初日の小稿に、私はこんなことを書いた。「漠然たる一種の不安感として、どうもただごとではない九州場所になりそうだと、なんの根拠もなしに、私の胸の中にいいようのない不安があることを書いておこう」。こう書いた時に、不安は文字通りの不安であって、それがどこから来るのかを、人に説明する方法もなかった。だから、私は漠然たる不安という言葉を使ったのだ。
だが、九州場所2日目に、69連勝にはやはり届かなかったという結果が出た後では、あの点を見過ごすべきではなかったということやら、それこそ、木鶏たり得なかった事実がどんなところから来ているのか、謎ときのように見えてくる。
ところで、小稿は白鵬の今回の69連勝への挑戦が成功裏に終わらなかったことをまことに無念だと書こうとするものである。それが失敗に終わったものの、世紀の壮挙であったことに、一点の疑いをさしはさむ余地もないだろう。
白鵬の負けた直後、私の念頭にあった横綱に送る言葉は、まだ25歳だから、2度でも3度でも挑戦すれば良いではないかというものと、白鵬が63連勝をなしとげたのは、わずか一年かそこらの間ではないかというものだった。この点が双葉山の連勝と大きな違いであるが、同じ69連勝をなし遂げるというのであれば、確然たる有利な条件になる。
その上、ゴール寸前で一度は挫折した横綱が、再び同じレースの制覇を目ざして競い出したということになれば、これは感動の程を隠さない応援を呼ぶことになるだろう。そうなった場合、新たな挑戦は、一度目の挫折時にいや増して、相撲ファンの関心を引きつけることになるに違いない。
この辺で、私が初日に書いた漠然たる不安のことに移りたい。白鵬は実に攻守バランスのとれた横綱なのだが、年少で出世したせいか、いかにも短慮といえる攻め込み方を出すことがある。
2日目の稀勢の里戦も、無念ながら、その悪癖が出てしまった例といえよう。この相手には、なん度か苦戦の中に引きこまれている。それでも大過なく、20勝4敗に持ち込んできたのだが、苦戦の内容をじっくり考えてみれば、大事な今場所で、最も警戒すべき相手であることに気づいていなければならないはずだった。
そのことがあとを引かないように祈ろう。あの双葉山でさえ70連勝がはばまれた後は3敗したくらいなのだから。 (作家)
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