バカな奴だね。この松崎とかいう議員。日本新党を除名になっているじゃんか。ん?親戚が有名政治家だったりするが、下のwikipediaの一部をみていると、私のアラートが鳴った。
「母の再婚相手」
全部、血のつながりないでしょ。だれあんた?どこの血なの?というわけで、アラートが私のアタマに鳴り響きました。
以下、某所より転載。
民主党松崎哲久(埼玉10区)は「おれを誰だと思ってる!」と発言したということは、自分を偉い存在だと思い込んでるわけだしw
てか松崎哲久なんて知らなかったぞwww
wiki見たらただの問題児じゃねーかwww爆笑www
民主・松崎議員が自衛官を「恫喝」か 「俺を誰だと思っている」
産経新聞 2010.11.18 01:30
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101118/crm10111801…
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101118/crm10111801…
>「隊員に2度と来るなと言われたことも事実。(自分は)何も言っていない」と話している。
こんな辻褄の合わない話、誰が信じる?
>こうした過程で、松崎氏が誘導担当の胸をわしづかみにする場面もあったという。
暴行罪で議員辞職だなw
二度と来るなと言われるだけのことをしたんだろうが!このチンピラ松崎が!すっとぼけられると思うなよ!
以下wikiより引用。
松崎 哲久(まつざき てつひさ、旧名:隆臣、昭和25年(1950年)4月14日 – )は、日本の男性政治家、小説家。衆議院議員(2期)。
元三重県知事・衆議院議員の田中覚は義父(母の再婚相手)、元内閣総理大臣の三木武夫、安西正夫元昭和電工社長は義理の伯父、昭和電工創業者の森矗昶は祖父にあたる。森曉元衆議院議員、森清元総理府総務長官、森美秀元環境庁長官は伯父。森英介元法務大臣、安西孝之元日本体育協会会長、高橋紀世子元参議院議員は従兄弟。「湯川 裕光」の筆名で歴史小説、ミュージカルの脚本を執筆している。
経歴 [編集]
- 昭和25年(1950年)4月14日東京都に生まれる。都立日比谷高校を経て、東京大学法学部を卒業し、アメリカに渡り、ハーバード大学大学院を修了。M.A.の学位を取得する。在米中、エドウィン・ライシャワー、エズラ・ボーゲルの下でハーバード大学日本研究所研究員(Associate in Research)を務める。
- 昭和57年(1982年)自由民主党総合政策研究所の設立にともない主任研究員に就任する。自民党幹事長付、同総裁付を経て、昭和62年(1987年)社会工学研究所政治分析センター主幹に就任する。平成元年(1989年)現代政治分析センターを創設し、同センター代表に就任し、日米の比較政治論や自由民主党の研究、分析を著作、マスメディアを通じて精力的に行う。
- 平成4年(1992年)細川護煕の日本新党結成に参加する。政策部会長として、日本新党の政策を立案した。その後、組織委員長として細川に次ぐ党№2であったが、党事務局と対立したことが契機で細川と齟齬をきたしたといわれる。同年7月26日の参議院選挙に比例区で立候補する。日本新党は、この選挙で4人当選を果たすが、名簿5位に搭載されていた松崎は次点となり、落選する。その後、組織委員長を小池百合子と交代し、総務委員長に就任する。しかし、平成5年(1993年)6月23日に日本新党を党員としての適格に著しく欠けるとして除名される。背景には、党事務局との確執の先鋭化や、松崎の第40回衆議院議員総選挙への立候補に関するトラブルがあったとされる。松崎は党を除名されたため、総選挙に細川、小池が立候補したことに伴い、名簿掲載6位の小島慶三、7位の山崎順子(円より子)が繰り上げ当選する。松崎はこれを不満とし、除名処分による比例名簿除外を無効と自身の繰り上げ当選と円の繰り上げ当選無効とする訴訟を起こした(日本新党繰上補充事件)。平成6年(1994年)東京高等裁判所では松崎の主張が認められ勝訴するが、平成7年(1995年)5月25日、最高裁判所で松崎の主張が退けられ敗訴判決が確定した。
- 平成8年(1996年)民主党結成に参加する。同年10月第41回衆議院議員総選挙に小選挙区埼玉10区に民主党公認で立候補するが落選する。平成12年(2000年)再度立候補するが落選する。平成15年(2003年)第43回衆議院議員総選挙比例区北関東ブロックで復活当選する。ちなみに10年前の日本新党除名に伴って、松崎に代わって参議院議員に繰り上げ当選した円より子は当時民主党副代表。衆議院国土交通委員会委員、政治倫理・公選法改正特別委員会委員、民主党埼玉県連常任幹事を務める。
- 平成17年(2005年)の第44回衆議院議員総選挙で落選する。
- 平成19年4月8日施行の埼玉県議会議員選挙において、鶴ヶ島市から無所属で出馬した県議候補者より4月4日発行の選挙公報にて「金を要求された」と名指しされ、即日西入間警察署に告訴した。
- 平成21年(2009年)8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙で初めて小選挙区で当選する(2期目)。民主党本部は元職の松崎を当選させるため行田邦子参議院議員を選対本部長に招き、鳩山由紀夫代表や菅直人代表代行などが次々に選挙区入りをして松崎を応援した。
- 平成22年(2010年)7月27日に行われた航空自衛隊入間基地の納涼祭に来賓として出席した際、駐車場から30mはなれた場所から車を呼ぶように指示した際に、規則(歩行者の安全確保を目的として一方通行としていた道路を逆走する形になる為)により出来ない事を通達したところ松崎が不快感を示し、担当隊員に対し「おれをだれだと思っているのか」と恫喝、その上で松崎に対し隊員が”二度と来るな!”と発言し、松崎が当該隊員の胸倉を鷲掴みにした事が、防衛省幹部及び航友会関係者より明かされた。結局別の隊員が誘導する事となったが、その際にも”やればできるじゃないか”という趣旨の発言を行った事も暴露された。これに関しては、入間基地で11月3日に行われた入間基地航空祭で、航友会の会長自ら“民主党政権は早くつぶれてほしい”と発言するに至る遠因ともなったとも言われる→産経新聞2010年11月17日付「松崎議員、自衛官を“恫喝” 車逆走指示「だれだと思っている」」より(これを受けて、防衛省が言論封殺を敷く格好となった。これについては、北澤俊美及び菅内閣の政策#訴訟・争いを参照のこと)。