■ハンガリー人=宇宙人説■
現代社会は、天才であふれている。はずみで大魚をつかんだ運才、自称天才、エセ天才、ただの詐欺師。むろん、本物の天才もいる。もっとも、本物の天才ともなれば、ヒトとは限らない。染色体の数が47本、つまり両親から継承しない秘密の染色体を隠し持っている可能性だってある(人間の染色体は46本)。ところが、さらに恐ろしい仮説も存在する。
時は第二次世界大戦後の1950年代、場所はアメリカのプリンストン。この地には、世界に知られた名門プリンストン大学があるが、その教授陣の中に、ジョン フォン ノイマンという数学者がいた。彼は変わり者だったが、その挙動にふさわしい不気味なジョークがささやかれていた。
「ノイマンは人間そっくりにふるまっているが、実は宇宙人だ」
というのである(*1)。たいていの本では、ただのジョークですませているが、中には真に受けている本もある。いずれにせよ、それが本当なら、染色体の数どころの話ではない。染色体そのものの存在も怪しい。
アメリカのニューメキシコ州に、地球の歴史上、はじめて原子爆弾を開発したロスアラモス研究所がある。1945年8月、ここでつくられた2個の原子爆弾は広島と長崎に投下されたが、この忌まわしい研究所で、ある不気味なうわさ話が流れていた。
「ハンガリー人はじつは火星人だ」
というのだ。それが普通の職場なら、ヨタ話で片付けられるところだが、天下の頭脳が集まる研究所である。噂を流した本人も、第一級の科学者だろうし、何がしかの根拠があったに違いない。
この『ハンガリー人=宇宙人説』は、さらに念入りな補足までつけ加えられている。彼らは何千万年も前、故郷の火星を離れ、地球をめざし、現在のハンガリーに着陸した。そのころの地球はまだ未開地だったが、原住民との争いを避けるため、彼らは人間になりすました。それでも、彼らが土着の地球人と違う点が一つだけあった。尋常ならざる知能・・・そして、その末裔が先のロスアラモス研究所に巣くっているというのである(*2)。
■ロスアラモス研究所の怪人たち■
ロスアラモス研究所には4人のハンガリー人がいた。レオ シラード、ユージン ウィグナー、エドワード テラー、そしてフォン ノイマン。レオ シラードは、アインシュタインほどの名声はないが、歴史的な人物である。地球上で初めて核分裂が確認されたとき、それが強力な原子兵器につながることを最初に予見した科学者だ。彼は学者としてよりも、予言者としてその名を歴史に刻んでいる。
『核分裂 → 原子兵器 → ナチスドイツの世界征服 → 世界の破滅』
という連想ゲームの末、彼は、物理学者アインシュタインをそそのかし、ルーズベルト大統領に手紙を書かせ、原爆開発のマンハッタン計画を始動させたのである。つまり、広島、長崎の悲劇の起点はここにある。歴史的大事件の原因は意外な場所に潜んでいることがわかる。
謎のハンガリー科学者の2番目ウィグナーは、ノーベル賞を受賞した量子論のエキスパートだ。3番目のテラーは水爆の父とまで言われた原子兵器の大家。そして、最後のジョン フォン ノイマンは、ノイマン型コンピュータの創始者である。また、先のマンハッタン計画では、数学分野のリーダーとなり、ウランの爆発を引き金とするインプロージョン方式を提案している。
この4人の共通点は、大量破壊兵器の実現に大きく貢献したこと、並外れた知能の持ち主だったことである。これらの事実は、ハンガリー人は火星人であり、その一部の連中がロスアラモスの研究所に巣くっているという話を、ウワサ以上に仕立てたのである。むろん、この火星人の中でもっとも頭が良かったのは、ジョン フォン ノイマンである。ハンガリー人は火星人だ、などというバカげた話を、こうも長々と続けたのには、理由がある。話をつづけよう。
■ジョン フォン ノイマン■
以前、ある子供向け番組で、ノイマンの生涯をやっていた。うろ覚えだが、それを列挙すると次のようになる。
フォン ノイマンは、子供の頃、電話帳1冊を完全に記憶してしまった。片手で持てないほど分厚いあの電話帳を思い浮かべて欲しい。いくら20世紀初頭とはいえ、ハンガリーの電話加入者が10人ということはないだろう。また、6歳のとき、8桁の割り算を暗算で計算することができた。むろん、彼がそろばんを習っていたという記録はない。
8歳の時には『微積分法』をマスター、12歳の頃には『関数論』を読破した。ちなみに『関数論』は、大学の理工系の学生が1、2年次に学ぶ数学で、高校時代に数学が得意で鳴らした学生でも、完全に理解できる者は少ない。高校の数学は、算数の延長だが、『関数論』は本格的な数学の第一歩である。内容は抽象的であり、頭の回転で対処できるシロモノではない。つまり、どんな神童でも、小学生ではムリである。
大学生に成長した怪物 ノイマンは、ブダペスト大学の化学工学科に籍を置きつつ、同時にベルリン大学で数学も学んだ。ノイマンは、後のノイマン型コンピュータの創始者だが、コンピュータお得意のタイムシェアリングで、時間を巧みに配分しつつ同時に複数の学問をこなしていった。19歳で数学の論文を発表。順序数の定義をしなおしたが、それはカントルの定義を超えるものだった(*1)。カントルは、集合論で有名な19世紀の数学者といわれるが、残念ながら専門外で説明不能。
その後、歴史に名高い『ゲーム理論』を創始、エルゴード定理の証明法を発見、ヒルベルトの局所コンパクト群とリー群に関する問題の解を見出し、連続幾何学を開拓、などなど(*1)。いずれも数学上の偉大な業績らしいが、専門外なので、これもまた説明不能。むろん、最も有名な業績は、ノイマン型コンピュータだ。現在、地球上で稼働している99.999999%の実用コンピュータはこれである。
■真の天才とは■
あまり有名ではないが、ノイマンの天才を示す極めつけのエピソードがある。ある日、プリンストン大学で教鞭をとる数学者が3ヶ月の苦心惨憺の末、ついにある問題を解いた。狂喜したその数学者は、ノイマンに聞いてもらおうと、彼の家へ飛んでいった。ノイマンが扉を開けるや否や、さっそくその問題の説明をはじめると、ノイマンはそれをさえぎり、数分ほど考えて・・・
「君の言いたい結論は、・・・・・・かい?」
ノイマンが、わすか数分間で、紙も鉛筆も使わず、脳だけで解いた答えが、先の数学の大先生が3ヶ月考え抜いて導き出した結論だった。その後、その数学者は、すっかり落ち込み、長い間立ち直れなかったという。補足だが、プリンストン大学の数学科の教授になるというのは、並大抵ではない。
ノイマンのエピソードを総括すると、その能力は次のように特徴づけられる。まず、一度見たら忘れない写真のような記憶力。コンピュータ並みの計算力。実際、ノイマンは、自らが発明したコンピュータと競争し、勝利したという。つぎに、人間離れした頭の回転速度。量子力学の世界で、歴史的な業績を残し、ノーベル賞まで受賞したフェルミでさえついていけないほど、ノイマンは頭の回転が速かったという。さらに、脳に組み込まれた面積1ヘクタールほどのバーチャル ホワイトボード。ノイマンは、紙と鉛筆を使わず、このホワイトボードだけで、人間が及びもつかない複雑で込みいった思考をすることができた。なるほど、これなら火星人だ。
火星人かどうかはさておき、ノイマンの染色体の数や遺伝子は疑ってみる必要はある。ホモ サピエンス(人類)ではない可能性もある。特殊な知能検査が必要だが、ノイマンの知能指数(IQ)は300を超えていたのではないだろうか?秀才の延長で説明できない場合は、医学のスポットライトが必要だ。つまり、天才をはかるのは心理学ではなく、生物学?
■天才プログラマー■
コンピュータの世界にも、天才はたくさんいる。他薦、自薦ふくめて天才が多いのもこの世界の特徴だ。中でも、有名なのは、チャールズ シモニー。コンピュータ サイエンスの殿堂 パロアルト研究所の出身であり、マイクロソフトに、WORDとEXCELをもたらしたプログラマーだ。日本で持ち上げられる『ITの天才』とは違い、自らプログラムを書き、その恐るべき能力で、天才と認証された人物だ。また、シモニーは、プログラムを書くときに使用する変数の命名法として、『ハンガリアン記法』を提唱した。プログラマー時代、試しに使ってみたが、あくまで、ネーミング方法であり、とくに印象はない。
シモニーの業績は確かに素晴らしいが、彼が真の天才だと確信するのは別の理由による。つまり、フォンノイマン同様、業績ではなく潜在的能力だ。
シモニーは、若い頃、部屋が20ある城を思い浮かべて、それぞれの部屋に別なアイテムが10種類ずつおさまった様子を同時にイメージできたという(*3)。20×10=200ものアイテムを、同時にイメージできる頭脳がどういうものか想像してほしい。この能力は、200もの異なった情報を、瞬時に記憶できることを意味している。でないと、同時にイメージすることなどできないからだ。そして、この能力が意味するところはたった一つ、
「彼がヒトかどうかは疑わしい」
である。
通常使う電話番号は7桁だが、これは普通の人間が一度に記憶できる最大数からきている。それを超える10桁の数字を一度に記憶できる人は、2000人中わずか3人しかいないという(*3)。一方、シモニーは200桁!しかも、それを同時に脳に描けるという。一体、どういうアタマになっているのだ?目をつぶって、脳にアイテムをイメージする・・・リンゴ、オレンジ、ブドウ、バナナ、この辺が限界だ。それが200アイテム?シモニーの遺伝子も調べてみる必要がある。幸い、シモニーはノイマンと違い、まだ生きている。チャンスは今しかない。言い忘れるところだったが、シモニーも『ハンガリー人』である。
■もうひとつの天才■
これまで取り上げた天才は、あくまで『知能』の基本部分によっている。写真のような記憶力、コンピュータ並みの処理速度、つまり、『記憶力』と『頭の回転』である。これは、コンピュータが最も得意とする分野だが、天才の中には別のタイプも存在する。
そろばんの暗算は、『記憶力と頭の回転』がすべてだが、この世界の達人が、歴史的な発明・発見をなし遂げるとは限らない。それは、『記憶と計算』の化身、コンピュータを思い浮かべると直ちに理解できる。コンピュータは、完全無欠の記憶力と、電光石火の計算力を誇るが、万有引力の法則や、デカルトの命題「我思う、ゆえに我あり」を思いつくことはない。神が秘密の場所に隠している宇宙の法則や、深遠な哲学の大命題は、高度な抽象的思考力が必要なのだ。つまり、コンピュータ型の天才の他に、抽象指向型の天才が存在する。
大学では電気工学を専攻したが、研究室に入ると、そこに『天才』がいた。彼は大学院生で、学生に電磁気学の演習の手ほどきをしてくれたが、頭がいいのはすぐに分かった。中学や高校の数学は、具体的でパズル的で、100点満点も珍しくない。一方、大学の物理や数学ともなれば、高度に抽象化され、満点などありえない。だが、彼はどうみても満点だった。問題の意味すら分からない複雑な演習問題を、学生から質問された瞬間、まるで息をするがごとく、スラスラ解くのである。生まれて初めて見る才能だった。かつて、物理学者を夢見た自分が、どれほど愚かであったかが身にしみた。
その大学院生が持つ特殊能力は、記憶力や計算力によらないことは確かだ。高度に抽象化された問題は、正確さやスピードではどうにもならない。これが『抽象指向型の天才』なのだろう。当時、工学部では半数が大学院の修士課程にすすんだが、博士課程ともなれば、「特別であること」が要求された。具体的には、定員40人の学科で1人、それも毎年というわけではない。彼はその特別な院生だったが、何を思ったか、大手電力会社の研究所へ就職してしまった。むろん、その後、ノーベル賞を取ったという話は聞かない。頭のいい人はいくらでもいる。気軽に天才などと言ってはいけない。
■朝永振一郎■
大学を卒業後、電機メーカーに就職したが、同期にT工大の修士課程を卒業した人がいた。技術者というよりは学者で、その後、大学の助教授に転出したが、彼が大学時代に聞いたうわさ話・・・物理学者の朝永振一郎博士は、どんな難しい問題でも片っ端から解き、解けない問題などなかったという。高校の数学じゃあるまいし、尋常の能力とは思えない。周囲は、ただ驚嘆するばかりだったという。むろん、ここでいう周囲とは、博士号をもち、あわよくばノーベル賞を、という並外れた頭脳集団である。
1965年、朝永振一郎博士はノーベル物理学賞を受賞したが、その対象となったのは『くりこみ理論』である。当時、量子力学において、計算結果が無限大になるという厄介な問題が存在した。『くりこみ理論』は、それを回避する数学的な手法である。何でもかんでも解きまくる天賦の才能は、量子力学の歴史的問題まで解いたのだ。染色体の数が同じなのに、どうしてこれほど個人差があるのだろう。大学時代に、量子力学の講義を受けたが、すでに解決済みの問題ばかりなのに、理解することすら困難だった。とても、同じ生物種とは思えない。
朝永振一郎博士の才能が、コンピュータ型ではなく、抽象指向型であることは確かだろう。むろん、朝永博士の才能が、抽象思考に特化していると言っているわけではない。先の電機メーカーは、創立記念日に朝永振一郎博士を講演に招いたことがあり、そのときの記録映像を見せられたことがある。ゆったりとした口運び、ジョークを巧みに交え、ウィットに富んだ内容、素晴らしい講演だった。抽象的思考能力、分かりやすく説明する能力、ジョークのセンス、本当に頭の良い人はすべてを持っている。
日本初のノーベル賞受賞者であり、第三高等学校、京都帝国大学で朝永振一郎博士と同級だった湯川秀樹博士の自叙伝の中に、興味深い記述がある。
「その中には朝永振一郎君、多田政忠君、小堀憲君などがいた。いずれも優秀な学生であることは、力学の演習問題をやるときに、よくわかった。殊に朝永君は、私がそれまで知っていたどの友人よりも頭が良いことが私には直ちにわかった」(*3)
湯川博士は、『中間子』の存在を予言した純粋な理論物理学者だった。当時、原子核を構成する陽子と中性子が引き合う力が謎だった。電気的に、陽子はプラスであり、中性子は中性なので、電気力ではない。また、引き合う力は重力より大きいため、重力でもない。この新しい核力の媒体となる『中間子』を予言したのが湯川博士であった。そして、この大胆不敵な予言は、後の中間子の発見により、現実となる。湯川博士もまた、抽象指向型の天才だったに違いない。そんな人物が記した先の賛辞、朝永博士の能力の凄まじさがうかがえる。
最近、多くの日本人がノーベル賞を受賞しているが、大規模な装置を使った実験科学での受賞が多い。中には、学者本人より、装置を開発したメーカーがノーベル賞では?と思うものもある。むろん、装置を考案し、それによって発見に到った行為が最大の功績であることは間違いないのだが。
一方、湯川博士や朝永博士が活躍した頃の日本の研究事情は、今とは違っていた。第二次世界大戦後、日本は貧しく、欧米の高価な実験設備など望むべくもなかった。そのため、個人の頭脳が生み出す純粋な理論物理で世界に挑むしかなかった。その世界で、偉業をなし遂げたのが、朝永、湯川、両博士だった。
■自然科学以外の天才■
また、今流行のゲームの世界にも、天才と呼ばれる人たちがいる。ゲームの面白さは、最終的にはゲームバランスで決まるが、その調整が『神のひとさじ』と言われるクリエーターがいる。
彼らが制作したゲームをプレイしてみると、確かにハズレはない。他の作品と比べ、相対的にバランスが良く、安心して遊べるのだ。卒倒するような売上げ記録も、十分納得できる。だが、個人的には、洋モノPCゲームのほうが好きである。この世界には、度肝を抜くような作品がいくつも存在する。個人的な意見だが、ゲーム クリエーターの天才は、バランスよりも、企画と世界観に潜んでいるような気がする。天才に、バランス、相対的、安心、は似合わない。
絵画は専門外だが、昔からゴッホが好きだった。ところが、不思議なことに、周囲にゴッホのファンは全然いない。いわゆるリアリズムの大家ではないので、一般ウケしないかもしれない。ゴッホが描く色彩や世界観は独特だが、現実から大きく乖離しているわけではない。個人的には非常に居心地のいい世界なのだ。眺めているだけで、2D絵画が3D世界へと立体化され、自分の精神が急拡大するのが分かる。ゴッホの絵をはじめて見たとき、これは飛び込む絵本だ、と思った。絵画は多分に、主観によるところが大きいので、ゴッホは天才だというのは気が引ける。が、そうでないと主張する人もいる。
昔、PCゲーム開発に従事していたとき、有名美大出身のデザイナーに美術のウンチクを学んだ。スペインの画家ベラスケスが好きだったので、当時それを話題にしたことがある。
私:「僕はベラスケスが好きなんだけど、彼の客観的な評価はどうなんですか?」
彼:「スペイン絵画の大家。新しい分野を切りひらいた画家で、天才的ですね。」
私:「じつは、もっと好きなのがゴッホなんですけど、彼はどうでしょう?」
彼:「凄いですね。」
私:「どう、凄いんですか?」
彼:「とにかく凄い・・・それしか言いようがない」
私:「じゃあ、天才なんですね?」
彼:「そんなんじゃなくて、とにかく凄い・・・」
今でも覚えている会話だが、絵画の世界には、天才の上があるらしい。このような才能は、先の抽象指向型の天才よりさらに難解だが、説明するのは意外に簡単だ。
大学1年生のとき、惑星の運動に関するケプラーの法則から、ニュートンの万有引力の法則を導き出す授業があった。これは、ニュートンが万有引力の法則を発見したプロセスを再現するものである。この授業により、われら凡人学生は、天才ニュートンの歴史的な偉業を「なぞる」ことができた。ところが・・・ゴッホの絵はなぞっても描けない。つまり、物理の天才はなぞれても、絵画の天才はなぞれない。絵画の天才は物理の天才を凌駕する、とは言い過ぎだろうか。
参考文献:
(*1)シルヴィア ナーサー 塩川優訳 『ビューティフル・マインド』 新潮社
(*2)スティーブン ウェッブ 松浦俊輔訳 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』 青土社
(*3)ロバート X クリンジリー 藪暁彦訳 『 コンピュータ帝国の興亡』 上
(*4)湯川秀樹 『旅人』 角川文庫
by R.B |