仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という国会での発言が問題になって撤回したようだが、撤回する必要はない。自衛隊はれっきとした軍隊であり、軍隊とは暴力装置に他ならない。これに抗議している自民党は、自衛隊を災害救助隊だとでも思っているのか。
マックス・ウェーバーは、主権国家を「合法的な暴力の独占」と定義した。レーニンは、国家を物理的な暴力(Gewalt)と心理的な権威(Macht)によって成り立つブルジョア階級の統治機構と考え、そのコアにあるのが軍事力だと考えた。この規定が正しかったことは、彼の革命が成功したことによって確かめられた。その後のロシアが悲惨な運命をたどったのも、レーニンの掌握した暴力装置が絶対的な力をもったからだ。
仙谷氏の「暴力装置」という言葉は、このレーニンの影響が残っているものと思われるが、これはきわめて正統的な軍隊(したがって自衛隊)の定義である。菅首相も謝罪したようだが、彼は軍の最高指揮官であり、その命令で何万人も殺害できるのだ。これぐらいのリアルな認識をもってもらわないと困る。「自衛隊」などという婉曲語で、その本質をごまかすことはできない。
尖閣ビデオで話題になった海上保安庁も、暴力装置である。巡視船は、機関砲を搭載する武装船舶であり、海上保安官は暴力を行使する権限をもっている。その職員が、規律を無視してYouTubeで国家機密を世界に流すことは、佐藤優氏も指摘するように、クーデタと同じである。これが衝突事故だったからいいが、自衛隊員が義憤から軍事機密をYouTubeに流したらどうなるのか。
問題のビデオを機密扱いとした政府の決定に疑問があることは事実だが、公務員の服務規律は手続き的なものであり、今回の海上保安官は起訴するのが当然だ。それが国民の知る権利などの公益に比べて重いかどうかは、裁判所が判断すればよい。それを行政処分ですますと、「善意でやったことなら機密漏洩も免罪される」という前例をつくってしまう。
日本人は戦後60年以上も戦争を体験しないという幸運に恵まれ、国家の根底にある暴力の恐ろしさを忘れているのではないか。憲法には「文民」という言葉はあるが「武官」はない。「平和憲法」の建て前によって、武官をいかに統制するかという重大な問題が欠落しているのだ。これを機会に、暴力装置としての自衛隊などをどう統制するのか、あらためて考えたほうがいい。
仙谷氏の「暴力装置」という言葉は、このレーニンの影響が残っているものと思われるが、これはきわめて正統的な軍隊(したがって自衛隊)の定義である。菅首相も謝罪したようだが、彼は軍の最高指揮官であり、その命令で何万人も殺害できるのだ。これぐらいのリアルな認識をもってもらわないと困る。「自衛隊」などという婉曲語で、その本質をごまかすことはできない。
尖閣ビデオで話題になった海上保安庁も、暴力装置である。巡視船は、機関砲を搭載する武装船舶であり、海上保安官は暴力を行使する権限をもっている。その職員が、規律を無視してYouTubeで国家機密を世界に流すことは、佐藤優氏も指摘するように、クーデタと同じである。これが衝突事故だったからいいが、自衛隊員が義憤から軍事機密をYouTubeに流したらどうなるのか。
問題のビデオを機密扱いとした政府の決定に疑問があることは事実だが、公務員の服務規律は手続き的なものであり、今回の海上保安官は起訴するのが当然だ。それが国民の知る権利などの公益に比べて重いかどうかは、裁判所が判断すればよい。それを行政処分ですますと、「善意でやったことなら機密漏洩も免罪される」という前例をつくってしまう。
日本人は戦後60年以上も戦争を体験しないという幸運に恵まれ、国家の根底にある暴力の恐ろしさを忘れているのではないか。憲法には「文民」という言葉はあるが「武官」はない。「平和憲法」の建て前によって、武官をいかに統制するかという重大な問題が欠落しているのだ。これを機会に、暴力装置としての自衛隊などをどう統制するのか、あらためて考えたほうがいい。
コメント一覧
池田先生の仰る通り、事実上の暴力装置であることに異論はありません。
しかし、国会で自衛隊を「実力」以外の「ちから」ワードで呼ぶのは、従来の政府答弁の経緯からして看過できない官房長官としてのミスのように思えます。
言葉遊びに過ぎるといえばそうですが。。。
自衛隊という暴力装置を統制するのが、警察という暴力装置でしかないなら、共産主義国家において秘密警察が発達するのと同様の事態に陥ります。こういった手法には、心理的権威の存在が欠落しているように思います。
結局、国家秩序の維持には、暴力装置の威力による恐怖だけでは足らず、特に我が国では、被支配者による自発的な法秩序の是認に依る所が大きい。ところがこの政権は国旗などのミランダを軽視するし、カリスマもないし、船長釈放では手続きの面から合法的支配の正当性も揺らいでしまった。
だからこの政権がいくら警察力を振るっても、「クーデタ」は何度でも起こるでしょう。被支配者たちの、積極的な服従意思が揺らいでいるからです。
この記事を読んだ民主党の議員が、警察権力による反逆者の鎮圧だけが統治の本質だと勘違いしないことを祈ります。
自衛隊も同じ公務員。が、一方の地方公務員は自治労という形で集票力を形成して議会に介入している。自治労のサイトなんか見てもはっきり民主党や社民党の協力候補の応援とかをしています。
http://www.jichiro.gr.jp/seimei/090831.htm
地方公務員法36条で地方公務員の政治活動が禁止されているのですが、罰則がないので形骸化しているのです。
http://www.houko.com/00/01/S25/261.HTM#s3.6
こうした事実を見て自衛隊員が自分達も真似したいと思うのは当然では。が、それは日本陸軍の2の舞になるでしょう。
自治労の後援を受けてる民主党がしっかりエリを正して35条に罰則(公務員の立場を利用して選挙活動したら懲戒免職)を設ける必要があるのでは。
自衛隊は戦力や自己完結性は備えていますが肝心の軍法を欠いてます。そういう意味で自衛隊は軍隊ではありません。
そういう歪んだ状況が放置されたのは、自民党政権の無策もありますが、菅首相や仙谷官房長官らの歪んだサヨクの寝とぼけた念仏平和主義によります。
そういった歪んだサヨクが使う「自衛隊は暴力装置」という言葉を、単語が同じだからといってマックス・ウェーバーの使うそれと同じとするには"強く"違和感を感じます。
>「善意でやったことなら機密漏洩も免罪される」という前例をつくってしまう。
「機密でない」から行政処分で済ますのだから言いすぎだと思いますが、キッチリ起訴して裁判所に判断させるのが筋というのは同意します。ただ、裁判所で「機密でない」と判断されると一番困るのが仙谷官房長官なので実現性は低いと思いますけれど。
あと、誤った前例というなら「検察が外交関係を勘案して釈放」という誤りについても言及しないと公平でないと感じます。
軍人は戦争で人を殺すということを、国家の絶対命令として行うからできるのであり、そこには一市民としての判断が入り込む余地が微塵でもあれば、できるはずがありません。命令するのは首相であり、最終責任も首相にあるはずです。司法では職業裁判官が、死刑の判断という難しい国家の意志を、素人の一般人に丸投げしているし、管首相にいたっては、代議士として選ばれて高い給料をもらって難しい政治判断を任されているはずなのに「国民全員参加」などと放言して平気な顔している国ですから、どこか大事なネジが一本抜けているのでしょう。
今回の騒動は,日本人自身の心性として,未だ民族共同体や神権政治への憧憬・愛着が強すぎて,立憲的近代国家がなんたるかを全く理解できていないことが根本問題にあると思いますね。
今回の漏えい事件を、文民統制の崩壊と捉えない、安部元首相、石原都知事らや多くのネットユーザーは、非常に危険な考えを暴露している。
今回、たまたまビデオの内容が「たかだか漁船の海上本庁巡視船への、向こうに非のある衝突」だったからよい。
当方に非がある内容、戦争に繋がるほどショッキングな内容だった場合、こんなときには同じ情報リークをどう扱うつもりか。内容次第で政府に都合が悪ければ犯罪にしたり、都合が良ければしなかったりするのだろうか。それは法治の概念とは大きく抵触する。一律に罰するのは当然で、外交防衛に関わることは厳重に政府がコントロールしなければならない。それは自民党だろうが同じだ。
右派だろうが、左派だろうが前回の大戦に「参加し」「惨敗した」ことまで含めて良かったと思う人はいないであろう。参加して惨敗した大きな理由の一つが文民統制の崩壊であったのは広く知られている筈で、この300万人の国民が死んだ日本史上もっとも苦い苦い体験を、こうも簡単に僅かな緊張で崩壊するとは本当に嘆かわしい。もうひとつの大戦参加の大きな原因は、マスコミの国民の煽動であったこともしられている事で、この反省から、マスコミは当たり前のように文民統制の話を主題にするべきだが、如何にもそういう話が好きそうな朝日ですらそのトーンは低い。
日本は結局村社会、世界の田舎者のままなのであろうか。
Sengoku38氏は規律違反を犯したモノの、軍事機密の漏洩と言った様な重罪は犯していない。彼は規律違反である事を認識しながらあえてビデオを公開した。規律違反の責を甘んじて受ける覚悟がある。暴力装置と言った発言は非難されるベキかどうか。国民は非難している。非難されるベキかどうかより国民は非難している。それだけの事。