている現実について大部分の中国人は非常に不満に思っている。大国が小国に勝てないという程度の不快感というよりは大中華・中国が属国と変わらない韓国に負けることはあり得ないという不快感と嘆きである」と記している。
[編集] 日本人の視点
- 中西輝政は「韓国はそんな大陸性文明の極致である中華思想の縁辺にあって、属国として虐げられた歴史を歩んできた。悲惨な韓民族の心を支えてきたのが『中華文明に属さない日本のほうが野蛮だ』という差別感である」と述べている[61]。
- 加藤徹は、著書で「東アジアで、日本ほど見事な対中外交を貫いた国は、他にない。匈奴やモンゴルは、軍事力が弱まると、中国に臣下の礼を余儀なくされた。朝鮮やベトナムは、ずっと中国から属国扱いされ、その屈辱に甘んじねばならなかった。日本以外の国は、強大な武力を持って漢民族を屈服させるか、逆に、甘んじて漢民族から属国扱いされるか、二つに一つだった」と書いている[63]。
- 勝谷誠彦は、自らのブログで韓国を「(中国の属国である)愛人国家」と発言している。この発言に対し、在日本大韓民国民団東京地方本部は、本人と所属事務所の吉本興業に抗議を行った[64]。また、勝谷は、『たかじんのそこまで言って委員会』2009年10月4日で、「(韓国は)日本とも仲悪いけど、中国とはもっと仲が悪い。高句麗がどっちだったってワーワー言ってる。竹島どころではない。昔はあそこは国境なんてない様なものもので、事実上属国だった訳だから」と発言した。
- 志方俊之は、「韓国は半島だから、後ろに中国というドデカイものがあり、歴史から見れば何回も入ってきてる。日本が36年間統治したなんてものじゃない。本当に怖いのは中国。時々ご機嫌を伺わなければいけない。そういう時に、時々反日ということを言わないとバランスが取れない」と発言した[65]。
- 柄谷行人は、「周辺国家は、中央(中華帝国)の承認がなければ、存立できない。たとえば高麗でも朝鮮王朝でも、王の後継を決定するためには、元、明あるいは清朝の承認を得ないといけなかった」と述べている[66]。
- 石原慎太郎は2010年4月17日、都内で開かれた永住外国人に対する地方参政権付与に反対する全国地方議員緊急決起大会の席で日本による韓国併合に言及し、「韓国政府は清国やロシアの属国になるのを恐れて、議会を通じて日本に帰属した」と述べた[67]。
- 平野聡は、著書『大清帝国と中華の混迷』で間島問題をさして「筆者のみるところ、この問題はおそらく「尖閣諸島や竹島のような小さな島をめぐる日韓・日中間の争いよりもはるかに根が深いものとして引き続くであろう」と警告を発している。
- 谷沢永一は、野球の北京オリンピック予選の日本対韓国戦を評して「韓国は不当な手段ででも無条件に日本に勝てば自尊心が守られる。そのような行動は朝鮮半島が2000年間、常に強大国から干渉を受けて来たからだ。日本に対する対抗意識は歴史的な恐怖心からくる」と発言している[68]。
- 古田博司は、「歴史上、朝鮮はシナの家来(李朝の王はシナの皇帝に『臣李某』と書簡を送った)で弟子といった存在だが、それは『礼』のような文化概念にまで及んだ。国風文化の覚醒を必要としないほど、小をもって大に仕えたのである。これを『孟子』梁恵王篇の章句からとって『事大主義』という。だが、弱者であるため、周辺に対する侮蔑は貫徹されず、虚栄心と見栄だけが歴史的個性となった。これを学界では『小中華思想』と呼んでいる」と述べている[69]。
- 渡辺利夫は、「李朝末期の朝鮮は清国の宗属国でした。朝鮮は内乱や政争が起こるたびにその鎮圧を求めて清国に派兵を要請、大量の清兵が国内に駐留しているという有様でした。(中略)冷戦崩壊後、韓国は半島統一にこだわり、中国に擦り寄るようになる。朝鮮半島に伝統的な事大主義、大に事える思想に戻ってしまった」と述べている[72]。
- 春木育美は、「(韓国人は)外からの干渉を受け続けた歴史を振り返ったとき、自分たちの力がなかったから、という思いもあります」としている[57]。
- 蓮池薫は、「朝鮮半島は、歴史的に大国に囲まれた中で、試練が多かったわけですね。それで自分の思い通りにできない。その切なさが『恨』。やむを得ず、中国の明や清の影響下に入り、国の存続を図ってきた。私が最初に翻訳した『孤将』という小説の主人公で、豊臣秀吉の軍勢を迎え撃った李舜臣は、その典型です。猜疑心の強い自国の王からも信用されず、援軍として駆けつけたはずの中国は、裏で日本と手を握って、朝鮮半島の命運を決めてしまう。なんとか自分の思う方向に導いて解決したいとの思い、どうして自分の国を強くして守りきれないのかという部分もある」と述べている[73]。
- 峯村健司朝日新聞記者は、『朝日新聞』記者有論において、「冊封。中国の皇帝が周辺国の君主と主従関係を結び統治を認めることだ。経済が悪化する北朝鮮は中国への依存を深め、投資総額の9割以上、貿易総額の約6割を占めており、必ずしも誇張とは言えない」としている。
[編集] 脚注
- ^ a b スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」 中央日報 2004年9月27日
- ^ "한국은 中식민지→이웃나라→中식민지" 2006年4月13日 聯合ニュース(韓国語)
- ^ a b c 「21世紀版独立運動」ネットの韓国史わい曲訂正に奔走『中央日報』2004年8月23日
- ^ 「ヒストリーチャンネル、韓国史 間違いだらけ」<バンク>連合ニュース 2004年7月25日
- ^ 韓国速報 2009年1月6日
- ^ 美CIA 한국사 왜곡 오류 시정聯合ニュース 2007年1月15日
- ^ 国民日報 2006年6月6日
- ^ [1] 聯合ニュース 2009年7月1日
- ^ a b c ヤフーチャイナ、古代の韓半島を一部中国領にわい曲『中央日報』2004年10月18日
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- ^ 朴は自著『国家と革命と私』で、「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」と記している。さらに朴は自著『国家、民族、私』で、「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」と記している。さらに朴は自著『韓民族の進むべき道』で、韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、「民族の悪い遺産」として次の問題を挙げている。「事大主義」「怠惰と不労働所得観念」「開拓精神の欠如」「企業心の不足」「悪性利己主義」「健全な批判精神の欠如」「党派意識」「特権・エリート集団意識」
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- ^ 『正論』2010年4月号
- ^ 桜井は自著『嫌韓流反日妄言撃退マニュアル』で、「常に歴代中華帝国の徹底的な蹂躙を受けてきた朝鮮半島では、自分たちを小中華と呼んで中華の正統な後継者と勝手に位置づけ、また中華文化圏からいち早く抜け出した日本などを東夷と呼んで蔑むことで、かろうじて崩壊寸前の精神の均衡を保ってきたのである」「韓国にまともな歴史や文化が存在しない事は、少しでもかの半島の歴史を勉強した方なら納得いくことだろうが、だからこそ屈辱にまみれた朝鮮の歴史を認める事が出来ない韓国人たちは、たとえ捏造してでも、自分たちがいかに誇らしき民族であるかを世界に示したいのである。韓国人の歴史や文化に対する劣等感は、日本人には想像できないほど凄まじいのである」と記している。
- ^ 水野俊平『韓vs日「偽史ワールド」』 小学館、2007年
- ^ 『諸君!』2008年9月号
- ^ 『朝日新聞』 2010年3月24日
- ^ 『朝日新聞』 2010年3月3日
- ^ デイリーサプライズ 2005年12月6日
[編集] 関連項目
- 中華思想 - 小中華思想 - 事大主義
- 漢字文化圏(韓国における漢字) - 中華圏 - 中国化
- 中国人が建てたとされる朝鮮半島の王朝…箕子朝鮮(箕子 - 箕子陵) - 衛氏朝鮮
- 中華帝国(征服王朝を含む)が朝鮮半島に置いた出先機関…漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡) - 帯方郡 - 熊津都督府 - 安東都護府 - 鶏林大都督府 - 双城総管府 - 東寧府 - 征東等処行中書省
- 中華帝国(征服王朝を含む)から冊封された朝鮮半島の王朝…新羅 - 高麗(権知高麗国事) - 李氏朝鮮(朝鮮燕行使 - 丁卯胡乱 - 丙子胡乱 - 三跪九叩頭の礼 - 大清皇帝功徳碑 - 下関条約 - 独立門)
- 朝鮮民主主義人民共和国(国際関係)
- 東北工程 - 百済