ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンは知っている。
"彼女"が何物にも縛られないということを。
雲のように風のように、なににも束縛されず、なにをも縛ることなく。
流れる水のように自然で、すべてをあるがままに受け入れている。
まるで天衣無縫をかたちにしたかのごとき、超然とした在り方。
あきれるくらいに気安くて、でも恐くなるほどに悠遠で。
彼女の心を掴むことなど、何人にもできはしない。
そのことをニパは、ほかの誰よりも知っている──
◇
──大気を裂いて、空を往く。
頭上には蒼穹。眼下には雲海。
左方には沈みゆく太陽。東へ目を向ければ、気の早い星たちが瞬きを始めている。
高度8,000m、気温マイナス40度。気圧は地上の1/3ほどしかなく、その分だけ酸素も薄い。
こんな過酷な環境が、彼女たちのためにしつらえられた舞台である。
はるかな昔、魔女と呼ばれた者たちは、箒を使って空を縦横に駆けたという。
現代、1945年の魔女たちは、ストライカーユニットと呼称される機械を駆使して空を飛ぶ。
魔導エンジンの力を借りて、低気温や薄弱な酸素をものともせず、その意のままに大気を支配する彼女たちを、人々は尊敬を込めてこう呼んだ。
いわく、"ウィッチ"と。
「確認するぞ。今回の敵は、オラーシャ方面から流れてきた中型のネウロイ。数は1機」
「楽勝だな」
「油断するなよイッル。オラーシャの観測所からの情報によると、結構足が速いらしい。捨て置くと面倒になるかもしれないから、できればそちらで叩いてくれとさ」
「なんだよ、あっちで討ち漏らしたくせに他人事みたいだなあ」
「そう言うなって。こういうときはお互いさまだろ」
「そうよエイラ。わがまま聞いてもらっているんだし、わたしたちもがんばらないと」
夕暮れの色に染まった空を、3つの影が飛んでいく。
先頭を行くのはスオムス空軍所属のウィッチ、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長。
その左後方に、同じくスオムス空軍のエイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。
その右側、カタヤイネン曹長から見て右後方を飛ぶのが、オラーシャ陸軍所属のサーニャ・V・リトヴャク中尉だ。
3つの影はトライアングルのように整然とした陣形を維持しつつ、ネウロイとの会敵予想地点を目指して進軍していた。
「話を続けるぞ。敵は地点G-3からまっすぐ西を目指しているらしい。ヨロイネン観測所から少し北を通過していくかたちになる」
「その進路の先だと……目的はカウハバ基地か?」
「断定はできないけど、そういうことになるかな。507がほとんど出払ってる今を狙ってきたのか、それともただの偶然なのか……それはわからない。でも、黙って見てもいられないから、わたしたちにお鉢がまわってきたってわけだよ」
「ハンナが残ってくれてたらなあ。そしたらわたしたちも楽ができたのに」
「こぉら、イッル。一応おまえがスオムスのトップエースなんだからな。何でもかんでもハンナに押しつけるなんて、よくないぞ」
「はいはい、わかってますって。ていうか何だよ、一応って」
くすくすと、ささやくような笑声がインカムを通して広がる。
ニパとエイラが同時に視線を向けた先には、楽しそうに微笑むサーニャの姿があった。
「ふたりとも、仲良しなんですね」
ニパとエイラが、これまた同時に顔をしかめた。
「べつに、仲良くなんてないぞ」
「そうだよサーニャさん。こういうのは腐れ縁っていうんだ。イッルときたら、昔からいたずらばかりで困ったものだよ。ことあるごとにわたしを引っかけようとして……」
「ばっ、ニパ! サーニャになにばらそうとしてるんだ!」
「何だよ、本当のことじゃないか」
「仲良しなのはいいですけれど、そろそろ会敵地点ですよ」
微笑むサーニャが指差した先には、雲海の上に広がる大空がある。
「っと、無駄話はおしまいだ。イッル、見えるか?」
「い~や、何にも。サーニャはどうだ?」
エイラの声に応えるようにして、サーニャの頭の両側に、薄緑に光る魔導針が展開される。
この固有魔法を使うことにより、サーニャは目視では及ばぬ広範囲を索敵できるのだ。
「ここから東北東、距離20,000、速度は約700。まっすぐ西へ向かってる」
「700かー。思ったより速いなあ」
「頼んだぞ、イッル」
「って、わたしが行くのかよ!」
「仕方ないだろ。そんな速度に追いつけるのは、おまえのストライカーくらいなんだから」
「ちぇっ、しょうがないなあ……」
ぼやきながらもエイラが先頭に立ち、後ろに並んだニパとサーニャを置いて、ぐんぐん加速していく。
「あとはさっきの打ち合わせ通りに。さあ、戦闘開始といこうか」
「「了解」」
凛としたニパの宣言に、エイラとサーニャが応えた。