尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ(1)の続き
【平気で嘘をつく中国人】
中国に長くいる英米人に、「中国人の性格で我々とは最も違うものを挙げてください」と訊いたら、ほぼ全員が躊躇なく「嘘つきです」と答えると思う。
【平気で嘘をつく中国人】
中国に長くいる英米人に、「中国人の性格で我々とは最も違うものを挙げてください」と訊いたら、ほぼ全員が躊躇なく「嘘つきです」と答えると思う。
〈中略〉私が初めて中国勤務を拝命した時の話である。訪中前、サンフランシスコのエンジェル島にある税関で入国審査勤務を命じられた。アメリカに入国する中国人、特に不法入国中国人がどういうものか、その実態を把握させようというのである。そこのベテラン審査官の話は当時の私には皮肉に聞こえたものだ。「中国人は嘘をつくのが好きだ」と言うのである。2、3週間して「なるほど」と納得した。使用人や商売人、いわゆるハイクラスの人、将軍から下級クラスまでの政府の役人等など、山ほど例がある。ついても得るものが全くないような時でも見え透いた嘘をつく。上から下まで、嘘を平気でつき、ばれそうになると、悲しそうな顔をするが、1時間やそこらで、ばれるのである。
欧米では、嘘は憎悪や軽蔑と同じ響きを持つものであるが、中国語にはそういう語がない。必要がなかったからである。そこで、それに近い中国語を使って「嘘ではありませんか?」と言ったとしても、非難の意味はない。ましてや侮辱には全くならない。特別な意味のない言葉なのである。
(p.91-92)
<私の感想> 「息を吐くように嘘をつく」とは、現在では主として朝鮮人を評する際に使われるようですが、元祖はやはり……!?
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【他人の土地に塀を建てて所有権を主張】
福清*1の近くのミッションスクールの話である。私もこの事件には随分悩まされた。このミッションスクールは校舎近くに空き地を持っていた。この空き地の近くにある中国人学校の偉い人たちが何人かで来校してこう言った。「お宅はあの空き地をお使いになられていないご様子ですが、どうでしょうか、お宅で使うまで当方に貸してもらえないでしょうか?」と。
校長は同意したが、これが災難の始まりとは知る由もなかった。相手は中国人である。抜け目のない外国人ならそうたやすく返事はしなかったのだが、空き地は中国人に貸し出された。「必要となったら無条件でいつでもお返しします」という条件付きであった。ところが、この空き地を校庭として使い始めると、周りに塀を建て出した。中国では「塀を建てる」とは、「所有権を主張する」ことなのである。これを見たミッションスクールの校長は心配して直ちに抗議した。が、何の効果もなく一日一日と、塀は高くなっていった。そればかりか、抗議をするミッションスクール関係者に、中国人学校の子供たちまで石を投げかける始末である。地元の警察に頼んでも何にもしてくれない(アメリカの慈善団体から大きな利益を得ている地域でさえも、住民は排外的である)。もし文明国家でこのようなことが起こったら、皆で一斉に押し出して塀を撤去するところである。ところが中国では、そうしたら、何をされるかわからない。暴動にまではならなくても、放火ぐらいは覚悟しなくてはならない。それ以上に宣教師というのは神の子である。たとえ中国人が神の慈悲にすがることを忘れ、己の怒りを爆発させたとしても、直接的行動には出られないのである。
さて、ミッション側の抗議をよそに、中国人学校は塀を完成させ、堂々とその所有権を主張した。現地解決は不能となり、福州のアメリカ領事に持ち込まれ、そこで「規定に従って公明正大な調査を望む」旨の要望書が、いつものように何度も出された。それでも何の変化もなく塀は手付かずであった。アメリカ政府と連絡をして、福建政府へ強硬な要望書が提出された。そこで中国側はどうしたか。長文を認め、怒りを露わにするのが常であるのに、今回は簡潔明瞭なメモ程度のものを北京のアメリカ大使に送った。というのも、ちょうどその頃、北京政府はアメリカと友好関係を結び、対日戦争の援助を画策していた。福建も、北京側に立ち、それ相応の分け前を手に入れ、抗争相手を倒そうとの目論見があったのである。
さて、何週間も経ってから、責任者から「塀を直ちに撤去する」旨の通達があった。その間、本件以外にもさまざまな案件で電話や書簡が取り交わされてはいた。ところが通達後も塀は撤去されなかった。「いつ撤去するのか」問い合わせると「即刻」と返事が来る。そこで福建政府に、より強硬な要望書を何度か出した。すると今度は「塀はすでに撤去され、完全復元済み」と書簡で連絡が来た。ところが出向いてみると「全くの手付かず」であった。その旨報告すると、また同じく「撤去済み。現場でご確認願いたし」と手紙を寄越した。「それなら」と出かけたが、何の変化もなし。業を煮やして福建政府に強硬に詰め寄った。そこでようやく、責任者は誤りを認め、空き地の写真を添え「復元完了」を通達してきた。その間、不動産譲渡証明書を何枚も添付した文書を何十枚も提出させられたのは、言うに及ばない。
確かに写真には空き地が写っていた。しかし道路の向こう側から撮られたもので、もし塀があったら、邪魔になって校庭が写らないような角度で撮ってあった。急ぎ駆けつけたミッションスクールの校長の説明を聞いて一同愕然となった。校長が撮った写真は違うのである。校長の写真には例の塀がしっかり写っている。ただし、塀には1メートル近い穴が開いていた。現地に駆けつけて納得した。つまりこういうことだ。穴を開け、そこから中を撮ったのである。
この役人、「撤去済み」の署名を入れ、証拠写真を福建政府に送り、澄ましている。いくら証拠をつきつけても澄ましたもので、「こんな無理難題を突きつけられるのは初めてです。ただでは済まないところですが、しばらくお待ち下さい。お調べして、もし万が一、塀が建っていたとしたら、撤去させましょう。しかし先ほども申し上げたとおり、このようなことは全く初めてのことですから、よく調査してからご返事を差し上げましょう」と来た。そうしておいて、山ほど手紙を寄越してきた。ただの紙くずである。もちろん言い逃れだというのは承知の上で、1年近くも報告書を送りつけてきたのである。それでもようやく塀は撤去された!
ところがこの塀を取り壊す時、彼らはこっそり礎石を2、3個残しておいた。ミッション側がこの礎石の上に建物を建てたら「石を返せ。弁償しろ」と無理難題を吹っかけようというのである。しかし1年ほど前同じことがあったので、同じ手は通じなかった。
アメリカ領事はアメリカ国民のためありとあらゆる援助を惜しまないものであるが、中国勤務がほとほと嫌になり、辞める者が後を絶たない。先ほど述べたようなことが毎日のように起こるからである。
(p.99-101)
*1 福清=現在の中華人民共和国福建省福州市に位置する都市。
<私の感想> 捏造写真まで作って騙そうとするとは!……って、南京事件その他で中国側がばらまいたプロパガンダ捏造写真を知ってる皆さんは、今さら驚きませんよね(^^ゞ
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尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ(3)へ続く
・尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ - ぼやきくっくり(2010年11月16日)
・ここヘンJAPAN - 公式サイト
欧米では、嘘は憎悪や軽蔑と同じ響きを持つものであるが、中国語にはそういう語がない。必要がなかったからである。そこで、それに近い中国語を使って「嘘ではありませんか?」と言ったとしても、非難の意味はない。ましてや侮辱には全くならない。特別な意味のない言葉なのである。
(p.91-92)
<私の感想> 「息を吐くように嘘をつく」とは、現在では主として朝鮮人を評する際に使われるようですが、元祖はやはり……!?
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【他人の土地に塀を建てて所有権を主張】
福清*1の近くのミッションスクールの話である。私もこの事件には随分悩まされた。このミッションスクールは校舎近くに空き地を持っていた。この空き地の近くにある中国人学校の偉い人たちが何人かで来校してこう言った。「お宅はあの空き地をお使いになられていないご様子ですが、どうでしょうか、お宅で使うまで当方に貸してもらえないでしょうか?」と。
校長は同意したが、これが災難の始まりとは知る由もなかった。相手は中国人である。抜け目のない外国人ならそうたやすく返事はしなかったのだが、空き地は中国人に貸し出された。「必要となったら無条件でいつでもお返しします」という条件付きであった。ところが、この空き地を校庭として使い始めると、周りに塀を建て出した。中国では「塀を建てる」とは、「所有権を主張する」ことなのである。これを見たミッションスクールの校長は心配して直ちに抗議した。が、何の効果もなく一日一日と、塀は高くなっていった。そればかりか、抗議をするミッションスクール関係者に、中国人学校の子供たちまで石を投げかける始末である。地元の警察に頼んでも何にもしてくれない(アメリカの慈善団体から大きな利益を得ている地域でさえも、住民は排外的である)。もし文明国家でこのようなことが起こったら、皆で一斉に押し出して塀を撤去するところである。ところが中国では、そうしたら、何をされるかわからない。暴動にまではならなくても、放火ぐらいは覚悟しなくてはならない。それ以上に宣教師というのは神の子である。たとえ中国人が神の慈悲にすがることを忘れ、己の怒りを爆発させたとしても、直接的行動には出られないのである。
さて、ミッション側の抗議をよそに、中国人学校は塀を完成させ、堂々とその所有権を主張した。現地解決は不能となり、福州のアメリカ領事に持ち込まれ、そこで「規定に従って公明正大な調査を望む」旨の要望書が、いつものように何度も出された。それでも何の変化もなく塀は手付かずであった。アメリカ政府と連絡をして、福建政府へ強硬な要望書が提出された。そこで中国側はどうしたか。長文を認め、怒りを露わにするのが常であるのに、今回は簡潔明瞭なメモ程度のものを北京のアメリカ大使に送った。というのも、ちょうどその頃、北京政府はアメリカと友好関係を結び、対日戦争の援助を画策していた。福建も、北京側に立ち、それ相応の分け前を手に入れ、抗争相手を倒そうとの目論見があったのである。
さて、何週間も経ってから、責任者から「塀を直ちに撤去する」旨の通達があった。その間、本件以外にもさまざまな案件で電話や書簡が取り交わされてはいた。ところが通達後も塀は撤去されなかった。「いつ撤去するのか」問い合わせると「即刻」と返事が来る。そこで福建政府に、より強硬な要望書を何度か出した。すると今度は「塀はすでに撤去され、完全復元済み」と書簡で連絡が来た。ところが出向いてみると「全くの手付かず」であった。その旨報告すると、また同じく「撤去済み。現場でご確認願いたし」と手紙を寄越した。「それなら」と出かけたが、何の変化もなし。業を煮やして福建政府に強硬に詰め寄った。そこでようやく、責任者は誤りを認め、空き地の写真を添え「復元完了」を通達してきた。その間、不動産譲渡証明書を何枚も添付した文書を何十枚も提出させられたのは、言うに及ばない。
確かに写真には空き地が写っていた。しかし道路の向こう側から撮られたもので、もし塀があったら、邪魔になって校庭が写らないような角度で撮ってあった。急ぎ駆けつけたミッションスクールの校長の説明を聞いて一同愕然となった。校長が撮った写真は違うのである。校長の写真には例の塀がしっかり写っている。ただし、塀には1メートル近い穴が開いていた。現地に駆けつけて納得した。つまりこういうことだ。穴を開け、そこから中を撮ったのである。
この役人、「撤去済み」の署名を入れ、証拠写真を福建政府に送り、澄ましている。いくら証拠をつきつけても澄ましたもので、「こんな無理難題を突きつけられるのは初めてです。ただでは済まないところですが、しばらくお待ち下さい。お調べして、もし万が一、塀が建っていたとしたら、撤去させましょう。しかし先ほども申し上げたとおり、このようなことは全く初めてのことですから、よく調査してからご返事を差し上げましょう」と来た。そうしておいて、山ほど手紙を寄越してきた。ただの紙くずである。もちろん言い逃れだというのは承知の上で、1年近くも報告書を送りつけてきたのである。それでもようやく塀は撤去された!
ところがこの塀を取り壊す時、彼らはこっそり礎石を2、3個残しておいた。ミッション側がこの礎石の上に建物を建てたら「石を返せ。弁償しろ」と無理難題を吹っかけようというのである。しかし1年ほど前同じことがあったので、同じ手は通じなかった。
アメリカ領事はアメリカ国民のためありとあらゆる援助を惜しまないものであるが、中国勤務がほとほと嫌になり、辞める者が後を絶たない。先ほど述べたようなことが毎日のように起こるからである。
(p.99-101)
*1 福清=現在の中華人民共和国福建省福州市に位置する都市。
<私の感想> 捏造写真まで作って騙そうとするとは!……って、南京事件その他で中国側がばらまいたプロパガンダ捏造写真を知ってる皆さんは、今さら驚きませんよね(^^ゞ
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尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ(3)へ続く
・尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ - ぼやきくっくり(2010年11月16日)
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