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2010/11/15

横田めぐみさん拉致から33年にあたって

 11月15日(月)33年前の「この日」夕刻。新潟で13歳の中学生だった横田めぐみさんがバドミントン部のクラブ活動を終えて学校から帰るとき、自宅まであと50メートルという場所で北朝鮮工作員によって拉致された。めぐみさんはいま46歳。私が就職のために京都から上京したのも77年。それから33年のいままで紆余曲折さまざまな経験をしてきた。振り返れば短くもあるが長い時間の変転。しかしどんな環境にあろうと、自分の意志で行動することができた。めぐみさんは自由な人生を強制的に奪われ、思春期、青年期を経ていまなお北朝鮮のいずこかにいる。13日に横浜市磯子区の杉田劇場で「横田夫妻を励ます会」があった。太田正孝市議の御尽力で、高世仁さんの講演も行われ、私も思いを語り、横田滋さん、早紀江さんも訴えた。早紀江さんの話で驚いた。めぐみさんが拉致され、招待所で暮らしていたとき、1年後に拉致された曽我ひとみさんが連れられてきた。2人は北朝鮮の歴史と国語、物理、算数などを教えられたという。2人はあるとき布団のなかで小声で拉致されたときのことを語りあう。めぐみさんは自宅まであと少しという曲がり角まで来たとき、物陰に隠れていた男に襲われた。それが北朝鮮の工作員だったのか、あるいは日本にいる支援者だったのかは不明だ。曽我さんはとてもそこまで聞けなかったと早紀江さんに語った。工作船に乗せられためぐみさんは爪がはがれるほど泣き叫び、救出を求めた……。早紀江さんは「そこに溺れている人がいればたとえ自分が泳げなくても必死で助けようとする」のが人間だと訴えた。拉致問題解決は人権の課題なのだ。北朝鮮はめぐみさんが自殺したと主張している。あとの7人も死亡というが、実はそうでもないだろうことを私は知っている。だからこそ政府が本気で交渉しなければならないのだ。菅直人首相や小沢一郎さんともこの課題の解決のための方向性を語り合った。横田滋さん、早紀江さんは「私たちには時間がないんです」と語る。そう、時間がないのだ。解決への道筋はある。

2010/11/13

「議員の反論は外まで聞こえてきた」だって?

 11月13日(土)昨日は本会後が終わってから政治改革推進本部の総会に出た。テーマはインターネット選挙の解禁や議員歳費の1割削減など。賛否両論というよりも反対論が多かった。議員定数の削減が野党の反対などが強く難しいから、まずは歳費削減をという論理が施行部の提案だ。プロセスがおかしい。公約実現のために全力を尽し、その結果として新しい提案をすべきなのに、まずはマスコミ辞令で議員も知らないうちに新方針が報じられる。消費税しかりTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)しかり。まずは民主的手続を経なければ反対論は高まるばかりだ。この議論を報じた「朝日」記事は「非公開の室内で思い思いに口を開いた議員の反論は外まで聞こえてきた」などとしらっと書いている。私は所要があり最後まで議論を聞くことなく部屋を出た。そこに見たのは立ったまま、あるいはしゃがみこんで壁や空気孔のような隙間に耳を押し当てて内部の声を聞いている記者の姿だった。取材においてそれが普通のことだとは知っている。しかし「議員の反論は外まで聞こえてきた」という表現では現場の状況を正確に描いたことにはならない。厳しい反対論が続出したことを表わしたい気持ちはわかるが、表現としては違和感を感じた。「聞こえてきた」のではなく「聞き耳を立てた」のだから。そうは書けないから微笑ましくもあるのだが。菅政権は大波の連続だ。普天間問題、尖閣問題、北方領土問題、検察問題などなど。これほどの難問がいっきょに押し寄せた政権は珍しいのではないか。政治が国民の運命を担っている以上批判は受忍しなければならない。しかし難問打開の課題はすべての政治家の仕事でもある。ただただ攻撃の舌鋒を鋭くするだけでは何も解決しない。

2010/11/11

「人魚の嘆き」(神保町)8周年を祝う

 101111_194901 11月11日(木)明日は本会議。もう寝なくては。しかし記録すべきことがある。今晩は神保町に開店して8年目になる「人魚の嘆き」のお祝いが学士会館で行われた。元編集者の松本彩子さんが東京堂書店の近くに店を出してから、あっという間に文壇バーに育っていった。その松本さんの誕生日でもある。中上健次さんなどが通った文壇バーといえばたいてい新宿界隈だから「人魚の嘆き」は界隈では唯一といっていいだろう。私はもう1年以上顔を出していないが、御案内をいただいたので出席した。司会は丸山真男研究で知られる苅部直さん。久しぶりに茂木健一郎さんと握手したことには理由があった。われらが先輩の佐野眞一さん、素敵な表現者の高山文彦さんとも久しぶりで、みなさんと不義理の数々。20代から交流ある「Insideline」編集長の歳川隆雄さんからは政界のディープ情報を教えてもらった。分子生物学者の福岡伸一さんとは四方山話。乾杯の音頭は「キョンキョン」こと小泉今日子さん。そのあとビックリは1928年の無声映画で活動弁士が実演。さらに小津安二郎さんの映画(「東京物語」だったか)を使っての「人魚の嘆き」物語。言葉で表現できないのがもどかしい。『酔醒漫録』を出してくれた「にんげん出版」の小林健治さん、解放出版の多井みゆきさんたちとも懇談。俳句の会で先日もご一緒した吉田類さん、坂崎重盛さんもいらした。そうして懐しい方々との交流から離れてひとり「ボン・ヴィバン」で食事。ちあきなおみの「紅い花」を流してもらう。こんな夜に心に染みる。どうやら店を出たあとに吉田類さんが来店したようだ。

足利事件周辺の新情報を聞く

 11月11日(木)法務委員会に出席。午後は行政監視委員会を傍聴。民主党の風間直樹議員が「文藝春秋」の足利事件キャンペーンを取り上げたからだ。この問題は同誌に書かれているようにいずれ委員会で質問するために私も現場取材や関係者からの調査を重ねてきた。はたして当局が何と答えるかという視点で傍聴。足利事件の菅家利和さんを有罪に導いたMCT118法。このDNA鑑定で有罪判決が確定したのは8人という法務副大臣の答弁が新しかった。さっそく事件の内容、量刑などを問い合わせることにした。警察庁の科学警察研究所によると、平成3年から15年までに地方をふくめて141件の鑑定が行われたとの答弁もあった。傍聴に来ていた日本テレビの清水潔さんと参議院議員会館の喫茶店で打ち合わせ。

2010/11/09

北朝鮮 ーー 政治犯収容所の驚くべき実体

 11月9日(火)衆議院の第2議員会館。民主党の北朝鮮難民と人道問題についての議連で、政治犯収容所で13歳から28年暮らしたキム・ヘスクさんの話を聞いた。大規模な収容所は6か所。そこに20万人が収容されているが、最近は脱北者が強制送還されているため、30万人ぐらいに増えているという。キムさんが収容されたのは連座制。収容所には学校もあり、そこでは国語と算数が教えられるが、あとは労働が課せられる。キムさんは17歳から31歳まで採炭工として働いた。トウモロコシの配給が減ったときには、向かいの収容所から盗んだ者が公開処刑されたそうだ。97年から2000年にかけては月に7回から8回もの処刑が行われたという。キムさんはいったん中国に脱出、しかし北朝鮮に戻ったとき逮捕。再び中国に脱出、09年3月に韓国へ。キムさんの話では飢餓がひどいときには、精神に異常をきたし、子どもを食べる母親まで出たそうだ。拉致もまたこの人権蹂躙思想が根っ子にある。北朝鮮の人権状態と拉致問題はつながっているのだ。集会には「ザ・ワイド」でもご一緒した「Daily NK」の高英起さん再会。

2010/11/08

検察審査会の奇々怪々(2)

 11月8日(月)午後まで国会図書館で資料を読み込む。2時からは森ゆうこ議員の部屋で検察審査会の「くじ」の再現。パソコンソフトの保守点検を行う業者と最高裁関係者が出席。有権者100人から審査員(5人)と補充員(5人)を決める時間はほんの数秒。検察審査会にはフロッピーあるいはCDで選管から人口に比例して無作為で選んだ20歳以上の名簿が送られてくる。毎年のはじめに1年分400人が選ばれ、それをもとに100人づつにわける。そこから10人を決めるのだ。最高裁が依頼した業者(毎年入札で決まる)が100人に通知書を配送する。質問にコールセンターが答えるシステムもある。審査員を受けるかどうかの返事は検察事務局が受ける。10人が決まって辞退者が出れば追加補充員が再びくじで決められる。くじには判事と検事が立ち会うが、どこでくじをするかは決まっていない。会議室など「どこか」で行われるのだという。10人の審査員が決まってもその人が出席するかどうかはわからない。そのときには補充員が出席するから、選任されたときと議決が行われるときの平均年齢は異なる。東京第5検察審査会で2回とも平均年齢が34・55歳とは「数学的にありえない」(芳沢光雄・桜美林大学教授に聞いたコメント)。何しろ辞退者がどれだけいるか明らかにされないから、選任の母数はわからないままくじが行われている。したがって恣意的な議決が行われたとしても闇に隠されたままなのである。3時から5時まで「チームS」の検討会。川添由香子秘書と小野卓也秘書も参加。この問題は解決まで追及していく。

2010/11/04

本音の菅直人首相答弁ー「私もそうしたいんです」

 11月4日(木)本会議が終わった。「官僚の書いた答弁書をそのまま読むな」との質問に菅直人首相は「私もそうしたいんです」と答えて議場がざわめく。答弁漏れがないように、しかも質問内容が遅くになってしかわからないからだと説明。TPPについての与野党の質問には歯切れの悪い答弁だった。菅首相の答弁時にはいつものように野次が飛び交う。「首相失格」「あなたがやめる以外にないんだよ」「いいとこどりするなよ」「ボー読みするな」「中身のない答弁をするな」……。こんな国会を見ていれば、玉石混交ではあるのだが、既成政治への不満と批判としてアナーキーな心情が広がるばかりではないか。民主党の舟山康江議員が「決算重視の参議院」として与野党を超えて議論し、予算編成に決算結果を反映させるべきと述べたことは正論だ。「国会よ蘇れ」と思う議員もきっと多いことだろう。

2010/11/03

〈普天間基地移転問題「早期閉鎖」こそ緊急課題〉

332_4 「琉球新報」4月18日。

沖縄県知事選挙ーー伊波洋一さんを支持する

 11月3日(水)昨日の議員総会で沖縄県知事選挙について「自主投票だが応援はしないこと。ただし観光はいい」と参議院幹事長から指示があった。民主党としての対応で、岡田克也幹事長は現地に入って応援をすれば処分すると発言している。「自主投票だが応援するな」という何とも解せない政治判断だ。私は参議院選挙の前の4月に普天間基地移転問題を調査すべく、沖縄に行った。「語る」ためには現地を見ておかなければならないと判断したからだ。まず宜野湾市に向かい、伊波洋一市長から詳しく実状を伺った。そのあと普天間飛行場を見て、夜には「噂の真相」の岡留安則さんと泡盛を酌み交わした。大江健三郎さんや筑紫哲也さんが好んだ「沖縄第一ホテル」を拠点とした数日は参議院選挙の不安を抱えながらも豊かな時間であった。私は現地取材に基づいて「琉球新報」(4月18日付「論壇」)に〈「早期閉鎖」こそ緊急課題〉という原稿を書いた。あれから半年あまり。11月11日告示、28日投票で県知事選挙が行われ、現職知事に対抗して伊波洋一さんが立候補する。いま伊波さんの『普天間基地はあなたの隣にある。だから一緒になくしたい。』(かもがわ出版)を読みはじめている。私は基地問題で一環した立場を取り、海外移転への建設的対案を持っている伊波洋一さんを支持する。

2010/11/02

検察審査会の奇々怪々

 11月2日(火)夜9時からの「ニコニコ動画」出演の準備をしていて驚いた。10月26日の法務委員会で「検察審査会」について質問したときの速記録(未定稿)を読み返していたときのこと。私は「議事録はあるわけですよね」と問うた。それに対して最高裁判所長官代理者は「検察審査会議の会議録は、検察審査会議についてつくると承知をしておりますが、検察審査会議は非公開と法律で定められておりまして」と答えた。検察審査会法「第二十八条」にはこうある。「検察審査会の議事については、会議録を作らなければならない」。私は「議事について」の「会議録」だから、てっきり議事内容が記録されていると判断した。ところが、どうやらそうではないようだ。「週刊プレイボーイ」(11月15日号)の〈「検察審査会」メンバーはホントに存在するのか?〉という記事に東京第1検察審査会総務課課長へのインタビューがある。「議事録を見せてください」との質問への回答である。「議事録といったものはつけておりません。会議の実施日時や参加者を記録する会議録ならありますが……」。「議事録がない!てことは、審査員の誰が何をしゃべったか、一切記録に残っていないってこと?」とさらに問うと「そうなります」と課長は答えている。こんなバカなことはない。「議事について」の記録を作っていないならば、それは検察審査会法「第二十八条」に反している。ところが「第十章 罰則」には、審査員が「秘密を漏らした」ときなどの規定があるだけである。透明性も公平性もないどころか暗黒の検察審査会である。

ジャイアンツを引退した大道典良さん来訪

 11月2日(火)本会議で「平成22年度補正財政演説」が行われた。そののち会館事務所に読売巨人軍を引退した大道典良さんが来訪。18歳でプロ野球に入団し、23年間現役を続けてきた。石井浩郎議員(自民党)と渡辺周議員(民主党の野球議連)も部屋に来て、しばし雑談。プロ野球とアマチュアの交流が禁止されているので、たとえば母校の高校生に「がんばって」とさえ言えないという。プロ野球選手としての平均「寿命」は4、5年。その後の就職が保証されていないことが理由でプロ行きを諦める人もいるそうだ。母校のコーチなどになる選択肢もできれば、野球の技量向上だけでなく、生活不安の解消にもなる。そうした改革が必要だ。坂崎重盛さんから電話。『東京煮込み横丁評判記』が文庫になるので、私も登場するところについて「再録してもいいか。公人だから」とご配慮いただいた。浅草の「正ちゃん」で吉田類さんと3人で飲んだときのエッセイである。もちろん問題などない。警察庁から調査資料が届き、説明をいただく。さらに農林水産省大臣官房からは「TPP」(Trans-Pacific Partnership Agreement=環太平洋連携協定)の説明があった。交渉参加の入り口で高いハードルが課されそうだ。2国間のFTAなどを広げることが農業などを守りつつ「開国」する道ではないか。今夜は「ニコニコ動画」に出演。いまから準備をはじめる。

2010/11/01

小沢一郎「国会招致」への疑問

  11月1日(月)ある問題で警察庁に問い合わせ。「何のため」と聞かれても、調査のためとしか答えようがない。「質問」を念頭に日常の諸事万端を見ていかなければ、「在庫切れ」になってしまうからだ。小沢一郎さんを国会招致することについて深い憂慮がある。なぜならいまの議論の情況では、事実に基づいて冷静で紳士的な議論ができるかといえば、大きな疑問があるからだ。菅直人首相に対しても、野次ではなく質問でも「空きカン」「すっからカン」などと平気で揶揄が行われる。これでは単なる権力闘争の域を出ない。政党間の国会運営上の取引になるのではこれまで通りの展開だ。ならば「強制起訴」が行われるなら司法の場で最終決着をつければいい。小沢一郎さんのことだけではない。週刊誌や新聞が報じた「疑惑」を自らの足と眼で確認することのないような議論でいいのか。同じ言葉とレッテル貼りの繰り返しでは議論の水準としても低すぎる。かつて「爆弾男」と呼ばれた論客が野党には何人もいた。語気の強さと質問内容の充実が共鳴するような国会審議を創造しなければと思う。

参議院はこれでいいのか

 11月1日(月)今日の午後3時以降あるいは明日に本会議が予定されていたが、いまだ決まらず。政治的かけひきとしての国会という次元ではなく、いま参議院のあり方が問われている。「日本国憲法」(童話屋)を開く。「第四章 国会」の冒頭は「第四十一条」だ。「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」とある。さらに「第四十五条」が衆議院、「第四十六条」が参議院についての規定だ。「参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する」。衆議院議員の任期が四年であり、解散があることなど、憲法の規定で衆議院と参議院は明確に区別されている。しかし参議院は審議の有り様など、まさに「衆議院のカーボンコピー」と言われても仕方がない現状だ。ましてや「ねじれ」情況のもとで、「良識の府」どころか、政府・与党を攻撃することに一部野党の主眼が置かれているため、冷静かつ建設的な議論が行われているとはとても思えない。汚い野次は象徴的だ。「こんな参議院なら…」(朝日新聞10月22日付)を読む。「議員の顔ぶれ変え多様性を」(福元健太郎・学習院大学教授)、「『ねじれ』本来の姿戻す好機」(斉藤十朗・元参議院議員)、「党議拘束外し、党派超えよ」(筆坂秀世・元参議院議員)。いくつもの提言がある。衆議院を予算審議に、参議院を決算審議に特化してはどうかなど、制度的変更についてはさまざまな議論ができるだろう。しかし基本は憲法が参議院の任期を六年としたところにある。解散がないがゆえに大きな射程で建設的議論を進めることが期待されているのだ。参議院議員がその自覚を持って徹底した調査を行い、しっかり準備した質問をしていくことだ。もちろん多くのすぐれた質問がある。しかしそこから乖離している傾向も見える。週刊誌の「関係者」コメントを読み上げ「これは本当か」などというレベルの質問など問題外だ。わがこととして参議院議員のあり方を考えている。

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