November 15, 2010
バンコク→日本
ヘトヘトになるまで遊んだマカオとバンコクはいつもながら楽しかった。
バンコクでは金がなくなるまで遊び続けた。
一緒に行った友人なんか、今回すべて割り勘だったのだが、
最後のホテルから空港のタクシー代がないほど、
文字通りオケラになるまで遊んだ。
人生の中、いい歳して馬鹿になって遊ぶことがあってもいいじゃないか。
逆に言えば、最高の幸せと言えるんじゃないかな。
いやいや素晴らしかった。
昨日はこのブログが更新できないほど疲れていた。
バンコクから成田への便が、ビジネスクラス満席で
エコノミーに乗ったのが、かなりこたえた。
いつもならバンコクからビジネスクラスのあいている都市に飛んで
そこから成田に入るが、友人は月曜朝に出勤しないといけなかったという部分があって
昨日のバンコクからの直行便以外に選択肢がなかった。
成田から暫く、数ヶ月にわたって音信の途絶えていた井上さんに電話し、メッセージを残すと
電車に乗ってからコールバックがあった。元気なようでよかった。
プロレス以外のジャンルでレポーターをやっていてそれが忙しいらしい。
簡単な話をして「もう十五分位で着きますから、もう一度電話します」と言って切りながら
それをしっかり忘れた…。
で、写真はあとでアップするが、成田からスカイライナーで日暮里に入りJRに乗り換えて池袋。
池袋で業界の大先輩である茨城清志さんに会った。
急遽池袋にしたのは私がヘトヘトに疲れていたから。
それと茨城さんがかつて池袋に住んでいたからわかりやすいだろうということ。
で、待ち合わせの時間調整にネット喫茶に入ったわけだが、そのそばにお好み焼き屋を
見つけて急に食べたくなった。
ブログ上に私と会うことを書き「痩せても枯れても割り勘というわけにはいかないだろう」
と書いてあったからご馳走になる気でいたが、お好み焼きなら負担も小さいだろうという
先輩に対する私なりの気遣いもあった。
池袋駅に着いた茨城さんから電話があり「いま西口公園の前のネット喫茶なんで西口公園に
出てきていただけませんか?」と言うと、大先輩はすぐに来てくれた。
で「お好み焼きが食べたいんですが、すぐそこに見つけました」と言い、
私の主導でお好み焼き屋へ。
「銀座でご馳走しようと思って色々調べていたんだ」という。
「ブログに久々に美味しいものを食べてと書いていましたが、どんな店を考えていたんですか?」
と聞くと「毛がにというわけにはいかないけど、銀座ですき焼きなんかいいかなと思ってた」とのこと。
それが急遽お好み焼きになったわけだが、これがなかなか美味しくて、
「実はあまり腹が減ってない」という茨城さんもガンガン食べていた。

食事を終えると今度は「お茶しましょう」となって茨城さんの選択で
ホテル・メトロポリタンへ。
池袋では一番いいホテル。で、メトロポリタンのコーヒーはかなり美味しくて
前から私自身のお気に入りだった。
一階のレストランはディナーバイキングの客で賑わっており、
お茶だけだと場違いな雰囲気があったので「先輩、二階のティーラウンジにしましょう」となった。
「このホテルっていいんだろ?だけど一回ここにマスカラスを泊めようとしたら嫌がったんだ。
それで奥さんに電話したら勝手に赤坂東急に向かったと言われて…あわてて赤坂東急に電話して
事情を話して『こういう人が行きますけど満室だと言って下さい』と頼み込んだよ」とのこと。
その立ち回りの上手さ、さすがだと思った。
そんな中、井上さんから電話。
「15分って言って全然電話くれないじゃないか」と怒り気味。
「それとさ、そっちが茨城に電話しろって言ってたから電話したけど
何度しても出ない。電話に出ろといっといてくれよ」と井上氏。
私は「分かりました」とだけ言って茨城さんに何も言わずに電話を渡した。
これには井上さんかなり驚いただろう。茨城さんも驚いていた。
先輩同士もう十年以上話をしていなかったわけだが、
私からしたら「先輩同士仲良くやってくださいよ」ということ。
電話が簡単に終わって茨城さんとの会話に戻った。
「俺が最初に東スポに特派員の仕事でミネアポリスに住み始めた時、
当時国際送金に時間がかかったんだよな。で、最初にもらう金がなかなかこなくて
飛行機代の立て替えが苦しくなってきた。グレッグ・ガニアに頼んで3000?借りたよ」
とかそんな話も出てきた。
色々な話をして、話が弾みまくっていると、懐かしい顔の人間が「ジミーさん」と声をかけてきた。
元週刊ゴングでいまは編集プロダクションの仕事をしている杉本クンだった。
杉ちゃんは私に著作本を出す話を持ってきてくれた大の恩人でもある。
となりの大グループの中にいたわけだが、仕事関係のようだったので、
細かい話はしなかった。
前の晩に一時間二十分しか寝ていなかったことに加えてエコノミーできた疲れも手伝い、
そのころはもうヘロヘロ。
「先輩今日はもうヘロヘロなんで」と言って喫茶店トークは終了。
「ジミー、今度どっかでトークショーでもやろう」とありがたい言葉。
アメリカに帰っても電話でのコミュニケーションは続くわけだが、
茨城大先輩、昨日はどうもご馳走様でした。
ということで、さてこれから出かける。
今日は実家に置いてあった靴を直すために渋谷西武に持っていく。
ダラスのグッチ直営店で3年ほど前に600?とか出して買った高級な靴だけど
日本で履くためにもってきたところ、やはり幅が狭すぎて一日で足が痛くなった。
それっきり履くこともなく実家に置きっぱなし、いわばお蔵入りになっていたわけだが、
先ほど見て、どうにも勿体なく思えてきた。
で、検索してみると幅の狭い靴を広くするなどの修理をしている店が見つかった。
一日でというわけにはいかないだろうが、お蔵入りのままにするぐらいなら、
時間をかけてじっくり直してもらい、次に日本に来た時に取りに行けばいい。
そしてもう一件、今日は大事なビジネスがある。
某団体の関係者に会って韓国興行の話をするわけだが、
酒を奢るゆとりがないのが残念である。
まあ、今日は赤羽ハリウッドが休みなんだけど。
その人は六本木や西麻布ばっかりだから関係ないか。
バンコクでは金がなくなるまで遊び続けた。
一緒に行った友人なんか、今回すべて割り勘だったのだが、
最後のホテルから空港のタクシー代がないほど、
文字通りオケラになるまで遊んだ。
人生の中、いい歳して馬鹿になって遊ぶことがあってもいいじゃないか。
逆に言えば、最高の幸せと言えるんじゃないかな。
いやいや素晴らしかった。
昨日はこのブログが更新できないほど疲れていた。
バンコクから成田への便が、ビジネスクラス満席で
エコノミーに乗ったのが、かなりこたえた。
いつもならバンコクからビジネスクラスのあいている都市に飛んで
そこから成田に入るが、友人は月曜朝に出勤しないといけなかったという部分があって
昨日のバンコクからの直行便以外に選択肢がなかった。
成田から暫く、数ヶ月にわたって音信の途絶えていた井上さんに電話し、メッセージを残すと
電車に乗ってからコールバックがあった。元気なようでよかった。
プロレス以外のジャンルでレポーターをやっていてそれが忙しいらしい。
簡単な話をして「もう十五分位で着きますから、もう一度電話します」と言って切りながら
それをしっかり忘れた…。
で、写真はあとでアップするが、成田からスカイライナーで日暮里に入りJRに乗り換えて池袋。
池袋で業界の大先輩である茨城清志さんに会った。
急遽池袋にしたのは私がヘトヘトに疲れていたから。
それと茨城さんがかつて池袋に住んでいたからわかりやすいだろうということ。
で、待ち合わせの時間調整にネット喫茶に入ったわけだが、そのそばにお好み焼き屋を
見つけて急に食べたくなった。
ブログ上に私と会うことを書き「痩せても枯れても割り勘というわけにはいかないだろう」
と書いてあったからご馳走になる気でいたが、お好み焼きなら負担も小さいだろうという
先輩に対する私なりの気遣いもあった。
池袋駅に着いた茨城さんから電話があり「いま西口公園の前のネット喫茶なんで西口公園に
出てきていただけませんか?」と言うと、大先輩はすぐに来てくれた。
で「お好み焼きが食べたいんですが、すぐそこに見つけました」と言い、
私の主導でお好み焼き屋へ。
「銀座でご馳走しようと思って色々調べていたんだ」という。
「ブログに久々に美味しいものを食べてと書いていましたが、どんな店を考えていたんですか?」
と聞くと「毛がにというわけにはいかないけど、銀座ですき焼きなんかいいかなと思ってた」とのこと。
それが急遽お好み焼きになったわけだが、これがなかなか美味しくて、
「実はあまり腹が減ってない」という茨城さんもガンガン食べていた。
食事を終えると今度は「お茶しましょう」となって茨城さんの選択で
ホテル・メトロポリタンへ。
池袋では一番いいホテル。で、メトロポリタンのコーヒーはかなり美味しくて
前から私自身のお気に入りだった。
一階のレストランはディナーバイキングの客で賑わっており、
お茶だけだと場違いな雰囲気があったので「先輩、二階のティーラウンジにしましょう」となった。
「このホテルっていいんだろ?だけど一回ここにマスカラスを泊めようとしたら嫌がったんだ。
それで奥さんに電話したら勝手に赤坂東急に向かったと言われて…あわてて赤坂東急に電話して
事情を話して『こういう人が行きますけど満室だと言って下さい』と頼み込んだよ」とのこと。
その立ち回りの上手さ、さすがだと思った。
そんな中、井上さんから電話。
「15分って言って全然電話くれないじゃないか」と怒り気味。
「それとさ、そっちが茨城に電話しろって言ってたから電話したけど
何度しても出ない。電話に出ろといっといてくれよ」と井上氏。
私は「分かりました」とだけ言って茨城さんに何も言わずに電話を渡した。
これには井上さんかなり驚いただろう。茨城さんも驚いていた。
先輩同士もう十年以上話をしていなかったわけだが、
私からしたら「先輩同士仲良くやってくださいよ」ということ。
電話が簡単に終わって茨城さんとの会話に戻った。
「俺が最初に東スポに特派員の仕事でミネアポリスに住み始めた時、
当時国際送金に時間がかかったんだよな。で、最初にもらう金がなかなかこなくて
飛行機代の立て替えが苦しくなってきた。グレッグ・ガニアに頼んで3000?借りたよ」
とかそんな話も出てきた。
色々な話をして、話が弾みまくっていると、懐かしい顔の人間が「ジミーさん」と声をかけてきた。
元週刊ゴングでいまは編集プロダクションの仕事をしている杉本クンだった。
杉ちゃんは私に著作本を出す話を持ってきてくれた大の恩人でもある。
となりの大グループの中にいたわけだが、仕事関係のようだったので、
細かい話はしなかった。
前の晩に一時間二十分しか寝ていなかったことに加えてエコノミーできた疲れも手伝い、
そのころはもうヘロヘロ。
「先輩今日はもうヘロヘロなんで」と言って喫茶店トークは終了。
「ジミー、今度どっかでトークショーでもやろう」とありがたい言葉。
アメリカに帰っても電話でのコミュニケーションは続くわけだが、
茨城大先輩、昨日はどうもご馳走様でした。
ということで、さてこれから出かける。
今日は実家に置いてあった靴を直すために渋谷西武に持っていく。
ダラスのグッチ直営店で3年ほど前に600?とか出して買った高級な靴だけど
日本で履くためにもってきたところ、やはり幅が狭すぎて一日で足が痛くなった。
それっきり履くこともなく実家に置きっぱなし、いわばお蔵入りになっていたわけだが、
先ほど見て、どうにも勿体なく思えてきた。
で、検索してみると幅の狭い靴を広くするなどの修理をしている店が見つかった。
一日でというわけにはいかないだろうが、お蔵入りのままにするぐらいなら、
時間をかけてじっくり直してもらい、次に日本に来た時に取りに行けばいい。
そしてもう一件、今日は大事なビジネスがある。
某団体の関係者に会って韓国興行の話をするわけだが、
酒を奢るゆとりがないのが残念である。
まあ、今日は赤羽ハリウッドが休みなんだけど。
その人は六本木や西麻布ばっかりだから関係ないか。
jimmysuzukiusa at 10:11│Comments(0)│