本当に許せない話02

Posted at 10/11/09

(つづき)
「手数」の件について少し補足します。

「ラリーは我々の『手数論』を盗用した」というのが彼らの主張です。そして、そのポイントは、「1本の漫才の中でボケの回数を計測して分析するという手法」にあるといいます。その分析手法が彼らのオリジナルなものであり、それをラリーは無断で盗用したのだ、と言っています。

ただ、「漫才を分析する際にボケの回数を数える」ということは、それほど独創的な手法でしょうか? 実際、この年の「M-1グランプリ」では、審査員の一人である松本人志が「4分間に何個笑い入れとんねん」と言って、ナイツの塙が「37個ぐらいだと思いますけど」と返すくだりがありました。

少なくとも、このやりとりを見た多くの視聴者にとって、この年のM-1を「ボケの回数を数える」という手法で考えることは、それほど斬新なことではないでしょう。

これを例に出すまでもなく、漫才を分析する方法として「ボケの回数を数える」ということは、誰か一個人の専売特許ではありません。この点が盗用だというのは常識的に考えれば無理があります。

それ以外の点で、彼らが盗用だと主張できそうな箇所をあえて具体的に挙げるとするならば、私がその記事内で「最近の漫才では手数を重視する傾向がある」などと書いたことでしょうか。それが、彼らのオリジナルな考えを盗用したものである、と言えるかもしれません。でも、これもかなり無理があります。

そもそも、2008年の時点で、その年のM-1を踏まえての感想として、「最近の漫才はボケの数が多い」という主張を展開することが、それほど独創的なことでしょうか? 「ボケの回数が多い漫才を演じたナイツが高評価を得た」というところまでは、M-1視聴者ならば誰でもわかっていたことです。また、そこから考えを進めて、「そういえばNON STYLEもボケの回数は多かったなあ」という結論に至るのは、それほど難しい道ではないでしょう。

これのどこに盗用だと言い切れる要素があるのでしょうか。お笑いファンやお笑い関係者ならばわかると思うのですが、この年のM-1に関して、「ボケの回数が多い漫才が高評価されて上位に来てるなあ」という感想を持つのは、ごくごく当たり前のことです。

それは、ある一個人だけがたどり着くことができた特別な考えなどではありません。そのレベルの話について「盗用」が成立する余地がないことは明らかです。

以上です。

何度も繰り返しますが、この件で私にやましいところはありません。必要があれば、私はどこへでも出向いて彼らと直接話し合うつもりです。現在、そういう方向性も含めて、サイゾーを間に挟んだやりとりを進めています。

(追記)
その後、サイゾーに対して私と向こうが別々の場で話し合いを行い、それぞれの見解を説明しました。サイゾーが私に話したことを簡潔にまとめると以下の通りです。

・サイゾーは盗用だと認識していない。向こうにもそれは伝えた。
・サイゾーは2年前の問題発生時に問題解決に動き、そのときには一応の解決を見たという報告をしていたが、実はサイゾーの不手際で解決に至っていなかった。

2つめの点については、今回、サイゾーから説明と謝罪を受けました。何事もなければ、これで話は終わりです。

当たり前のことをひとつだけ確認させてください。

そもそも、盗作・盗用といった問題について、出版社は何よりも神経を尖らせています。自前の媒体に掲載された文章に関して、出版界の常識に照らして明らかな盗用があれば、出版社は必ず謝罪や訂正を表立って行うものです。そして、今回の件で、サイゾーが盗用を認めたり、そのことで謝罪や訂正をしたりした事実はありません。

ご心配いただいた皆様、本当にありがとうございました。

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