(cache) 美の巨人たち
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2005年1月29日 放送

 
新潟県の信濃川と阿賀野川の下流域に地平線まで続く広い平野があります。やがて白一色に覆われる大地、初冬の蒲原平野。ここを舞台に描かれた風景画、佐藤哲三・作『みぞれ』。

その作品は、東京駅の駅舎にあるステーション・ギャラリーで行われた展覧会に出品されました。個人の展覧会の多くは、画家の人生を辿るように作品が並びます。少年期、青年期、そして晩年。今回紹介する『みぞれ』は、展覧会の最後の壁に収められていました。

1953年に描かれたこの作品は、キャンバス一面に灰褐色の世界が広がっています。

厚く垂れ込める雲、ぬかるむ土の感触、冷たいものが降っているかのような重い大気。

空と大地とが渾然一体となり、その狭間の並木道を人間の一群が急ぐように歩いています。雲を切って輝く朱色をしたバーミリオンの夕日が消える前に、温もりのある家に帰るために。

佐藤哲三はデビュー当時、天才少年と騒がれた画家でした。しかし、やがて画壇に背を向け、生涯を新潟の農村で生きたため、いつしか人々の記憶から消えていきました。44年の短い生涯を駆け抜けた彼の絵は、今も見る者を捉えて離しません。粘りつくような絵の具のうねりの中に、彼は何を託したのでしょうか。

蒲原平野にある静かな城下町、新発田市は、佐藤哲三が幼少期を過ごし、画家になるため切磋琢磨した町です。4歳の時に脊椎カリエスに罹った哲三は、東京美術学校に入学した兄の影響を受けて油絵を始め、小学校を出ると画家を志します。

13歳の時に初めて描いた油絵は、妹の肖像画です。

哲三は20歳で亡くなった画家の関根正二に憧れ、彼のバーミリオンに魅せられていました。佐藤哲三は、その温かなオレンジ色を生涯追い求めていくことになるのです。




17歳の時、東京の展覧会に出品します。自信作7点を送りましたが、結果は全作品落選。

哲三は上京し、審査員の一人である梅原龍三郎にその理由を聞いてみます。梅原は佐藤哲三の才能を愛し、惜しみ続けた人物でした。梅原は哲三に、写実の腕を磨くようにと諭します。

梅原の推薦文にはこう記されています。
「もし今、大いに興味ある青年画家はあるかと問われたら、私は言下に『いる。しかし、ただ一人』と答えることができる」

認められたという喜びは自信へと変わり、哲三は次々と作品を発表してゆきます。20歳の時に描いた『赤帽平山氏』は、哲三の出世作です。

独特のフォルムと鮮烈な色使い、スーチンの影響を我がものにして挑んだ肖像画。佐藤哲三は画壇の寵児として一躍踊り出るのです。

ところが、昭和14年に結婚した哲三は、新発田市の郊外にある鍛冶村で妻の実家の自転車店を経営しながら絵の制作に没頭し、小さな農村で生きていく決意をします。彼は東京へ誘われても、この土地を出ようとはしませんでした。

そして作風がガラリと変わります。

厳しい土地で生きる女の強さと美しさ、逞しさ、優しさを描いた『農婦』は、彼の代表作の一つ。

 



哲三は表現主義的な画風を捨て、目の前の現実を深い共感とともに写実しようと試みました。やがて遠い北国の画家は、忘れられてしまいます。

戦時中の物も金もない時代、佐藤哲三は農家の子供たちを集めて絵画を教えていました。そうすることで大地に根を生やし、土地の人々に馴染もうとしたのです。

戦中から戦後にかけて農民の暮らしの中に分け入り、時には熱弁をふるって社会運動に力を注いでいきます。やがて哲三が油絵を描くことはほとんどなくなりました。唯一、描いていたのは野菜のスケッチ。それは、蒲原平野が育む命の力でした。

ようやく筆を取ったのは戦後のことです。

長いブランクを経て見つけたモチーフ、それが蒲原平野の風景でした。佐藤哲三の晩年の傑作『みぞれ』は、蒲原平野の心象風景だと言われています。哲三がその風景に込めたものとは。

昭和25年、佐藤哲三は40歳の時に病魔に襲われます。腎臓結核という厄介な病気でした。哲三は長い空白の時を経て目覚めました。

描くことと、生きること、そして絵こそがすべてを語りうるということに。哲三は70号のキャンバスに向かい、夕暮れのみぞれが降るその世界の感情の一切を封じ込めていったのです。

雪に耐え、貧しさに耐え、ほのかな希望だけを頼りに生き抜く。北国の感情のすべてが画面の中に降りしきっています。

悲しみが降り、苦しみが降り、喜びもまた降りしきる。

「蒲原平野は温かい幸福を知り、秋の豊かな収穫のために生きる希望に奮い立つであろう。私はただそのことのみを現すために、励まされてきた」

佐藤哲三が44年の生涯を閉じたのは、『みぞれ』の完成から1年後のことでした。佐藤哲三・作『みぞれ』。冷たく燃える世界の中に、深い安らぎと人間の営みの体温を感じさせる作品。
   
佐藤哲三 「みぞれ」

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